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2016年01月14日

思い出のクルマをカタログで振り返る31(安全コロナ前期)

思い出のクルマをカタログで振り返る31(安全コロナ前期) 思い出のクルマ、第31回です。

今回は、T100コロナという形式名よりも「安全コロナ」という通称名の方が有名かもしれませんね。そんなコロナの前期型全般を取り上げてみます。

みん友さんのブログを拝見していて懐かしくなったのがきっかけで、ここのところ、80年代~90年代のクルマが続きましたので、たまにはこの年代もよかろうと思ったのが後押しとなりました。ここまで遡ると馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんが、興味を持つきっかけとなれれば幸いです。


個人的に、自分が最初に乗った170前期を差し置いて、歴代で一番好きですし、同時期の小型車という括りでもそれは同様。その他括りを変えても地位は揺るがずのはずといううぐらい好きなのです(笑)

このシリーズの第1回で2000GTを取り上げているものの、解説は軽くなっていますので、もう少し深い視点で書いてみようと思います。


さて、そんなコロナは、1973年(昭和48年)8月に登場。
それまで商売にならないとされていた安全性に対する積極的な取り組みや曲線主体だったライバル車たちとは一線を画す、直線主体のボクシーなデザインが大いに受けて、1973年12月から1976年10月までの35か月間、小型乗用車部門(1400cc~2000cc)のベストセラーカーの地位にありました。アローラインコロナがV33、910ブルーバードでもV27だったと書けば、その強さがご理解いただけるかと思います。

登場直後に起こったオイルショックは、世の中の雰囲気が華美なものから質実剛健を是とするものに一変することとなりました。そこにこの実直なスタイルが上手くはまった感がありますね。

もっともオイルショックは、このコロナにも影響を与えていて、リボンタイヤの廃止や設定カラーの縮小が、この前期の期間中にあまり表に出ない形で行われていたりします。今回取り上げるのは、1975年3月のカタログとなりますが、1974年10月のカタログと比べると、ボディカラーの一部差替えに加えて、リヤフェンダーやフロントグリルからのグレードエンブレムの撤去等、微妙に差異が見受けられます。さらに、ボディカラーのみの差替えでインテリアの画像は変更せずのものが多数のため、内外装色は実際の設定と一致しているものの方が少ないくらいの状況となっていたりもします。

さらに、この後強化される排ガス規制では、各エンジンが五月雨式に適合、しかもカタログも都度変更となっていますから、前期のカタログといっても、実に多くの種類が存在するのです。

・・・またまた話が長くなる予感ですが、よろしくお付き合いくださいませ。




1800GL(5F):946,000円(1975年発行の自動車ガイドブックより抜粋。以下同)

1800GLは、1600共々、マークIIに続いて設定された新グレードでした。
特にこの1800GLは、OKモニターとリモコンミラーという、このコロナの売りとなる装備を標準にした唯一のグレードで、メーカーの一押しでもありました。実際に最多量販グレードでしたね。


ボディサイズは、全長4,210mm × 全幅1,610mm × 全高1,390mmとなります。前代との比較では、15mm長く、40mm広く、10mm低くなりました。

それ以上に下半身が安定して見えるようになった感が強いですね。
先代比で、ホイールベース70mm、フロントトレッド45mm、リヤトレッド40mmの拡大が行われていますが、あとはガラスの傾斜を強めたことと台形を基調にしたデザインの効でしょうか。

奇を衒った部分が殆どないデザインはバランスも良好で、小型セダンのお手本だと今でも思います。好きだからこそ、あえて個人的好みを書いてみると、170コロナと共に前期が「イイね!」だと思います。


1800GLは初期のカタログからリバイブグリーンHMのボディカラーとグレーの内装で掲載されていました。長らくこのコーディネーションと認識してきまして、実際はリバイブグリーンだとブラウンの内装となると知ったのは最近です。よく見ると内装画像の外装色はサンドベイジHMのよう。このアンマッチ、後半に出てくる衝撃吸収バンパー付のものを掲載する予定が、直前になって外装色共々標準バンパー付に差替えとなったのではないかと推測しています。




手前から、2000GT、2000SL、1800SL。
セダン系のスポーティグレードとなります。

1800SLはツインキャブ、2000SLはEFI、2000GTはソレックスキャブのDOHCと各々のエンジンに特徴がありました。GTはかなり高価なグレードでしたが、SLは装備差もあることからGLに近い価格設定でした。初期SLは78%扁平のバイアスタイヤだったが、この時点では、165SR13という82%扁平のラジアルタイヤに仕様向上しているというのはトリビア的お話です(笑)

50年以降の排ガス規制では、GTこそDOHCソレックスで残りましたが、1800SLはシングルキャブに換装、2000SLは一時ラインナップから落ちた後、51年規制に適合したシングルキャブで復活することとなります。

先代では2000はハードトップのみ設定されていましたが、この代からはセダンでも選択可能となりました。





1600GL(5F):878,000円
1600DX(4F):816,000円

左から1800DX、1600DX、1600GL。奥は1600となります。
コロナ本流の(?)ファミリーグレードです。
この少し前に、セダンのDXとGL系でも5速マニュアルがEDモニターとセットで選択可能となりました。

EDモニターは、カタログにある通り、Economy Driveを意とする負圧計で、この後しばらくの間、トヨタのファミリーグレードを中心に設定が広がりました。この時点では、EDモニター付きは時計がオミットされますが、50年規制以降はセンターコンソールに時計が設置されるようになります。

ベテラン層にも需要の多かったクルマらしく、GL以下では3速コラムも選択可能。DX以下は営業車需要も見据えたベンチシートとの組み合わせですが、GLではセパレートシートとの組み合わせだったようです。さすがに、セパコラは少なかったらしく、50年規制の時点でGLはフロアシフトのみとなります。

この時点では、その他にクリーンエンジンを搭載した2000DXも追加されていますが、カタログは分けられています。1800DXのインテリア画像は、EDモニターの画像を見せるためか、2000DXの画像が流用されていますね。





ここからはハードトップの紹介です。
スポーティを意とするボディらしく、大きく取り上げられているのは2000SLとなります。

セダンのノッチバックに対して、ハードトップはセミノッチバックとなりますが、フロントマスク・リヤテール等のディテール部含めて、個人的にはセダンの方が明快だと思います。
ただ、この時期のハードトップとしては、無駄に思える部分や視界等の機能において犠牲になった部分は少ないですから、これはこれで悪くないスタイルなのでしょう。

リヤシートの背もたれを倒せば荷物置き場となる機能は、日本初のハードトップだった3代目から続くコロナハードトップの伝統的装備でした。ただし、ガソリンタンクの位置をリヤシート後方に変更したため、先代にあったトランクスルー機能はオミットされています。

ECTの祖先にあたるEATは、この時点では、1800GL(セダン・HT)と2000SL(HTのみ)の3グレードから選択可能でした。先代の設定を踏襲(ただし1800GLではなく1700DX)した形ですが、2000SLのセダンで選択できなかったのは、やや不可解ではあります。





2000GT:1,315,000円
1800SL(5F):995,000円

左が1800SL、奥が2000SR、右が2000GTとなります。

1800SLは以前のカタログではイエローでの掲載でした。色統合に伴い、シルバーに変更されています。内装色はイエローの時のままで、シルバーでは内装色グレーとなります。

2000SRは、先代の途中から加わった、コロナとしては異色のスポーティグレードでした。50年規制の時点で、ラインナップからは落とされてしまいますので、結果的に短命に終わったグレードですね。

2000GTは、豪華装備だけでなく専用装備も多くて、ちょっと特別な存在だったことが、カタログからも読み取れますね。初期GTはプレミアムガソリン仕様も選択可能(ただし原則はレギュラー仕様)でしたが、この時点ではレギュラー仕様のみとされています。





1800GL(4F):961,000円
1600DX(4F):851,000円

左から1800DX、1800GL、奥が1600DXで、右が1600GLです。
ハードトップの大人しいグレード達ですね。

ハードトップは、セダンに追加された5速マニュアルの追加が見送られています。

ここではリモコンミラーに注目してみます。
運転席にいたまま角度調整ができるこの装備は、今でこそ普及率の高い装備ですが、当時は「ミラーの角度調整ぐらい横着するな」と言われかねない贅沢装備の類でした。安全にもつながる装備であると認識されるのは、だいぶ後になりますから、装備の評価は即断できない事例の一つですね。ちなみに、まだ電動式ではなく、ワイヤーでコントロールする方式でした。
余談ですが、このミラーのデザインは当時カッコいいなぁと思っていたら、他車にもこのデザインが広がりましたね。





歴代コロナで唯一設定のあった2ドアセダン。
奥が2000SR、手前が1800SRです。

輸出に需要を見込んだのかなと推測するところですが、国内に限って言えば、かなり需要が限られるグレード設定だったと言えます。

ただ、このカタログでは2ドアセダンのみ画像が再構成されていまして、メーカーの力の入り具合の謎が深まるばかりです。

50年規制以降は、SRはハードトップ同様、ラインナップから落とされることになります。短期間の設定ということもあって、当時でも希少種の類ですね。





1600DX(4F):796,000円

2ドアセダンのファミリーグレードです。
ミッションを数多くそろえた4ドアに対して、2ドアは4速フロアマニュアルのみとなります。さらに4ドアセダンの20,000円安という設定では、需要が4ドアに集まったのも仕方ありませんね。





このコロナというと、衝撃吸収バンパーを連想される方が多いかもしれません。多少の接触ならバンパーを損傷しないということで、その風貌と共に一世を風靡する装備となりました。ただ、その構造上、重量が嵩むのが難点でした。

この後には標準装備が当たり前となるサイドプロテクションモールも選択可能。モール自体は他車が先行しましたが、ドア中央部に装着したのが目新しくありました。

その他にも、リヤコンビランプはレンズの下側を凹ませることで汚れを少なくするとか、この後トヨタ全車が採用する集中一体式スイッチの一早い採用等、意欲的な取り組みが各所に見受けられました。

一点、助手席前のインパネは安全性を考慮してか、厚く高い形状でしたが、圧迫感に繋がると評価されたらしく、マイナーチェンジで一体成型から分割成型に変更される際に形状変更されることとなります。





左ページはOKモニターの紹介です。
衝撃吸収バンパーと並んで、コロナを象徴する装備でしたね。
今ではあって当然の警告灯も、各所に診断機能を持たせて、天井に表示させるとなると、当時では十分インパクトのある装備だったのです。これもリモコンミラー同様、「診断機能はかえって壊れる要素になる」とか「メンテナンスをさぼる」とか言われる装備でした。その後の評価は、解説不要ですね。さすがに、この表示は見難いと判断されたのか、後期では複数項目を表示可能にして小型化し、インパネに内蔵されることになります。
これは余談ですが、この後センセーショナルにデビューしたナショナルのコックピットは、ここからインスピレーションを得たと思っています(笑)

オーディオは、グレードによって、AM/FMとテープデッキの組み合わせが変えられていました。8トラックからカセットに切り替わる過渡期ですね。1800GLと1800SLはAM/FMラジオのみ標準で、2000SLはAMラジオと8トラックデッキの一体専用機が標準。今視点では不思議な設定の仕方ですが、当時流の解釈があったのでしょう。

空調スイッチは、温度調節レバーを引っ張るとファンスピードを変えられるようにしたのが珍しく感じます。おかげで2本レバーに機能集約が出来たのですが、使い辛いという評価だったらしく、後期では他車同様にファンスピードスイッチは別途設けられることとなります。エアコンのアイドルアップはまだ自動ではなくて、エアコン装着時には、TOWNスイッチ(引っ張るとアイドリングが上がる)が追加されていました。





メカニズムの紹介です。

数あるエンジンの内、前代から引き継いだのは、18R-Eのみ。その他は他車からの流用も含めて、この代から採用されたものとなります。
やはり48年規制までのエンジンがよくて、間違いだらけのクルマ選びの正篇では、50年&51年規制のエンジンに対して「基本的には良くできていてもエンジンの悪さは致命的」と切り捨てられています。もっとも同時期の規制適合車は、他車も褒められる出来栄えとは言えなかったりですが。

足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リヤはリーフスプリング式でした。上下のマークII、カリーナ&セリカは、既にリヤサスペンションにリジッドながらもコイルスプリングを採用していましたが、コロナは先代以前からの方式を継承しています。これは輸出や決して少なくはない営業用途への考慮だったのかもしれませんね。スポーティ系は、リーフ式ながらもスタビライザーにアッパーアームの役目を持たせ、リーフスプリングがロアアームを担う4リンク式としたのが、目新しくありました。

ブレーキは、まだ4輪ディスクの設定はなく、1600DX以下ではフロントドラムブレーキというのが時代ですね。







主要装備一覧と主要諸元表です。
ここに入り込むと長くなるので、検証はお任せします(笑)



以上、いかがだったでしょうか。
80年代以降のクルマたちを基準にして眺めると、シンプルかつクラシカルに映るかもしれませんね。まぁ、70年代中盤のファミリーカーの標準がこの辺りにあったとは、間違いなく言えます。


2016/1/15 販売台数の引用元を追記


何回かベストセラーと書きましたので、自販連出版の自動車統計データブックから販売台数を掲載してみます。
当初の販売目標台数、月間18,000台に対する結果は・・・

 ・1973年:139,998台 (総合5位、小型車部門3位)
 ・1974年:157,768台 (総合3位、小型車部門1位)
 ・1975年:213,193台 (総合3位、小型車部門1位)
 ・1976年:185,513台 (総合2位、小型車部門1位)
 ・1977年:116,229台 (総合7位、小型車部門5位)

1977年の順位が急落したことについては、マイナーチェンジの失敗を要因とする意見もありますが、同じ販売系列のマークIIがフルモデルチェンジをして急激に販売台数を伸ばした(151,274台で総合2位)影響の方が大きいと思っています。マークIIの1800GLや2000GLというのは、コロナに近い価格で、販売比率も低くはありませんでしたし。


それでは最後に思い出話です。
当時の量販車らしく各所で見かけるクルマでしたが、最も身近なところだと、叔父が3年落ちの中古で購入したのが、ハードトップ1800GLの色もこのカタログのままでした(ただし4速マニュアル)。サバンナGSIIからの代替でしたので、走りはだいぶ大人しくなったのでしょうが、経済性や快適性を重視した選択は当人的には十分満足だったようです。

ただ、このコロナ、電解腐食が原因らしいフロントウィンドーのモール部からの錆の発生が早期に見受けられました。購入時点で既にピラー部から錆が発生していたため、補修後の納車となったのですが、7年落ちの時点で腐食を原因とする雨漏りが発生して寿命と判断されることになります。これは、別に叔父のクルマの程度が悪かったのではなく、他のコロナ、あるいは接着式フロントウィンドーを初期に採用した他車でも見られる事例ではあったようです。


中古車視点として見ると、70年代は数多くの在庫を抱えながらも着実に動く人気車の一つでしたが、80年代に入ると130コロナの人気急落もあって在庫余剰感が強くなり、比較的早い時期から解体送りにされた感があります。先に書いた錆の問題や、初期の排ガス規制車の淘汰という観点もあったのでしょう。

父が10マークIIから40マークIIに代替したのが1982年初頭ですが、この時点でのコロナの中古車は、後期こそ格安車としての展示はあっても、前期の展示は皆無でした。おそらく下取りで入庫したとしても、ほぼ例外なく解体送りにされていたと推測できます。親子2代でお世話になった営業のK氏は、当時、下取りで入ったこのコロナセダンの50年規制車に乗っていましたが、つなぎの足車という認識でしたっけ。


「太陽にほえろ!」や「Gメン75」等の刑事ドラマでは、このコロナが壊され役を担うことが数多くあったのも、そんな市場状況を物語るものと言えそうです。

自分的には、大いに好きなクルマでしたので、心中複雑でブラウン管を眺めていたものです。今、当時の番組を見返したりすると、勿体ないよりも懐かしいが先に来るのは、30年以上の時間の経過がもたらすものなのでしょうね。
ブログ一覧 | カタログ話(思い出のクルマ編) | クルマ
Posted at 2016/01/14 06:30:18

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この記事へのコメント

2016年1月14日 9:21
先日は頓珍漢な場所にコメントで失礼しました。

電動リモコンミラーの件ですが、メルセデスも「近いミラーは自分で調整しろ」と言わんばかりに片方のみ
電動だったのを思い出しました。またボルボ240は最後まで電動はオプションでした。

この手の今や当たり前の装備が、当時はギミック扱いされていたことに時代を感じます。
コメントへの返答
2016年1月14日 19:28
こんばんは
前回のコメント、全然大丈夫です(笑)

ドアミラーなら、近い方は手動式でも事足りる気はしますね。さすがに反対側は電動式じゃないと調整し辛いですが。
そんなメルセデスも、今や電動格納はもちろん、リバース連動まで付くようになりましたから、隔世の感があります。

装備の利便性は、ユーザーが決めるものだと再認識させられます。最初は高級車のギミックでも、広く普及していくことで必需品と認識された装備も数多いですね。
2016年1月14日 9:22
電動じゃなくワイヤードリモコンですね…
コメントへの返答
2016年1月14日 19:29
この時点では初期のワイヤードですが、あまり時間を置かずで電動式となりましたね。
2016年1月14日 19:32
こんばんは。

このコロナに2ドアがあったのですか!
知りませんでした。

それにしても、2ドアの2000SR。
まるでコンペティションモデルの様相ですね。

軽量、高剛性の2ドア。
しかもLSD標準装備。
どうにも私には、ラリーのベース車にしか見えません。

惜しむらくは、なぜエンジンが18R-Gではなかったか? ですね。
きっと、2ドアHTよりもスポーツ度が高くなりますよ。
コメントへの返答
2016年1月14日 20:31
こんばんは

4ドアセダンとハードトップは、比較的多く見かけるクルマでしたが、2ドアセダンは当時でも全くと言っていいほど見かけませんでした。
特に1800SRの画像は、ボディカラー変更後のこのカタログのみのはずなので、かなり貴重だと思います。

当時のプレスリリースを見ると、軽量という利点からSRを選択したようです。18R-Gを積んでGTVとしても面白かったように思いますが、国内ラリーは2T-Gで押していました(セリカGTVも50規制までは1600のみでした)から、冷静な判断があったのかもしれません。

確かにクロームモールを意図的に抑えた2ドアセダンのボディは、ランサーGSRにも共通する雰囲気がありますね。
2016年1月14日 20:16
こんばんは。

父がこの1800GLに乗っていましたので思い出深いです。
昭和50年から58年まで乗っていましたが、晩年はリアウィンドウが腐食して雨漏りしたりボンネット前端が錆びたり、ホイールキャップが落ちたりしてましたね。
ミラーがワイヤードなのは知りませんでした。
水平基調のデザインは後年のE30 3シリーズにも通じる部分があり、4ドアセダンらしくて私も好きです。
後年トミカダンディのコロナ4ドアを手に入れたくらいです。
コメントへの返答
2016年1月14日 20:51
こんばんは

家にあった車というのは思い出として残りますよね。やはり錆に悩まされましたか。当時の日本車は他車も同じような感じだったように思います。

コロナのリモコンミラーは、ドライバー誌の増刊号で、ランサーに移植した記事が記憶に残っています(笑)

一見は平凡ながら、上品かつバランスも取れていて、いいスタイルですよね。間違いだらけの車選びにも、「BMWを連想させる」という評があったことを思い出します。
2016年1月14日 23:15
お疲れ様です。

私的にはやはり、太陽!の殿下が崖から転落する時に
すり替わったアノ車の印象が強いですね。

しかし昔の車のカタログは、
何故こんなにも惹かれ見入ってしまうのでしょうか(^^;;
コメントへの返答
2016年1月15日 20:02
こんばんは
返信が遅くなり、すみません

このコロナが好きだったものですから、「都会の潮騒」の回と並んで、予告を見たときからショックだった回です。共にセダン1800DXのシルバーでしたね。

カタログが重要な販促ツールだったこともあってか、力の入り具合が今とだいぶ違うことを感じます。CGが入り込む前の画像や図解は味がありますよね。
2016年1月15日 1:11
こんばんは。

いつも楽しく拝見してます。
昔のクルマのカタログは貴重ですし面白いですね。
このコロナ、古い車なのにパワーウインドウの設定が
あって贅沢ですね。

ところで各車の年間の販売台数のデータはいつもどちらから入手されているのですか。
自販連のHPを見ても昔の販売台数などは載っていないので。。
コメントへの返答
2016年1月15日 20:09
こんばんは
返信が遅くなり、すみません

今とは違う、当時のカタログを楽しんでいただければ幸いです。パワーウィンドーの設定自体は、パワーステアリングやカーコンポ等よりも早かったですね。贅沢品とされたためか、普及自体はパワステの方が早かったように思います。

ご質問の販売台数のデータですが、コメントされているとおり、自販連のHPには掲載がありませんので、当時の紙資料から引用しています。
なお、ご質問が気付きのきっかけとなりましたことを深く御礼申し上げます。
2016年1月15日 21:46
こんばんは。

私も歴代コロナの中ではダントツでT100コロナが好きなので、何度も何度も繰り返し読み返させていただきました!

同クラスのライバル車は豊かさのあった時代を反影したかのようなボリューム感のあるデザインで押した中、すっきりとしたデザインで登場、オイルショックの影響も後押しとなって正に一人勝ち状態になりましたね。

今のクルマに見慣れた目で改めて見てみますと全長に対してやや幅が狭く少し名ナヨッとして見えますけど、シンプルで安定したスタイルだと思います。

インパネからレバーに移されたライトスイッチやワイパースイッチなどを見ても大分近代化が進んだ印象ですし、トヨタ車らしく使い勝手をよく考えられていると思いますね。

お世話になった同級生のお父様(故人)が新車から長年これのシルバーの4ドアセダン(おそらく1800のGL)に乗ってまして、バスの整備士らしくとてもよく手入れされていたのですが、SX70 マークIIGRエクストラに代替えする直前はクリヤハゲしておりました。
ボディの耐久性や防錆は70年代のクルマらしく、まだまだ甘かったんですね。

セダンも好きなんですが、均整の取れすぎているものよりも少しアクが強くてバランスが崩れているのが好みともあって私はHTがより好きでして、ベストチョイスはハードトップ1800SLのマニュアルです (笑

80、90車もいいんですが、また70年代車を題材としたブログも楽しみにしておりますね!
コメントへの返答
2016年1月15日 23:31
こんばんは

「何度も繰り返し・・・」などというコメントをいただきますと、大変光栄であると同時に、変なこと書いていないよな?とつい見返してしまいます(笑)

オイルショックという予期せぬ追い風に乗ったクルマというと、このコロナか初代シビックが思い浮かびます。オイルショックと排ガス規制の影響で全体的に新車開発が遅延したことが、ベストセラーが続いた見方もあるようですね。

私、このスタイルには、いくらでも賛辞を送っちゃいます。シンプルでも飽きず、数の多さが気にならない。そんなスタイルだったと思います。

本文でも軽く触れましたが、このライトとワイパースイッチはコロナが最初で、初代ソアラが登場するまで、長くトヨタのスタンダードでした。保守的なイメージが強いですが、意外とそうでない部分も見受けられますね。

ドラマの影響なのか、4ドアセダンはシルバーのイメージが強いです(笑)。もっとも、イエロー以外は大方見かけた気もします。
クオリティは、当時の水準ぐらいですよね。これが一気に向上するのは80年代中頃以降でしょうか。

私はセダンGTに一票です。バンパーモールとミラー形状という些細な理由ですが、GLキャップも捨てがたいかな。何れにせよ、好きだけを語るというのは、嫌悪感を抱かずで、嗜好が垣間見えて興味深いものがありますね。

70車も時折やってみようと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2016年1月15日 22:02
こんばんは。

T130購入に当たり、エンジンがより高性能であったRT104/114も検討しましたが、全く流通していませんでした。1990年代ですので、当然といえば当然でした。T130入手後、T100のHTを販売している店に見に行きました。意外に丸くてこぢんまりしていて、T100の方は'70年代の車であると改めて感じたものです。

バリエーションが多かった初期モデルですが、SLでもATが選べたのは意外ですね。EFIエンジンは、かなり特殊と見られていたと聞いたことがあります。2000SLはさておき、ツインキャブの1800SLのスポーティーさと普通さのバランスは、ブルーバードのSSSと並んで、スポーティーセダンらしさに溢れていました。

 徳大寺氏に、アクセサリーが違うだけのバリエーションと指摘された時期のことは、初めて知りました。排出ガス規制開始後も、SL系は廃止されずに残ったのですね。ターボなしのグランツーリスモやカスタムについて、氏は何も言いませんでした。

追伸
私は、T120もT170後期型も結構好きだったりします。中でもT170後期GTは、165馬力もあってアンマッチな魅力がたまりません
コメントへの返答
2016年1月16日 0:01
こんばんは

本文で触れたとおり、82年の時点でトヨタの中古車販売店では、ほぼ扱いがありませんでしたので、90年代ともなると、全く流通していなかったというのも頷けます。その頃だと、70年代車は既に旧車の扱いですよね。

コロナは、まだまだAT比率の低い時代からATの設定は多かったですね。当時の価格表からすると、標準在庫まではいかなかったようですが。コロナのSLとかブルーバードのSSSは、ファミリーとスポーティをちょうどいいバランスで両立させたグレードでしたね。

そんなSLも、48規制以前のツインキャブからすると、50規制以降のエンジンでは、アクセサリーだけという評価も仕方ない気もします。SLは、ラグジュアリーも兼ねていましたから、それでも落とすことはできなかったのでしょうね。

追伸ですが、嗜好に属する部分の否定はできません。また、170前期に乗っていた身には、後期での改良や追加装備が羨ましく思えたというのも、もう一つの真実です。
2016年1月23日 23:37
こんばんは。

太陽にほえろで2台の安全コロナが壊されたのが納得できました(笑)。

以前130コロナで詳しく取り上げられていたので、きっとこのコロナの事もお詳しいんじゃないかと思っていましたが、やはり素晴らしい情報をお持ちだったのですね。

私はこの時代のトヨタ車のことはそれほど知識がなく、130コロナの前のコロナなので全て120だと思っていましたが、なんと100系から120系までがあるのですね。全然知りませんでした・・・(汗)。
コメントへの返答
2016年1月24日 9:22
おはようございます

お気付きだと思いますが、ダブルさんのブログに影響されています。コメントの範疇に収まらない思い入れを書いてしまおうということで。物心付いた時に新車で売っていたクルマですから、印象がどうしても強くなって、さらに同年代でも好きなクルマなんですよね。

ちなみに太陽にほえろでこのコロナが最初に壊された時には、「もう壊しちゃうの」的な印象もあったのですが(笑)

トヨタは、51年規制と53年規制の時に車両形式を再定義していますので、この年代はかなり複雑な採番となっています。これ、車種毎に法則が違うだけでなく、マイナーチェンジとも不一致だったりするという。このコロナも、前期の一部に120系が存在したりするんですよね。
2017年10月5日 21:23
再びコメントごめんなさい。
コロナ2000SR 記憶はありましたね。
多分18R-Eだったか?
しかしLSD標準とは知りませんでした。
トヨタ2000GT はともかくLSD標準は
マークⅡGSS だけと思ってましたからね。
恐らくパワースライド用と言うより
トラクション確保用で2ピニオンかと。
ま、TRD4ピニほど効きは強くはなかったですが
雨の日の駐車場でGSSに女の子乗せてフルロックターン
は受けました(^_^;)

コメントへの返答
2017年10月5日 22:01
コメントへの返答も楽しみの一つですので、お気軽にお寄せいただければ幸いです。
この時期の2000SL・SRは、18R-Bの設定がなく18R-Eのみですね。
LSDですが、ブラボーの時からSRには標準だったようです。ピニオン数は不明ですが、ご推察のとおりトラクション確保観点だと思います。まだ未舗装路の多かった峠や山岳路での使用を想定していたはずですし。
フルロックターンは、LSD付きならではの技ですね(笑)。タイヤのグリップ力が今より低かった当時の方が、気軽に楽しめたという見方が出来るのかもしれません。
2019年11月17日 12:59
はじめまして、こんにちは。

ハードトップの写真を見ていて気になったのですが、2000GTのテールランプまわりがブラックアウトされているのは、2000GTだけの専用仕様なんですか?
あと、主要諸元表の全幅のところなんですが、セダンはほとんどが1610mmですが、ハードトップは全てのグレードで1620mmになっています。なぜ、こんな現象が起きてるんでしょうか。
コメントへの返答
2019年11月17日 19:49
はじめまして
コメントをありがとうございます。

ご質問のブラックアウト、ロアバックパネルの塗色のことかと思いますが、2000GTの専用仕様となるようです。

全幅の差異については、最大幅がリヤのホイールハウス部辺りとなるようで、ボディ形状の違いがそのまま反映したようです。
ただし、諸元表の数値は実測値を端数整理していますので、実寸差は10mmもない筈です。モールの有無でセダンは10mm差、ハードトップは同じというのもおそらく端数整理の影響でしょうね。
2020年12月5日 14:46
我が家の初代マイカーです。
4ドアセダン1600GL
色はブラウンかな?
私が産まれて親父が中古車で買ってきたようです。
小学校1年生の頃まで我が家に居ました。
小学生の記憶なので曖昧ですが、当時は名古屋市に在住。
川越に住んでいる祖父母の家まで年に2回高速で長距離ドライブをしていたのが思い出です。
最後は名古屋市内で起きた洪水により水没…
クラッチが滑り、直せたのですが臭いが取れずに代替えとなりました。
コメントへの返答
2020年12月5日 21:17
ベストセラーの中の一台ですね。1600GLは売れ筋の一角でもありました。
オイルショックの関係もあって色の設定変更が多く、前期のブラウンだけでも何種類かあったりします。
名古屋から川越だと、東名で都内に入ってからの移動が大変だったでしょうね。
水没は何かと影響が甚大ですから、深追いせずで正解だったかと思います。
余談ですが、本文で書いたセールス氏の安全コロナも、最後は台風で河川が溢れ水没したと後年聞いたことを思い出します。

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「日毎に暖かくなる季節の中で http://cvw.jp/b/1984303/47641110/
何シテル?   04/07 21:25
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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2021/08/05 19:34:14

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