流転しないものを情報と呼び、ひたすら変化し生老病死と向き合っているはずの人間がそれに気付いていないのだ・・・というのが養老先生のご意見。
以下は、10月7日付けの朝日新聞デジタルの記事より。
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元東京都知事の石原慎太郎氏は6日、豊洲市場(江東区)の盛り土を巡る問題で都から聞き取り調査への協力を求められていたことについて、「書面で質問いただければ、答えたい」とする談話を公表した。
談話によると、石原氏は「都の調査に協力する意思に変わりはない」とする一方、高齢で記憶が正確でなく、体調も優れないため、「(調査の)時間や方法に配慮して頂きたい」としている。都は、在任中に築地市場の豊洲移転を決めた石原氏への聞き取り調査を3日に要請したが、石原氏が難色を示していたという。
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平成11年9月、石原氏が都知事だった時代に、重度心身障害(児)者施設である府中療育センターを視察したことがあった。
そして、その後の記者会見で彼はこう言い、物議を醸す。
「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。僕は結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分が誰だか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって・・・」
さらに、
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかな。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする・・・」
と発言。
これら一連の発言は、メディアでも大きく報道された。
当然のように知的障害者団体からも抗議され、石原氏は
「あくまで文学者としての表現」と、歯切れの悪い弁明に終始したように記憶している。
そんな石原氏が最近、老いと脳梗塞の後遺症に直面し戸惑っている・・・という話を耳にした。
話の出どころは、文芸春秋社の文学界10月号。
そこで本日の午前中、少し離れた市内の図書館に輸送機を出動させ、くだんの雑誌を借りてきた。
内容はといえば、「死」と睨み合ってというテーマで行われた対談を収録したもの。
対談の相手は、精神科医の斎藤環氏で、石原氏の死生観を主とした14ページほどの読み物となっている。
ほんの一部を抜粋すると、こんな感じである。
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石原
とても尊敬していた政治家に賀屋興宣さんという人がいて、晩年に会った時、「先生、最近は何を考えてますか?」って僕が言ったら、「自分が死ぬことばっかり考えてます」という。「先生、死ぬことってどんなことですか?」と尋ねたら、「死ぬっていうのはつまらんですな。死ぬと一人でトボトボどこか暗いところを歩いていくんですよ。そうすると、自分のことを悼んでくれた親戚や友人なんかもみんな自分のことを忘れちゃって、そのうちに自分で自分を忘れちゃう」と言うんです。重ねて私が、「若い頃に結ばれなかったプラトニックな恋人や、熱愛していながら先立たれた奥さんに天国で会えるじゃないですか」と言ったら、「いや、会えませんな」と言うんですよね。
そんな会話を今非常に思い出すんです。つまり、人間というのは意識があるから生きているわけでしょう。その意識がなくなっちゃったら何もないんだね。
斎藤
死後の世界はあり得ないと思いますか?
石原
ええ。私は仏教徒で、「法華経」の解説書も書いたことがありますが、来世というのはないですな。死んだら虚無ですよ。そう考えるとつまらないね、やっぱり。
(中略)
この間の、障害者を19人殺した相模原の事件。あれは僕、ある意味で分かるんですよ。昔、僕がドイツに行った時、友人がある中年の医者を紹介してくれた。彼の父親が、ヒトラーのもとで何十万人という精神病患者や同性愛者を殺す指揮をとった。それを非常にその男は自負して、「父親はいいことをしたと思います。石原さん、これから向こう二百年の間、ドイツ民族に変質者は出ません」と言ったので、恐ろしいやつだなと思って。
斎藤
この対談は、読者にとってかなり衝撃的なものになると思います。石原さんが生と死の間で葛藤しているとか、自分の衰弱に苦しんでいる、悩んでいるというようなことがあるとは誰も思っていないでしょうから。
石原
私はそんなタフガイじゃないです。繊細な男ですよ。
斎藤
石原さんの繊細さは良く存じ上げていますが、世間的には違うでしょう。だいぶイメージが変わるんじゃないでしょうか。
石原
軽蔑されるかな。
斎藤
いや、軽蔑じゃないです。真逆だと思います。しかし今の超越性と死後の生との葛藤はすごく重要なテーマだと思いますので、そこは何か折り合いを付けたいですね。
石原
本当に、任せる人が居たら任せたいんだけどね。
斎藤
任せるということは、死後の生を肯定してくれる人ということですか。
石原
そうですね。それについて非常に強いサジェスチョンがあればね。
斎藤
でも、そういうことは今までいろんな方が石原さんに話してきませんでしたか? 死後の生に関しては。
石原
小林秀雄さんがもし生きていたら、ぶつけてみようかなと思うんだけど、小林さんも死んじゃったし、もうみんな死んじゃったもんな。
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社会学者の上野千鶴子氏は言う。
「超高齢化社会とは、どんな強者も強者のままでは死ねない、弱者になっていく社会であること。すなわち、誰もが身体的・精神的・知的な意味で、中途障害者になる社会」だと。
石原氏もやはり人の子。
脳梗塞の後遺症で記憶を司る海馬がダメージを受け、字を書く際にひらがなの「な」と「ぬ」と「ね」の区別がうまくできない話や、「自分でこのごろ鏡に向かって言うんだ。『おまえ、もう駄目だな』って」と葛藤を吐露するくだりは、恐らく真実なのだろう。
したがって、新都知事の要請による聞き取り調査の拒絶は、7割は彼のプライドの高さがその理由だろうが、残りの3割は実際に自信がないのかもしれない・・・と文学界10月号を読んで率直に感じた次第。
そのことはともかく、石原氏自身、後期高齢者・脳梗塞の後遺症という弱者性を抱え、そういったテーマを語り合いながら、同じ対談で、障害者施設入所者に対する大量殺人事件を、「ある意味分かる」と言い放つ彼は、「弱さ」を持つ人への共感の意識が感じられないという点で、やはりただものではない。
いや、共感の意識どころか、自分が弱者性を抱えていること自体を拒否しているのだろう。
弱者になった自分を受け入れられないのは、何も石原氏だけではない。
役に立ってこそ男という考えから抜けられない。社会のお荷物になる自分を受け入れられない。このような「高齢者の自己否定感」が、老後問題の最大の課題だと上野千鶴子氏は指摘する。
その背景にあるのは、生産性が高く、効率が良く、その上費用対効果が優れたものでないと価値がないとする考え方だ。
そういった価値基準は、結果的に弱者性を抱えた自分自身にキバを剥く。
石原氏の苛立ちは、そのような価値観を捨てさらなければ鎮まらないのかもしれない。
さて、極めて費用対効果のよろしくない小生だが、一昨日ターンパイクに行ってみた。
9時20分、戦闘機で自宅を出発。
クラウンコンフォートの背後に迫る不気味な影・・・
東北道から
東名集中工事を避け、圏央道へ
覆面ワールドリーグ戦に留意しつつ厚木小田原道路へ
小田原パーキングエリアで30分間休憩
身障者用駐車場に止めさせて頂く
毎度おなじみの下手な写真でご辛抱のほどを・・・
大観山にトウチャコ
お陰様でだいぶ戦闘機らしくなった
富士山は雲隠れ
帰路は箱根新道で
14時35分、帰宅。警備隊長が出迎えてくれる
➀最寄りのインターの料金所を過ぎ、合流地点までの間にかなりキツイ左カーブがあるのだが、スピードを落とさなくても全くロールしない
②そのキツイ左カーブだが、ノーマルの時に比べると、ステアリングをきる量が少しで済むことに気付く→片手運転の小生にはとてもありがたい
③追い越し車線に移る時、また走行車線に戻る時の車線変更の際の「バタバタ感」が無くなり、安定性と接地感が大幅に向上した
④加速がクイックになり、出足のモッサリした感じが無くなった
東北自動車道から日光宇都宮道路に入る
ダンナ・・・5キロオーバーですぜ
途中いつもの日光口PAで休憩し、いろは坂へと向かう
清滝は小雨模様
ご存知の通り、いろは坂は急カーブの連続。
前述した➀と②の効果をより実感しつつ、走りを満喫する
というわけで、結論を言えば
「別のクルマになった」
のひと言に尽きる。
改めて、楽しいイジリを提供して下さった5Xさんに感謝。
今日のまとめ・・・
「大臣様の免許証も取り上げる情け知らずの国ですから、皆様、お互いに気を付けましょうね」
追伸:その1
寅次郎とさくらではありません。念のため
(これは、よっし~♪さんの持ちネタです)
追伸:その2
お陰様をもちまして、リミッターがはずれたそうですヨ。
自身は9月から舞台「雪まろげ」への主演が決まっている。「私が仕事を降りたら、息子と同じように多くの方に迷惑をかける。今年いっぱいは舞台に立ち続けることが私の贖罪(しょくざい)だと思う」と述べ、その上で「成人した男性であれ、共に贖罪すべきだ。成人しているから親としての責任がないとは思っていない」と語った。
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本日の駄文のテーマは、ズバリ「脳ミソの調子」である。
お友達の皆さまは、小生の手足が強いマヒに侵されていることを知っていらっしゃるかもしれないが、その原因についてはご存じないはず。
誠にもってどうでもいい話なのだが、小生の障害は、1968年に厚生省(現在の厚生労働省)の研究班によって発表されたものによると、
「受胎から生後4週以内の新生児までの間に生じた、脳の非進行性病変に基づく、永続的な、しかし変化しうる運動、および姿勢の異常である。その症状は満2歳までに発現する。進行性疾患や一過性運動障害、または将来正常化するであろうと思われる運動発達は除外する」
と定義されている。
簡潔に言うと、母親のお腹の中にいるときから生後1カ月の間に受けた脳へのダメージによって、生涯にわたって続く進行性でない運動障害・・・。
つまり、脳に受けたダメージの後遺症により、運動障害をきたした状態のことを指す。
その頻度は出生1000人に対し、約2人とされている。
早産児では発症率が10倍とされており、出生時体重が少ないほど頻度は高くなる。
周産期医療が発達し、早産による低出生体重児の救命率が上昇するに伴って、近年では増加傾向にあるらしい。
ちなみに、小生は酸欠による仮死状態で生まれてきたそうだ。
母親はもともと産道が狭い体質だったらしく、
「帝王切開で産んでいたなら、お前はまともだった・・・」
と当の本人が悔やんでいたので、恐らく間違いではないだろう。
なぜ自分の障害を自慢げに紹介しているかというと、この容疑者は、どうも小生と同じ臭いがする・・・からである。
「好色」という共通項ではない。
脳ミソの調子の悪さという点で、恐らく遠い親戚筋に当たるのではないか・・・と強く感じてしまうのだ。
小生は、運動領域をつかさどる部位がダメージを受け、手足にマヒが残ったわけだが、この容疑者の場合は、自閉症の一種である「アスペルガー症候群」や「注意欠陥多動性障害」、すなわち発達障害と仮定すればいろいろなことが腑に落ちるのである。
下宿のオバサンの受売りで、軽々に物事を断じること自体不謹慎のそしりを免れないが、そのことを承知で言うなら、
➀衝動的に行動してしまう
②相手の気持ちを読むことが苦手
③その場にそぐわない言動を繰り返す
などは、発達障害の典型的な症状だ。
150人に1人の割合で発生するといわれる自閉症は、脳の中の情報処理がうまくいかないために起こる障害である。
諸説あるが、一般的に出産時前後の脳障害が原因とされている。
だから小生には、彼が遠い親戚のように思えるのである。
断っておくが、この容疑者を弁護する気はさらさらない。
社会生活を営んでいる以上、身勝手な行動がそれ相応の報いを受けるのは当然のことだ。
ただ、母親である女優の憔悴しきった記者会見を、延々と垂れ流すマスメディアの脳ミソの調子の悪さは、もっと絶望的である。
下宿のオバサンの話によれば、TBSの女性記者が母親に対し、「容疑者が歯ブラシを持って行ったか確認したのか?」と質問したそうだ。
小生は彼女に問いたい。
「君はそんな質問をするためにジャーナリストを志したのか?」
さて、発狂文はこのくらいにし、我が敬愛するDuke.TTさんの素敵なブログに誘われて、8月26日に小生も箱根ラリック美術館に行ってみた。
9時25分、輸送機Esquire号にて自宅を出発。
途中、首都高で二度大渋滞に遭遇し、圏央道にするんだったと後悔しても後の祭り。
12時20分、やっと海老名SAにたどり着く。
箱根ラリック美術館で昼食をとる予定だったのだが、空腹に抗しきれず、おにぎりをパクつく。
Duke.TTさんの情報によれば、厚木小田原道路は常時覆面ワールドリーグ戦が開催されているうえ、妙齢の女性ドライバーに煽られてはたまらないので、御殿場で下りて乙女道路を選択。
乙女道路のカーブなら、輸送機でもひっくり返ることはないでしょう・・・というヨミ。
というわけで、13時35分、無事にトウチャコである。
身体障害者用スペースに止めさせて頂く。
ふくよかな外国人女性が、入口で出迎えて下さる。
なかなか男前なラリックさん
箱根ラリック美術館は、フランスのルネ・ラリックというガラス工芸作家の作品が、230点以上展示されている美術館である。
恒例により、まずはルネ・ラリック氏の紹介を一席・・・。
ラリックは1860年、フランス・シャンパーニュ地方のアイという小さな村に生まれた。
幼い頃からアイ村の豊かな自然に囲まれて育ち、家族がその後パリに引越した後も、バカンス(夏休み)のたびにこの村を訪れた。
アイ村では、風景をスケッチして絵はがきにしては、となり村のエペルネィで売っておこづかいを稼いでいたそうだ。
ラリックに転機が訪れる。
1876年、ラリックが16歳の時に父親が亡くなったのだ。
ラリックは母にすすめられ、宝飾職人に弟子入りした。
さて、その頃パリでは・・・オペラ座が完成(1875年、ラリック15歳)。
ラリックは、見習いの時代から晩年まで、オペラ座やルーヴル美術館の近くを制作の拠点とした。
当時のパリは、見るもの聞くもの新しいことばかり。好奇心いっぱいのラリックにとって、毎日が驚きの連続である。
アイの「大自然」と、パリの「芸術と文化のるつぼ」。そんな環境が、ラリックの才能を育んだ。
ラリックがブレイクしたのは、1900年。パリ万博のときだそうである。
斬新なラリックのジュエリーは、大評判になった。
連日、展示ブースは人でごったがえしたとか。
そして、石油王や有名女優などセレブたちのサポートもあり、ラリックの制作活動は軌道に乗っていく。
ところが、ジュエリーで大成功をおさめたにもかかわらず、ラリックは別の道を目指そうとしたのだった。
彼の才能は、「ジュエリー作家」という枠におさまりきれなかったのだ。
将来を模索していた時、ヴァンドーム広場で店が近所だった香水商コティに一緒に仕事をしないかともちかけられた。
最初コティは、香水瓶に貼るラベルのデザインを依頼しただけだった。
しかしラリックは、「香水瓶も作らせてほしい。」と積極的に売り込んだそうである。
その後、それを契機に次々とガラスの作品を発表。
1912年以降、彼はジュエリーを全く作らなくなってしまったのである。
築きあげた「ジュエリー作家」というキャリアをあっさり捨て、ラリックはガラス工芸家の道へ歩み出すことになる。
以上、ラリック物語一巻の終わりでございます・・・といってもホームページの丸写しですけどね。
独特で素晴らしい美的センスを持っていたルネ・ラリックの多くの作品と出会うことができるのが、この箱根ラリック美術館の最大の魅力だと思う。
最終的に、空間をコーディネートするに至ったラリックは、オリエント急行や豪華客船のノルマンディ号の装飾などにもその手腕を振るっている。
そのオリエント急行のル・トラン車輌が箱根ラリック美術館にあり、ティーセット付きの見学をすることができるそうだが、急な階段が3段ほどあって、電動車いすの私にはムリだった。
ところで、大胆かつ繊細なラリックのジュエリー作品とガラス作品は、実は数えきれないくらいとか。
展示作品の写真撮影は当然禁止されているので、仕方ないのだが、皆さんにお見せできないのが何とも口惜しい。
展示されているのは1500点のコレクション中の選び抜かれた230点あまり。
展示替えもしているらしいので、リピートすればまた違う作品に出会えるかもしれない。
ミュージアム以外にも、いろいろと楽しめるのがこの美術館の一大特長。
まずは「中庭」。
目にも鮮やかな青々とした芝生が、深い緑の木々をより一層引き立てていた。
紅葉の時期は、きっと物凄いことになっているのでは・・・?
その絶景の中庭を眺めながら、食事を楽しめるのが、カフェレストランのLYS。
フランスはパリ郊外の、明るいレストランをイメージさせる。
テラス席もあり、室内もガラス張りで、実にいい雰囲気である。
早い話が、デートコースに最適。
若人よ、ちょっぴり背伸びして、デートは美術館にせよ!
ちなみに小生は、人気のケーキ、タルトフロマージュ“ル リアン”とエスプレッソ・コーヒーを注文。
そして定番のお土産を買うなら、ミュージアムショップ。
覗いてみるだけでも楽しいこと請け合いである。
川島織物とコラボした風呂敷や、箱根細工が印象的。
小生、下宿のオバサンの土産に、「ガラスの爪やすり」を購入する。
なぜかといえば、ショップで試供品を使ったのだが、爪切りの裏側についているギザギザのものとは大違いで、軽く触れただけですぐに爪がツルツルとなめらかになり、軽い感動を覚えたからである。
しかしよくよく考えたら、これで爪を鋭くされて引掻かれでもしたらエライことで、結局鬼婆に砥石をプレゼントしたのと同じくらいの愚行だったかもしれぬ。
ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
問題のチェコスロバキア製「ガラスの爪やすり」
乙女道路~東名~圏央道~東北道で18時ジャストに帰宅。
リピートしてみたい美術館がまたひとつ増えた。
完全自動運転車の実戦配備開始を軍が内外メディアに認めたのは初めて。
米軍は2011年の陸上無人システム計画で「完全自動化」を最終目標に掲げたが、配備に至っていない。
民間用は、日本政府が東京オリンピック開催の20年ごろに準自動(必要に応じて人間が運転)車両の実用化、25年をめどに完全自動の市場化を目指す。
米国ではフォード・モーターが21年までに乗用車の完全自動走行を実用化する計画だ。市街地走行の民間用と異なり、軍用は非舗装のオフロード走行を想定。障害物や爆弾などへの多様な対応が求められ、特殊な課題が多い。
イスラエル軍は08年、ガザ地区との境界(約60キロ)監視のため、準自動の軍用車を世界で初めて実戦配備。付近はイスラム原理主義組織ハマス戦闘員にイスラエル兵が殺害されたケースもある地域で、兵士の命を守るため、完全自動化を目指してきた。
軍用車「ボーダー・プロテクター」に完全自動運転システムを搭載し、試験運転を終え、今年7月中旬に配備を開始した。配備台数は非公開。準自動時代も無人で、事前に記録したルートを自動で走行。ただ、障害物に遭遇すると手動に切り替えるなどの手間もあり、2人の操縦者が必要だった。
だが、完全自動は障害物回避機能がある。このシステムを収めた「運転キット」はどんな車両にも取り付けが可能で、将来的には、最初に警備内容の指示だけ出せば1人でも複数台を運用できるようになることを目指す。車両が捉えたデータは陸海空軍の有人・無人システムで同時共有される。
イスラエル軍ロボット開発部門トップのアミル・シュポンド中佐は「1、2年前までは、完全自動のロボットの大部隊を20〜30年後の目標に掲げていたが、現在は各大隊にロボット(車両)数台を組み込む体制を目指している。
ロボットは人間の司令官の配下に置くべきだと判断した」と話した。戦時の進攻時に兵士の前方を走り、「盾」となってルートの安全を確保するほか、情報収集や兵たん支援、兵士援護のための攻撃などを任せる方針という。
AIを活用した軍用ロボットの開発競争は世界規模で拡大する流れにあり、イスラエルのほか、米国、ロシア、中国もロボット部隊の創設などを視野に入れた技術開発に力を入れ始めている。
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どうやら世の中は、やっと手塚治虫に追いついてきたらしい。
「人間が猿を征服したように、いつかは人間以上のものが人間を征服する・・・これは自然の法則です。人類がそれと共存するためには人間同士の争いをやめさせなくてはならない。宇宙へとび去ったノアの箱舟は、いつか近い将来また地球へ戻ってくる・・・」(手塚治虫『来るべき世界』より)
「来るべき世界」をはじめとする初期の手塚作品・・・(たぶん彼が二十歳くらいの頃の作品のはずだが)その中で描かれる、執拗なまでの人間の愚かさは実に見事だ。
出てくる人間はどいつもこいつもカネに目がくらみ、地位や名声に固執し、人を裏切り、自己保身に走る。
正しい情報を伝えても煽動者に惑わされ、やることなすこと打つ手が遅い。
身近で些末なことには神経を使うが、物事を大局的に見ることは放棄する・・・・。
しかしよくよく考えれば、これは紛れもなく小生を含めた一般大衆の姿であり、だからこそ、手塚治虫は人間の愚かさを描くことで、読者の少年少女に未来への警告を発しているのかもしれない。
時代は手塚に追いつきつつある。
だからただ今現在の少年少女と、少年少女のなれの果てである我々が、何としても手塚に追いつかなければならないのだと思う。
さて、世迷言はこのくらいにし、生存報告を兼ねた夏の絵日記ならぬ写真日記でお目汚し・・・。
川越の5Xさんで(藤蔵の背後霊は無視して下さい・・・)
車検をお願いする(写真は5Xさんのものを使用)
Audi川越で
ドライブレコーダーの取付け・・・と
ナビの更新をお願いする
江戸東京博物館に行き
大妖怪展を堪能
タロウをサマーカットにする
圏央道の菖蒲パーキングエリアで
佐野ラーメンを買ってみる
戦闘機で
毎度おなじみの
日光へ出掛ける
真面目に通院もしてますヨ
納車半年なのに、なかなか距離が伸びない・・・
電動車いすアローワン号で地元の祭りに行き
しこたまビールを飲んで下手な写真を撮る
東京オリンピック反対!と言ってる割には・・・
リオの中継を結構見る(しょせん小生などその程度のもの)
栄本部長にちょっと似ているジョー樋口レフェリー・・・
ゴール手前で思わず「銀メダル!」と叫んでしまい、下宿のオバサンから「際どいのによくわかったわね・・・」と褒められ、
「何十年競馬やってると思ってんだ」と威張って、逆に顰蹙を買った400メートルリレー
衝動を抑えられなくなり必ず観てしまう、つい先日東映チャンネルで始まった悪魔くん・・・
我は求め訴えたり、エロイムエッサイム
元々は美術教師だったメフィスト(兄)・・・素敵です
ついでにペロリゴン
ついでに首人形
相も変わらぬ下らなさで失礼しました。オヤスミナサイ・・・
事件はダッカ中心部で、商業施設や高級住宅地、各国大使館、外資系企業のオフィスも多いグルシャン地区で発生した。犯行グループは8人前後とされ、外交官ら外国人も頻繁に利用する飲食店「ホーリー・アルティザン・ベーカリー」に立て籠もった。
地元警察は犯行グループに説得を試みたが、交渉は決裂に終わった。現地メディアは突入作戦が完了し、警察官2人に加えて5人が死亡、18人が救出されたと報じた。死亡者が人質かテロリストかは報じていない。国籍も不明だ。
犯人像ははっきりしていない。ロイター通信によると、IS系のメディア「アマク通信」は、バングラデシュのIS系武装勢力が今回の襲撃で20人以上を殺害したと主張している。だが、米CNNテレビはISではなくアルカイダ系組織がこの事件を指揮したという米高官の分析を伝えた。
人質は外国人が多く含まれているもようで、イタリア公共放送のRAIはイタリア人が店内に残っていると報じた。ジェンティローニ外相はツイッターで「人質にイタリア人が含まれており心配している」と投稿した。
バングラデシュでは昨年9月、IS系の過激派組織による銃撃でイタリア人が死亡。翌10月には同じくISの銃撃で日本人1人も殺害された。バングラ政府はこれまで、国内にISもアルカイダも存在しないと主張してきたが、治安は著しく悪化している。
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もはや、日本人がいつテロに巻き込まれても不思議ではない時代になった。
実際にもイスラム国やアルカイダは、断食月のラマダンが始まる前に、
「西側の権益や敵を攻撃しろ・・・!」
と呼びかけていたのである。
このところのテロ事件の一大特徴は、外国人が多く集まる場所を標的にしている点。
テロリストはどうしたら世界中にインパクトを与え、自分たちの力を誇示できるのかをシミュレーションしてから実行に移しているに違いない。
それも、イスラム国が直接手を下すのではなく、彼らに共鳴した者たちが実行犯になっているのが実に厄介だ。
バングラデシュは人口約1億6100万人の9割がイスラム教徒。パキスタンの一部(東パキスタン)だったが1971年に独立した。
パキスタン支配への民衆の不満を背景に、独立戦争を主導したのが、インドとの関係が深く、現与党でイスラム世俗派のアワミ連盟(AL)。
そのアワミ連盟から徹底的に弾圧を受けているのが、イスラム協会と関係が深いとされるイスラム過激派組織「ジャマトル・ムジャヒディン・バングラデシュ」(JMB)だ。
ちなみに、日本人男性が射殺された2015年10月の事件や、過激思想に反対するブロガーを殺害したのもJMBといわれている。
当局は今年6月、約100人のJMB関係者を含む約1万人を拘束したらしいが、こうした徹底した取り締まりへの反発で今回のテロが起きた可能性もある。
いずれにせよ、今回のような武装集団との人質解放交渉には、常に人道的配慮とモラルハザードとの狭間で具体的な政治決定を下さねばならない。
決してあってほしくはないが、中東・アフリカはもとより、アジア各地で活躍する日本人がテロの標的にさらされることは十分に予想される。
それどころか、オリンピック・パラリンピックの次期開催国である我が国の施設そのものがこれ以上ないターゲットであることを鑑みれば、テロに関する平素からの官民連携、情報の共有化やイスラム文化・言語の専門家の育成などは喫緊の課題であろう。全く以てグローバル化とは迷惑な代物である。
さて、世迷言はこのくらいにして、一昨日の7月1日に埼玉県立近代美術館に行ってみた。
早目に昼食を済ませ、11時45分に輸送機で自宅を出発。
12時35分、トウチャコである。
紫陽花が美しい身障者用スペースに止めさせて頂く。
MOMASコレクション第1期と題し、印象派の有名どころが展示されていた。
館内に入り受付を済ませ、目指すは1階にある展示室A。
ドラクロア・モネ・ルノアール・ドニ・ルオー・ピカソ・ユトリロ・シャガールなどの作品が、こじんまりとした明るい部屋に整然と並ぶ。
やはりモネの「ジヴェルニーの積みわら・夕日」と、ルノワールの「3人の浴女」が目を引く。
それでは、ご迷惑でしょうがモネの知ったかぶりうんちくを一席・・・。
貧乏画家のモネは、カミーユと恋に落ち子どもができた。
養うカネもないモネはセーヌ川に身を投げるが、死にきれない。
その後、モネとカミーユと長男のジャンはつましいながらも幸せな日々を送っていた。
ところが、最愛の妻カミーユが次男を出産した後、結核でこの世を去ってしまう。
さらに、印象派もモネ・ルノアールとドガが対立し、ギクシャクするようになった。モネとルノワールは、印象派展をボイコットした。
1883年、モネはパリから北西70キロのジヴェルニーに2エーカーの土地を借り移り住む。
そして、一つのテーマを異なる光のもとで描く「連作」を制作するようになる。
1888年からは、30点以上の連作「積みわら」を描き始める。
1891年のデュラン・リュリエ画廊での個展をきっかけに名声の高まったモネは、経済的にも余裕ができ、ジヴェルニーの土地を買い取るまでになる。
この個展では15点の「積みわら」を展示した。
1898年からロンドンで連作「国会議事堂」、「チャリング・クロス橋」、「ウォータールー橋」を制作。画家として高く評価されるようになる。
1899年から連作「睡蓮」を制作。その作品は200点に及び、死ぬまで描き続けた。
1926年、肺がんのため86歳で死去。
さてさて、当日モネの作品に詳しい方に伺ったところ、
➀実物の積みわらの大きさは約4メートル
②積みわらには小麦を蓄えていた
③積みわらの所有者はケレルさんという名前の人
とのことであった。勉強になりました。
ルノワールの「3人の浴女」がまたいい。
これがですね・・・午前1時を過ぎて少々眠たくなってきたので、知ったかぶりはまた別の機会に。
でも、六本木のルノワール展には是非行ってみたいものである。
隣の部屋では有名作品のパロディが多数展示されていて、これもなかなか楽しめた。
庭をぶらぶらしてみる。
美術館は実にいいところだ。
小生のようなすっとこどっこいでも、何となく感受性や創造力が豊かになったような錯覚をさせてくれるのである。
16時5分、帰宅。
下宿のオバサンがロースかつの下ごしらえをしていた。
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