
思い出のクルマ、第28回です。
自分的には、スクープされた時から気になっていて、発表時には結構本気で盛り上がって、その後も何回も買おうかと思って、結局縁のなかったクルマです(笑)
今でもこのコンセプトは正しいと思っていますし、志を継ぐ直系のクルマが無いことは本気で惜しいと思っています。。。
そんなプログレは、1998年5月に登場して、2007年6月の生産中止まで9年という長いモデル期間を一代のみで過ごしました。部分改良は数回あったものの、内外装の意匠変更を伴うマイナーチェンジは、その間1回のみというのも珍しいケースですね。
モデルライフが長いため、カタログも数多いのですが、そんな中から今回はコンセプトカタログを掲載することにします。ちなみにタイトル画像は、当時のアムラックスで初開催となった開発主査を招いての発表会に参加した際(それぐらい当人的に気になっていたと言えます)に貰ったものでありまして、右上のチケットはプレゼントの抽選券も兼ねていました。
さらに、補足資料として、(株)立風書房刊のル・ボラン特別編集「トヨタ プログレ」から引用します。やや余談風味ですが、同誌内の清水和夫氏のレポート&チーフエンジニアとの対談、福野礼一郎氏のレポートは、プログレに興味をお持ちの方なら一見の価値はあります。
それでは、以下紹介していきます。
左頁にある新しい提案には、今でも賛同します。このコンセプトは全く古びていません。むしろクルマの大型化が進んだ現在の方が望まれているとも思えます。
右上は開発主査である野口満之氏。プログレを開発する以前は、ミスターコロナこと小西正純氏の部下で、コロナの開発を担当。ご自身もコロナを長年乗り続けられていたようです。書かれているのは、プログレのための宣伝ではなく、主査自身の実感そのものだったのです。
野口主査は、プログレの前にセンチュリーの主査をされていました。センチュリーからもトヨタのシンボルマークを外されたのが、右下のきっかけとなっていたりします
プログレの生産工場として紹介されている元町工場は、1959年(昭和34年)の操業開始以来、クラウンの生産工場としてその品質を支え続けてきました。
プログレの高品質を確立するには最適な工場だったと言えます。
工場長として掲載されている渡辺捷昭氏は、その後トヨタの社長になられていますね。
開発スタートから発売まで8年の年月を要したプログレのプロジェクトが記されています。
想定サイズは最初から最後まで変わらなかったものの、最初FFでスタートしたプロジェクトは、途中で感じたためFRに転換をすることとなりました。同じ頃、トヨタの社内ではFRを開発する第一センターとFFを開発する第二センターに分かれたため、センター間での引っ越しが行われています。
ちなみに、その頃のセンター長は、90&100カローラの主査だった斎藤明彦氏やセリカ&カリーナ(&初代FFコロナ)の主査だった和田明広氏&久保地理介氏等、80~90年代初頭のトヨタ黄金期の名車の生みの親たちでした。プログレは、彼らの存在があってこそ誕生したとも言えるのです。
和田氏はプログレに思い入れがあったようで、プログレを上手に育てられなかったのは失敗だったと書かれているのを読んだことがあります。
全長4,500mmに対して、ホイールベース2,780mmというのは、当時でも頭抜けたロングホイールベースでした。同時期のメルセデス Cクラスは、4,525mm/2,690mmで、BMW 3シリーズ(E36)は、4,435mm/2,700mmというサイズとなります。
プログレのホイールベースは、300mm以上も全長の長いクラウンロイヤルと同数値だったのです。
高級車を名乗る以上、大切な静粛性や安全性についても、高いレベルで実現しています。今では採用車の多いカーテンシールドエアバッグ(ウィンドウエアバッグ)を世界初採用していました。
この手のアピールはトヨタのお家芸の印象があります。
その中でも、ウォールナットパッケージに採用された、ウィンカー&ワイパーの天然木は、謳い文句に違わない工芸品の領域です。他車に流用されることもないプログレの専用部品でした。
プログレで興味深かったのは、クラウンが長年かけて構築した和風高級感とセルシオ&ウィンダム等のレクサス系が構築した洋風高級感とも違う高級感を表現したところでした。本革&ウォールナット等の材質はレクサス的ですが、デザイン自体は洋風というより和風テイストでしたね。
ショールームで確認してほしいポイントと試乗の際に確認してほしいポイントが記されています。
その頃、既にJZX81セダンに乗っていましたから、プログレは見ても乗ってもその正常進化であることは十分理解できました。品質・性能、共に良くなっていたのですが、方向性はJZX81の延長上にある点が選択に至らなかった理由だと、今では思い返したりします。
理想のクルマであることは間違いなかったのですが、自分的にはまだ古びていないJZX81でも十分だったんですよね。
最後は価格表です。
NC250で3,100千円、NC300で3,500千円という価格は、クラウンのロイヤルサルーンの価格(2.5Lで3,360千円、3.0Lで3,730千円)とマークIIのグランデGの価格(2.5Lで2,880千円、3.0Lで3,300千円)のちょうど中間くらいの価格でした。
プログレのボディサイズは、マークIIより明らかに小さいサイズでしたから、それまでトヨタ内部の価格とボディサイズが序列していた関係を突き崩す存在だったのです。
最後に私的感想文を少し。
私自身コロナからJZX81に乗り換えていて、クルマはいいけれども、ちょっと長さが長いなぁと思っていたものですから、81以降のトヨタ車が大型化やコストダウンが進んだことは、自分の理想とは逆方向の進化でした。
そんな私にとっては、目線は自然とドイツ車に向かっていて、その頃気になっていたのは、メルセデス Cクラス(W202)、BMW 3シリーズ(E36)、アウディ A4(B5)、VW パサート(B5)等だったのです。
プログレはそんな私の目線をトヨタ車に引き戻すクルマでありました。
サイズやコンセプトは理想的だし、出来栄えもバブル全盛期の81目線で見ても注文をつけるところはない。
先述のとおり、購入には至らなかったものの、81を降りる際の次期愛車はこれしかないなと思っていました。
実際に、機会あるごとに新車&中古車を検討したことも数回あったりします。
ところが、いざ81から代替する際には、登場からかなりの年月が経過していたプログレは、新車はもちろん中古車でも選び辛い状態となっていたというのには、タイミングの悪さを感じずにはいられません。
しかしながら、プログレ自体は購入しなかったものの、プログレが提示したコンセプトやFRの長所は私の中で生き続けていました。現車を選んだのも、適度なサイズのFRサルーンという私的理想に最も近いクルマだったということなのです。