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2015年12月10日 イイね!

1986年のターセル/コルサ/カローラIIの技術資料

1986年のターセル/コルサ/カローラIIの技術資料収納庫からの発掘モノを取り上げます。

今回は、1986年に発表されたターセル/コルサ/カローラIIの技術資料です。

厳密に言うとカテゴリ違いかもという気はするのですが、カタログとも違うしということで、ご容赦くださいませ。

この3兄弟、少し前に、1985年に開催された第26回東京モーターショーのトヨタパンフレットを掲載(リンクはこちら)した際に、AXVから連想された方がいたという繋がりもありますね。


モデルの概要については、ターセルのオプションカタログを取り上げた時(リンクはこちら)に書いているので、省略しちゃうことにして、今回の視点は資料に沿ったもののみとします。

それでは以下、紹介していきます。発行年月は初登場時の1986年5月となります。



左頁には、目次と共にオリジナルイメージからイメージスケッチへの展開が記されています。これ、当時のカローラIIのCM(最後に当該youtubeを貼っておきます)に繋がるイメージですね。原田知世さんの微笑と彼女が歌う「雨のプラネタリウム」も一緒に思い出される方も多いはず。
「流星ライナー」というのは、後付のフレーズではなかったということなのでしょう。

右頁には、開発の背景と狙いが書かれています。
各章と重なりますので、ここでは解説は省略します。





左頁は、車種構成です。
4ドアはマイナーチェンジに留まったため、この資料からは外されています。
先代では、ボディ構成やグレード構成において、ターセル/コルサとカローラII間の差異がいくつかありましたが、この代では基本的に揃えられることとなりました。唯一の違いは、最廉価グレードのCDがカローラIIのみに設定されたこととなります。このCD、カタログにも画像が掲載されずで、スペックから仕様を推測するのみのグレードでありました。

右頁は、スタイリングの紹介です。
先代は、3ドアと5ドアはドア数の違いのみで基本的には同じスタイリングでしたが、この代ではAピラー以降のスタイリングを両者間で変えています。さらに3ドアには、リトラが追加されて話題となりました。
この作り分けは、若い男性、女性、ファミリーという3つの異なるお客さんがいて、同じイメージでの展開に限界を感じたことからのようです。ちなみにこの3つは、他のグレードに乗り換えてくださいって言ったって、絶対聞かないとのこと。なお、当時の販売比率は7:3で3ドアの方が多かったようです。

このスタイリングは、流面形セリカ以降の曲面攻勢からすると、やや直線に戻った印象もありました。また、この年の年初のソアラ/スープラやこの後のカムリ/ビスタで見せた、先代のイメージを引き継ぎながらの洗練とも違っていて、若干異質な存在でした。

5ドアはAXVの印象と重なります。おそらくAXVは、時期的にもこの兄弟のイメージスケッチからの展開だと思われます。





エクステリアの紹介です。
横軸に先述の3ボディ、縦軸に兄弟車を並べて違いを表しています。

先代はレンズ類やバンパー等も兄弟車間で変えていたのですが、売り手・買い手がその差異を感じなかったということだったようで、この代では、フロントグリルとリヤガーニッシュ(リトラはそれに加えてフロントターンシグナル)の違いで兄弟車を表現することとなりました。

エンブレムを隠した状態で、この3兄弟をきちんと見分けられたら、かなりのマニアに認定ですね(笑)

ちなみに兄弟車間でカタログの構成も似通っていたりするというのは余談です。





インテリアの紹介です。
左上の画像のみ、何故か4ドアが掲載されています。

パッケージングとしては、エンジンが縦置きから横置きに変わったこと(当時の記事からすると、かなりの議論があったようです)を生かして、先代同等の室内スペースを確保しつつ、ボディサイズを小さくすることを狙っています。それは、先代の登場時と違って、上にカローラFX、下にスターレットが登場したことから必然の選択だったのです。

それに合わせる形で、ホイールベースも短縮。元々初代ターセル/コルサは、ロングホイールベースを特徴としていたのですが、先代でクラス平均に短縮(-70mm)。さらに短縮(-50mm)したことで、クラスの中では短い方になってしまいました。

前年のモーターショーに参考出品された、7ウェイスポーツシートとデュアルスライドシートはここで市販化されています。
このシートは、ドア内張りと相まって品質感の向上に寄与していました。





エンジンの横置き化決定に伴い、1.3Lと1.5Lという構成は同じながらも、初代伝来のA型はE型に切り替えられることとなりました。

E型は、1.3Lの2Eがスターレットに先行搭載されましたが、ボアアップの余地がないため、1.5Lへの排気量アップにはストロークアップで対応しています。横置きの1.5Lは既に3Aがありましたが、エンジンスペースの関係からのこの選択、後続のAE91カローラ含めて、どうするか悩ましかったようですね。

3Eは、12バルブとなったことで、3Aを上回るパワー&トルクを発揮。3Aは翌年に5Aに拡大しつつハイメカツインカム化されることで、序列は保たれますが、一時的には下剋上の関係にありました。
やがてE型は、乗用車にはA型を搭載する車種の商業車(カローラバン、コロナバン等)にも活用されることになります。





ガソリンエンジンは、3E型こそ新開発だったものの、登場時点ではインジェクション仕様やターボがなかったため、むしろ注目を集めたのは、この新開発の1.5Lディーゼルターボ1N-Tでした。

エンジンルーム容量の制約があったため、完全オリジナルエンジンとなっています。その甲斐あって、同じ1.5Lディーゼルターボの国産B車(きっと藤沢製ですね)よりもコンパクトに出来上がりました。(国産A車は大阪製の3気筒、C車は鈴鹿製でしょうね)

ちなみに、小型ターボは1G-GTのターボと同一の物とのこと。(CT12と呼ばれていたようです)







シャシーの紹介です。
フロントサスペンションは同じストラットながらロアアームをI型かL型に変更。リヤサスペンションはデュアルリンク式ストラットからトレーリングツイストビームに変更されています。

このリヤサスの変更は、
 ・トヨタは短期間でFF化を迫られたためストラット形式として仕上げを短縮
 ・スターレットだけはそこから遅れたため、別形式を研究
 ・スターレットを皮切りにそこから一つ上がった
とのこと。
その後、さらに上方展開が進むこととなります。

パワーステは、女性向けグレードに標準で、上級グレードにオプションという辺りが時代です。もっとも、タイヤサイズは、掲載の通りまだまだ60扁平以下でしたから、それでも何とかなったのですが。





ボデーの紹介です
制振パネルや遮音材の向上により、先代より車内騒音は低下しています。

メタリック塗装の改良や耐チップ塗装の採用は、他車でも採用が広がりつつありました。





主要装備の紹介です
スポーツパッケージは先代の途中(ターセル/コルサの3ドア追加時)から追加された仕様、女性向けグレードはカローラIIとコルサが先行して、後からターセルに追加された仕様でした。この時点では、主要グレードに昇格しています。

また、オーディオに結構力を入れていたようで、車載用CDデッキはこのクラスでは早期の採用でした。





この兄弟と直接の関係はないのですが、女性比率が高かったため「女性とクルマ」という括りで資料がまとめられています。

その後の資料を持ち得ていないため、断言はできませんが、だいぶ上向いてきたとはいえ、女性ドライバーがまだまだ少なかったと言えそうです。
都道府県別でも普及率の差が結構あるのが興味深いですね。しかも大都市が少ないとも言い切れませんし。

この中で自社資料のはずの女性向けグレードのあゆみが2カ所間違っていますね。
 ・56年6月のカリーナ・ジュンの発売はなし
 ・カローラII・ライムの発売は57年5月(58年1月は1300にもパワーステ付を追加)



といったところで、いかがだったでしょうか。
先代は結構な人気モデルだったということもあって、設備の増強も行っていたそうで、縦置きと横置きどちらでいくかは結構な論争となったようです。

結局、4ドアとカリブを継続させることで既存設備を償却しつつ、横置きへの転換を図るという判断となったのですが、この後を思えばこの判断で正解だったように思います。

ここで作り上げた基本レイアウトは、次世代はもちろん、その次の世代でも継続となって、モデル廃止まで続くこととなったのです。最終モデルはお買い得が前面に出ていて、それなりの台数を捌いていましたが、それは長期間継続する中で償却が済んでいたことがあってこそ可能だったのです。


○本文で触れた、カローラIIの登場時のCM
Posted at 2015/12/10 22:41:47 | コメント(8) | トラックバック(0) | プレスリリース話 | クルマ
2015年07月19日 イイね!

レパードJ.フェリーのプレスリリース

レパードJ.フェリーのプレスリリース夏場を迎え、お仕事の方が忙しくなりまして、更新はもちろん、コメントを入れるのもままならない状況に陥りつつあります。。。

そんな中、昨日はお出かけをしてきた・・・という話はまもなくの2.0万キロ話と一緒にすることにして、プレスリリース話を先に掲載することにします。

今回は、レパードJ.フェリーです。
あまり得意な方ではありませんが、熱心なファンが多そうなクルマでもありますので、お楽しみいただければと思います。

登場はバブル崩壊を実感しつつあった、1992年(平成4年)6月となります。



開発コンセプト等の話です。
経済の発展に伴って、高級車市場が拡大すると、当然従来とは異なるタイプが求められることになるという発想は、同時期に登場したアリストにもつながる話だと思います。

もっともこちらは、北米輸出ありきで国内導入決定は後から(Wikipediaには、販社からの要望の反映とありますね)ですから、国内専用モデルが輸出にも転用されたアリストとは真逆の形。発想は同じでも、表現手段は大きく異なっていたのは、この辺りが理由なのでしょう。

共に高級車ブランドである、レクサスとインフィニティのバッチ付でもありまして、この辺り両社の戦略の違いが出ていて、興味深くあります。

「LEOPARD」名称を継承した理由もありますが、さすがにちょっと無理目の印象を受けますね。





コンセプトの続きです。
「エレガントなスタイルと質感の高い快適なインテリア」・「しなやかで気持ちの良い走り」・「高い安全性と環境への配慮」の3つが掲げられています。
前の2つはその以前から多く見られたものですが、3つ目は90年代以降に見られるようになったものですね。





スタイリングのテーマとして、バランスドアーチが謳われています。
キャビンデザインはイメージスケッチの実現と受け取れますが、リヤデッキ部分は、イメージスケッチ→クレイモデル→実車とむしろ先鋭的な表現に至ったのが面白いところです。

このリヤデッキのデザインが、日米の評価を分けた形となったのですが、イメージスケッチ程度の表現であったならば、日本でももう少し受け入れられたかもしれません。

細かい点ですが、このデザインには、視点の重心が後ろに下がるマッドガードは、レスの方がバランスよく映ります。





ポルトローナフラウの本皮革を除くと、ボディカラーは全10色、内装色は全4色から選択可能でした。

セドリック/グロリア/シーマから離れたエクステリアデザインに対して、インパネの基本配置はこれら3車に近いところにありました。





インパネレイアウトに凝らなかった分、材質にはかなりこだわったようです。
本革シートは、セットで語られることの多いイタリア・ポルトローナフラウ社製以外も、実はオーストリア・シュミット社製。そのポルトローナフラウは、1日5台分しか作ることが出来ないと書かれています。

センターコンソールには本木目、手が触れやすい各所にはソフトタッチの合皮といった具合なのです。

運転席と助手席の機能が書かれる一方で、後席の記載は皆無といったあたりがパーソナルカーらしいところ。明確には書かれていませんが、リヤドアはきっと飾り的位置付けなのです。





各種スイッチ類は大半を専用設計したとありまして、運転席パワーウィンドースイッチも独特のものとなっています。これ、確かに運転席ウィンドーを他のウィンドー間違えることはないでしょうが、ウィンドーロックボタンを間違えて押す気もします(笑)

トランクも見栄え品質は良好ですが、容量や開口部の使い勝手に配慮した部分は見えません。ここもまた、パーソナルカー的なのです。

本来は、ボディで解説されそうな部分を静粛性に絡めてインテリアの一部として解説するのは珍しいですね。





エンジンは、V8・4.1LのVH41DEと、直6・3.0LのVG30DEの2タイプ。
インフィニティ版は、VG30DEのみのようなので、VH41DEは国内事情を考慮しての選択のはずですが、VG30DETの方が正解だったような気がしますね。

セドリック/グロリアはVG30DEには5速ATを組み合わせていましたが、こちらは4速ATでした。





サスペンションは、特に記載されていませんが、セドリック/グロリアからの流用。
VH41DE搭載車には、シーマに設定のあった油圧式アクティブサスの代わりに(?)、SUPER HICASが採用されていました。

ブレーキは、全車2POTキャリパーで、さらにVH41DE搭載車には油圧ブレーキブースターも採用。SUPER HICASといい、走りを声高に謳わないムード派的成り立ちながら、走りに関する部分はきちんと手が加わっていますね。





タイヤサイズは、215/60R15という今では探し難くなったサイズでした。ダンロップと米国グッドイヤーにJ.フェリー用として開発されたことが謳われています。この2社はこの後提携関係を結びながらも、最近になって提携を解消した関係ですね。

6.5J×15サイズのアルミホイールは、シーマで先に採用された鍛造タイプをオプション設定にしつつ、標準には軽量な新デザインの鋳造タイプを採用。
この鋳造タイプは、回転方向性を持たせた左右専用デザインが特徴的で、こちらは逆にシーマが3.0ターボ追加時に採用することとなります。





J.フェリーは、助手席エアバッグを当初から標準化していたことから、開発に際しての課題とその解決方法が細かく記されています。

同じく、エアコンへの代替フロン化も早期に採用したことから、こちらもその違いが記されています。





最後は、主要諸元と4面図です。
型式名は、セドリック/グロリア系と同じ”Y32”でした。
全長の4,880mmは、現在のEセグメントに近いサイズですが、全幅の1,770mmと全高の1,390mmは、明らかに狭く・低いサイズですね。
スリークな印象は、サイズ面の反映でもあるわけです。

グレードは、VH41DEを搭載したタイプX(東京地区標準価格、以下同:4,724千円)、VG30DEを搭載したタイプL(3,894千円)、タイプF(3,614千円)の3タイプが設定されていました。
この価格設定は、アリストの3,804千円と4,740千円を明らかに意識していたはずです。


かくして、高級車市場への新提案として投入されたJ.フェリーですが、ご存じのとおり、国内販売台数としては、惨敗に近い結果(1992年:2,900台、1993年:2,343台、1994年:1,708台)となります。
これはアリストの販売台数(1992年:17,190台、1993年:12,711台、1994年:13,116台)はもちろん、アンフィニMS-9を除いたセンティアのみの販売台数(1992年:6,989台、1993年:3,780台、1994年以降はMS-9と統合)よりも少ない台数だったのです。

フェアレディZ(1993年:3,279台、1994年:1,823台)に近い台数だったと書けば、その少数派ぶりが分かり易いかもしれません。

(以上、各車の販売台数は月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用)


従来の、クラウン・セドリック/グロリアから外れた存在としては、どうしてもアリストと比較してしまうのですが、そのアリストがクラウンと違う面を見せつつもシーマやセルシオにも近い存在だったのに対して、こちらはQ45とも明確に違う成り立ちという、従来からの継続性を断ち切った提案であり、それが故に難解な存在でありました。

4ドアセダンというボディ形状も誤解された要因で、これが2ドアクーペあるいは4ドアハードトップであれば、そのパーソナル性がもう少しは理解されたのかもしれません。

それらに加えて、3.0Lと4.1Lという離れたバリーエーション設定やLEOPARD名称の継承もコア像の形成には阻害となったと思われます。

2代目シーマといい、この時期の日産の高級車はとても趣味性が高くて、きっとこういうのを作りたかったのだろうという意思こそ感じられたものの、既にこういった提案を強力に推せるだけの体力が残っていなかったというのももう一つの事情だったのでしょうね。


ただ、2015年の視点でこうして見てきますと、リヤドアが付いているのが不思議なくらいのパーソナル性の高さというのはかなり魅力的に映ったりします。

現在のEセグメントは、メルセデスE・BMW5シリーズ・アウディA6というドイツ車の価値観があらかた支配していて、クラウンやレクサスだけでなく、以前は明確に違ったキャデラックやジャガーでさえもその影響を受けていることは否定できません。

そこから大きく離れているJ.フェリーの高級感の表現というのは、そんな現在だからこそ評価したくなる部分がありますね。
Posted at 2015/07/19 20:38:59 | コメント(8) | トラックバック(0) | プレスリリース話 | クルマ
2015年07月11日 イイね!

1998年のセフィーロのプレスリリース

1998年のセフィーロのプレスリリース先週末にひいた風邪を未だに引き摺っていまして、体温も上下を繰り返しています・・・

そんな体調はさておき、プレスリリースの3冊目です。
あまり話題にしたことはないような気がしますが、とても好きなクルマだったりします。もっとも、登場当時は殆ど気にせずでして、後からこれイイなぁとなったパターンですね。

登場は、日産が抱える巨額の有利子債務が大騒ぎになっていた、1998年(平成10年)12月。経営危機と言われながらも、新車を出せるだけの余力はあったという見方もできますかね。


セフィーロとしては3代目になります。
このクルマも、初代 → 2代目でコンセプトを大転換したのですが、その転換が国内・国外共に大成功。そのため、3代目はキープコンセプトでの登場となりました。


それでは、登場時のプレスリリースを紹介していきます。



最初は、当時の主管だった湯川 伸次郎氏の開発に込めた思いが記されています。

巷ではRVがブームとセダンの不振が表裏一体となっていた頃であり、セダンを巻き返すべく、各社がバブルの後遺症を抱えて苦しい台所事情の中、様々な取り組みをおこなっていました。

主管が「フルリラックス性能」を掲げつつ、述べられている内容も、その辺りが反映されていますね。





開発のテーマは、フルリラックス性能ということで、そこから各種アピールポイントが展開してしていきます。

当時のキャッチコピーである「イルカに乗ろう」を反映したイラストが挿入されていますね。





最初はエクステリアの紹介です。
国内よりも国外の方が台数の多いクルマですので、先代同様、奇をてらうことの無い真っ当なデザインとされています。

やや地味な感もありますが、大人の審美眼にも耐える上品な印象を受けます。
ボディカラーは、白・銀が相変わらず売れていましたが、このクルマについては、むしろ中間色にいい色がありましたね。

内装色も、先代末期は特別仕様を除けば、オフブラック一色に絞られていましたが、ベージュとセージという明るい印象の組合せに変わっていて、これも良印象でした。





パッケージングの紹介です。
国内のみならず、国外にも展開するセダンのパッケージは、ほぼ例外なく健全と言い切れまして、このセフィーロもその例に違いません。

全長4,800mm × 全幅1,800mmを少し切るというサイズは、当時こそやや大きめに見えましたが、今となっては国内で不自由なく取り回せる上限のサイズとして実に絶妙なサイズに思えます。もちろん、その中に大人4人がゆったりと乗れて、荷物も十分載せられる空間が構成されています。

根源を遡るとJ31マキシマあたりに行き着くパッケージですが、小改良を重ねて熟成されたものが展開されていたわけです。





インテリアの紹介です。
インパネは、A32のレイアウトを引き継ぎつつも、AV系とエアコンパネルの位置が今日流に逆転しています。

何よりの改良は、先に書いた内装色の変更で、一気に開放感あふれる雰囲気となりました。

とかくコストダウンが目に付いた時代ですが、このクラスになると質感も問われますし、ましてや国外ではインフィニティブランドで展開するクルマですから、そのあたりも手抜かりはありませんでした。





インテリアの続きです。
オーディオは、下級グレード以外、専用意匠のものが用意されていました。120Wの出力は十分ですし、さらにウーファーまで追加できるのですから、「使い易い純正を使ってくださいよ」ということだったのでしょう。

各種収納も豊富に揃っています。





この世代のセフィーロならではの特徴としては、このユニバーサルデザインが挙げられます。

当時、社会的に話題となっていたデザインをクルマに本格的展開しています。内容的にも、使い易さの向上に役立つものばかりです。

これによってインテリアの小物は、殆どが新部品とならざるを得ないのですが、それでもあえてやっているんですよね。きっかけは全く違いますが、X80的な作り込みと言えると思います。





エンジンの紹介です。
エンジンは、先代の3.0Lが落とされて2.5Lと2.0Lの2種類のみ。
前者は当時注目を集めていた直噴化、後者はリーンバーン化が行われています。

・・・当時の最新技術の導入なのですが、この部分だけは先代に一票を投じます(笑)。
もっとも、名機VQエンジンの軽い吹き上がりやサウンドと呼んでも差し支えの無いエンジン音は、先代から損なわれることなく、1JZや1Gの乗っていた身にもとても感心させるものがありました。





ボディ/シャシーの紹介です。
基本は、先代やJ31マキシマにありますが、時流に従った手入れがされています。
結果、先代よりも大きくなったこともあって、やや重くなってしまいました。もちろん剛性感は勝るのですが、先代の軽さも捨てがたいという見解も頷けるものがありますね。





ボディ/シャシーの続きです。
足回りは、フロントこそ変わらずのストラットでしたが、リヤはB14サニーから展開が始まったマルチリンクビーム式がセフィーロにも採用されています。

タイヤは、旧型でも使われていた205/65R15と215/55R16の2サイズ。
タイヤの扁平化が進行する前ですが、十分なサイズと言えました。大柄なボディには16インチの方がマストに見えたという話は後述。





安全の紹介です。
90年代に入って、重視され始めた安全性。この頃にはフロントインパクトは一段落してサイドインパクトに注目が写りつつありました。

この点も、輸出仕様があることから、手抜かりはありません。

25エクシモGには、当時採用車種が増えつつあったキセノンヘッドランプが標準。さらにハイビームは、HIRとなっています。

実は私事情ながら前車のフォグにHIRを使っていまして、ハロゲンながらその明るさには感銘を覚えたものです。その後、展開無く消えてしまった技術なのが惜しいですね。





安全の続きです。
むち打ち症の低減を目的としたアクティブヘッドレスト、衝突時の歩行者の下肢の損傷を軽減するフレンドリーバンパーがこの時点で取り入れられています。

車間距離レーダーも早期の導入だったのですが、クルーズコントロールがないため、接近レーダーに留まっているのは、商品性の点で惜しいものがありました。





最後は環境及び主要諸元です。
今も続く環境性能やリサイクルにも注目が集まり始めた頃です。

2.5Lは、排ガス対策の難しい直噴ながらも、LEV仕様とされていたのは注目に値します。順序こそ三菱やトヨタの後になりましたが、高い技術を持っていたのです。

バリエーションは、先代からのエクシモとSツーリングの2シリーズ構成を引き継いでいます。
現在と違って、このサイズのセダンではスポーティを訴えるのに成功したとは言い難く、Sツーリングは前期のみとなってしまいました。輸出先では、スポーティサルーンとして認知されていたんですけれどね。


ということで、一通り流してみました。
製造社の状況が信じられなくなるくらい、この変更は力が入っていたことがご理解いただけると思います。流してみた当の私が再認識させられた部分もあったりしまして。

ところが、そんなモデルチェンジにも関わらず、セダン衰退の時代においては退潮傾向を変えることは出来ず、輸出仕様との共用化が進んだ後期型の登場を経た後、3代続いたセフィーロはこの世代が最後となってしまいます。

一つには、先代の途中で追加し、結構な販売台数となっていたワゴンをモデルチェンジすることが出来ず、結果として、このモデルチェンジの効果を目立たせられなかったことが、大きかったと思っています。
もっとも、先代の途中でワゴンを追加できていなければ、経営危機はもっと悪化した可能性も高いですから、追加の是非は難しい所なのですが。まぁ、同時期にステージアも登場させたあたり含めて、モデル展開がかなり混沌としていて、買い手側を困惑させる状況であったことは間違いありませんね。


3代目セフィーロセダンの話に戻します。
登場した頃の私の日本車に対する認識は、80年代末期から90年代前半のモデルが至上。以降はコストダウンが前面に反映されていて魅力少ないというものでした。

そんな認識を変えるきっかけとなったのは、私のみん友さんである営業部長さんの存在です。この方、ここを隈なくお読みの方ならお分かりのとおり、前車の前オーナーさんでして、売買をきっかけとしてよく行動を共にすることがありました。

その頃、もう一台お持ちだったのが、このセフィーロ 2.0エクシモのシャンパンシルバーだったのです。
知り合ってしばらく経った頃、長距離をこのクルマで同乗&運転する機会に恵まれました。実際に運転してみて分かったのですが、VQエンジンはパワフルかつ吹き上がり良、何より音が魅力的、ボディ剛性は高く、パッケージは健全といった具合に実に良く出来たクルマでして、80年代セダンに固執していた身には感心することしばしでありました。もっとも、私自身はようやく2台持ち体制を完成させたばかりでしたから、それ以上の行動は起こせなかったのですが。

これ、結構長く乗られていて、途中からはY33レパード&Y33シーマ30T用の16インチ5本スポークアルミを履かれていましたが、これもアメリカンを連想させる佇まいに実に良く似合っていましたね。

このセフィーロとグラシア2.2セダンという組合せの時期があって、比べてみると優劣付け難いものがあったことも覚えています。
共に輸出されることで外貨を稼いでいたクルマですから真っ当なコンセプトと手抜きの無い作り込みは共通、その一方でシート配置やエンジン形式&排気量の違いは、各々の考え方が反映されていて実に興味深いものがあったのです。

以前にグラシアを取り上げた時(リンクはこちら)にも軽く書きましたが、両車共に90年代末のベストサルーンに挙げてイイと思います。そんなセダンがコミ250万円で買えていたのですから、セダン派にも選び甲斐がある、大変恵まれた時代だったことに気付けなかったのが、今更ながらに悔やまれます。
Posted at 2015/07/11 22:11:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | プレスリリース話 | クルマ
2015年07月09日 イイね!

1989年のセリカ・カリーナED・コロナExivのプレスリリース

1989年のセリカ・カリーナED・コロナExivのプレスリリースプレスリリース話としては2冊目となります。

このシリーズに関しては、以前に後期カリーナEDのオプションカタログ(リンクはこちら)と前期コロナExivのセールスマニュアル(リンクはこちら)を取り上げていますので、話としては重複する部分も出てきそうですが、その点はご容赦くださいませ。

最近、ここを見つけられた方も多いようですから、まぁ構わないでしょうということで(笑)




バブルの時期・3車種同時・新装備多数ということで頁数も多いので、早速紹介していきます。
・・・それにしても、白を基調にした冊子をブログ画像にすると、あえて余白を作ったように見えてしまいますね。




最初は目次です。
ここでは、全て掲載していきます。





はじめに、ということで当時の主査だった久保地 理助氏が、開発に込めた思いが書かれています。右下にはセリカと共に写る久保地氏。

前に掲載した渡辺氏と同様に、「開発の道程では筆舌につくしがたい苦労があった」と記されていまして、開発の現場では外野が想像する以上の苦労があるのだろうなと想像するところです。一読の価値があるのも同様。

人が作る製品であることもあって、こうした主査の話は個人的に結構好きだったりします。





コンセプトのキーワードとして、「SEXY」「TRENDY」「ELEGANCE」の3つが掲げられています。

この後に続く頁含めて、こういった頁は、挿入されるモデルの画像と共にバブルを感じますね。





もう一つのキーワードとなる「SPORTY」。
その成り立ちからして、初代以降の歴代セリカシリーズを語る上では、絶対に外せないキーワードですね。





更なるキーワードは、若干異質に思える「ENJOY」
しかしながら言いたいことは解る気がします。クルマ全体論としても、楽しいクルマは豊かなライフスタイルを創造すると言えますよね。





緩い話は前頁までで、ここからはプレスリリースらしい話となります。
ここでは、他車で既に採用された装備が含まれるものの、セリカとしての新機構、新装備が紹介されています。





こちらは、カリーナEDとコロナExivの新機構、新装備です。
カリーナEDについて、「トヨタのトレンドリーダーであり続ける」と書かれていますね。同時期のトヨタセダンのプロポーションを想像すると納得(笑)









各モデルのスタイリングの解説は省略します。

個人的な好みでは、先代モデルがとても好きだったこともあって、特にセリカ&カリーナEDのデザインには馴染めないものがありましたね。この中だと新規追加となったコロナExivが、むしろ初代EDの大人っぽさを上手く昇華させたように映りました。







インテリアデザインは、バブル時期らしく先代よりもさらに凝ったデザインとなりました。

特にカリーナEDとコロナExivは、前々年に登場したコロナのインパネがパウダースラッシュまで用いて構築したデザインにも関わらず、ライバル車と同様に、メルセデス190Eからの亜流と評されたことから、その時のリベンジもあったりします。

さらに両車には、新たな内装カラーとして、カーキとモーブが採用されています。

個人的には、ここも先代のデザインが好きだったりしますが、外観よりも受け入れやすい範囲ではあります。





当時話題となった、スーパーライブサウンドシステムが紹介されています。

フロント両ドアに20cmウーファー(!)を埋め込んだのを代表とする10スピーカーマルチチャンネルを6アンプで構成するシステムとなっています。総合最大出力220Wは、純正品としては驚異的な出力でした。





各エンジンの紹介です。
セリカのみ搭載される3S-GTEと全車に搭載される3S-GEは、フルモデルチェンジに伴い手が加えられています。
高出力化(3S-GTEは40馬力増、3S-GEは25馬力増)のため、無鉛プレミアム仕様化を行っているのが当時らしいですね。

この時点では旧型からの流用となったハイメカツインカム系は、翌年に他車の変更に合わせて改良が行われることとなります。





シャシーは、基本的に旧型からの流用となりますが、他車同様にフォアラウフの採用やキングピンオフセットの縮小等、細かく手が入っています。

もっともシャシー面の目玉は、次頁からですね。







最大の目玉は、このアクティブサス。
日産では最高級パーソナルカーのインフィニティに採用しますが、トヨタはセリカで一月早く市場投入しました。

実際の発売は、翌平成2年の春から予約・抽選により行われたようですので、世界初の称号は若干微妙な感もありますね。





続いての目玉は、4WS
他社が既に実用化して市場投入していた技術ですが、デュアルモードにして世界初を掲げるのがトヨタ流。

この後、トヨタ内ではカムリ&ビスタにこそ採用されるものの、それ以上の採用拡大はありませんでした。未来は分かりませんが、この時期特有の技術となる可能性が高いですね。





最後の目玉は、先代に引き続きの4WD
トヨタ初として導入されたフルタイム4WDは、先代同様GT-FOURのみの設定でした。新たに”トルセン”LSDが日本初採用されています。

既に、他車では実用4WDとしてグレード展開されていましたので、カリーナEDやコロナExivに展開しても需要は見込めたように思うのですが、次世代まで設定はありませんでしたね。





安全技術であるエアバッグもシャシーの部分で紹介されています。
メカニカルセンシングを用いたのは、世界初となります。

軽量化のため、オールマグネシウムダイキャストの一体成形を用いたりして、かなり力を入れて開発を行っています。

当初は、数量の関係からか3S-GE搭載車かつABSをオプション装着した場合のみ選択可能でしたが、やがて採用は拡大し、90年代の安全技術の要となっていきます。





ボデーに関する技術の紹介です。
基本構造は旧型からの流用ですが、1.防錆鋼板の大幅採用、2.樹脂拘束層付アスファルトシートの採用、3.モールの一体化等、各種最新技術が取り入れられています。

2はX80マークII3兄弟で初採用された技術、3はセルシオ開発の際に採用された技術からの応用ですね。







各種内装装備の紹介です。
バブル期のトヨタ車らしく、この手の小物は充実していました。

マークII系同様に、あゆみを紹介してもよさそうなシリーズなのですが、省略されています。



ということでいかがだったでしょうか。
先代は、セリカ&コロナクーペでその頃市場を制覇していた2代目プレリュードに挑戦する一方、カリーナEDで新たな4ドアの形を提言する形で展開されました。

結果は、カリーナEDは大成功するものの、セリカ&コロナクーペはこと国内市場に関する限り、評価こそ高かったものの、販売台数的には惨敗に近い結果に終わりました。

王者プレリュードを引き摺り降ろしたのは、セリカではなく日産が問うたシルビアだったのです。


そんなことから、セリカはシャシーを含めて、もっと思い切った変更で来るかなと予測していたものですから、ちょっと意外でありました。先代でFF化を果たしたばかりでしたし、輸出が主力くらいのクルマでしたから、国内市場はあまり重要視しなかったのかもしれませんね。

その一方で、国内専売のカリーナEDがキープコンセプトだったのは、先代の結果から予測できましたし、コロナクーペ転じたExivも、まぁそうなるよなという範囲ではありました。コロナとカリーナの販売台数には、セダン以外も計上されていたため、EDとクーペの販売台数の差がそのままカリーナとコロナの販売台数差に反映する状況では、新たに兄弟車にする以外の選択肢はあり得なかったでしょう。


この世代が好きな方には恐縮ですが、私自身は先代が好きで、実際4年を経過しても全く古臭さを感じなかったものですから、正直心中複雑なモデルチェンジではありました。

それなりに進歩の見られたモデルチェンジでしたし、販売台数としてもトータルとして見れば先代と同等以上の成功となったのですから、メーカーとしては意味あるモデルチェンジだったのでしょうけれどね。
Posted at 2015/07/09 21:02:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | プレスリリース話 | クルマ
2015年05月24日 イイね!

X80マークII・チェイサー・クレスタのプレスリリース

X80マークII・チェイサー・クレスタのプレスリリース今回は、少し前から掲載する機会を待っていた話となります。

降りてから、今年の夏で2年が経過しますが、このクルマへの想いは、今でも私の中で特別な位置を占めています。人生の半分近くを一緒に過ごしてきたクルマですし、憧れていた期間も含めればそれ以上となるのですから。


掲載にあたり、改めてこのプレスリリースを眺めてみると、このクルマが登場した時の記憶は今でも鮮明なのだなと再認識したりします。自分の人生の中では、決して良かった時期とは言えないのですが、そんな時期にあってもこのクルマはとても輝いて見えたのです。

登場してから、間もなく27年になろうとしていますから、リアルタイムで体験しているのは30代以上となるのでしょうが、年代を超えてこのクルマを好きな全ての方に贈ります。







はじめに、ということで当時の主査だった渡辺 忠清氏が、開発に込めた思いが記されています。このクルマのファンなら一読の価値があります。

右下には渡辺氏が、マークIIハードトップと共に写っています。
今では数少なくなってしまいましたが、ガラスを下したサッシュレスドアというのは、改めてカッコいいよなぁと思います。





開発のキーワードである「持つ誇り」は、高品質で高級感のあるスタイルと室内からということで内外装が先に紹介されていきます。











各ボデーのデザインへのコメントはあえて省略します。
各ボデーのセグメントとしては、マークIIのセダンとハードトップを両脇に置いて、その真ん中にチェイサーとクレスタを配したというのは当時の記事等でも見受けられた内容です。

ボデーシルエットの比較では、明らかにキャビンの大きいセダンを除けば、ほぼ同じパッケージングということが判ります。
ABC各ピラーのラインを上方に仮延長すると1点に収束する富士山型のキャビン、またCピラーはリヤホイールハウスと6の字の関係を結ぶ。何れも日本の美意識の反映なのです。









インテリア関係の紹介です。
シート機能としては、フロントには格納式アームレスト、リヤヘッドレストにはワンタッチ格納機能を採用して快適性を向上。シート表皮はシルキーベルベット調の新素材を採用し、ドアトリムのショルダー部やインパネのロア部にもファブリックを用いる等、新たな高級感を演出しています。

大きく構えたコックピット感覚のインパネ造形に、アプローチ量を低減しつつで面一化されたクラスター。各スイッチ類やレバー類には新形状を投入。
さらに、空調やオーディオも性能アップしているのですから、力の入り具合が想像できるというものです。

X80で最も力の入っている所を問われたならば、私なら迷わず内装と即答します。





もう一つの開発のキーワードは「走る楽しさ」ということで、エンジン、サスペンション、ボデーの紹介となります。











各エンジンの紹介です。
1Gの”GT”と”GZ”がツートップで紹介されています。従来のツインターボに加えて、クラウンに続くスーパーチャージャーの投入という2種類の異なる過給器は、予備軍を含めたオーナー層にとってインパクトのあるものでした。
さらに6気筒のベースエンジンはハイメカ化されて、NAでも2種類のツインカムを持つことに。こちらのグレードは上下関係となっていましたが、トルクカーブで分かるとおり、実は明確に性格が異なっていたのです。







続いてはサスペンションの紹介です。
フロントはマクファーソン方式を踏襲しつつ、リヤはセミトレーリング方式からダブルウィッシュボーン方式に変更。共に新設計となっています。

プラットホームは先代からの流用にも関わらず、足回りを新設計できたのは、このシリーズが人気車だったことが大きいでしょうね。30頁下段にある通り、新設計の効果は大きいものでした。







ボデーは順当な進化という所ですが、ボデー剛性は向上し、振動と騒音は大幅な低減。防錆性能も大幅に向上しています。
さらに各所には見栄え向上技術が惜しみなく投入されているのです。





新装備とありますが、従前からの採用モノや他車からの流用モノが含まれています。
そんな中でも、サイドウィンドゥワイパーにクリアランスソナーという2つの世界初が大きく紹介されています。前者こそこのモデルのみで終わったものの、後者は今に続く装備ですね。





巻末資料には、「マークII・チェイサー・クレスタのあゆみ」ということで、歴代モデルや販売累計台数のグラフが掲載されています。

販売台数のグラフからすると、3代目マークII以降の成長が顕著であり、途中から追加された兄弟車共々、尻上がりに台数を伸ばしてきたことが読み取れます。





最後の頁には各モデルが掲載されています。


さいごに、まとめを少し
当時のトヨタにとって、マークIIシリーズは重要な位置に占めるまでに成長していました。
そのようなシリーズの新型車を開発することは、この時期に起こった激しい環境の変化や同時期と予想されたライバル車の存在も加わって、担当者には相当なプレッシャーだったのは間違いありません。

この世代は、大きなプロジェクトでスタートし、開発陣の総力を以って結実するという、ある種とても恵まれた環境から誕生しているのです。

”はじめに”で記されている「今までにない大きなモデルチェンジでした」というのは、実感から生まれた言葉だったのだろうと想像できます。


その成果として、歴代最高の販売台数という大きな記録が残りました。それだけでなく、200~300万円級のサルーンとして時代の象徴であるような存在感も残したのです。
おそらく今後もこれ以上の存在感を残せるサルーンは登場してこないと思っています。

私自身も、このシリーズに魅せられて、販売台数に僅かながらの貢献をすることとなりました。残念ながら、いつまでもマークIIとはなりませんでしたが、キャッチコピーで使われた「名車の予感」は、時を隔てた今では予感は正しかったと実感できるのです。


※このブログが、あの頃へのタイムマシン、あるいは想像のキーワードとなれたのであれば、とても嬉しく思います。
Posted at 2015/05/24 07:38:35 | コメント(8) | トラックバック(0) | プレスリリース話 | クルマ

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何シテル?   07/31 22:03
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