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野分の藤蔵のブログ一覧

2015年10月31日 イイね!

開通したので走ってみる

開通したので走ってみる「最近のブログを読む限り、君の脳ミソの調子は大丈夫か」とお友達がたいそう心配して下さった。
ありがたいことである。なので、本日は文章は最小限とし、写真を多めにすることでお許し頂くこととした。

というのは真っ赤なウソで、本当はブログに割く時間を端折り、明日の天皇賞の予に全力を傾けたいのである。



以下は本日付のテレ朝ニュースより。
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都心から半径約60kmの半円状につながる高速道路「圏央道」の埼玉県内の区間が31日に全線開通します。これで東名高速から東北道まで4つの高速道路がつながることになります。

新たに開通するのは、埼玉県内の圏央道桶川北本インターチェンジから白岡菖蒲インターチェンジの10km余りの区間です。一般車が通行できるのは午後3時からで、午前中は施設の公開や式典が行われました。圏央道は神奈川県から千葉県を結ぶ全長約300kmの環状道路ですが、31日の開通で埼玉県内は全線開通し、東名高速、中央道、関越道、東北道の4つの高速道路が結ばれます。

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残念なことに、尾根遺産の開通式にはおよそ縁のない小生である。
ならば、せめて圏央道の埼玉全線開通のとき位は立ち会いたいものと出掛けてみた。

14時35分、自宅を出発。
トヨタラクティスの背後に迫る不気味な影・・・。


東北道に乗る




予想通り混んでいる


あと2分


徐々に動いてきた


ジャスト15時


開通おめでとうございます


テープカットは午前中に終わったようだ。
なお、小生のパイプカットも10年前に済んでいる(これもウソです)。
































川島で下りた


このまま直帰も芸がないので、Audi川越にお邪魔することにした。

15時50分、トウチャコである。
身障者用スペースに止めさせて頂く。


お隣にはコレが設置されていた


美しい女性スタッフの方が、それも何と2名体制で身障者用スペースまで出迎えて下さる。

了解を得たうえで、相変わらず下手な写真を撮る。








































スタッフの皆さま、お忙しいところ与太話を聞いて頂き感謝申し上げます。


途中、渋滞に遭い18時10分帰宅。
女性スタッフの方からプレゼントされたハロウィンのお菓子を、食後に下宿のオバサンと頂く。


「父ちゃん、ボクにも頂戴よ!」
とタロウがからんでくる。

Posted at 2015/10/31 23:23:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2015年10月28日 イイね!

色は匂えど散りぬるを

色は匂えど散りぬるを一昨日の26日のこと。
朝4時に目が覚め、パソコンを開いた。
ヤフーの紅葉情報によれば、いろは坂は今が見頃だそうだ。
下宿のオバサンもタロウも鼻から提灯状態だから、起こさぬようそっと朝食をとる。
外出用携帯魔法瓶に熱いウーロン茶を入れれば、リハビリ準備完了である。


5時10分、自宅を出発。
ちなみに拙発狂ブログによると、昨年は10月24日に、大渋滞の中いろは坂の紅葉を楽しんだとある。
7時前にトウチャコすれば、さすがに渋滞には遭遇しないだろうという読み。

栃木県内に入り夜が明けてくる。




もはや通い慣れた日光宇都宮道路








朝陽がまぶしい日光口で、例によってトイレ休憩


目指すは本所松坂町ならぬいろは坂!


しかし、あに図らんや、いろは坂の紅葉は完全に見頃を過ぎていた
今さらヤフージャパンに文句をつけても詮無いこと。
ここは桑田真澄選手のおっしゃるように、気持ちの切り替えが肝要である。

そこで小生、のんびり撮影モードから激走モードへと文字通りシフトチェンジ
お蔭様で、気持ちよくエンジンをぶん回し、早朝の山道ドライブを堪能した。
帰途につく。

9時前にさいたま市内に帰還する。
三菱ミニカの背後に迫る不気味な影・・・。


なじみのGSで給油と洗車をお願いする。


昨日はどこにも出掛けず、1日中競馬の血統に関する本を読み太平楽を決め込んでいたところ、夕方残念な知らせが入ってきた。

以下は、27日付けの朝日新聞デジタル版より。

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アマチュア棋士の天野貴元さん死去 闘病中も大会出場

 がんと闘いながら将棋のプロ棋士をめざしたアマチュア強豪の天野貴元(よしもと)さんが27日、亡くなった。30歳だった。「何事もあきらめない」。将棋で学んだ思いを胸に、盤に向かい続けた。

 今月11日、さいたま市での大会に、車いすで出場した。全身の痛みを和らげる薬を飲み、意識はもうろうとしていた。指そうとしても指が動かせず、時間切れ負け。その日のうちに入院し、最後の大会となった。

 「なにがなんでも大会に出て将棋を指したいと本人の意志は強かった」と、父親の良夫さん(67)。入院後は意識が混濁する中、時に棋譜を口にしたという。

 6歳で将棋を覚え、羽生善治名人らを輩出した東京・八王子の道場で腕を磨き、10歳で棋士養成機関「奨励会」に入会。16歳でプロ四段まであと一歩の三段に。周りも「プロ入りは間違いない」と見ていた。しかし、半年で上位2人がプロになれる三段リーグ戦を勝ち抜けず、2012年3月、26歳の年齢制限で退会となった。

 夢破れた天野さんをさらに試練が襲う。1年後、舌がんが見つかった。進行度は最悪のIV。手術をしたが、昨年春に再発。「余命は1年」と告げられた。それでも大会には出続けた。治療では「頭がクリアにならない」と抗がん剤は拒否し、体重は30キロ台まで落ちた。

 手術で舌の大部分を切除し、会話は筆談だった。将棋への思いや闘病生活の様子をユーモアを交えてブログやツイッターで発信し、著書「オール・イン」は将棋ペンクラブ大賞に輝いた。天野さんは取材の際にこう書いたことがある。「何事もあきらめない強い気持ちを将棋から学んだ」

 昨年11月には赤旗名人戦で全国優勝し、三段リーグの編入試験の資格を獲得した。しかし、試験は不合格。夢はかなわなかった。

 小学1年から道場で鍛え合った長岡裕也五段(30)は「同年代で彼は一歩先を行く存在。プロになれなかったのは残念だが、がんになってさらに人間として強くなった」と惜しんだ。

     ◇

 通夜は31日午後6時、葬儀は11月1日午後0時30分から東京都八王子市館町311の宝泉寺別院で営まれる。(深松真司)

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昨年10月18日付の拙ブログに記した、将棋大会の決勝戦の相手Aさんは、天野貴元さんのことである。

小生は、知人が重い病気にかかったり、あるいは亡くなった際に、養老孟子氏の「バカの壁」の一節をときどき思い出す。

即ち、養老先生は、
「情報は変わらない。人間が変わるのだ。」
と断言してはばからない。

このフレーズを目にしたとき、さすがにそれは無理があるのではと思った。
なぜなら、情報というものは日々刻々と変化し、それを受け止める自分自身は、昨日と同じ自分なのだから。

が、さにあらず。
つまり、万物は流転するが、「万物は流転する」という言葉自体は決して流転しない。

流転しないものを情報と呼び、ひたすら変化し生老病死と向き合っているはずの人がそれに気付いていないのだ・・・というのが養老先生のご意見である。
そして、この歳になるとまさに正論であることが身に沁みてわかってくる。

養老流にいえば、将棋に対する情熱と才能にあふれた天野さんは、対局相手だけでなく、日々の体調の変化という最大の敵と戦っていたに違いない。
その意味で、惜しくもプロにはなれなかったが、羽生名人に優るとも劣らない真の勝負師だと思うのである。

最後に、流転しない情報である棋譜をここに記しておく。合掌。

対局日  平成26年10月18日


先手 藤蔵   後手 天野さん

▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲2六歩 △4二飛 ▲2五歩 △3三角

▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉 ▲5六歩 △8二玉 ▲9六歩 △3二銀 

▲5八金右 △9二香 ▲3六歩 △9一玉 ▲6六角 △4三銀 ▲7七桂 

△8二銀 ▲3七桂 △5四銀 ▲8八銀 △7一金 ▲5七角 △5二金 ▲6六歩 

△6四歩 ▲6七金 △7四歩 ▲8九玉 △4五歩 ▲7八金 △6三銀 ▲1六歩 

△5四歩 ▲2七飛 △6二金寄 ▲5九銀 △5五歩 ▲同歩 △同角 ▲5六金 

△5二飛 ▲5五金 △同飛 ▲5八歩 △7五歩 ▲2二角 △5七飛成 ▲同歩 

△7六歩 ▲8五桂 △7七金 ▲6八銀 △7八金 ▲同玉 △3八角 ▲1七飛 

△4九角成 ▲6七金 △2七金 ▲同飛 △同馬 ▲4五桂 △4九馬 

▲4四角成 △4八飛 ▲4一飛 △7四銀 ▲2一飛成 △8五銀 ▲7五金 

△6八飛成!
 ▲同金 △7七銀 ▲同銀 △同歩成 ▲同玉 △7六歩

まで84手で天野さんの勝ち  




「天野さん、思いっ切り駆け抜けた勝負師人生お疲れ様でした。私もそのうちにそちらに伺いますので、気が向いたらまた将棋教えて下さいな・・・。」

Posted at 2015/10/28 15:23:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2015年10月06日 イイね!

人はなぜ結婚するのか

人はなぜ結婚するのか連日のノーベル賞受賞、TPP妥結直前の各国の駆け引きの様子、そしてぐっとレベルが下がって、我が巨人軍のノーコンNO1ピッチャー福田がやらかした野球賭博・・・と結構メディアも忙しそうだ。
小生もそれぞれに意見があり、懲りもせずこの発狂ブログに落書きしようかとも思ったのだが、下らぬ世迷言を記しても、皆様から余計に呆れられるだけである。


しかし以下のコメントとブログの内容を見たら、思わず人はなぜ結婚するのか・・・を愚考し、書き散らかしてみたくなった。
堪え性のないこと、重々お詫び申し上げます。

以下は、ORICON  STYLEに掲載されていた福山雅治・吹石一恵のコメントの全文、及び佐々木健介が書いたブログからの一部抜粋である。


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福山雅治コメント

ご報告

いつも皆様には大変お世話になっております。

本日9月28日、私、福山雅治は、吹石一恵さんと結婚致しました。

友人関係から始まり、数年前よりお付き合いが続いていく中で、
いつしか人生を支え合う存在として意識するようになりました。

二人とも、ほぼこの仕事の世界しか知らず、未熟な所も多々あるかと思います。
ファンの皆様を始め、スタッフや関係者の皆様にご指導ご鞭撻を頂きながら、
ささやかながらも明るい家庭を築いていければと思っております。

引き続き、年末に向けてライブの準備等続いてまいります。

今後も変わらず、与えられた現場の一つ一つを
最高のものに出来るよう頑張ってまいりますので、これからもご支援賜りますよう、
宜しくお願い申し上げます。

平成27年9月28日
福山雅治



吹石一恵コメント

応援していただいている皆様へ

いつも大変お世話になっております。
突然このような書面でのご報告になってしまったことをお許しください。

本日、私 吹石一恵は福山雅治さんと結婚いたしました。

13歳でこの世界に入り、スタッフの皆様、そしてファンに皆様に
支えていただき、今日までお仕事を続けてくることができました。

そのお仕事においても、ひとりの女性としてもまだまだ未熟な私ですが、
皆様からのご指導ご鞭撻をいただきながら、人間としてより成長し、
あたたかく笑顔の絶えない家庭を作っていけたらと思っております。

暫くの間は、ゆっくりとしたペースでの活動になるかと思いますが、
今後とも皆様のご支援賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

平成27年9月28日
吹石一恵 


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2015-10-01

皆さん!こんにちは。
この度ブログを復活させて頂く事になりました。

まずは、妻  北斗晶の乳癌の件でファンの皆様をはじめ関係者の皆様には、大変なご心配とご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。

第1回目のブログなので、明るい話しだけで行きたいのは山々ですが、これだけ世間の皆様にご心配をお掛けしてしまったので、チャコの乳癌の話しを先にさせて頂きます。

北斗晶ブログで、詳しく乳癌の事は本人が書いていたので、皆さんご存知だと思いますが、、、

胸の異常を感じて検査を受け、七夕の日に検査の結果を聞きに行きましたが、車で待機していた俺に『乳癌になっちゃったみたい!』と車に乗り込んで直ぐに本人から伝えられた時、あまりの衝撃に頭が回らず・・・すぐに言葉が出てきませんでした。

《自分の妻が“乳癌》
すぐには、信じる事が出来ませんでしたし・・・

乳癌。

乳癌=
前に2人で映画館で観た【余命1ヶ月の花嫁】
直ぐに頭を巡ったのは、あの映画の事でした。

あの映画の結末は、、、

取り敢えずは、胸の専門の病院でちゃんと検査してもらって、もしかしたら間違いかもしれないし。
こんな時、良い方に良い方に男は考えたくなるもんです。

でも内心は《チャコが死んでしまうかも!》 と考えた時、恐くて恐くて心も体も震えました。
とにかく、この時にチャコから言われた事は、大きい病院で調べてハッキリするまでは心配かけるだけだから2人だけの秘密にして、息子達も親兄弟、会社の仲間にも極秘で。

その後の流れは、もう皆さんブログや報道でご存知だと思いますので改めて書きませんが。

俺たち2人が何よりもこの時に悩んだのは、息子達の事でした。
誰よりも先に伝えなければならない、息子達にもしばらく・・・
《ママが乳癌だ》とは話せなかったのですが、息子達にはどう話すべきか?
父親として子供達には心配させない様に少し病気の事は軽めに話すべきか?

それとも真実を全て話して、母の体が変わる事をキチンと理解させ、癌の恐ろしさ、命をも落としかねない病気だと伝えるべきか?

父親として息子達の性格も考え悩みましたが、結果的に息子達には全てを隠さず話す事にしました。

息子達に全てを打ち明ける前にこの病気の恐さを、どう話せば理解できるか?話す方法を考えて、子供達に今日話そう!

そう決めたのは、チャコが仕事で家を留守にした9月13日の日曜日。チャコの入院10日前でした。

【大事な話しをする前に、観て欲しいDVDがあるんだ】と息子達を誘い、一緒にテレビの前に座り点けたDVDは、《余命1ヶ月の花嫁》でした。

子供達には、辛すぎるんじゃないか!そう思われるかも知れませんが、、、
乳癌は、死んでしまう可能性もある恐ろしい病気で、この先
母は、乳房の全摘出手術、抗ガン剤の影響での髪の脱毛。
それだけでも衝撃だけど。
その先も、転移しない様に戦う覚悟を12歳だろうが16歳だろうが、家族みんなが覚悟を持って戦わないとならない病気だと理解させなければいけないと思ったから、この映画を観せました。

もちろん、この映画を観せるのも かなりの勇気と覚悟がいりました。
俺自身も、以前観たことがあったからこそ、結末を知っていたし。
出来れば今は観たくないとさえ思いました。

でも逃げて目を背けても、10日後に癌との戦いが始まる事は夢じゃなく現実だったので。

DVDを点けて話が進むにつれ、内容が乳癌の話しになってきた時、すぐ子供達の顔を横目でチラリと見たら、下の息子 誠之介はキョトンとしていて、日曜日の昼間に なんでこの映画なんだろう?と言う感じでしたが、長男の健之介は 多分何かあると察知した様な顔つきでした。

2時間くらいのDVDを3人で観終わった後、息子達に《少し話しがあるんだけど、いいか?  実はママは映画のこの人と同じ病気なんだよ》シンプルに、一番わかりやすく伝えました。

この映画の子は残念な結果になってしまったけど、死んでしまう可能性もある怖い病気だから、ママも癌に負けない様に戦うからみんなで協力して頑張らなければいけない。
みんなで力を合わせないとな!

父親として息子達に伝えられる言葉はこれだけでした。

みんなで力を合わせて頑張ろう!

こんな話しを真剣に息子達と話すのは24時間テレビのマラソンランナーに選んで頂いた時以来だと思います。

みんなで頑張って、俺の妻の、息子達の母の、4人の家族の、命のタスキを繋げる様に。
あの時もそうでしたが息子達が特に長男が言葉数の少ない時は思いの強い時です。無駄口をきかず・・・
[分かってたよ。何かあると思ってたよ。]お前達の母は乳癌だと伝えた後、長男から返ってきた言葉に驚きました。

子は親を見てるんですね。長男は、夜中にこっそり泣く母の声を拾い、何か真剣にコソコソ話す親の姿を見て、我が家の異変を感じ取っていた様で、不安にさせていた事を申し訳なく思いました。

息子達は、母が帰ってきた時、いつもとなんら変わらず[お帰りー。]と笑顔で言った姿には頼もしくなったと感心しました!

残念ながら乳癌は右胸だけではなく、脇にまで転移している可能性があると分かり、この数ヶ月 頑張ろうと思っては打ちのめされ、それでも乗り切ろうと思うと乳頭も残せないと告知されて、また打ちのめされて胸が張り裂けそうな話しばかりの日々でしたが、いい先生に巡り会えた事で何とか、心を手術に向けて進めて来れました。

現在は、お陰様で手術は無事に終わりましたが、脇への転移も見付かり 、まだ・・・これからが本格的な戦いです。

抗ガン剤が始まる事が決まっているので、心配な事ばかりですが・・・

チャコを守ってあげるには、何より自分自身の健康に気をつけないといけないと思っています。
そうでないと、人を守ってあげる事は出来ないですよね。
病気で苦しんでる人や、支えてるご家族の方はたくさんいると思います。
他にも病気じゃなくても苦しい事を乗り越えようとしている人も、この世にはたくさんいる。

そんな皆さんと一緒に頑張りながら、少しでも励みになれる様なブログになれたら良いなと思います。

今後とも宜しくお願いします。

✳︎このブログの下書きをするのに・・・俺、14時間かかっちゃいました
(一部抜粋)

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昔の偉い哲学者は決まってこう言う。
「人間は何のために生きるのかを考えるには、どうやって死ぬのかを考えよ」

だから小生は、人はなぜ離婚するのかをまず考えてみた。

後輩に3度結婚した男がいる。3度とも職場結婚という強者である。さぞかし人事課の人たちは、人事異動案を作成するのに苦労させられただろう。
彼とは10数年来会っていないから詳しいことはわからないが、七割方3度目の結婚も不調に終わったのではと推測している。
なぜそう考えるかというと、少なくとも彼には結婚に対する具体的な構えというものがほとんど感じられなかったからだ。

結婚とは、互いの何気ない協力とさり気ない気遣いとどうということもない会話・・・恐らくそういった休みない連続のことを指していうのだろうが、そんな極めてプライベートな関係であるからこそ形としての構えが必要なのだと思う。

何を言いたいのかというと、形が心を決める場合もあるでしょ・・・ということ。
好きな異性といっしょにいたいというその気持ちがずっと続かないのは、いろいろな理由が考えられるけれど、とりあえずは自分というものをほんの少し抑え気味にして、さり気なく協力してみようとか、気遣おうとか、忙しくても相手の話はちゃんと聞こうとか、そういった一種の形式上の決まり事を大切にすれば、たいがいのことは我慢できるはずである。

これらのことは当然好きな異性とずっと暮らしたいという前提なのだから、裏を返せば、真に結婚したいという異性に巡り合わなければ、一生結婚する必要はないということだ。
小さな声で言うが、小生だって30過ぎまでは風格ある独身者として堂々と人生を全うしてみたいと思っていたのだから。

さて、離婚の主たる原因を形としての構えの無さというふうに仮定すると、じゃあ結婚の目的はその構えが欲しいからですか?・・・となるが、勿論そんなことはあり得ない。
形式上の構えというのは、あくまで結婚生活を営むうえの必要欠くべからざる手段のことであって、目的ではない。国家規模でいえば労働・福祉・外交・防衛等の主要な政策に該当するようなものだ。

然らば問う。果たして結婚とは何ぞや。
小生のイカれた脳ミソから絞り出したその答えは、ズバリ
冒険物語工場!

つまり、人は冒険がしたくて結婚するのだ・・・というのが小生の結論である。

孔子曰く、「15歳にして女を学び、20歳にして女を想い、30歳にして立つ」
と言ったとか言わなかったとか。
動物としての性差、社会的役割の違いとしての性差・・・男女には明確な性差があるから結合を欲するのだろうが、反面、相通ずるものを共有しているからこそ結合も可能なのではないだろうか。
考えてみれば、元々人間は皆女性に生まれ、それにいろいろと部品がくっついて男性になったのは発生学的にも明らかなこと。
夫婦生活のダイナミックなところは、肉体的にも精神的にも密着しているがゆえに、夫は妻の気持ちが、妻は夫の気持ちが少しづつわかってくる(ような気がする・・・)。大袈裟に言えば、そこから両性具有のシェアの度合いが深まっていく。
だから、少々難がある相手でも離れがたい・・・という大胆な仮説も立ててみたくなる。

しかし、結婚は冒険なので無論いいことばかりではない。
冒険とは即ち、危険に身を晒すこと・・・。
いくら一生を共にしたい好きな相手でも、ひょっとして、叔父さんが背中に唐獅子牡丹を入れていて、チャカと白い粉を売る商売を営んでいるかもしれない。
それは極端な例としても、相手の兄弟が自宅を新築するために連帯保証人になってほしい程度のことなら大いにあり得るので、その時にどう答えるかくらいは予め覚悟しておいた方がよい。
いずれにしろ単純計算で親戚が倍増するわけだから、厄介なことが増えるのはまず間違いない。
近所づきあいも大切だ。自治会の世話役に選ばれたら、きちんとこなさなければならない。
そして、何より子育ては夫婦にとって最大のイベントでもある。

しかも、この冒険物語工場には、決断と責任の連続という極めて実践的な要素も加わってくる。
企業であれば、上司に決裁を仰いだり、責任を他者に委譲する仕組みが機能するが、家庭では全部自分たちが決め、ただちに実行に移す必要があるわけだ。その意味で大変危険であり、それでいて人間を錬磨してくれる工場でもある。
だから、この家庭という名の冒険物語工場の物語を、しっかりと自分たちで組み立てる能力があれば、他の場面の大抵の物語だったら対応できるはずだ。

家庭には、人間が社会的存在になるための酵母のようなものをたくさん含んでいると思う。つまり家庭の中で、人格が発酵されまろやかになり、どこに出しても恥ずかしくない人間ができあがる。
が、酵母とは程遠い悪玉菌が支配する家庭では、人格的腐敗をきたしたあげく、結果としてモンスターを社会に輩出する恐れさえある。だからこそ、夫婦は丁寧で継続的な協力が必要になるのだろう。

とはいえ、人間はしょせん不出来な生き物。不完全な男と不完全な女がひとつ屋根の下で、必死に格闘して年月が経って、実は互いのことが全く理解できていなかった・・・そんな物語の結末もまたよろしいのではないでしょうか。




さてさて、吹石一恵が色気づいたということは本人のコメントでよくわかったが、一方、いろは坂の紅葉の色気づきはどうなっているのだろう。
気になったので久しぶりに行ってみることにした。
11時5分、自宅を出発。

ホンダNーONEの背後に迫る不気味な影・・・。


東北道から




日光宇都宮道路へ




日光口で軽食をとる










いろは坂へ




黒髪平にトウチャコ。








相変わらず下手な写真を撮っていると、素敵なワインレッドの日産ノートがS4号の右斜めに止まった。

ナンバーは宮城。颯爽と妙齢のご婦人が一人で降りてこられた。
「こんにちは。いい陽気ですね」と声をお掛けする。

何でも、松島から宇都宮の娘さんのところに訪ねた帰り道の由。
すっかり話に花が咲き、30分以上話し込んでしまった。
聞けば、ドライバー歴55年。この20日で御年75歳とのこと。
昭和35年当時、宮城県内では女性ドライバーは大変珍しかったらしい。
一人のドライブがことのほかお好きで、今日もご主人はお留守番だとか。
記念に、S4号のドライバーズシートにお座り頂いた。
ご縁があったらまたお会いしましょうとお別れする。















明智平にトウチャコである。
男体山はモヤっていた。





帰途につく。


明日もいい天気のようだ。


17時15分、帰宅。

下宿のオバサンはサンマを焼き始め、タロウはお気に入りのタオルで遊んでいた。










Posted at 2015/10/07 21:19:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅行/地域

プロフィール

野分の藤蔵と申します。 還暦+4歳の偏屈オヤジです。 家族は下宿のオバサンと二人暮らし。他人様に言えない稼業で、何とか糊口を凌いでおります。 趣味...
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