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2020年02月06日

Y32グロリア 日産創立60周年特別記念車

Y32グロリア 日産創立60周年特別記念車 今回は別件にて書庫で資料を探していて、ふと気になったカタログを取り上げることにします。

話題の中心となるのは、1991年に登場したセドリック・グロリア。型式名となるY32でも、ここをご覧くださる方ならほぼ通じるでしょう。その中から、1993年に発売された日産創立60周年記念車のグロリア版となります。

最初に概要から。
Y32は、Y30のまま継続していたワゴン・バンに続き、セダンも切り離したHTのみで登場しています。1989年に施行された自動車税制の大幅変更後、初のモデルチェンジという事で3ナンバー専用ボディ&販売の主流を3000に移すというのがトピックとなりました。

この成り立ちは、先代に遅れること約半年で登場した初代シーマと同じ。直後に登場した2代目シーマは当初V8・4100で登場しましたから、シリーズ全体を上級移行させつつ、初代シーマの受け皿も担うという役割となっていました。コンセプト自体は、先代の好評を受けて、その延長線上だった印象が強いですね。

登場当初こそ、バブル景気の波に乗って上級グレードをアピールする売り方がされていましたが、バブル崩壊に伴い、一転して下級グレードが充実。売れ筋も同じ変遷をたどっています。今回取り上げているのは、登場後1年半を経過した時点。既に方向変換が始まり、下級グレードに装備を追加し、お買い得を訴求しています。

名目は日産創立60周年記念。50周年記念の時にも50specialと銘打って、数多くの特別仕様車を登場させていましたが、この時にも特別仕様車が多く登場しています。時代背景の違いもあってか、特別よりもお買得の方が際立っていた印象もありますね。


前段はこのくらいで、ここからはカタログの紹介です。

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グロリアの60周年記念車は、最初にクラシックSVをベースとしたものが登場し、この時点では第2弾となります。

先代登場時点では、エアロパーツを纏い、どちらかというとanother sideを担って登場したグランツーリスモも、作り手の想定以上に好調に売れたことで、シリーズの中核を担う存在に成長しています。

この代では丸目4灯がグランツーリスモの新たなデザインアイコンとなっています。
言うまでもなく、その役割の違いも含めてロールスロイス&ベントレーの差異に倣ったもの。本家では好評だったこの差異も、このセグメントでの丸目4灯の採用は、何となく法人タクシーを連想させ安物に位置付けられないか危惧したのですが、こちらも好意的に受け入れられています。この時点で法人タクシーが主な用途だった最廉価グレードも従前の丸目4灯から、上級グレード同様の異形2灯に変更されている辺りも中々巧みではありました。

先代以上にグランツーリスモの販売比率が上がった理由でもありますから、その判断は称えられるべきものでしょう。

この代以降しばらくは、ラグジュアリーを訴求するブロアムとスポーティを訴求するグランツーリスモの二本立て。ここでアイデンティティを確立した感があって、シーマ、ローレル、ブルーバード等、他車にも同様のグレード構成が展開されていくことになります。



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2タイプが設定された内、最初に掲載されているのは、グランツーリスモシリーズの最廉価だったグランツーリスモ(ややこしい記載ですが、他に適当なものが思い浮かばずにてご容赦ください)ベースのもの。

グランツーリスモには、1992年2月にこの特別仕様車に先んじる形でパワーシートやCDプレーヤー等の装備を追加したグランツーリスモSが登場していました。

グランツーリスモと同Sの差異は、今回取り上げた特別仕様車の追加装備と重なるものが多いのですが、ベースはSではない方とされています。後期での関係も含めて微妙な違いなのですが、売れ筋がこの辺りにあったということなのでしょう。

特別装備の特徴としては、グランツーリスモの専用装備の一つだった215/55R16タイヤ&アルミホイールを205/65R15にサイズダウンする一方、アルミホイールが2代目シーマで採用された鍛造のものに変更されていることが挙げられます。
走りを強調したシリーズでのサイズダウンはやや奇異に映るところですが、同シリーズの最上級グレードとして同じ変更を行ったグランツーリスモLVを追加していたりもしますから、鍛造アルミにはそれだけの価値があると言いたかったのでしょう。

この後のマイナーチェンジにより、鍛造アルミは16インチのBBSがグランツーリスモ系に新たに採用され、同じ役目を担うことになります。15インチの方はブロアム系の特別仕様車に転じて設定されていますね。



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次に掲載されているのは、クラシックベースのもの。
こちらも上級グレードの布地への変更やCDプレーヤーの変更は、前頁のグランツーリスモと同様ですが、パワーシートの採用は見送る、同じく一体型デッキとはしない等、追加装備を厳選して価格上昇を抑えています。この辺りの追加仕様は当時のクラウンロイヤルでも見られたものです。当時のお買い得のツボを押さえた仕様と言っていいでしょう。

先にも書いた通り、こちらは初代シーマの面影を残す異形2灯を採用。私的にはこちらの方が好みでしたが、大人しいと評価されたらしく、マイナーチェンジではライトが大型化されて、グランツーリスモのイメージに近づけられています。部品共用によるコストダウンも目的だった筈ですけれど。

ブロアム&クラシック系では、セドリックとグロリアの差異にフードトップモールの有無がありました。無のグロリアの方がスッキリとした印象で私好み。

グランツーリスモの特別仕様とは異なり、ベースグレードの名称を控えているのは、この後、ブロアムJに名称変更される前段という見方ができるかもしれませんね。



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ボディサイズは、全長4,800mm×全幅1,745mm。長く拘束された5枠と比較すると、全長が+100mm、全幅が+50mmというサイズでした。偶然にも同時期のクラウンとはほぼ重なるサイズでありまして、両車、枠外の第一歩はこの程度が許容範囲と慎重に判断していたのでしょう。意外とユーザーは寛容だったようで、この後は拡大の一途を辿ることとなります。

クラシック系には2000のシングルカムもありましたが、この特別仕様車は3000のシングルカムのみに設定。同時期のクラウンは2500のツインカムで対抗していました。この対決、最高出力、税金&保険料ではクラウンが有利、最大トルク、使用燃料ではセドリック・グロリアが有利でした。
判断は微妙なところですが、次世代のY33では2500ツインカムに変更されたことからしても、商品性だけでみるとクラウンが優勢だった感は否めません。歴史のIFとしては、シングルカムのままでも2500を準備していれば、もう少しクラウンを追い詰めることができた気がしています。この時期には、既にVQの準備は進んでいた筈で、日産としては末期商品となるVGに2500を追加するという選択肢は考えられなかったのでしょうね。

ボディカラーは基本的に共通、インテリアカラーの設定を変えることで違いを訴求していました。見方を変えると、インテリアカラーを多く設定できたからこそとも言えます。この後、主にコストダウンを目的とした色統合が進んでしまうと、ボディカラーで差異を出さざるを得なかった、そんな経緯かもしれませんね。



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当時の価格表です。

今視点で眺めるとエアバッグ・ABSが注文装備であること、その価格の高さが懐かしく感じます。安全をお金で買うにしても、なかなか簡単には判断できない価格ですよね。
エアバッグは運転席のみですし、VSCは登場前。現在車との一番の違いはこの辺りという事もできます。

当時の価格基準は、排気量100cc毎に10万円という、何となくの認識がありました。3000ccで300万円前後ですから、ほぼこの基準通り。

一クラス下となるマークII、ローレル、スカイライン等は2500ccで250万円前後の設定でしたから、クラシックの方で価格吸引して、状況次第でグランツーリスモに背伸びしてもらう、そんな戦略だったのかもしれません。

今回ご紹介した特別仕様車は、モデル末期まで仕様を変えつつ存在した、セドリック・グロリアの入門車の第一弾と言えますね。

Y32が好調な販売成績を残した理由の一つに、一クラス下からの吸収が多かったことが挙げられるように思います。セドリックの販売系列となるモーター店ではローレルを、グロリアの販売系列となるプリンス店ではスカイラインを扱っていたのです。
モデル末期で相対的に商品力が落ちていたC33・R32との比較によるユーザーのステップアップは、その次世代となるC34・R33も評価が思っていた以上に上がらなかったことで、長く続く形ともなっていたように思い返します。


Y32は、70年代初頭に続き、最大のライバルとなるクラウンともっとも接戦を繰り広げた世代となりました。その要因は、クジラクラウンと同様、クラウンの失策によるところが最も大きいと思えますが、その一方でY32の商品力の高さがあったからこそ接戦になったと言えるとも思っています。
歴代でも、比較的オーソドックスでコンセプト等が理解し易い成り立ちは、反感を買うことなく共感され易かった気がするのです。

結局、次世代以降はクラウンロイヤルが保守に回帰、その次はアスリートを追加という反撃を次々繰り出して、セドリック・グロリアを土俵際に追い込み、ついにはモデル廃止に至らせることとなります。後継モデルとなるフーガが登場するものの、それも今ではクラウンのワンサイドゲームと化して幾年月が過ぎました。もっとも現況は、クラウンも輸入車、ミニバン、SUV等に追い込まれている気がしないでもないですけれど。

こうして俯瞰しただけでも、30年近くという長い間に、このセグメントの市場構成には大きな変化があったことは間違いありません。それでも、王者クラウンと接戦を繰り広げた一台として、このY32は長く記憶に留められるモデルだと思うのです。
ブログ一覧 | カタログ話(特別仕様車編) | クルマ
Posted at 2020/02/06 18:54:37

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この記事へのコメント

2020年2月6日 21:52
いつも興味深いブログ記事、誠にありがとうございますm(_ _)m。

Y32の出たての頃は、仰るようにグランツの丸目ライトには賛否両論ありましたね。友人も「絶対売れんわこりゃ」なんて言ってましたが大人気となると手のひら返したように高評価に・・・人間なんてそんなもんです(笑)。
むしろブロアム系の「迷い」こそ、それ以後のセド/グロの凋落の予兆であったかもしれません。Y32については当時、前期セドのブロアムとシーマ2に2人親戚が乗っており運転や同乗した事もありましたが、静かは静かなんだけれどもこもったような抜けの悪さがあったり(Y32は途中までピラーレスで設計されていたのを、側突対策で急遽ピラードHTに変更したらしいのでそのあたりの影響もあったのかと・・・)、下位グレードが5ATなのにターボモデル/シーマが4ATだったり、マイチェンで5ATモデルを4ATにスペックダウンさせるなどコストダウンしまくったりと、間接照明その他高級感の演出に頑張った筈なのに妙なところでバランスの悪い部分が目について自分で所有する事はありませんでした。今みると特に前期ブロアム系はカッコ良くて「欲しい!」と一瞬思うのですが、悪名高い油圧ブレーキブースターが恐ろしいし、VGはもう部品が出なくなってきているので、ネオクラ車の中でも結構ハードルの高い車になりつつあるようです・・・乱筆多謝。
コメントへの返答
2020年2月7日 17:21
こちらこそ、コメントをありがとうございます。

私、初代シーマのスタイリングに魅せられていたのもあって、グランツの丸目はスクープされた時「本当にやるの?」と思ったものです。成功したことでグランツのアイコン的存在に昇華していますね。
確かにグランツの存在が確立した反面、ブロアム系の「迷い」が表面化し始めた時期の気がします。先代末期のクラウンロイヤルにも通ずる「迷い」なのかもしれません。

当時、安全性がかなり話題になりましたから、ピラードへの変更も仕方なかったのでしょうね。剛性は向上しても、時間が限られる中でその他の辻褄合わせはかなり難しかっただろうとも思います。

もしかすると、不器用というかアンバランスが散見されるのも日産車の魅力の一つなのかも、と思う時があります。キャラクターが立ってさえいれば、許せる的な(笑)

Y31よりY32の方が残っていないという印象なのですが、その理由の大半は油圧ブースターと5速ATだと思っています。VGよりも更に古いL型の方が維持し易いとも聞きます。80~90は何かしら維持の難しさを抱える年代ですよね。
2020年2月6日 23:25
特別仕様車の在り方や、選ばれた装備などを見るとその時代の背景が意外と浮き彫りになるものなんですね。Y31時代のスーパーSVは明らかに上級志向ですし、後期の30SVは3ナンバーの波に乗り遅れないような設定な感じもしますしね。そんな見方も、結構面白いです。Y32も、後期は2000ccの特別仕様車があったような記憶があります。
コメントへの返答
2020年2月7日 17:35
特別仕様車は、基本的に販売主導で構築される筈で、時代性は一番明確だなと取り上げる度に思います。
Y31の両者は、全く同感ですし、30周年記念もいくらメモリアルとはいえ、バブルの頂点という時代が透けて映っていて。
後期Y32の2000は、当初ブロアムJのみだったところにグレード追加がされていますね。実は特仕が多くて把握しきれずだったりします。
2020年2月7日 7:52
特設でY32にVG20のグランツーリスモが個人タクシー向けにあった、と聞いたことがありますが真偽の程は如何なんでしょうか?
当時のことなので、LPG改造ベースとしてあったかもしれません。
コメントへの返答
2020年2月7日 17:42
VG20のグランツーリスモは、一般グレードとして後期の途中で追加されていますね。特設かは不明ですが、個タク上がりの同グレードは何台か見たように記憶していて、事業者に売り込んだのだろうなとは。
当時は、ガソリングレードを燃転改造したものも結構出回っていましたね。
2020年2月7日 7:54
おはようございます。

Y32というと、私も丸目4灯のグランツーリスモが頭に浮かびますし、こちらの方が見かけたような気がします。父が昔乗っていたC230ローレルの前期型に似ているなと中学生だった当時は思ったものでした。

書かれているように、普及グレードの3000CCのVGシングルカムはトヨタの2500CCの1JZツインカムと比べて馬力の数値的に見劣りがして、それこそ2000CCの1Gツインカムと同じでしたが、実用トルクの厚さから、ゆったり走る高級車の性格を考えてのものだったと思います。

しかし、まだまだ馬力の数値が性能の良し悪しの判断材料とされていた時期ですから、トヨタの方が上手だったと思います。もっとも、直6RBとV6VGを抱えて、開発が大変だったこともあろうかと思いますが。

しかし、Y32はバブル期の開発だけに内装もお金がかかっていましたし、140クラウンの人気薄もあって、よく売れていましたよね。前型のY31と並び、クラウンと競い合った日産の黄金期だったと思います。

載せられたカタログを見て、Y32は普及グレードも5速ATだったのを思い出し、ここもクラウンより上を行っていました。4ATの採用ではずっと後塵を拝していた日産が5ATでは先行…と当時はやっぱり日産黄金期だったなと。

何しろ、Y33になると、乗られていた方には申し訳ないですが、VQエンジンと安全装備以外はクラウン以上にコストダウンが気になるものとなってしまい、ATも4速に逆戻り。しかも90年代後半になって廉価グレードにVG20搭載車が登場したときには、ビックリしたものです。
コメントへの返答
2020年2月7日 17:58
こんばんは

前評判は丸目4灯を否定する声も多かったのですけれど、出てみればグランツーリスモの比率が上がる結果となりました。丸目は異形ではなく規格でしたので、何となくクラシカルな佇まいでもあるんですよね。

1JZ-GEとVG30Eを比較する事例が多かったのでしょう。日産の設計者の見解も、レギュラー燃料仕様で実用トルクが勝るVGの方が高級車としては適しているという内容でした。

今だとまた判断も異なるのでしょうが、当時はやはり馬力ですよね。VQは2.5を出す前提で設計を進めていた筈で、VGは既に見切っていたというのが実情でしょうね。

ソフトパッドを多用した室内は、この時期特有のものだと思います。よく話題になるトータルコディネート室内照明もY32ならではの特徴ですし。
Y31が成功したので、Y32には力が入っていた筈。逆にクラウンの方が影響を受けた感もあります。140でパーソナルに振り過ぎ、150で戻したように映るのです。

当時は4ATで十分、5ATは不要という論調が多かったのですけれどね。折角のアドバンテージも上手く育てられず、4ATに逆戻りとなってしまいました。

Y33は熟成&簡素化でY32より壊れないという利点もありますけれど。メーカーは2.0を切りたいのに、ユーザーは2.0で十分と判断し追加を要望する。そんな歴史に思えますね。
2020年2月7日 22:57
こんばんは。

自分の乗っているクルマの特集で、興味深く拝見しました。

私のPBY32グロリアは、父親が91年に新車で購入したものです。高性能オーディオとABSをオプションで装着したアルティマですが、91年10月頃までは最上級グレードのフルオプションというのもかなりの台数が販売されたようです。(当時、30歳代半ばの父親は、総額450万円以内に収める必要があり、オプションを絞る必要があったそうです)

なお、特別仕様車とアルティマLVの鍛造ホイールが16インチではなく15インチになったのかについては「乗り心地とロードノイズ、交換時のタイヤ選択の狭さ」という実用上の問題だと聞いています。Y32登場当初からオプションで16インチの鍛造BBSは設定されていましたが、やはり16インチは快適性の面で不利であり、交換時のタイヤも極めて高額かつ銘柄が限られていたため、実用性も重要視するお客からの評判は良くなかったようです。(当時は215/55R16というサイズのタイヤをセダン用にという発想は少なかった)

また、ボディデザインについては、1/4スケールモデルの時点まではピラーレスでしたが。提案モデルの際にピラー付に変更になっています。理由は側面衝突への対応に加え、車体が大きくなり、装備が増え、エンジンについても重量のあるVGツインカムの採用で想定以上に重量が増えたことも影響していたようです。

ちなみに、91年12月時点では、ブロアム系とグランツーリスモ系の販売比率はほぼ1:1で、グロリアについてはグランツーリスモ系が大多数とのことでした。このあたりから、グランツーリスモ系も主力商品ということが明らかになり、ラインナップ強化が進んでいったように思います。
コメントへの返答
2020年2月8日 7:41
おはようございます

どうしてもオーナーさんの知識や視点には及ばないところが出てきます。最低限これは違うという箇所がなく、共感を得られれば嬉しい、そんな思いで書いていたりします。

このクラスには、新型が登場すると最上級をオプション多数で買う方が一定数存在しました。同時期のクラウンも傾向は近くて、92年に入って売れ方が変わったことを意識し始めた、そんな話を当時聞いています。
高額なオプションも多くて、多数にすると500万円も超えていた時代ですよね。当時の資料を改めて見返したところ、グランツの平均年齢は37歳(ブロアムは47歳)とあって、その若さに驚かされました。

当時だと、205/55R16か225/50R16が多くて、215/55R16自体が特殊サイズの認識ですよね。雑誌アンケートでもそんな声があったことを記憶しています。快適性・実用性重視なら、ブロアム系の選択もありなのですが、グランツのマスクでその領域を求める、確かに要望がありそうで。後期には15インチの設定がなかったと記憶していて、その辺りは時を経る中で整理が出来たのかもしれませんね。

センターピラーの件、既にシートベルトの分離は出来ず、窓を開ける機会も明らかに減っていましたから、ピラーレスのまま押し通すだけの理由はなかったのでしょうね。恐らくボディ構造面からは歓迎された変更だと推測します。

これまた当時の資料では、当初の想定は65:35とあり、グランツの販売比率は想定以上だったようですね。グロリアの方がグランツ率が高いのは、先代からの傾向で納得できます。初動以上にグランツの販売比率は上がっていった筈で、ラインナップ強化はそうした背景を反映してのものと言えそうですね。
2020年2月8日 11:55
こんにちは。
この時代は、自分が高校卒業して免許が取れる時期に差し掛かろうとしていたので、いろいろ思い出します。

今の価値観でいえば、クラシックSVで充分ですが、当時は最上級グレードが一番のステイタスで、無理して購入した人がいたかもしれません。

すでにバブル崩壊していたので、かなり苦しんだ人が多いと思います。

この後数年で、エアバッグやABSが標準化され、安全ボディという言葉が生まれました。
マーチやサニーまでがエアバッグやABSが標準になった時の速さはすごかったです。

内外装にコストダウンが見えていたのは事実ですが、本当に必要な装備は何なのかを考えさせられた時代です。

しかし、今の車は高いとぼやいてますが、装備や走りを見ると、比べるのがバカバカしくなります。
とにかく大切に乗るのが一番の安上がりです。

コメントへの返答
2020年2月9日 8:04
こんにちは
いつかは高級車とか思っていた頃ですので、気になる存在ではあったのです。登場直後にカタログを貰いに出かけています。

登場直後はグランツSVがいいなと思っていたのですが、今視点だと、クラシックの特仕の方で充分かなと。

バブルの崩壊は、大きな転換で作り手も買い手も対応に苦慮された方が多数だと思います。

エアバッグとABSは、これだけあれば大丈夫という安全のアイコン的存在でした。コストダウンが進行して見栄えに影響が出始めた時の、セールスポイントともされていて。今思うと売り手都合も色濃く感じるのですけれども。

仕様要望が確実に高度化していますので、本体価格だけで比べるのはナンセンスですよね。かといって当時のままの仕様は時代が許しませんし。
次々乗り換える価値観も否定しませんが、気に入ったものを大切にして長く乗るのが一番懐に優しいですよね。
2020年2月8日 23:19
こんばんは。
Y32型は、バブル経済崩壊期に同期した一生でした。また、これは他の車にも言えることですが、速そうなスタイルをまとった車に速くないエンジンを搭載したグレードを追加してくると、流行ったそのグレードが終わっていくことの見本になってしまったと思います。当時のおじさんなどは、「外観はいかついのが良いけれど、暴走族じゃないからエンジンは安いので十分。」と、現代のミニバン選びにも通じるような考えのもと、選択していたように思います。
コメントへの返答
2020年2月9日 8:16
こんにちは
バブルが膨らみきった時期に仕込まれて、登場直後に崩壊を経験した一台ですね。
崩壊に伴って上昇志向を減らした歴代のオーナーからすると、3.0のSOHCで充分、何なら2.0でも、ぐらいの感覚だったのではないでしょうか。Y30の登場当初は、3.0のSOHCが最上級でもありましたし。

Y32に関する考察は、新車時と再販されてからを分ける必要があります。両者のオーナー層は確実に違いますし、後者は一時代を築いた大型セダンを改造するムーヴメントと切り離すことはできないように思うのです。
2020年2月9日 13:48
こんにちは。

このY32は、当時私が独身でインテグラに乗っていた頃会社の後輩君のお父さんが乗っていて、そのセドリックを後輩君が時々乗ってきていたので運転させてもらった事がありますが、風格がありながらも若々しいスタイルで大人気でしたね。内装もエレクトロニクス満載とは真逆でしたがそこそこ高級で好感が持てました。この頃から日産は時計がアナログばかりでしたよね。ローレルに乗ってた者もいましたが、やはりアナログでした。瞬間的な視認性は良いのですが、1分刻みで把握するには厳しいものだったような…。

仰るようにセドグロで確立させた高級スポーツ路線はクラウンのアスリートに奪われ、本家セドグロがまさかの廃止。最後はシーマとの区別も明確にならない状態でしたね。31、32のグランツはセドグロの中ても最も好きなモデルでした。
コメントへの返答
2020年2月9日 14:05
こんにちは

Y32のスタイリングは、初代シーマを発展させたものと受け取っています。シルエットだけならY30に回帰した印象もありますが、リヤデッキの下げ、台形のリヤテール、丸目4灯等の提案に新鮮さがありましたね。
C33ローレルでアナログ時計を採り入れ好評だったことから、以降しばらくはアナログ時計で推していますね。70年代への回帰とも言えるのですが、高級感の演出には一役買っていました。後のプログレも同じ理由で採用していますね。

アスリートは、Y34でグランツーリスモを一旦引っ込めた隙をついていたんですよね。後に復活させますが後の祭り状態で。Y32以降、ブロアムとの両立に苦しんだのが厳しかったのかなと。歴代で一番キャラが確立していたのが、挙げられているY31・32のグランツーリスモと思っています。私が好きな理由でもあります。
2020年2月12日 23:11
私が子供のころはクラウンのライバルとしてセド/グロがあるのが普通でしたが、例えば今の免許を持たないくらいの年齢の少年がクラウンに真正面から対抗しうる高級車を日産が擁していたなんて信じてもらえるのでしょうか。

ロールスとベントレーの様な兄弟車戦略は当時は恥ずかしく感じたりもしましたが30年くらい経つと微笑ましく受け取れますね。このサイズの乗用車が300万円前後で入手できたとしたら、今のCセグセダンの上級エンジンの上級グレードと被ってくる価格帯です。車が高くなったなぁと思いますがエアバッグとABSあわせて23万円は驚きました。かつてのレーダークルコン+プリクラッシュセーフティもこんな価格設定でしたが、いまやどれも標準装備されている車が多くなりました。企業努力ですね。

「シリーズ全体を上級移行させつつ、初代シーマの受け皿も担うという」作戦はたくさん初代シーマが売れたのだから、セドグロをそこに合わせ込んじゃえ!というバブリーな作戦ですね。結果論からすればそれはやり過ぎだったのでしょうが。今見るとちょっと四角くて野暮ったくも見えかけていますが非グラツーの上品なエクステリアに癒されました。
コメントへの返答
2020年2月13日 22:05
確かにY34の生産中止から15年以上経過していますから、ご指摘の認識の少年がいても不思議ではなく。セドリックの名から連想するのはタクシーキャブだったりするのかもしれません。。。

明らかに先駆者がありきの兄弟車戦略でしたね。その後ロールスとベントレーは分かれましたから、懐かしさも感じたりします。
高くなったと同時に大きくなったも言えますね。今のCセグセダンの方が幅広いくらいで。
これが当時のABSの相場価格ですね。90カローラで10万円以下となったときは勉強価格だなと思えたものです。このエアバッグは、電気式なのでお値段もそれなりと。認知度に連動して装着率が上がれば価格が下がるのですけれど、その前段階では戦略的価格設定も必要でした。当時、安全装備では儲けないなんて、語られていたりもしますね。

マークII・ローレルが3ナンバー化し、一時的に2.5Lの比率も上がりましたから、初代シーマの位置まで上がらざるを得なかったとも言えます。下級グレードを持っていたこのクラスは何とか路線変更が効きましたけれど、一つ上のマジェスタ、シーマは更に苦戦していたりですね。
今視点でのY32は、装飾過剰も威圧感もなく上品に映ります。強さや存在感とやらでなく、この領域で高級を謳って欲しいのですけれどね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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