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LEGACY STIのブログ一覧

2021年10月27日 イイね!

30周年記念






今年2021年は、結婚30周年。その記念日が先日10/19でした。

カミさんは記念日について拘りがあまりないので、特に10/19ではなく、家族の都合が良い10/18に次男と3人で夕食を外で取りました。

恥ずかしながら、改めてカミさんへ普段からいろいろな面でサポートしてくれていることについて、感謝の言葉を伝えました。


尚、先日10/9に父が他界したばかりで四十九日までは忌中ということもありますので、食事も華美にならないように近所の歩いて行けるファミレスでした。


結婚25周年の2016年には家族でハワイ旅行に出掛けて思い出を作れました。


今年は年初から結婚30周年ということで、宿や食事をするお店の予約も進め、10/14から夫婦で4泊5日の記念旅行へレガで出掛ける計画を立ていました。

行くのを楽しみにしていてまさに実行直前でしたが、10/9に父が他界したため、記念旅行は延期することにしました。


父親への感謝の念も絶えませんが、カミさんへの感謝の気持ちも同じくらい沢山抱いています。

父親への感謝はなかなか存命中に伝えられなかったこともありますので、今後もカミさんにはしっかりと感謝を伝えて行きたいと思っています。
Posted at 2021/10/27 16:37:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年10月23日 イイね!

必ず訪れること・・・









人には生きていれば必ず訪れることがあります。

それは本人が好もうが好まざろうが、必ず訪れること。



それが死です。


いつか未来に永遠に生きられるような技術が出来れば別ですが・・・。


自分が存命中には不可能ではないかと思います。





2週間前の去る10/9朝、実父が永眠しました。84歳。




両親は数年前から認知が進行していたため、当方の自宅にほど近い施設に呼び寄せて暮らしてもらっていました。


そんな中、昨年コロナ渦において父親に38℃を越える発熱があり、血中酸素飽和濃度がかなり下がったため、救急車で運ばれて入院しました。

検査の結果、コロナ感染ではなく、誤嚥性肺炎だったようでしたので、この時は2週間弱で何とか回復して退院となりましたが、コロナ感染拡大予防のため入退院の手続きで病院に訪れても面会は一切出来ませんでした。


ただ、たまたま看護師さん立ち合いで自分が書類手続きしている最中に父親がナースコール(ピッチ使用)して来たので、看護師さんがピッチを貸してくれて父親の声を少しだけ聞け、会話にならないような感じでしたが、やり取りは出来ました。


退院・施設に戻るのもコロナ感染防止のため、施設の職員の方が対応したため、その後は毎月生活必需品だけを当方が施設に運んでいましたが、その後約1年、亡骸になるまで結局父親と会うことも会話することも声を聞くことも出来ませんでした。


約1年前に病院のピッチで聞いたのが、自分としても家族としても最後の本人の肉声になりました。


退院後も約1年は今まで通り施設で夫婦仲良く暮らせたのがせめてもの救いですが、施設の方によると父親は食べても栄養が身に着かないようで、徐々に徐々に痩せていってしまったようです。


亡くなる前日もそれほど普段の様子とあまり変化はなかったとのことでしたが、朝方食事のために寝ているところに職員の方が迎えに行ったところ、意識レベルが低く、呼吸が苦しそうだったので、酸素吸入はしたそうです。

ただ、暫くすると呼吸が止まり、近隣の提携の医師を呼んだそうですが、臨終が告げられたとのことでした。


死因はケガでもコロナ渦でありながらコロナ感染などでもなく、がんや心臓病などの病気でもない、老衰との診断でした。




当方は父親が亡くなった当日、以前に予約していた愛車K1600GTLの前後タイヤをショップさんで交換するため、朝一番で自宅を出発していました。

で、施設から父親の呼吸が止まったとの連絡が自宅電話にあったには時にはバイクで東名高速を移動中でした。


その後も連絡先として伝えていた自分の携帯電話には着信や留守電などの連絡がなく、出勤中のカミさんに連絡が入ったようで、カミさんから自分の携帯にはショップさんでタイヤ交換中にライン連絡(亡くなる前の様子だけ)が入っていたのですが、それに気付かずそのまま知らずに昼過ぎに帰宅。

訃報を聞いてもバイクのタイヤ交換が完了しないと帰れませんでしたし、下手に聞いて気が急いても危ないので、結果的には知らずに帰宅出来たのは良かったような気がします。


結局自分が父の臨終を知ったのは、施設からの自宅固定電話への留守電に折り返し電話した昼過ぎでした。



毎月施設に生活必需品を職員に手交しており、その際にはコロナ渦で両親には面会出来ないので両親の様子を簡単には聞いていましたが、最近、父親は食堂までの移動に車いすを使わないとならないなど歩くのも厳しそうで、食事(柔らかいものだだけ)は出来るが身にならない感じとのことでしたので、ある意味では自分も覚悟は出来ていました。



10/9午後、亡骸に対面した時やすぐに葬儀場へ移動させた時、葬儀までの数日は忙殺されていたこともあってか、また覚悟もあったためか、不思議と特に感情が高ぶることなく普段のような感覚で冷静にやるべきことを淡々と進めることは出来ました。


コロナ渦ですので家族葬とし、自分が喪主を務めて10/12には葬儀を行いました。


それまで割と淡々としていた自分ですが、出棺のために家族で棺に花を一杯に入れてあげている時には、『これでもう父親と生で会うのも最後なのか・・・』という思いが急に込み上げて来てしまい、流石に感情が高まってしまいました。


家族が亡くなったという事実は悲しいことではありますが、冒頭述べたように自分にも家族にも誰にでも、生きていればいつかは必ず訪れることです。

そして、コロナ渦でコロナ感染で亡くなった方が多くいて、葬儀や最後の対面も出来なかったと聞く中で、父親は比較的穏やかな最後を迎えられた上に、近親者が集って小さいながら葬儀という形で少し時間を掛けて見送られた訳ですから、本人にとっても近親者にとっても喜ばしく幸せなことであったものと思っています。


葬儀後、当方は暫く役所や相続の手続きなどでそれなりに忙しい日々を過ごしていました。今もいくつかまだ進めている途中のことがあります。


ちなみに、父親が亡くなった10/9以降も暫く北海道ツーリングの忘備録を連続でアップしましたが、既にブログ記載は進めて一時保管していたので、こちらを順に全てをアップしてから、本ブログをアップすることにしていました。




ご家族を亡くされた多くの方がそうだと思うところがありますが、父親の一番の供養になるのだと思って数日は父親にまつわる色々な思い出を振り返ったりしました。


父親は決してクルマやバイクを好きだとは言っていませんでしたし、むしろ50代の頃は『クルマはあまり好きではない。運転するのではなく、後ろの席に乗せてもらいたい。』などと言っていました。

父親は若い頃、借金して大学へ夜間で通うなど苦学し、諸事情もあっていくつか職を変えているのですが、その一つは日産関係の仕事だったり、最後の職は教習所で教官・学科も担当しており、それなりにクルマとは繋がっていました。


若い頃からクルマは運転していたので、しょっちゅうではありませんが、家族でドライブに行ったりした思い出も結構ありますし、当方の趣味の一つがクルマになったのは父親の影響も大きいと思っています。


また、父親は飽きやすい性格ということはないのですが、多趣味でいろいろなこと、新しいものに手を出していて、そんな後姿を見ていたからか、自分も多趣味で色々新しいことにもチャレンジするところ、鑑賞する映画や音楽の趣向なども似ているような気がします。


大学の学部(文学部英文科だった)は自分(理工学部応用化学科)とは違いますが、同じ大学に進学したということも父親の影響が大きかったと感じます。


他にも思い出はたくさんありますので、もちろん全てを記載することはしませんが、普段はあまり会うことがなかった妹とも葬儀などの打合せで何回か会い、父親や子供の頃の思い出話で盛り上がるなどしました。


先日妹との納骨に関する打合せの帰りに、懐かしくなって小中高の頃に住んでいた場所・小中学校を見に行ったりもして、思い出に浸ったりもしました。


晩年、両親は徐々に認知が進み、家の鍵が無くなったなどと助けを求められて車で3時間往復することが何度もあり、相談なく手続きが未完のまま引っ越しを繰り返して、その後の始末などに相当苦労させられたりしましたが、それら反面教師的な部分も含めて多くのことを父親から学ばせてもらいました。

存命中に直接言葉に出して伝える機会があまりありませんでしたが、やっぱり今の自分があるのは両親のお陰です。

よくある話ですが、亡くなってから毎日、位牌・遺骨に向かってお線香をあげながら、改めて父親に対する感謝の念が絶えないことにも気付きました。



自分にも息子が二人います。

自分の存命中には言葉で中々伝えてもらうことはないでしょうが、父親と同じように亡くなった時に息子や周囲に感謝されるような生き方を今からでもしないとな・・・などと、父親から最後に教えてもらったような気がします。



11/21に四十九日の法要をして納骨します。どうか安らかに眠ってください・・・お疲れ様でした。
Posted at 2021/10/23 22:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年10月21日 イイね!

バイクタイヤ交換

バイクタイヤ交換









2020年9月にDで1年点検時に交換してもらった前後タイヤメッツラー ロードテック01。

新車で装着されていたブリヂストンのBATTLAX SPORT TOURING T31 GTスペック(重量級バイク用)は1年・6500kmの走行(自分の乗り方も少し責め気味だったのですが)でスリップサインが出てしまうほど耐久性がイマイチでした。

しかし、2020年~2021年で使用したメッツラーロードテック01は、2年目点検時に1年・8500km走行してフロント溝が1㎜強残っていて耐久性は明らかに上。

後日アップしますが、タイミング的にそのまま3200kmのロングツーリングを終えるまで、結局トータル11700km(オドメーター8200km時点)まで使用しました。

走行中、特にハンドリングなどに違和感などありませんが、流石にフロントセンターの溝が心もとなくなってきて急制動時に距離が延びるのでは?という不安もあるので、交換することにしました。


ということで、安価バイクタイヤ交換してもらえるショップさんを探し、横浜にあるGRIFFさん(横浜市都筑区荏田南4-1-6 モアクレスト1階)にて10/9に交換してもらいました。

9時から作業出来るということなので、朝一で作業をお願いしました。

自宅からは東名高速を使って45分の距離。

ちなみに自宅を出発して東名高速を走っている時に自分にとって家族の重要な知らせが飛び交っていたのを、後に知ることになります・・・(汗。

この件については、後日忘備録としてアップする予定です。

高速を降りるところまではスムースに何の問題もなく走れましたが、ショップさん近所でショップさんを通り過ぎるなど、2回道を間違えました(汗。






交換したタイヤは、この1年使用したのと同じツーリングタイヤ メッツラー ロードテック01。候補としてDUNLOP/SPORTMAX ROADSMART ⅣやPIRELLI/ANGEL GT Ⅱ 挙げていましたが、1年ロングツーリングで使用してどのシチュエーションでもイイ感じだったので、同じタイヤをチョイスしました。

タイヤの取り外し、交換作業













外したタイヤ↓。交換直前に北海道ツーリングで直線の多い道を3200km走ったので、中央部の減りが進んで平らな感じなっていました・・・。



ちなみに、F:120/70/ZR17 重量車 税込20700円・R:190/55/ZR17 重量車 税込31400円で工賃2500円×2本・廃タイヤ処分料300円×2本=5600円の
合計57700円で作業してもらいました。

Dで2020年に交換した際はF:28700円・R:44300円+工賃5000円×2本+廃タイヤ処分料500円×2本=84000円だったので、26300円もお値打ち・・・。というかDのタイヤ交換は高い!

まぁ昨年はタイヤは優に10000kmは持つと思い込んで(これが最大原因)1年目点検時までタイヤ減りをチェックしておらず、その後のツーリングスケジュールなどを勘案すると、安いタイヤショップさんを探して交換する時間的余裕もなかったため仕方なく値段の高いDで交換を決断した訳ですが、今年はその反省を活かしてタイヤ溝はこまめにチェックし、乗り方も少し大人しく?して10000km以上は持たせつつ、タイヤは交換は安価ショップさんで行うというミッションはクリアしました。

もちろん、自分で交換できれば5000円さらに浮く訳ですが、実績のある方に習わないと素人がいきなり出来る作業ではないので、素直に専門家にお願いしました。

新品タイヤに履き替えた愛車。また、ロングツーリング、ヨロシクね。



交換作業は1時間半弱で終わりました。新品タイヤは滑るで慎重に帰宅しました。

コロナ明けだからか、帰路横浜青葉インターから東名高速に乗ったら、合流車線手前で大渋滞(汗。次の横浜町田インターで降りて下道(246号)で帰りましたが、まぁ下道もソコソコ混んでました(汗。

来年以降は、少し工賃を下げられる、バイクからタイヤ(ホイール)だけ外してタイヤ交換だけ行う、というパターンも考えてみます。


ちなみに、ホイールを外す際に前後ともキャリパーも外したので、ついでにパッドの残量をチェックしましたが、交換はもう少し先で良さそうです。(画像はフロント)






また、ショップさんにはバイク用(サイドが丸くなっている)でAVONの330/30/17なんてタイヤも置いてありました。



こんなに太いタイヤ、聞かなかったですが、海外で見かけるようなリアスイングアームを伸ばしたドラッグレースを意識して改造したバイクとかに付けるんですかね・・・。普通にコーナリングできるのか?なんて、変な興味が湧いちゃいました。


尚、前述しましたが、タイヤ交換の対応している最中にあることが発生しまして、帰宅して知ることになりました。

本件については、別途忘備録として残しておくことにします・・・。
Posted at 2021/10/21 12:09:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | バイク | 趣味
2021年10月19日 イイね!

【忘備録】34年ぶりの北海道ツーリング⑧ 最終章

【忘備録】34年ぶりの北海道ツーリング⑧ 最終章









9/24 8日目(北海道内7日目)

34年ぶりのバイク北海道ツーリングも、道内最終日。

本日は富良野・美瑛をゆっくり気味に堪能して、帰路につきます。

朝6時起床、朝方の空はどんより。昨日の雨が残っていて、霧雨のような状態で路面も濡れています。



7時から朝食が取れるので、出発準備は進めておきました。
バイクにシートバッグを固定し、朝のホテルをパチリ。





朝一はまだ寝ている子供たちが多いのか、ホテル内の施設は空いていました。





7時に朝食会場(夕食と同じですが)に行くと、やはりまだ空いていました。

夜は指定席でしたが、朝は自由席。独り者は入口からすぐの端の席を陣取りました。夕食もファミリーと独り者やカップルなど静かに食べたい人たちのエリアを分けるともう少し落ち着いて食べられるのですが・・・。



朝、エネルギーをたっぷり蓄えて活動します。



8時半にホテルを出発。気温は13℃で少し寒い感じです。
富良野・美瑛は道内でも好きなスポットが多いため、当初の計画では天気の良し悪しを想定して初日に天気が良い場合と最終日に2回訪問することにしていましたが、初日は完全に雨だったため寄らずに北上した経緯にあります。

出発時はまだ霧のような感じで、走ると少し濡れる感じだったので、徐々に天気は回復する予報でしたが、雨支度をしました。

富良野市内を通って最初に向かったのは、青い池。






ここは初めての訪問でしたが、駐車場も整備されて完全に観光スポット。曇りの天気のためか、水は青というよりエメラルドグリーンでした。











何とか傘など必要ない天気で見学出来て良かったです。


次に向かったのは、四季彩の丘です。
路面はまだ濡れているところもありましたが、霧雨もほぼ上がりカッパは脱いで走行。

最短コースで向かったので、少し裏道的なルートを通ったのですが、北海道各地は酪農・農業が盛んで、道道・国道以外の道路では作業車両などが出入りして走行するので、泥や砂利、たまに肥料のような粉などが路面に溜まっていることがあります。

それも想定して運転はしているのですが、国道に出る手前でややキツメの下りの右コーナーに差し掛かった時に、肥料のような白い粉・砂利が少し浮いているような路面となって、リアが『ずりッ』と滑り、一瞬バランスが崩れて焦りました。

連続してすぐ先が道内の裏道でも珍しい位のさらにタイトな右コーナーになっていて、朝方まで降っていた雨で濡れた枯れ葉が路面右側にはみ出していたため、速度は30km/hrも出ていなかったのですが、もう少し突っ込み気味だったら、バランスを崩して左に膨らむ量が多くなり、枯れ葉を踏んで滑って転倒する可能性も・・・(汗。
北海道の緩いコーナーに慣れてしまった体に『喝』が入りました。


さて、四季彩の丘も初めて訪れる場所です。着く頃には少し雲が薄くなり、気温も上がって来ました。







色鮮やかな花が敷き詰められていて、インパクトのあるアートのような感じですね。














北海道はもう秋ですが、ひまわりも咲いていました。



結構広い敷地なので歩いて全部は回りませんでしたが、近くで見るより遠望で眺める方が良い感じかなと思いましたので、ざっくり見て回るだけでも満足出来ました。


次に向かったのはジェットコースターの道。
ここは2007年にレガでも訪れているので、それほどご無沙汰ではありませんが、それでも14年前ですね。





一直線に伸びる道路というと、オロロンライン(北側)・エサヌカ線・天に続く道・ミルクロードが代表的で画像だとあまり変わり映えしませんが、やっぱり現地で見ると、各々の違い(個性?)があって飽きません。


少し走って美瑛の美しいパッチワークの丘へ。

途中で菜の花?が大量に咲いている丘があったのでパチリ。








ケンとメリーの木とか親子の木とかセブンスターの木とかマイルドセブンの丘とか
観光スポットはレガで訪れていましたが、34年前もしくはその2年前にバイクで訪れたかの記憶は(記録も)定かでありません。

特に順番は決めずに、キレイな場所で止まって写真や動画を撮るつもりでゆっくり付近を走りました。




















お昼前に後ろ髪を引かれる思いで美瑛を後にし、旭川から高速を使って小樽港へ。


早めに着いて、北海道最終日にほぼまとめてお土産を購入、自宅に発送したり、フェリーで食べる夕食・翌朝食を購入したりしているうちに、意外と時間が迫って来て、フェリーターミナルに着いたら既に二輪車は乗船開始していました。

走行距離は260km強。

まぁ、出航まで1時間弱あるので、焦らず事務手続き(体温チェック)し、往路フェリーで忘れたレッグプロテクターを無事受け取って、乗船。復路も往路と同じ『らべんだあ』でした。

小樽港で写真を撮る時間的余裕がなく、そのまま二輪車最後尾で乗り込みましたが、乗り込んで荷物を降ろしていたところ、あとから10台くらいのバイクが乗り込んで来て、まだ外で写真を数枚撮る余裕はあった感じでした。
まぁ、今回は乗り込む際の動画は撮れましたが・・・。



バイク置き場は同じデッキですが、乗船順番が遅めの場合は乗船口の向かって左側の狭い区画に回されます。


船室は往路と同じ、ステートツインのアウトサイド。





半個室で値段も安いツーリストSでも良いか・・・と当初は思いましたが、荷物が多いし、キャンペーン利用で少し奮発すればグレードアップ出来、ノンビリ船旅出来るので往復ステートツインアウトサイドを選んで良かったです。

名残惜しく小樽港を出る様子を前方で眺めていました。







船室は進行方向右側、つまり西側の夕陽が見える側を選んだのですが、雲が掛かっていて夕陽は拝めませんでした。

沖に出ると往路よりも少しうねりがあって船体の揺れも大きめでした。
(部屋の窓から真下付近を撮影↓)



が、酔い止めを飲んで酔うこともなく、早めに部屋で購入した夕食を取って、旅の思い出写真・動画の編集などをPCでしながらノンビリすることが出来ました。


9/25 9日目

朝9時過ぎに新潟港へ予定通り到着。

今度は下船時に忘れ物がないように確認をしっかりしました(汗。

バイク置き場が狭めの区画で、入口に近い後から乗船して来たバイクがある程度下船しないと自分が出れないので、それほど慌てて準備しなくてもいい感じになります。

9時半前に無事本土に上陸、戻って来ました。




少し混んだ市内でガス補給してから高速で自宅を目指します。

関越は交通量も少なく順調に流れていました。

覆面にも気を付けていて、クラウンを抜く時はナンバーと運転手を確認しているのですが、1代前の白いクラウンアスリートが走行車線を走っているのに気付いて、ゆっくり抜いた時にナンバーを確認するのを失念、『覆面はまず黒か紺』と少し気を許していたところがありました。


で、その後、少し追い越し車線を走ってふと右ミラーを見ると、白いクラウンが見えて、まさに赤色回転灯を回し始めたのが分かりました。

制限速度+20k程度で走行していたのでちょっと焦りましたが、ブレーキは踏まず(ブレーキランプが点灯すると減速が明確に分かるので検挙率が高くなる)にシフトダウンして速度を制限速度に落としつつ走行車線に移って、クラウンが抜くのを待ちました。
そして、クラウンが自分の前に赤色回転灯を上げたまま暫しランデブー走行。
リアウインドーに『速度超過取り締まり中』の電光掲示板が赤字で表示され、『やられたか~』とちょっと焦りましたが、少し走るとクラウンは赤色回転灯を下げて、途中のPAへ入って行きました(汗。

おそらく覆面クラウンが速度計測を始める段階(赤色回転灯を上げないとならない)で取り締まりにならない速度になったので、警告だけになった訳ですが、秋の交通安全運動期間中でしたので、特に慎重に走らないとならないところで、十分警告になりました(ボディカラーに関係なくクラウンには注意します)(笑。

PAからすぐに同じ覆面白クラウンが来る可能性もありますし、関東へ近付くにつれて徐々に交通量も増えたので、その後は基本的流れに乗って走行。


地元GSでガス補給して15時前に無事に自宅到着。

最終日は380km・6時間弱でも高速主体だったので、それほど体も疲れていなかったこともあり、34年ぶりの北海道ツーリングを楽しませてくれた愛車を労う意味でもしっかり洗車しました。総走行距離は3200km強、燃費は普段のツーリングを少しだけ上回り21~22km/Lでした。


今回の8泊9日の北海道ツーリングは、出発自体をいろいろ迷ったところもありましたが、当然コロナ罹患もなく、道内7日間のうち実質6日間は晴れの天気に恵まれて、本当に美しい絶景をたくさん眺められました。


一生の思い出になり、出掛けて本当に良かったです。


また、そう遠くない先にレガでも、そしてバイクでも北の大地を再訪するつもりで旅を終えました・・・。


Posted at 2021/10/19 16:59:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | バイク | 趣味
2021年10月17日 イイね!

【忘備録】34年ぶりの北海道ツーリング⑦

【忘備録】34年ぶりの北海道ツーリング⑦









9/23 7日目(北海道内6日目)

昨日は早めに宿に入って休めたこともありますが、北海道ツーリング開始時当初の週間天気予報だと9/22~雨模様だったのが、ラッキーなことに午前中が晴れるという良い予報に変わっていたことがモチベーションアップになりました。

朝の部屋からの帯広市内。



丁度、帯広駅に到着した普通列車が見えました。



朝方は昨日の雨が路面に残っていて、少しどんよりした雲が立ち込めていますが、天気予報に期待です。朝の気温は19℃。

このホテルを選んだのは、建てられてまだ新しいので部屋もキレイですが、朝食バイキングで評価も高かったことが理由です。
朝一で食事したのですが、休日といこともあってかレストランは空いていて、朝食尾美味しく、部屋も広めでキレイで期待通りでした。





最近のツーリング全般ですが、スタイル的には朝ガッツリエネルギーを摂って、昼は抜くパターン。
昼に店に入ってわざわざ混む時間で密になったり、観光や景色の良い時間にノンビリ出来ないのは勿体ないので・・・。



予約前に電話で問い合わせた際に、大型のバイクは普通車のスペースに止めてクルマと同じ駐車料金が発生するとのことを伺っていましたが、たまたまバイクで泊まっていた方がいなかったため、屋根のある玄関前横のスペースに余裕があり、しかも無料で止めさせていただきました。

フロントの女性の方がわざわざ止めるスペースのところにも来ていただき、バイクのことを褒めていただいたりで、ホスピタリティ溢れる、その名の通り『コンフォート』なホテルでした。
駐車料金はたまたま無料になりましたが、そうでなくてもコスパも優れていますし、シングルだけでなくダブルやツインの部屋もありますので、帯広に泊る際にはお薦めのホテルです。





今日は、元々少し南下して湧洞沼・生花苗沼を訪れて襟裳岬経由で富良野まで走る予定だったのですが、天気が良いのは午前中だけで、午後になる襟裳岬は霧で遠望が期待出来ないのと雨の中で長い距離・長い時間走ることになりそうなので、予定を変更して、湧洞沼・生花苗沼の後に再び帯広に戻って、昨日行くのを断念したナイタイ高原牧場に訪れるて、富良野に向かうことにしました。

帯広から約1時間で湧洞沼へ。

34年前に確か大樹町の民宿だったと思いますが、泊った際に知り合った当時少し年上の20代後半くらいの道内オフローダーお二人の方に『近くにキレイな場所があるから明朝行かないか?』と誘っていただき、訪れたのが湧洞沼でした。

自分はFJ1200(オンロード大型バイク)だったのでフラットなダートを暫く走って行けるところまで行き、そこから1台の方のタンデムシートに乗せてもらって、道なき道を登って連れて行ってもらった小高い丘から眺めた景色が今でも忘れられないほどキレイだったのが、強烈な記憶として残っていました。

その時の詳細な場所は覚えておらず、もちろん今回も大型バイクですので一般車が入れる舗装道路で行けるところですので、当時眺めた感動の景色とは違いますが、湧洞沼のキレイな景色は当時の記憶を蘇らせてくれました。























湧洞沼はすぐ隣が海(太平洋)で宍道湖やサロマ湖のように一部が海と繋がった汽水湖で、しじみなどが獲れるようですね。実際に漁をしている方がいました。





ノンビリ写真・動画を撮ってから隣?にある生花苗沼へ。
ここは初めて訪れるのですが、あまり視界が開けた道沿いの場所がなく、舗装されていますが、北海道にしては細目の森の中の道を通って畔に出れる駐車場まで移動。





少し森の中を歩いて湖畔へ。静かなでキレイな沼(というか湖という感じ)を暫し眺めながら静かなひとときを過ごせました。












ノンビリ出来ましたが、午後は天気が崩れる予報ですので、早めにナイタイ高原牧場へ移動。
ナイタイ高原牧場の見どころは、広大な牧場風景と十勝平野を見渡せる遠望の雄大さだと思っているので、雲・霧が掛からない前に到着したいところ・・・。

今朝出発した帯広のホテル近くまで1時間掛けて戻り、今度は市の北側へ。休みの日ということもあってか市内の道路が結構混んでいて、しかも9月下旬にしては気温が高く30℃ということで、当日の全国でもニュースになっていましたが、兎に角暑かった(汗。

そして何とか昼前にナイタイ高原牧場着。ナイタイテラスまで一挙に向かわずに、途中の駐車スペースに止めて、暫し雄大な牧場風景をパチリ。













そこからテラスの駐車場へ。










ナイタイテラスではソフトクリームでも頂きたかったのですが、ちょうど昼ごはん時で多くの人が利用していたので、トイレだけ利用し、外の人が少ないベンチで暫し水分補給しながら、少し市街地より気温が低いので涼みながらノンビリ景色を眺めました。

当初天気が良くないと思って今回の北海道ツーリングではキレイな景色を拝むのを諦めていた、湧洞沼・生花苗沼・ナイタイ高原牧場の景色をたっぷり堪能出来たので、大満足して、富良野に向かって移動開始。

徐々に雲も多くなって来て、狩勝峠の手前でポツリポツリ。本降りになりそうなので、峠のシャッターが閉まった土産物店の軒先で雨走行支度・・・。





その後はひたすら走りましたが、ラッキーなことに雨は本降りにならずに、降ったり止んだりで走りにくくもなく、15時過ぎに富良野に到着。

下調べしておいた市内のGSでガス補給してからホテルへチェックイン。走行距離は350km弱でした。

お世話になったのは、ホテルナトゥールバルト富良野。

ちょうど到着してバイクを玄関横の軒下に止めさせていただいたのですが、荷物を降ろしている最中に雨が強くなってきたので、ラッキーでした。







予約する段階で既に分かっていてある程度は覚悟はしていたのですが、ファミリー主体のホテルで特に幼いお子さんがいるファミリーが殆ど。

レストランでは、カップルや若者(男性)二人組が各々1組に、独り者は自分ともう一人くらい。

『黙食を!』という札が各テーブルに掲げられているにも関わらず、コロナ渦とは思えないほど子供たちの鳴き声や騒ぐ声に、親御さん達がしゃべる声が加わって相当ガヤガヤしていました・・・(汗。



まぁ、食事はバイキングでコンロでホタテ貝やエビなど海鮮焼きが出来てアルコールも飲み放題(90分)、品揃えも味も文句なし。





自分は基本的に普段アルコールは全く摂らないのですが、折角の機会ということと夜良く眠るために少量カクテル系をいただきました。



部屋はツインなので広く清潔で、特に声が聞こえてうるさいということはなく、温泉大浴場・露天風呂も雰囲気が良くて、コスパは高かったです。






8日目に続く・・・

Posted at 2021/10/17 18:32:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | 趣味

プロフィール

クルマ弄り、鉄道模型が好きな中年です。 実は、バイクにも乗りたいのですが、家族が許してくれません。学生時代、FJ1200にUSヨシムラの爆音マフラー入れてブイ...
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