
夏場を迎え、お仕事の方が忙しくなりまして、更新はもちろん、コメントを入れるのもままならない状況に陥りつつあります。。。
そんな中、昨日はお出かけをしてきた・・・という話はまもなくの2.0万キロ話と一緒にすることにして、プレスリリース話を先に掲載することにします。
今回は、レパードJ.フェリーです。
あまり得意な方ではありませんが、熱心なファンが多そうなクルマでもありますので、お楽しみいただければと思います。
登場はバブル崩壊を実感しつつあった、1992年(平成4年)6月となります。
開発コンセプト等の話です。
経済の発展に伴って、高級車市場が拡大すると、当然従来とは異なるタイプが求められることになるという発想は、同時期に登場したアリストにもつながる話だと思います。
もっともこちらは、北米輸出ありきで国内導入決定は後から(Wikipediaには、販社からの要望の反映とありますね)ですから、国内専用モデルが輸出にも転用されたアリストとは真逆の形。発想は同じでも、表現手段は大きく異なっていたのは、この辺りが理由なのでしょう。
共に高級車ブランドである、レクサスとインフィニティのバッチ付でもありまして、この辺り両社の戦略の違いが出ていて、興味深くあります。
「LEOPARD」名称を継承した理由もありますが、さすがにちょっと無理目の印象を受けますね。
コンセプトの続きです。
「エレガントなスタイルと質感の高い快適なインテリア」・「しなやかで気持ちの良い走り」・「高い安全性と環境への配慮」の3つが掲げられています。
前の2つはその以前から多く見られたものですが、3つ目は90年代以降に見られるようになったものですね。
スタイリングのテーマとして、バランスドアーチが謳われています。
キャビンデザインはイメージスケッチの実現と受け取れますが、リヤデッキ部分は、イメージスケッチ→クレイモデル→実車とむしろ先鋭的な表現に至ったのが面白いところです。
このリヤデッキのデザインが、日米の評価を分けた形となったのですが、イメージスケッチ程度の表現であったならば、日本でももう少し受け入れられたかもしれません。
細かい点ですが、このデザインには、視点の重心が後ろに下がるマッドガードは、レスの方がバランスよく映ります。
ポルトローナフラウの本皮革を除くと、ボディカラーは全10色、内装色は全4色から選択可能でした。
セドリック/グロリア/シーマから離れたエクステリアデザインに対して、インパネの基本配置はこれら3車に近いところにありました。
インパネレイアウトに凝らなかった分、材質にはかなりこだわったようです。
本革シートは、セットで語られることの多いイタリア・ポルトローナフラウ社製以外も、実はオーストリア・シュミット社製。そのポルトローナフラウは、1日5台分しか作ることが出来ないと書かれています。
センターコンソールには本木目、手が触れやすい各所にはソフトタッチの合皮といった具合なのです。
運転席と助手席の機能が書かれる一方で、後席の記載は皆無といったあたりがパーソナルカーらしいところ。明確には書かれていませんが、リヤドアはきっと飾り的位置付けなのです。
各種スイッチ類は大半を専用設計したとありまして、運転席パワーウィンドースイッチも独特のものとなっています。これ、確かに運転席ウィンドーを他のウィンドー間違えることはないでしょうが、ウィンドーロックボタンを間違えて押す気もします(笑)
トランクも見栄え品質は良好ですが、容量や開口部の使い勝手に配慮した部分は見えません。ここもまた、パーソナルカー的なのです。
本来は、ボディで解説されそうな部分を静粛性に絡めてインテリアの一部として解説するのは珍しいですね。
エンジンは、V8・4.1LのVH41DEと、直6・3.0LのVG30DEの2タイプ。
インフィニティ版は、VG30DEのみのようなので、VH41DEは国内事情を考慮しての選択のはずですが、VG30DETの方が正解だったような気がしますね。
セドリック/グロリアはVG30DEには5速ATを組み合わせていましたが、こちらは4速ATでした。
サスペンションは、特に記載されていませんが、セドリック/グロリアからの流用。
VH41DE搭載車には、シーマに設定のあった油圧式アクティブサスの代わりに(?)、SUPER HICASが採用されていました。
ブレーキは、全車2POTキャリパーで、さらにVH41DE搭載車には油圧ブレーキブースターも採用。SUPER HICASといい、走りを声高に謳わないムード派的成り立ちながら、走りに関する部分はきちんと手が加わっていますね。
タイヤサイズは、215/60R15という今では探し難くなったサイズでした。ダンロップと米国グッドイヤーにJ.フェリー用として開発されたことが謳われています。この2社はこの後提携関係を結びながらも、最近になって提携を解消した関係ですね。
6.5J×15サイズのアルミホイールは、シーマで先に採用された鍛造タイプをオプション設定にしつつ、標準には軽量な新デザインの鋳造タイプを採用。
この鋳造タイプは、回転方向性を持たせた左右専用デザインが特徴的で、こちらは逆にシーマが3.0ターボ追加時に採用することとなります。
J.フェリーは、助手席エアバッグを当初から標準化していたことから、開発に際しての課題とその解決方法が細かく記されています。
同じく、エアコンへの代替フロン化も早期に採用したことから、こちらもその違いが記されています。
最後は、主要諸元と4面図です。
型式名は、セドリック/グロリア系と同じ”Y32”でした。
全長の4,880mmは、現在のEセグメントに近いサイズですが、全幅の1,770mmと全高の1,390mmは、明らかに狭く・低いサイズですね。
スリークな印象は、サイズ面の反映でもあるわけです。
グレードは、VH41DEを搭載したタイプX(東京地区標準価格、以下同:4,724千円)、VG30DEを搭載したタイプL(3,894千円)、タイプF(3,614千円)の3タイプが設定されていました。
この価格設定は、アリストの3,804千円と4,740千円を明らかに意識していたはずです。
かくして、高級車市場への新提案として投入されたJ.フェリーですが、ご存じのとおり、国内販売台数としては、惨敗に近い結果(1992年:2,900台、1993年:2,343台、1994年:1,708台)となります。
これはアリストの販売台数(1992年:17,190台、1993年:12,711台、1994年:13,116台)はもちろん、アンフィニMS-9を除いたセンティアのみの販売台数(1992年:6,989台、1993年:3,780台、1994年以降はMS-9と統合)よりも少ない台数だったのです。
フェアレディZ(1993年:3,279台、1994年:1,823台)に近い台数だったと書けば、その少数派ぶりが分かり易いかもしれません。
(以上、各車の販売台数は月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用)
従来の、クラウン・セドリック/グロリアから外れた存在としては、どうしてもアリストと比較してしまうのですが、そのアリストがクラウンと違う面を見せつつもシーマやセルシオにも近い存在だったのに対して、こちらはQ45とも明確に違う成り立ちという、従来からの継続性を断ち切った提案であり、それが故に難解な存在でありました。
4ドアセダンというボディ形状も誤解された要因で、これが2ドアクーペあるいは4ドアハードトップであれば、そのパーソナル性がもう少しは理解されたのかもしれません。
それらに加えて、3.0Lと4.1Lという離れたバリーエーション設定やLEOPARD名称の継承もコア像の形成には阻害となったと思われます。
2代目シーマといい、この時期の日産の高級車はとても趣味性が高くて、きっとこういうのを作りたかったのだろうという意思こそ感じられたものの、既にこういった提案を強力に推せるだけの体力が残っていなかったというのももう一つの事情だったのでしょうね。
ただ、2015年の視点でこうして見てきますと、リヤドアが付いているのが不思議なくらいのパーソナル性の高さというのはかなり魅力的に映ったりします。
現在のEセグメントは、メルセデスE・BMW5シリーズ・アウディA6というドイツ車の価値観があらかた支配していて、クラウンやレクサスだけでなく、以前は明確に違ったキャデラックやジャガーでさえもその影響を受けていることは否定できません。
そこから大きく離れているJ.フェリーの高級感の表現というのは、そんな現在だからこそ評価したくなる部分がありますね。