
新年第一弾のカタログ話は、初代プリメーラを取り上げることにしました。
このクルマ、だいぶ前に、コメントの返信で「近い内にやります」と書いておきながら、先延ばしになっていたんですよね。
初代プリメーラは、それまでのオースターの後継車として、1990年2月に心機一転して投入されたのですが、先代に変わって人気車となり、マーチと並んで90年代前半の日産を支えるまでの成功車となりました。詳細は後述しますが、この人気が爆発的にではなく、ジワジワと口コミ等で盛り上がったというのが特徴で、一見地味なミドルセダンながら、実は中身は濃厚という内容を裏付けるかのようでした。
自分的にブルーバードの510・910と並ぶ日産のベストミドルセダンですし、間違いなく名車認定できるモデルでもあると思っています。
紹介にあたっては、いつものように、月刊自家用車誌の車種別総合研究からの引用で内容を補足してみます。インタビューに答えられているのは、つい先日サンタナでも紹介した、
津田靖久氏です。津田氏はサンタナを担当された後、1987年1月にプリメーラの担当に移られています。インタビューをしているのは、当時は高原誠のネームで仕事をされていた川島茂夫(高原誠)氏。高原氏は、プリメーラを高く評価していて、自車としてイエロイッシュホワイトのTmを購入されています。
そんなこともあってか、このインタビュー記事は、津田さんのノリがいい印象があります。ちょっと長い部分もあるのですが、参考にしてみてくださいませ。
人気車ということで若干長いモデルライフ、さらに細かな変更も多くて、さてどの時点を取り上げるかで悩んだのですが、自分が一番ベストに思うということと、初期モデルのカタログは横判という掲載の事情を考慮して、1992年9月にマイナーチェンジしたモデルを取り上げることにしました。
発行年月自体は1992年12月となります。
このため、インタビュー時点の初期モデルとは異なるマイナーチェンジの内容は紹介の中で補足していくことにします。
それでは、以下お付き合いくださいませ。
最初の見開きでは、4ドアと5ドアの並びと共に、大きく「プリメーラ パッケージ」と謳われています。パッケージという設計概念的な言葉を前面に出したことで、世に知らしめたのはプリメーラの功績だと思っています。
プリメーラで、パッケージとかパッケージングという言葉を知った方も多いのではないでしょうか。
その提唱には多くの賛同が得られたため、マイナーチェンジは変化ではなく「もっと、プリメーラである。」というコピーのとおり深化と言える内容となっています。
コンセプトについては、津田さんの説明が解り易いので、以下引用します。
大きさは私どもが呼んでいるMクラスというものでありまして、ヨーロッパで言うとDセグメントと言っていますが、おおざっぱに言って、当社で言うとブルーバード・クラスであります。一口で言うと、ファミリー・セダンのくつろぎと、スポーティカーの快適さを兼ね備えたクルマ。ゆとりのコンフォートと走りのコンフォートをパッケージしたコンフォート・パッケージセット、こんな風に言っています。
基本は目的地に確実に、速く、快適に着くこと。速くとか、快適にとか、確実にとか、そういうことから付随していろんな要件が出てくると思うんですね。走りがよくなきゃいけない。快適でなきゃいけない。それから、キャビンもトランクルームも必要なだけのスペースが確保されている。それで経済的で安全であるということだと思います。
いわゆる実質的な要件がありますね。そのかわり、最初から華美でなきゃいかんとか、そういう要件はとりあえず置いているわけです。実質本位でやって、結果的にきれいなものができればいいし、きれいという要件と実質の要件が喧嘩したら実質をとらなきゃいけないというルールはあるわけですね。
一部性能の特化ではなく全体のバランスを求められるという、ミドルサイズ級のセダン作りの難しさを裏付けるような内容ですね。
カタログの目次を紹介しつつ、各部のポイントが記載されています。
その中にはマイナーチェンジで取り入れられた部分が各所にあります。
詳細は、各ページで紹介することにして、ここでは先を急ぎます。
プリメーラのメイングレードだった、Tm。
販売の中心は、この下のCiの方だったのですが、欧州を指向するプリメーラとしては、ここが中心と言いたかったのでしょう。
マイナーチェンジではパネル類の変更はなかったため、フロントウィンカーレンズがアンバーになったことが数少ない識別点となっています。
パールが入ったレッドカラーは、当初からメインカラーとして掲載されていましたが、ダークレッドパールからラズベリーレッドパールに変更されていたりします。
売れ筋は、ダークグレー・ブラック・シルバー等のモノカラーでしたが、パールレッドも着こなせるセダンですね。
前後ウィンドーを大きく傾斜させたスタイリングは、ボンネットやトランクが短くなってしまい、小さく見えることが懸念されていましたが、結果的にこのスタイリングは成功の要因ともなりました。凝縮感があるスタイルは、このクルマの中身をも表していると思うのです。
新たに追加されたCi Lセレクション。
カラーは、新色のグレイッシュグリーンです。
この角度では、リヤエンドパネルのテールランプ間がブラック化されたことで、マイナーチェンジ前後の識別が可能です。このブラック化は再変更の際にカラードに戻されたため、中期型の特徴にもなりました。
トップグレードかつ最もスポーティなグレードとなるTe。
ダークグレーは、好評だったため継続色となるようです。
エアロパーツを標準装備とすることで、空気抵抗係数(Cd値)は、標準ボディの0.30から0.29に向上しています。
自分的にはエアロパーツレスの方がスッキリしていて好みですが、市場的にはこちらの方が好評でしたね。この後、Ciをベースにリヤスポイラー・アルミホイール・フォグランプを付けてTeに近い装い(ただしシルスポイラー等は無)となった特別仕様車が量販グレードとなりました。
どことなく、アウディ90Sportやプジョー405MI16を連想させるのも当然で、津田さんも両者からの影響を否定されていません。
以下、コンペティーターについて語られている部分を引用します。
プリメーラを構想計画して、開発する初期の段階で、いちばん新しい競合車はアウディ80だったわけです。ですから、まずCD値は、アウディに負けるなという話にはなりました。
そのうちよく市場を見てみますと、一クラス下のゴルフもあった、GTIがあった、プジョーにもあったり、その傾向がだんだんDクラスにも浸透してきて、やっているうちにプジョーのMI16が出てきた。そうすると、やっぱりそういうほうも詰めなきゃと。そうなると、アウディだけでは物足りなくなって、あちこち、どのクルマもいいところをとってやれという・・・。
唯一のフルタイム4WDを搭載するT4。
当初からの設定ではなく、1990年10月に追加されています。欧州仕様も1991年からの追加。
このスーパーブラックも継続色ですね。グレーやシルバーと並んで多かった印象があります。
T4は、標準だとTmやTsに近い仕様だったのですが、スポイラー一体式バンパーやシルスポイラーを含めたフルエアロスポイラーが選択可能だったため、画像のようにTeに近い装いとすることが可能でした。
Tmのインテリアです。
マイナーチェンジで、シートバックポケット(Cuを除く)、後席センターアームレスト&ヘッドレスト(CiとCuを除く)が追加されています。さらにTe・Tsと後述するLセレクションには、トランクスルー機構が拡大採用。
これらは、T4でいち早く採用されたものが含まれるものの、いずれもユーザーの声を反映した改良でした。
以下は、室内スペースに関する津田さんの思いです。
走りは一つの重要なファクターですね。操安性といいますか、とにかくこういうときだから思い切って吹いちゃいますけれど、901なんてやってましたでしょう。そういうことで、走りについては、おこがましいんですけれども、世界一になりたいというのがありまして、(中略)掛け声はとにかく、志はたかくやりました。
次いで、室内のスペースだとか何だとか、荷物室だとか、これは世界一になったって・・・何もかも世界一というわけにはいかんから、これはお客様が十分満足してくださればいいと。そのくらいですが、とにかく劣ってては駄目と、そんなことをやってきたわけです。
前でも触れましたが、ミドルセダンではバランスが大事。相反する要素の中で何を優先するかとなることを裏付ける話ですね。室内スペース世界一を目指したら、もっと大きなボディとなっていたはずですから、ここではその選択を是としたいと思います。
Tmのインパネです。
この角度での改良点は、ステアリングのスポーク本数がが3本から4本となったことが目立ちますかね。助手席ドアグリップに追加されたパワーウィンドースイッチもさり気なく(?)アピールされています(初期型のカタログではこの部分が見切れています)。プリメーラは、元々センターコンソールにパワーウィンドースイッチが集中配置されていて、運転席ドアグリップのみスイッチが別付されていたのですが、それでは不便だということで、スイッチが助手席にも追加された形です。
なお、リヤスピーカー用のアンプをデッキから独立させた電子制御アクティブサウンドシステムは従来から選択可能でしたが、新たにCDプレーヤーと6スピーカーもセットとなりました。あわせてデッキの意匠も変更されていますね。
インテリア共々、このマイナーチェンジは、外観のフェイスリフトではなく内容を充実させるという実質的な改良でもあったわけです。
新たにTmとCiに追加されたL SELECTIONの紹介です。
内容こそ異なるものの、ラグジュアリー志向という点では同じでした。
ライバル車が高級志向を強めたことに端を発する対抗グレードと言えますが、豪華というよりは上質といった感が強いですね。
Ciに関しては、14インチタイヤへの拡大という実質的な福音も含まれていました。
左はTeとCiのインテリアです。
これまで取り上げた変更内容が反映されています。
共にシート地も変更。初期TeとTsのシート地はアクセントが強過ぎて賛否が分かれたことから、やや地味目な方向に振られていますね。
右頁ではレザーバージョンの紹介。
それまで設定のあったT4に加えて、新たにTmにもレザーバージョンが追加されています。Tmのレザーはホワイトの本革ということで、ヨーロッパを指向するプリメーラの世界観とは異質に見えますが、運転席のみならず助手席までパワーシートとなっていることからも推測できるとおり、どうやら北米とカナダに輸出されたインフィニティG20との共用を見据えた設定だったようです。実際、G20は当初パワーシートの設定が無く、この直後の93年モデルからパワーシートの設定が追加されています。
プリメーラで称賛されたものの一つに、トランクの開閉機構がありました。画像のとおり、大きく開きヒンジが邪魔にならない機構となっています。トランクを閉める際にやや力を要する点と、構造上どうしても開口部が狭くなってしまうという点はあるものの、思想を反映する機構と言えますね。
リヤスポイラーは、従来、ディーラーオプションとして設定されていたのですが、先述のとおり装着率が高いため、新たにフロントフォグランプとセットでメーカーオプションで選択可能となりました。
ガラスは、英国生産のGTがグリーンガラスで、Ciがブルーガラス、その他はグレーガラスとなっています。ブラウン内装にはブロンズガラスの設定もあったのですが、内装色の統合に伴いそちらは廃止されています。それでも都合3種類の設定です。これは、プリメーラに限った話ではありませんが、ガラスメーカーからの要望もあって、この後はグリーンガラスに統合されていくこととなります。
プリメーラ唯一の5ドアが紹介されています。
このモデルのみ、国内生産ではなく英国生産モデルを、1991年10月から輸入していました。このため、細部が4ドアと異なり、カラーやオプションの制約がありました。
なお、途中からの登場ということで、この時点のマイナーチェンジからは外れてもいます。
個人的には4ドアのスタイルを好みますが、5ドアのスポーティとユーティリティを両立させたこのスタイルにもファンがいましたね。
エンジンとミッションの紹介です。
エンジンは、ブルーバードでデビューしたばかりのSRエンジンが選ばれました。前代のCAエンジンはSOHCでデビューして、後からDOHCが追加された形でしたが、SRはDOHCのみ。
これに関して、津田さんの見解は以下の通りとなっています。
高性能エンジンはDOHC。これを前提で考えますと、その他のエンジンもすべてDOHC化したほうがいいんだという結論になったわけです。
その理由は、やっぱり燃焼条件、燃焼効率で考えると、DOHCのほうがより合理的だと。早い話が、プラグが真ん中にくる分有利ですね。そういうことから、パワーを求めないお客様には燃費を差し上げられるんだと。
高性能のDOHCは無視して、SOHCとDOHCでは、DOHCのほうが数が少ない中で、別のヘッドを償却していかなきゃいかんわけですから、バカッ高くなるんです。そういうことも防げるということで、皆さんにとっていちばんいいものだと。
なおかつ、パワーを求めないお客様だって、結局はSOHCよりは優位にパワーを引き出せますからね。そんなことですべてDOHCがいちばんいいなと、こんなふうに私は最後は結論づけたわけです。
当時はトヨタもシザースギヤを用いたハイメカツインカムという方法で実用エンジンのツインカム化を進めていました。トヨタはDOHCという名称は同じながらも、ヘッドを2種類持たせる方法を選択していましたから、ヘッドの償却を含めた考え方の違いが興味深く思います。
マイナーチェンジでは、当初シングルポイントインジェクションだった1.8もマルチポイントインジェクションに進化しています。電子制御の廉価化が進んだことで、マルチ化の利点が勝ったということですね。
車種別総合研究では加速データを計測していますので、2000MT/2000AT/1800MT/1800ATの順で掲載してみます。
・0→100km/h加速 : 8.31 / 7.32 / 11.81 / 13.07
・0→400m加速 : 16.23 / 17.52 / 18.16 / 18.82
1800は初期のシングルポイントですし、0→100kmでは2000のMTとATの逆転という?もあるので、あくまでも参考ということにて。
ちなみに欧州仕様は、最初SR20DE・SR20DI・GA16DSというバリエーションで、1991年にCD20が追加されています。さらに1993年4月以降、SR20DIはSR20DEに統合、GA16DSはGA16DEに変更という国内に準じた変更をされています。
北米とカナダのG20は、SR20DEのみでした。
2.0はエンジンの変更はなしでしたが、オートマチックが電子制御方式に進化しています。これも電子制御の廉価化の賜物ですね。
プリメーラの特徴として、フロントサスにマルチリンク式を採用したことがありました。
この採用については、いろいろあったようで津田さんもかなり力が入った答えをされています。抜粋しつつでも長くなっていますが、読み応えはあるはずですので、以下どうぞ。
(フロント・マルチリンク・サスが出たのはあとからかと聞かれて)
これは最初っからです。だって、あの当時でアウディ並みを狙うというのは、相当の決心でしたよね。
こういうサスペンションを選択する過程でいろんな議論があって、(中略)意味ないじゃないと、潰せば潰されるような状況があったわけですよね。幾つかのファクターが相相対しあって、結果的にあれが採用されたわけです。
何が気に入ったかを幾つか考えてみますと、一つには確かに私のこだわりもあったわけで、サンタナ・プロジェクトなんかやってたんで、ドイツにしょっちゅう行って、いろんなクルマに乗って、このクルマいいなあとか、こういうときのこれいいなあとか(中略)、それなりに、どういう足が欲しいなんて、感じでイメージが出てくる。そういうものをシャシーの開発のメンバーにいつもぶつけちゃ、こんなにならないかとか言いながらやってきた。そういうところに、そういうシャシーがパッと出てきて、こういうものを使うと、こんなことができるんだなとパッと視野が開けたと。
最初に乗せられたバラックセットがきわめていい味だったんですね。これでとにかくコロッとまいって、それの虜になって、これしかないと思い詰めたのが一つあります。
それからもう一つは、おっしゃるようにプリメーラというのはスカイラインじゃない、走りのクルマじゃない、コストもかかるんじゃないか、これはあったんです。一方では日産のヨーロッパ市場戦略でトップバッター、本当の意味で、日産が腰を据えてヨーロッパに取り組む最右翼のクルマですよね。打順から言って一番だということだけじゃなくて、英国工場でつくって英国工場を食わせなければとか、そういう責任を考えると、本当にもう失敗できない。
失敗できないだけじゃなくて、日本のクルマというのはヨーロッパでは十把一からげで、「日本のクルマ」と言われているんで、日産だとか何だとか、そういう認知があんまりされていない。それを「日産ここにあり」とイメージを上げていかなきゃいけませんから。(中略)
それでも勝てるようにするには、むこうのクルマと同じか、あるいはそれ以上の条件で付加価値をつけて買ってもらわなきゃいけないわけです。
欧州みたいに現実的な人たちが住んでいるところでは、いくらいいコマーシャルをやったって、別に見直してもらえるわけでなし、いいものを作って見せなきゃしょうがない。普通のものを作ったんでは、今までと同じイメージの延長線で見られるだけだと。ハッと目の覚めるようなものをとにかく作らなきゃいかん。
こういう記事を読んでしまうと、サスペンションは構成要素のたかが一部なんてとても言えなくなります。こういった志は、最近あまり見かけない気もするのですけれどね。
さらに、このプリメーラ、サスセッティングも従来のこのクラスとは異なり、かなり欧州寄りとなっていました。
以下、セッティングについての見解です。
欧州仕様でも相当に肩に力が入っていますので。(中略)日本の場合はさらに肩に力が入ったと思うんです。これは私だけじゃなくて、やっているみんな肩に力が入りまして、やっぱり901という言葉の話術でしょうかね。
それと先行してスカイラインというクルマも出しましたし、あのあたりで日産の足がいいよ、いいよとどんどん認めていただけるようになってきた。そうなるとプリメーラだって負けてなるもんか、と。社外だけじゃなくて、社内を含めてチーム同士の切磋琢磨ってありますからね。
何が売りかっていうと、あの切れ味のよさですよね。ですから、2.0リッターは、とことんそれに振らせていただきたいと。
それに対して1.8リッターというのは、もっと使いやすいというので設定した。
ちなみに2.0リッターのセッティングは、欧州仕様に出すSR20DEモデルと基本的にチューニングは同じ、1.8リッターの方は、SR20DIとGS16DSの中間くらいで国内専用のチューニングと答えられています。
見解のとおり、力が入り過ぎたのか、2.0リッターの方は特に固いと評されたのですが、パラレルリンクのレインフォース形状、バンプラバーの材質、ショックアブソーバーの減衰力がそれぞれ変更され、それに加えて新たにフルフレックスショックアブソーバーがTe・Ts・T4に採用されることで、その対策とされました。
安全性が重視され始めた時代背景もあって、エアバックが新たにオプション設定に加わりました。
さらにABSは、初期1.8リッターでは選択できず、ドラムブレーキとの組合せが出来ないことがその理由とされていたたのですが、このマイナーチェンジにより、14インチタイヤ&ホイール(=ブレーキ径の拡大)、リヤディスクブレーキとセットとすることで選択可能となりました。
先に書いたステアリング形状の変更も、センターパッドの衝撃吸収機能付加が含まれていました。
ここからは、バリエーションの紹介です。
参考までに各グレードの東京地区標準価格もMT/AT順で記載してみます。
Te: 2,399千円 / 2,496千円
Ts: 2,164千円 / 2,261千円
T4: 2,392千円 / 2,489千円
この内、Tsは、TeとTmに挟まれて存在感が発揮できず、この後設定から落とされることになります。
Tm: 1,914千円 / 2,011千円
Tm Lセレクション: 2,006千円 / 2,103千円
GT(ATのみ): 2,515千円
Ci: 1,734千円 / 1,817千円
Ci Lセレクション: 1,791千円 / 1,874千円
Cu: 1,477千円 / 1,560千円
ここからも、価格訴求グレードだったCuが後に落とされています。
外装色では、先述のラズベリーレッドパールとグレイッシュグリーンに加えてシルバーが新色として追加されています。その一方で廃止となったのは、ダークレッド、イエロイッシュホワイト、ライトブラウン、ラベンダーの各色。全体的に有彩色から無彩色への移行が行われました。
内装色では、Tm以下に設定のあったブラウンとブルーが廃止されて、オフブラックのみに統合されています。これは、当時の日産において各部品の種類の膨大さが問題視されていたため、一気に膨れ上がる要因となる複数内装色を減らせば、大幅に種類を減らすことが可能と認識されたためのようです。同様の統合は、S13シルビア等でも先行して行われていました。
この内外装色の変更は、ヨーロッパ車の中でもドイツ車に近い雰囲気を持つプリメーラでは違和感のないものでしたが、選択肢が減らされたのも事実。今でも各車で見受けられますが、新車購入時の醍醐味の一つが失われる気はします。
右頁では各種ディーラーオプションが紹介されています。
R32スカイライン同様、リヤスポイラーはディーラーオプションでも選択可能でした。
主要装備一覧と主要諸元表です。
細部を突いちゃうと、長いブログがさらに長くなりますので、ここではボディサイズのみに話を絞ります。
全長4,400mm × 全幅1,695mm、ホイールベース2,550mmというサイズは、5ナンバーの枠内で見ても、全長に300mmほどの余裕を残すものでした。これは、現在だと日産の最小セダンであるラティオよりも全長で55mm短く、当時でもDセグメントの中では短い方に属していました。
このサイズは、当時はもちろん、現在でも日本で使うセダンとして一番使いやすいと信じています。同様の見解が多かったのか、プリメーラの短さというのは、決して販売上の不利とはなりませんでした。ライバル車がどんどん長く・広くなる中では却ってその使い易さや凝縮感が評価されたように思えます。
おまけで裏表紙も掲載しちゃいます。
それでは最後に、津田さんの一番苦労された点を掲載しつつでまとめに持っていきます。
キャラクターを出すというのが大変な問題であります。
今回の場合は特にいろんないきさつがあって、結果的には基本はヨーロッパ・コンセプトで行こうということに決めたわけですが、ヨーロッパ・コンセプトというからには本当のヨーロッパ・コンセプトでなきゃいかん。そうしないと、ヨーロッパに行った場合、本場の人が見て、なんか違うぞ、これは、というのでは話にならない。
それから、日本のお客さんというのは本当に厳しいんですよね。詳しい人も多いし。ヨーロッパですと言ってヨーロッパでなければ、バカにされちゃう。バカにされれば、買ってもらえない。ある意味ではブランドものの評価だとか、目利きについて言うと、ヨーロッパ以上に厳しい市場ですよね。
じゃ、本当のヨーロッパはというと、このへんになると不遜な言い方になっちゃって、雑誌が出て、社内で見られると、僕がまた総スカン食っちゃうようなことになるんですけれども、あえて言うとヨーロッパって遠いですよね。まずアメリカとヨーロッパの差が分かる人が、そういない、いないどころか、差があるということも分かっていない人がいる。そういうところから出発しての話ですから、何がヨーロッパかという思想的なものというか、カルチャー的なもの、そのへんのわきまえをつけて、本当のヨーロッパ的な因子だけを残してクルマに押していくという、この作業がいちばん大変だった。
本当にヨーロッパ的にモノを特徴づけていく、とんがらせていく作業というのは大変なんでしてね。ほっとくと、なんせ優秀な人たちで、自負心はあるし、これでいいんだ、ということでヨーロッパでもない、アメリカでもない、日本でもない、そんなものになってっちゃうわけですね。
このへんが口ではなかなか言えないんですが、いちばん難しい。(中略)乗っていただけて、少しでもそういうところが出ていると言っていただければ、きわめてありがたいことだし、まずいじゃないかと言われると、また努力しなきゃいかんということになろうと思います。そのへんは本当に必死になってやったところですね。
このプリメーラは、先代となるオースターが成功作とは決して言えない状況であったことから、欧州市場を優先したクルマ作り、そしてそれを国内にも転用した的なものを感じます。
ただ、その割切というのは当時の日本市場にとってとても新鮮だったのは事実であり、先述のとおり、じわじわと人気が盛り上がっていきました。その売れ方というのは、ローレルスピリットと以前は兄弟車だったスタンザを統合して後から登場したプレセアが、最初に売れて徐々に下がっていくという一般的な売れ方をしたのとは対照的でもありました。
その好調を受けて、販売店も当初のプリンス店のみからサニー店との並売に拡大されています。
また、ブルーバードがU13に世代交代したことで販売台数を落とすと(数自体はブルーバード優勢のままでしたが)、日産の小型車の中心はプリメーラに移行することとなり、次世代となるU14ではプリメーラに近付く形で統合という結論に至ります。
この話の裏付けとして、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から、日産各車の台数を掲載してみます。
(プリメーラ(1990年2月登場))
1990年:50,336台、1991年:74,611台、1992年:72,700台、1993年:68,781台、1994年:50,307台
(プレセア(1990年6月登場))
1990年:40,390台、1991年:56,200台、1992年:39,914台、1993年:31,632台、1994年:22,627台
(ブルーバード)
1990年:115,196台、1991年:104,464台、1992年:87,469台、1993年:73,800台、1994年:69,687台
オースターの末期は年間2,000台という販売規模でしたから、プリメーラはほぼ既存顧客を持たない状態でのスタートということになります。そんなことからすれば、大健闘の数字と言えますよね。
プリメーラが与えた影響は、日産内に留まりませんでした。190コロナは最たる例だと思いますが、それ以外にも大なり小なり影響を受けたモデルは、存在していたように思います。
この時期、既にセダンのマーケットは、若者のセダン離れが表面化しつつありました。トヨタはその流れを受けて、セダンのスポーティグレードの縮小を始めています。そんな状況にあっても、プリメーラは老若を問わずで売れたのです。その理由は様々あると思いますので、ここでの言及は止めておきます。
そんなプリメーラも次世代以降は、改良は認めつつも、マーケットの支持を受けたことで、守りに入った印象が否めませんでした。そして、初代のインパクトの大きさを再現できないまま、3世代で幕を閉じることとなります。
初代プリメーラが登場して、間もなく26年という長い時間が経過しようとしています。その間、プリメーラが属していたDセグメントは、サイズ拡大を続けて、日本で使うのには限界に近い所に至ってしまいました。それであっても、その思想や志というのは、CセグメントあるいはBセグメントの中でも再現可能だと思えるのです。
そんな視点で同社のセダンを眺めると・・・以下略。さらに最小セダンは、後継車もないまま国内撤退という情報が入るに至っては、もはやため息しか出ようがないというものです。