
今回は別件にて書庫で資料を探していて、ふと気になったカタログを取り上げることにします。
話題の中心となるのは、1991年に登場したセドリック・グロリア。型式名となるY32でも、ここをご覧くださる方ならほぼ通じるでしょう。その中から、1993年に発売された日産創立60周年記念車のグロリア版となります。
最初に概要から。
Y32は、Y30のまま継続していたワゴン・バンに続き、セダンも切り離したHTのみで登場しています。1989年に施行された自動車税制の大幅変更後、初のモデルチェンジという事で3ナンバー専用ボディ&販売の主流を3000に移すというのがトピックとなりました。
この成り立ちは、先代に遅れること約半年で登場した初代シーマと同じ。直後に登場した2代目シーマは当初V8・4100で登場しましたから、シリーズ全体を上級移行させつつ、初代シーマの受け皿も担うという役割となっていました。コンセプト自体は、先代の好評を受けて、その延長線上だった印象が強いですね。
登場当初こそ、バブル景気の波に乗って上級グレードをアピールする売り方がされていましたが、バブル崩壊に伴い、一転して下級グレードが充実。売れ筋も同じ変遷をたどっています。今回取り上げているのは、登場後1年半を経過した時点。既に方向変換が始まり、下級グレードに装備を追加し、お買い得を訴求しています。
名目は日産創立60周年記念。50周年記念の時にも50specialと銘打って、数多くの特別仕様車を登場させていましたが、この時にも特別仕様車が多く登場しています。時代背景の違いもあってか、特別よりもお買得の方が際立っていた印象もありますね。
前段はこのくらいで、ここからはカタログの紹介です。
グロリアの60周年記念車は、最初にクラシックSVをベースとしたものが登場し、この時点では第2弾となります。
先代登場時点では、エアロパーツを纏い、どちらかというとanother sideを担って登場したグランツーリスモも、作り手の想定以上に好調に売れたことで、シリーズの中核を担う存在に成長しています。
この代では丸目4灯がグランツーリスモの新たなデザインアイコンとなっています。
言うまでもなく、その役割の違いも含めてロールスロイス&ベントレーの差異に倣ったもの。本家では好評だったこの差異も、このセグメントでの丸目4灯の採用は、何となく法人タクシーを連想させ安物に位置付けられないか危惧したのですが、こちらも好意的に受け入れられています。この時点で法人タクシーが主な用途だった最廉価グレードも従前の丸目4灯から、上級グレード同様の異形2灯に変更されている辺りも中々巧みではありました。
先代以上にグランツーリスモの販売比率が上がった理由でもありますから、その判断は称えられるべきものでしょう。
この代以降しばらくは、ラグジュアリーを訴求するブロアムとスポーティを訴求するグランツーリスモの二本立て。ここでアイデンティティを確立した感があって、シーマ、ローレル、ブルーバード等、他車にも同様のグレード構成が展開されていくことになります。
2タイプが設定された内、最初に掲載されているのは、グランツーリスモシリーズの最廉価だったグランツーリスモ(ややこしい記載ですが、他に適当なものが思い浮かばずにてご容赦ください)ベースのもの。
グランツーリスモには、1992年2月にこの特別仕様車に先んじる形でパワーシートやCDプレーヤー等の装備を追加したグランツーリスモSが登場していました。
グランツーリスモと同Sの差異は、今回取り上げた特別仕様車の追加装備と重なるものが多いのですが、ベースはSではない方とされています。後期での関係も含めて微妙な違いなのですが、売れ筋がこの辺りにあったということなのでしょう。
特別装備の特徴としては、グランツーリスモの専用装備の一つだった215/55R16タイヤ&アルミホイールを205/65R15にサイズダウンする一方、アルミホイールが2代目シーマで採用された鍛造のものに変更されていることが挙げられます。
走りを強調したシリーズでのサイズダウンはやや奇異に映るところですが、同シリーズの最上級グレードとして同じ変更を行ったグランツーリスモLVを追加していたりもしますから、鍛造アルミにはそれだけの価値があると言いたかったのでしょう。
この後のマイナーチェンジにより、鍛造アルミは16インチのBBSがグランツーリスモ系に新たに採用され、同じ役目を担うことになります。15インチの方はブロアム系の特別仕様車に転じて設定されていますね。
次に掲載されているのは、クラシックベースのもの。
こちらも上級グレードの布地への変更やCDプレーヤーの変更は、前頁のグランツーリスモと同様ですが、パワーシートの採用は見送る、同じく一体型デッキとはしない等、追加装備を厳選して価格上昇を抑えています。この辺りの追加仕様は当時のクラウンロイヤルでも見られたものです。当時のお買い得のツボを押さえた仕様と言っていいでしょう。
先にも書いた通り、こちらは初代シーマの面影を残す異形2灯を採用。私的にはこちらの方が好みでしたが、大人しいと評価されたらしく、マイナーチェンジではライトが大型化されて、グランツーリスモのイメージに近づけられています。部品共用によるコストダウンも目的だった筈ですけれど。
ブロアム&クラシック系では、セドリックとグロリアの差異にフードトップモールの有無がありました。無のグロリアの方がスッキリとした印象で私好み。
グランツーリスモの特別仕様とは異なり、ベースグレードの名称を控えているのは、この後、ブロアムJに名称変更される前段という見方ができるかもしれませんね。
ボディサイズは、全長4,800mm×全幅1,745mm。長く拘束された5枠と比較すると、全長が+100mm、全幅が+50mmというサイズでした。偶然にも同時期のクラウンとはほぼ重なるサイズでありまして、両車、枠外の第一歩はこの程度が許容範囲と慎重に判断していたのでしょう。意外とユーザーは寛容だったようで、この後は拡大の一途を辿ることとなります。
クラシック系には2000のシングルカムもありましたが、この特別仕様車は3000のシングルカムのみに設定。同時期のクラウンは2500のツインカムで対抗していました。この対決、最高出力、税金&保険料ではクラウンが有利、最大トルク、使用燃料ではセドリック・グロリアが有利でした。
判断は微妙なところですが、次世代のY33では2500ツインカムに変更されたことからしても、商品性だけでみるとクラウンが優勢だった感は否めません。歴史のIFとしては、シングルカムのままでも2500を準備していれば、もう少しクラウンを追い詰めることができた気がしています。この時期には、既にVQの準備は進んでいた筈で、日産としては末期商品となるVGに2500を追加するという選択肢は考えられなかったのでしょうね。
ボディカラーは基本的に共通、インテリアカラーの設定を変えることで違いを訴求していました。見方を変えると、インテリアカラーを多く設定できたからこそとも言えます。この後、主にコストダウンを目的とした色統合が進んでしまうと、ボディカラーで差異を出さざるを得なかった、そんな経緯かもしれませんね。
当時の価格表です。
今視点で眺めるとエアバッグ・ABSが注文装備であること、その価格の高さが懐かしく感じます。安全をお金で買うにしても、なかなか簡単には判断できない価格ですよね。
エアバッグは運転席のみですし、VSCは登場前。現在車との一番の違いはこの辺りという事もできます。
当時の価格基準は、排気量100cc毎に10万円という、何となくの認識がありました。3000ccで300万円前後ですから、ほぼこの基準通り。
一クラス下となるマークII、ローレル、スカイライン等は2500ccで250万円前後の設定でしたから、クラシックの方で価格吸引して、状況次第でグランツーリスモに背伸びしてもらう、そんな戦略だったのかもしれません。
今回ご紹介した特別仕様車は、モデル末期まで仕様を変えつつ存在した、セドリック・グロリアの入門車の第一弾と言えますね。
Y32が好調な販売成績を残した理由の一つに、一クラス下からの吸収が多かったことが挙げられるように思います。セドリックの販売系列となるモーター店ではローレルを、グロリアの販売系列となるプリンス店ではスカイラインを扱っていたのです。
モデル末期で相対的に商品力が落ちていたC33・R32との比較によるユーザーのステップアップは、その次世代となるC34・R33も評価が思っていた以上に上がらなかったことで、長く続く形ともなっていたように思い返します。
Y32は、70年代初頭に続き、最大のライバルとなるクラウンともっとも接戦を繰り広げた世代となりました。その要因は、クジラクラウンと同様、クラウンの失策によるところが最も大きいと思えますが、その一方でY32の商品力の高さがあったからこそ接戦になったと言えるとも思っています。
歴代でも、比較的オーソドックスでコンセプト等が理解し易い成り立ちは、反感を買うことなく共感され易かった気がするのです。
結局、次世代以降はクラウンロイヤルが保守に回帰、その次はアスリートを追加という反撃を次々繰り出して、セドリック・グロリアを土俵際に追い込み、ついにはモデル廃止に至らせることとなります。後継モデルとなるフーガが登場するものの、それも今ではクラウンのワンサイドゲームと化して幾年月が過ぎました。もっとも現況は、クラウンも輸入車、ミニバン、SUV等に追い込まれている気がしないでもないですけれど。
こうして俯瞰しただけでも、30年近くという長い間に、このセグメントの市場構成には大きな変化があったことは間違いありません。それでも、王者クラウンと接戦を繰り広げた一台として、このY32は長く記憶に留められるモデルだと思うのです。