
みんカラを始めて4年経過の連絡が届いていましたので、何とか時間をやりくりしつつ、カタログネタのブログ更新です。
やはりというべきか、更新頻度が落ちてしまうと、ちょっとした編集作業で滞ってしまいます。
少し前なら容易かったはずなのですが・・・。慣れや習慣というのは、大事ですね。
そんな訳で、せめて文章ぐらいは楽をしようと、あまり考えずとも言葉が浮かんでくる書き易いネタとしてみました(笑)
この選択は、ここをご覧になっている方なら、なるほどと思っていただけるはずです。
取り上げるカタログは、1977年(昭和52年)ですから、ちょうど40年前となります。
経過年月の分、カタログは痛んでいますが、その点はご容赦のほどを。
最初は、5代目コロナ。
この世代は、1973年(昭和48年)8月のモデルチェンジ後、このクラスのベストセラーを36か月続けましたが、排ガス対策に追われたため、この年の1月にやや遅ればせのマイナーチェンジを受けています。1800は、このマイナーチェンジ時点ではバリエーションから一時的に落とされますが、その翌月にバリエーション追加されています。(マイナーチェンジ時点で1800の追加は織り込み済かと思いきや、この時のカタログは1800が外された形で発行されているのが不思議)
1800は、未対策時代にはコロナの中心であり売れ筋でもある排気量でしたが、排ガス対策の中では優先順位が低かったため、この慌ただしい追加も含めて、やや複雑な変遷となっています。
私自身は、1976年6月に51年規制適合車として追加された2000を1800の代わりにしようとした節を感じていますが、今よりはるかに排気量がクラス分けを決めていた時代にあっては、やはり1800が必要とされたのでしょうね。
前段が長くなりましたが、ここからコロナ1800のカタログをご紹介。
左は、コロナの中心グレードとなるセダン1800GL。
右は、ハードトップ=スポーティということで、ハードトップ1800SL。
GL・SLの片方のみに標準装備となる装備も多くて、価格的にはSLがやや上でしたが、ほぼ横並びに思える構成でした。インパネ・シート共に別形状という辺りに、共に力が入っていたことが伺えるかと。インパネのレイアウト自体は、部分改良を受けたとはいえ、基本の部分は70年代様式ですね。
既に何回か書いていますが、個人的にとても好きなこの世代だからこそ、改良点は認めつつも、スタイリングの点で
前期派であります。
ちょっと頁の構成を変えて、左にはエクストラインテリア、右にはメカニズムや装備を掲載してみました。
エクストラインテリアは先に取り上げていますから、解説不要ですね(笑)
未対策から50年規制までの1800は、OHCの16R型でしたが、この時に1400を発祥とするOHVのT型をベースとした3T型を開発して、その置き換えとしています。機構的には後退に映りますが、カタログスペック的には、従来の16R型を上回るばかりか、排気量で上回る18R型に匹敵する数値。
さらによく考えてみると、T型は2000以上も考慮した構造のR型より軽量となるため、走る・曲がるにその利点が効いて、さらに燃料消費も少なく・・・というのは当時気付けず、後年になって気付いた点です(笑)
3Tは、1年足らずの間に53年規制適合の13Tに発展。こちらは乗用車系のみならず、ライトエースやタウンエース等のワンボックスワゴンにも搭載されたりと、多くの車種に展開されるエンジンとなります。
装備には、この世代のコロナの代名詞的存在である、OKモニターとリモコンミラーがやはり取り上げられています。OKモニターは、オーバーヘッドに並べられていた前期よりも、シンプルかつ見易くなりましたが、カッコよさとを計りにかけると見解は分かれるかもしれません。リモコンミラーは、電動の記載がないため、後期もワイヤーコントロールかも。(この点は自信ナシ)
裏表紙は、装備一覧表と主要諸元表となります。
当時のコロナは、同じグレードでも排気量によって装備の差がありました。当然、1800の装備は2000と1600の中間となります。
メーカーの目論見通り(?)、新エンジンとなった1800は、コロナの中心となって新たな歴史を紡ぐこととなります。同年10月には、部分改良と共にこの1800は53年規制適合となる(ただしMTのみ)という具合で、慌ただしさはもうしばらく続くこととなるのですが。
続いては、3代目マークIIです。
こちらは1976年12月のモデルチェンジから遅れること、4ヶ月の1977年4月にセダンのみ1800が追加となっています。
マークIIは、未対策時代こそ1800が存在しましたが、50年規制以降、廃止となりましたので、コロナとはまた違った形での復活となります。
1800が中心となるコロナと違って、マークIIでは廉価版の扱いですので、カタログも4頁構成。
GLのボディカラーであるマジェスティレッドは、この種の色目には珍しいソリッドカラーながら、ちょっとした気品のある色で好評に売れました。しかしながら、後に洗車後の水拭き等の際に色落ちすることが発覚して、問題となってしまいます。
こちらの1800は、ミッションが4MTと3ATに限られるくらいで、2000とは殆ど仕様差がありませんでした。一点、搭載するMTミッションの関係でシフトレバーの位置は異なっていました。後の80系まで続く、4気筒のミッションは斜めというのは、ここに端緒があったりです。このカタログもよく見比べてみるとGLとDXで位置が異なっているように見えますが、いかがでしょうか。
マークIIの足回りは、フロント:ストラット、リヤ:5リンク(4リンク+ラテラルロッド)。コロナの足回りは、フロント:ダブルウィッシュボーン、リヤ:リーフということで、設計年次の差が表れていました。この翌年に登場する130コロナでは、マークIIの形式に一新されることとなります。
画像で判別できる通り、マークIIは80年代に向けてインパネレイアウトを一新している点も設計年次の差を感じる箇所です。
こちらも裏表紙は装備一覧表と主要諸元表となっています。
コロナと比較すると、ボディサイズこそ一回り大きいものの、設計の合理化が効いてか、重量は意外と軽いことが判ります。
コロナとは、GL同士の比較でリモコンミラーが落ちるくらいで、装備の点も大きな違いは見出せません。
この両車、以前に
こちらで触れたとおり、本体価格100~110万円くらいで、その価格差は約5万円。
このため、コロナの需要をマークIIが吸引してしまうという事象が起こることとなります。この価格差で、一クラス上の新型が買えるとなれば、それはある種当然な動きだったのかもしれません。1977年の販売台数において、コロナが順位を前年の2位から7位に落とす一方で、マークIIがランク外から一気に2位に躍進した一因は、この1800の関係にありました。実際、特にマークIIの前期型では、この1800GLや2000GLは見かける確率の高いグレードでありました。
表紙に書かれているとおり、マークII1800は間口を広げることが目的だったはずなので、このことはメーカーの想定を超える出来事だったような気もします。マークIIとコロナのどちらかが、もう片方の需要を喰ってしまうという事象は、コロナが車格を再構成したFF化されるまで続くこととなります。
この1800は、先に書いたような理由もあって、マークII系でも比較的前面に出されることとなります。同年6月にHTを追加の後、同年10月の53年規制適合の際には5MT車も追加されています。
もう少し話を広げると、1800HTと同時に発売されたチェイサーに触れないわけにはいきません。70チェイサーの回でも書いていますが、当時の扱い店であるオート店は小型車クラスを持たなかったため、スプリンターの上級移行を求めるユーザーが次のステップとしたのは、チェイサーの1800でした。こちらは、歴代を通して、4気筒系の比率が高かったですね。
つらつら書いてきたところで、最後の締め。
共に販売台数の多かったクルマですし、さらに販売比率も高いということで、当時のファミリーカーの中心がこの辺りにあったと見解は大きくは外れていないと思っています。
他社に目を向けても、日産のブルーバードやスカイライン、三菱のギャランシグマ等の量販グレードは、同じ価格帯の同じようなクラスでしたし。
これらを現在に置き換えるならば、ノア・ヴォクシーのXグレード、あるいはプリウスのSグレードあたりが相当となるでしょうか。その前提でこの40年間を思い返すと、特に後半の20年間で日本のファミリーカーの形は大きく変わったことを実感せざるを得ないのです。