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2014年11月11日

徳大寺氏の訃報に接して

徳大寺氏の訃報に接して NAVI CARS 第10号の記事「徳大寺有恒という生き方。」について取り上げた時には書かなかった(書けなかった)のですが、実は当該記事がどことなくこのまま引退してしまうかのような記事に見えていて、何となく違和感を感じていたんですよね。

記事中には、奥様談で「もう思い通りに運転するのはむずかしいでしょう」という記載もあって、相当お体が悪いことを想像させたりもしました。

その後、氏とは創刊以来縁の無かった、マガジンXにも初登場していたのですが、こちらもこれから復帰というよりは最後の挨拶に見えたりもして。

だからと言って、悪い予感が当たることはなかったのに。。。


亡くなったという報に接すると、今後は新刊を読むことが出来ないという事実が重く圧し掛かります。


思い返せば、最初の出会いは父が買ってきた1982年版の「間違いだらけの車選び」でした。まだまだ当時は日本車が排ガス規制をようやく乗り越えた頃でしたから、まだまだ切れ味が鋭くて、バッサリと切り捨てる評論は痛快でありました。
以降、毎年間違いだらけの車選びは欠かさず購入し、ついにはバックナンバーまで入手してきました。

「間違いだらけ~」は、氏の出世作かつ代表作でありますので取り上げられる方が多いと思う(もちろん異論はありませぬ)のですが、個人的には、以下の二つも氏のベストワークスだと思っています。


一つは、一連のNAVITALK。(Best of NAVI TALKという単行本も出ていたのですが絶版のようですね)
二玄社NAVI誌の目玉企画でありました。NAVITALKって、徳大寺氏の他には、舘内 端氏、大川 悠氏、司会は鈴木 正文氏という、錚々たる面々ではありましたが、今振り返ると、そう車趣味人なら一度はやったことがあるであろう、ファミレス談義の延長線だったと思うのです。

それでも、このメンバーだと、車という主題に対してイロイロな側面から語られていて実に興味深くありました。ハードに偏重しがちだったクルマ評論をソフト面からも語ったことは、当時かなり話題にもなりましたし、NAVITALKに影響された車趣味人も多いんじゃないでしょうか。

この企画は、徳大寺氏抜きでは成功しなかったと思いますし、何より「車って見ても乗っても楽しいけれど、自動車の話をするときが一番楽しい」ということを実証されるかのような、仕事ぶりでありました。

この時期になると、日本車が良くなるのと比例するかのように、「間違いだらけ~」でもハードに対する批評は丸くなっていきましたが、NAVITALKで語られた内容が見受けられるようにもなりましたっけ。


もう一つは、90年代に入って書かれた「ぼくの日本自動車史」。これって一足先に発行された小林彰太郎氏の半自叙伝「小林彰太郎の世界」に触発されたのだとは思います。

当時を知る誰かが時代の証人として、事実を後世に残さなければ、事実は失われます。ただ、過去からの数多い自動車の歴史や経験談を書に起こせる方は少ないですし、書籍として発行できる方はもっと少ないのです。事実、この二人以外で自叙伝を含めた自動車社会の歴史書は存在しないと思われます。

徳大寺氏の場合、事業の失敗という苦しい過去に触れなければならない逡巡があっただろうと想像するのですが、発行された書は、その甲斐あって、面白くかつ壮大な書となったのはお読みになった方はご存知のとおりだと思います。


車を中心軸に据えながら、その他にも各方面に渡っていろいろ多才な才能を発揮され、数々の功績を残されたのですが、生涯を通して最後まで変わらなかったのは車に対する愛情ですよね。氏の最後の書、「駆け抜けてきた」の言葉を借りれば、「人生のパートナー以上の存在」。

氏の書を通じていろいろ学んだ私は、「駆け抜けてきた」の最後の言葉、「かけがえのない一台を選んで、そのクルマと人生を共に生きて欲しい、人生を共に駆け抜けて欲しい」を実践し続けたいと思います。

氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。



最後に手持ちの映像から、笑っていいとものテレフォンショッキングに出演(1990年5月)されたときのものを掲載します。

左は、「僕の事、いったい何者だか分からない人が多いんですね」と言ったところ、タモリ氏に「勝新太郎と間違えているんじゃないかと」と切り替えされて、困惑後、どう返すか考えているところ。(その後「今日はちゃんとパンツ履いて来ていますけれどね」と返します)

右は、「売れてない芸能のおじさんかな?というノリなんじゃないですかね。それ、わりかし好きなんですけれどね。」と笑っている図



この頃には、既に自動車評論家という枠を超えて、タレントに近い扱いをされていましたっけ。。。
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Posted at 2014/11/11 21:22:22

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この記事へのコメント

2014年11月11日 21:46
こんばんは♪

御大の亡くなったと言う記事、書こうと思っても何故か書けないんですよ。

御大の著書は、間違いなくクルマ道楽して行く上での参考書みたいなものでしたし。

まぁ、御大が書いた事でそれまでのモータージャーナリズムに一石を投じたのは揺るがない事実でしたしねぇ。

ただ、いろんな意味であまりにも大きな存在だったので、一日考えて何も書かないと言う判断になりましたねぇ。

オイラもご冥福を心から祈りたいと思います。
コメントへの返答
2014年11月12日 6:21
ならっちさん、こんばんは

書かないという判断も解る気がします。
実はこのブログ、2回文章を起こして投稿寸前まで行きながら全消去しています。これが3回目だったりです。
書かねばならないこと、書きたいことがごちゃ混ぜになって、さらに悲しみが心を乱すのですね。

御大の存在は間違いなくモータージャーナリズムの歴史や存在価値を変えましたね。

読者の我々は、時折御大の話を振り返りながら、クルマ道楽を続ければ良いのだと思います。

心からのご冥福をお祈りいたします。
2014年11月11日 22:42
私はイベント前の飲み会で訃報を知りましたが、
奈良に住む還暦近い母からもケータイに
「徳大寺さんが亡くなったらしい」なんてメールが来ていました。
ウチの母なんてノアとセレナとステップワゴンの
違いも分からない人なのに徳大寺さんは分かるって言うあたりが
徳大寺さんの偉業なのかなと思いました。

ぼくの日本自動車史は地元の図書館で何回も借りて読みました。
すごく等身大でリアルな徳大寺さんの自叙伝は心に残りました。
コメントへの返答
2014年11月12日 6:16
ノイマイヤーさん、こんばんは

私が訃報を知ったのは、前回ブログで書いた茨城でした。あまり体調がよろしくないのは各紙面から伝わっていましたが、年齢を知っていただけに、まさかという思いでした。

仰るとおり、自動車評論家の枠を超えて知られている人でしたね。氏のタレント性は、自動車を評価するということの一般化にも貢献していたのかもしれません。

「ぼくの日本自動車史」は、それまであまり書かれることの無かった徳大寺を名乗る前の時代が書かれていました。氏の半生についてあの本で初めて知ったことが多々あります。

幼少時代から車に接する機会に恵まれていたとはいえ、ある時期には、車好きの中の一人という時代があったという事実は、決して雲上の人ではないんだと思わせるものがありましたね。
2014年11月11日 23:17
実は、NAVI10月号を見て、自分も最期の特集かなって思ってしまったのです。奥さまも出られてきて、色んな意味で集大成かなと。
昨夜、代官山の蔦屋書店に行った時、2015年度間違いだらけが出るという話を聞きました。自分の新車に対する評価について、最期の答え合わせをしようと思ってます。
コメントへの返答
2014年11月12日 18:43
tteeさん、こんばんは

NAVICARSの記事は集大成としても良く出来ていたと思います。自分の中で引退するのかも、という恐れを信じたくなかったのでしょうね。

2015年度版が出るのですか。徳大寺さんが(最期に)何を書かれているのか、気にしながら待とうと思います。

2014年11月11日 23:28
こんばんは 亡くなられのですね 大きな存在の方なので一口にあれこれ言うのは無理かな なんて思っております 間違いだらけの、そして僕の日本自動車史は随分読みました  歴史好きとしては徳大寺なんて大胆な名乗りだなと思い そしてこういう物を何故誰も書かないのだろうと思ったのですが・・・そうそう書けたものではないですよね  著書の自動車史自体がもう20年経ちますか どんどん進んでいますね 

すみません 私もとてもまとまりそうになく(汗)


コメントへの返答
2014年11月12日 19:09
宇都宮さん、こんばんは

初版の間違いだらけ発行から40年近く、自動車評論の代名詞であり続けたのですから、取り上げ出したらキリが無いのも事実ですよね。

徳大時姓は著者秘匿の策だったのですが、著者を有名にするのにも一役買った感があります。

自動車の歴史、特にその当時の評価は私も気になるのですが、商売にならないらしく、あまり知る手段がありません。
今は出版だけに頼らなくても、個人ブログに参考になる情報があるのは幸いです。

そちらのブログも、目から鱗を落としながら拝読しております。5チャンネル時代への見解は、以前と随分変わりました。
2014年11月11日 23:31
こんばんは。
徳大寺氏の訃報に接したのは子供のプールの送迎やってた時。
帰宅後、思わず妻にその旨伝えてしまいましたがやっぱりわかりませんな。

「間違いだらけのクルマ選び」は何回か新刊で買ってその後面白かったので古本屋とかで見つける度にバックナンバー買って今ではほぼコンプリートしたのでは?

やっぱり最初の頃の方が切れ味あって面白い。

晩年は評論家というよりも車趣味人っていう趣でしたが。
文筆家っいう感じでしたね。

自動車評論ってはっきりとした新車批判はタブーなようだし、各社の広報が眼を光らせている中、当たり障りの無いことだけに終始してるとつまらんし。
雑誌の原稿料も上がらないみたい。
結局、自動車メーカーの広報みたいな仕事してるのが一番収入安定するんでしょうがやっぱりユーザーに見限られますな。

難しい職業ですよね。


コメントへの返答
2014年11月12日 19:22
大叔さん、こんばんは

他の方も書かれているとおり、何気ない日常にいきなり飛び込んでくるのが訃報のようです。
ウチの奥様も、姿は知れども他は解らない人でありました。

「間違いだらけのクルマ選び」は私も全巻揃えましたが、時代を遡るほど面白いに同感です。
車種数が少なくて、クルマの出来が今一つの方が評論も明確になるのでしょう。

80年代後半の時点で、評論家という枠を超えていましたね。どんどん徳大寺氏の趣味・趣向が表面に出るようになってきました。

自動車評論家に限らず自動車ジャーナリスト界は、書き手の数よりも需要の方が明らかに少ない印象です。結果、扱い易い方が残り易いのでしょうね。
W205発表の時に痛感しましたが、プレスリリースをそのままなぞった記事の多いこと。試乗記事自体を、広報担当が代筆してるんじゃないかと疑いたくなります。
2014年11月11日 23:48
こんばんは、parl-siroさん♪

代官山蔦屋書店の車書籍コーナーの前身に
当たる(今は亡き)リンドバーグに勤めていた
頃に徳大寺さんご本人を見かけましたが・・・

うちの父と一つしか違わないにもかかわらず、
長いこと糖尿を患っていたせいか?、または
老いのせいか?分かりかねますが、いずれに
せよ杖がないと歩けない状態なのにビックリ&
がっかりでした・・・(;´Д`)

”ぼくの日本自動車史”ですが、改めて一通り
読ませていただき、クルマ業界の発展と共に
徳大寺さんも歳を重ねて来たことがハッキリ
分かって、実に興味深い話だと改めて思った
次第です。

でももう・・・

”NAVI CARS”誌でトークを繰り広げることも
”ベストカー”誌の”俺と疾れ”のコーナーも
”間違いだらけ”も出ることはないんだなぁと
思うと余計に寂しいですね。
コメントへの返答
2014年11月12日 19:38
紺ウサギさん、こんばんは

(今は亡き)リンドバーグにお勤めでしたか。私も以前、何度か通ったことがありますので、すれ違っていたかもしれませんね。

徳大寺さんは、近年杖が手放せない状態であろうことは、何となく各紙面から垣間見ることがありました。恐らく運転する機会自体、殆ど無かったのじゃないかと推測しています。

”ぼくの日本自動車史”は、間違いだらけのクルマ選びが発行されるまでの日本車を筆者目線でほぼ網羅した傑作だと思っています。
車好きの大勢の中の一人に近しい時代もあったという事実を、再認識した次第です。

小林氏同様、ジャーナリストは生涯現役を貫かれただけに、突然連載がなくなるという事実は、とても重く寂しいものがありますね。
2014年11月12日 19:01
こんばんは。

僕は、氏の訃報を知ったのはParl-siroさんのブログを見てから改めて確認しました。仕事から帰宅後、父からも教えて貰いました。

以前から「長年の糖尿病」とは知ってましたが、まさかこんなに早く…と云った心境でした。

氏より8つ年上の、三本氏はご健在ですから尚更ですね…

「間違いだらけ…」は中学生の頃に読み始めてから、ベストカーの「俺と疾れ」のコーナーでは頻繁に読んでいました。

初期のベストモータリングを久々に引っ張り出して鑑賞に浸ってました。

そんなベストモータリングで、氏は、81がデビュー直後に北海道にてグランデG(レスOPのアナログメーター)に試乗するシーンが有るんですよね。

改めて、氏のご冥福を御祈り致します。
コメントへの返答
2014年11月12日 19:57
ぽんともさん、こんばんは

実は私も、最初に知ったのは、上に書かれているtteeさんのブログだったりするのです。

氏が尊敬されていた小林彰太郎氏は80歳を過ぎてから亡くなられましたし、同年代の三本和彦氏はご健在ですからね。早過ぎたのでは・・・という思いは同じくです。

ベストカーは、そもそもの発行から縁がありましたから、「俺と疾れ」は最期まで続きましたね。

ベストモータリングの81の回はどこかで見たことがあります。81に関しては、間違いだらけでも、2.5GT以外結構肯定的だったように思いますね。

氏のご冥福をお祈りいたします

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