思い出のクルマ、第31回です。
今回は、T100コロナという形式名よりも「安全コロナ」という通称名の方が有名かもしれませんね。そんなコロナの前期型全般を取り上げてみます。
みん友さんのブログを拝見していて懐かしくなったのがきっかけで、ここのところ、80年代~90年代のクルマが続きましたので、たまにはこの年代もよかろうと思ったのが後押しとなりました。ここまで遡ると馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんが、興味を持つきっかけとなれれば幸いです。
個人的に、自分が最初に乗った170前期を差し置いて、歴代で一番好きですし、同時期の小型車という括りでもそれは同様。その他括りを変えても地位は揺るがずのはずといううぐらい好きなのです(笑)
このシリーズの第1回で2000GTを取り上げているものの、解説は軽くなっていますので、もう少し深い視点で書いてみようと思います。
さて、そんなコロナは、1973年(昭和48年)8月に登場。
それまで商売にならないとされていた安全性に対する積極的な取り組みや曲線主体だったライバル車たちとは一線を画す、直線主体のボクシーなデザインが大いに受けて、1973年12月から1976年10月までの35か月間、小型乗用車部門(1400cc~2000cc)のベストセラーカーの地位にありました。アローラインコロナがV33、910ブルーバードでもV27だったと書けば、その強さがご理解いただけるかと思います。
登場直後に起こったオイルショックは、世の中の雰囲気が華美なものから質実剛健を是とするものに一変することとなりました。そこにこの実直なスタイルが上手くはまった感がありますね。
もっともオイルショックは、このコロナにも影響を与えていて、リボンタイヤの廃止や設定カラーの縮小が、この前期の期間中にあまり表に出ない形で行われていたりします。今回取り上げるのは、1975年3月のカタログとなりますが、1974年10月のカタログと比べると、ボディカラーの一部差替えに加えて、リヤフェンダーやフロントグリルからのグレードエンブレムの撤去等、微妙に差異が見受けられます。さらに、ボディカラーのみの差替えでインテリアの画像は変更せずのものが多数のため、内外装色は実際の設定と一致しているものの方が少ないくらいの状況となっていたりもします。
さらに、この後強化される排ガス規制では、各エンジンが五月雨式に適合、しかもカタログも都度変更となっていますから、前期のカタログといっても、実に多くの種類が存在するのです。
・・・またまた話が長くなる予感ですが、よろしくお付き合いくださいませ。
1800GL(5F):946,000円(1975年発行の自動車ガイドブックより抜粋。以下同)
1800GLは、1600共々、マークIIに続いて設定された新グレードでした。
特にこの1800GLは、OKモニターとリモコンミラーという、このコロナの売りとなる装備を標準にした唯一のグレードで、メーカーの一押しでもありました。実際に最多量販グレードでしたね。
ボディサイズは、全長4,210mm × 全幅1,610mm × 全高1,390mmとなります。前代との比較では、15mm長く、40mm広く、10mm低くなりました。
それ以上に下半身が安定して見えるようになった感が強いですね。
先代比で、ホイールベース70mm、フロントトレッド45mm、リヤトレッド40mmの拡大が行われていますが、あとはガラスの傾斜を強めたことと台形を基調にしたデザインの効でしょうか。
奇を衒った部分が殆どないデザインはバランスも良好で、小型セダンのお手本だと今でも思います。好きだからこそ、あえて個人的好みを書いてみると、170コロナと共に前期が「イイね!」だと思います。
1800GLは初期のカタログからリバイブグリーンHMのボディカラーとグレーの内装で掲載されていました。長らくこのコーディネーションと認識してきまして、実際はリバイブグリーンだとブラウンの内装となると知ったのは最近です。よく見ると内装画像の外装色はサンドベイジHMのよう。このアンマッチ、後半に出てくる衝撃吸収バンパー付のものを掲載する予定が、直前になって外装色共々標準バンパー付に差替えとなったのではないかと推測しています。
手前から、2000GT、2000SL、1800SL。
セダン系のスポーティグレードとなります。
1800SLはツインキャブ、2000SLはEFI、2000GTはソレックスキャブのDOHCと各々のエンジンに特徴がありました。GTはかなり高価なグレードでしたが、SLは装備差もあることからGLに近い価格設定でした。初期SLは78%扁平のバイアスタイヤだったが、この時点では、165SR13という82%扁平のラジアルタイヤに仕様向上しているというのはトリビア的お話です(笑)
50年以降の排ガス規制では、GTこそDOHCソレックスで残りましたが、1800SLはシングルキャブに換装、2000SLは一時ラインナップから落ちた後、51年規制に適合したシングルキャブで復活することとなります。
先代では2000はハードトップのみ設定されていましたが、この代からはセダンでも選択可能となりました。
1600GL(5F):878,000円
1600DX(4F):816,000円
左から1800DX、1600DX、1600GL。奥は1600となります。
コロナ本流の(?)ファミリーグレードです。
この少し前に、セダンのDXとGL系でも5速マニュアルがEDモニターとセットで選択可能となりました。
EDモニターは、カタログにある通り、Economy Driveを意とする負圧計で、この後しばらくの間、トヨタのファミリーグレードを中心に設定が広がりました。この時点では、EDモニター付きは時計がオミットされますが、50年規制以降はセンターコンソールに時計が設置されるようになります。
ベテラン層にも需要の多かったクルマらしく、GL以下では3速コラムも選択可能。DX以下は営業車需要も見据えたベンチシートとの組み合わせですが、GLではセパレートシートとの組み合わせだったようです。さすがに、セパコラは少なかったらしく、50年規制の時点でGLはフロアシフトのみとなります。
この時点では、その他にクリーンエンジンを搭載した2000DXも追加されていますが、カタログは分けられています。1800DXのインテリア画像は、EDモニターの画像を見せるためか、2000DXの画像が流用されていますね。
ここからはハードトップの紹介です。
スポーティを意とするボディらしく、大きく取り上げられているのは2000SLとなります。
セダンのノッチバックに対して、ハードトップはセミノッチバックとなりますが、フロントマスク・リヤテール等のディテール部含めて、個人的にはセダンの方が明快だと思います。
ただ、この時期のハードトップとしては、無駄に思える部分や視界等の機能において犠牲になった部分は少ないですから、これはこれで悪くないスタイルなのでしょう。
リヤシートの背もたれを倒せば荷物置き場となる機能は、日本初のハードトップだった3代目から続くコロナハードトップの伝統的装備でした。ただし、ガソリンタンクの位置をリヤシート後方に変更したため、先代にあったトランクスルー機能はオミットされています。
ECTの祖先にあたるEATは、この時点では、1800GL(セダン・HT)と2000SL(HTのみ)の3グレードから選択可能でした。先代の設定を踏襲(ただし1800GLではなく1700DX)した形ですが、2000SLのセダンで選択できなかったのは、やや不可解ではあります。
2000GT:1,315,000円
1800SL(5F):995,000円
左が1800SL、奥が2000SR、右が2000GTとなります。
1800SLは以前のカタログではイエローでの掲載でした。色統合に伴い、シルバーに変更されています。内装色はイエローの時のままで、シルバーでは内装色グレーとなります。
2000SRは、先代の途中から加わった、コロナとしては異色のスポーティグレードでした。50年規制の時点で、ラインナップからは落とされてしまいますので、結果的に短命に終わったグレードですね。
2000GTは、豪華装備だけでなく専用装備も多くて、ちょっと特別な存在だったことが、カタログからも読み取れますね。初期GTはプレミアムガソリン仕様も選択可能(ただし原則はレギュラー仕様)でしたが、この時点ではレギュラー仕様のみとされています。
1800GL(4F):961,000円
1600DX(4F):851,000円
左から1800DX、1800GL、奥が1600DXで、右が1600GLです。
ハードトップの大人しいグレード達ですね。
ハードトップは、セダンに追加された5速マニュアルの追加が見送られています。
ここではリモコンミラーに注目してみます。
運転席にいたまま角度調整ができるこの装備は、今でこそ普及率の高い装備ですが、当時は「ミラーの角度調整ぐらい横着するな」と言われかねない贅沢装備の類でした。安全にもつながる装備であると認識されるのは、だいぶ後になりますから、装備の評価は即断できない事例の一つですね。ちなみに、まだ電動式ではなく、ワイヤーでコントロールする方式でした。
余談ですが、このミラーのデザインは当時カッコいいなぁと思っていたら、他車にもこのデザインが広がりましたね。
歴代コロナで唯一設定のあった2ドアセダン。
奥が2000SR、手前が1800SRです。
輸出に需要を見込んだのかなと推測するところですが、国内に限って言えば、かなり需要が限られるグレード設定だったと言えます。
ただ、このカタログでは2ドアセダンのみ画像が再構成されていまして、メーカーの力の入り具合の謎が深まるばかりです。
50年規制以降は、SRはハードトップ同様、ラインナップから落とされることになります。短期間の設定ということもあって、当時でも希少種の類ですね。
1600DX(4F):796,000円
2ドアセダンのファミリーグレードです。
ミッションを数多くそろえた4ドアに対して、2ドアは4速フロアマニュアルのみとなります。さらに4ドアセダンの20,000円安という設定では、需要が4ドアに集まったのも仕方ありませんね。
このコロナというと、衝撃吸収バンパーを連想される方が多いかもしれません。多少の接触ならバンパーを損傷しないということで、その風貌と共に一世を風靡する装備となりました。ただ、その構造上、重量が嵩むのが難点でした。
この後には標準装備が当たり前となるサイドプロテクションモールも選択可能。モール自体は他車が先行しましたが、ドア中央部に装着したのが目新しくありました。
その他にも、リヤコンビランプはレンズの下側を凹ませることで汚れを少なくするとか、この後トヨタ全車が採用する集中一体式スイッチの一早い採用等、意欲的な取り組みが各所に見受けられました。
一点、助手席前のインパネは安全性を考慮してか、厚く高い形状でしたが、圧迫感に繋がると評価されたらしく、マイナーチェンジで一体成型から分割成型に変更される際に形状変更されることとなります。
左ページはOKモニターの紹介です。
衝撃吸収バンパーと並んで、コロナを象徴する装備でしたね。
今ではあって当然の警告灯も、各所に診断機能を持たせて、天井に表示させるとなると、当時では十分インパクトのある装備だったのです。これもリモコンミラー同様、「診断機能はかえって壊れる要素になる」とか「メンテナンスをさぼる」とか言われる装備でした。その後の評価は、解説不要ですね。さすがに、この表示は見難いと判断されたのか、後期では複数項目を表示可能にして小型化し、インパネに内蔵されることになります。
これは余談ですが、この後センセーショナルにデビューしたナショナルのコックピットは、ここからインスピレーションを得たと思っています(笑)
オーディオは、グレードによって、AM/FMとテープデッキの組み合わせが変えられていました。8トラックからカセットに切り替わる過渡期ですね。1800GLと1800SLはAM/FMラジオのみ標準で、2000SLはAMラジオと8トラックデッキの一体専用機が標準。今視点では不思議な設定の仕方ですが、当時流の解釈があったのでしょう。
空調スイッチは、温度調節レバーを引っ張るとファンスピードを変えられるようにしたのが珍しく感じます。おかげで2本レバーに機能集約が出来たのですが、使い辛いという評価だったらしく、後期では他車同様にファンスピードスイッチは別途設けられることとなります。エアコンのアイドルアップはまだ自動ではなくて、エアコン装着時には、TOWNスイッチ(引っ張るとアイドリングが上がる)が追加されていました。
メカニズムの紹介です。
数あるエンジンの内、前代から引き継いだのは、18R-Eのみ。その他は他車からの流用も含めて、この代から採用されたものとなります。
やはり48年規制までのエンジンがよくて、
間違いだらけのクルマ選びの正篇では、50年&51年規制のエンジンに対して「基本的には良くできていてもエンジンの悪さは致命的」と切り捨てられています。もっとも同時期の規制適合車は、他車も褒められる出来栄えとは言えなかったりですが。
足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リヤはリーフスプリング式でした。上下のマークII、カリーナ&セリカは、既にリヤサスペンションにリジッドながらもコイルスプリングを採用していましたが、コロナは先代以前からの方式を継承しています。これは輸出や決して少なくはない営業用途への考慮だったのかもしれませんね。スポーティ系は、リーフ式ながらもスタビライザーにアッパーアームの役目を持たせ、リーフスプリングがロアアームを担う4リンク式としたのが、目新しくありました。
ブレーキは、まだ4輪ディスクの設定はなく、1600DX以下ではフロントドラムブレーキというのが時代ですね。
主要装備一覧と主要諸元表です。
ここに入り込むと長くなるので、検証はお任せします(笑)
以上、いかがだったでしょうか。
80年代以降のクルマたちを基準にして眺めると、シンプルかつクラシカルに映るかもしれませんね。まぁ、70年代中盤のファミリーカーの標準がこの辺りにあったとは、間違いなく言えます。
2016/1/15 販売台数の引用元を追記
何回かベストセラーと書きましたので、自販連出版の自動車統計データブックから販売台数を掲載してみます。
当初の販売目標台数、月間18,000台に対する結果は・・・
・1973年:139,998台 (総合5位、小型車部門3位)
・1974年:157,768台 (総合3位、小型車部門1位)
・1975年:213,193台 (総合3位、小型車部門1位)
・1976年:185,513台 (総合2位、小型車部門1位)
・1977年:116,229台 (総合7位、小型車部門5位)
1977年の順位が急落したことについては、マイナーチェンジの失敗を要因とする意見もありますが、同じ販売系列のマークIIがフルモデルチェンジをして急激に販売台数を伸ばした(151,274台で総合2位)影響の方が大きいと思っています。マークIIの1800GLや2000GLというのは、コロナに近い価格で、販売比率も低くはありませんでしたし。
それでは最後に思い出話です。
当時の量販車らしく各所で見かけるクルマでしたが、最も身近なところだと、叔父が3年落ちの中古で購入したのが、ハードトップ1800GLの色もこのカタログのままでした(ただし4速マニュアル)。サバンナGSIIからの代替でしたので、走りはだいぶ大人しくなったのでしょうが、経済性や快適性を重視した選択は当人的には十分満足だったようです。
ただ、このコロナ、電解腐食が原因らしいフロントウィンドーのモール部からの錆の発生が早期に見受けられました。購入時点で既にピラー部から錆が発生していたため、補修後の納車となったのですが、7年落ちの時点で腐食を原因とする雨漏りが発生して寿命と判断されることになります。これは、別に叔父のクルマの程度が悪かったのではなく、他のコロナ、あるいは接着式フロントウィンドーを初期に採用した他車でも見られる事例ではあったようです。
中古車視点として見ると、70年代は数多くの在庫を抱えながらも着実に動く人気車の一つでしたが、80年代に入ると130コロナの人気急落もあって在庫余剰感が強くなり、比較的早い時期から解体送りにされた感があります。先に書いた錆の問題や、初期の排ガス規制車の淘汰という観点もあったのでしょう。
父が10マークIIから40マークIIに代替したのが1982年初頭ですが、この時点でのコロナの中古車は、後期こそ格安車としての展示はあっても、前期の展示は皆無でした。おそらく下取りで入庫したとしても、ほぼ例外なく解体送りにされていたと推測できます。親子2代でお世話になった営業のK氏は、当時、下取りで入ったこのコロナセダンの50年規制車に乗っていましたが、つなぎの足車という認識でしたっけ。
「太陽にほえろ!」や「Gメン75」等の刑事ドラマでは、このコロナが壊され役を担うことが数多くあったのも、そんな市場状況を物語るものと言えそうです。
自分的には、大いに好きなクルマでしたので、心中複雑でブラウン管を眺めていたものです。今、当時の番組を見返したりすると、勿体ないよりも懐かしいが先に来るのは、30年以上の時間の経過がもたらすものなのでしょうね。