
お天気のいい平日
たまにはカラダを動かさないとなぁ
というわけで、ママチャリにのってサイクリング🚴
目的地は約10㎞先の「岩淵水門」
荒川を越えて向かいます
いま渡ってきた国道122号 新荒川大橋
旧岩淵水門(赤水門)です
1924年(大正13年)荒川放水路の完成とともに運用を開始した水門
現水門(青水門)が1982年(昭和57年)に竣工したのち、役目を譲って運用を終了しました
水門を渡りながら見学~
渡って反対側に渡ります
下流にある青水門
対面の島にあったオブジェ
赤水門の上流側
青水門を正面から見る
赤水門を違う角度から
そして現役の岩淵水門(青水門)へ
現役なので、いろんな記号看板が取り付けられています
青水門の先で、新河岸川と合流
反対側から上流方向を望む
左手が新河岸川です
ここからは隅田川となって、東京湾に注いでいます
青水門は、赤水門と比べると…
デカくて機能的なんですが
色気ねぇなぁ~
まぁ見るものではなくて機能するものですから、そうなるのは当然なんですが…
昔の建築物ってコンクリートより煉瓦や石積みのものが多くて、そういうのって現代ではあまり造らないじゃないですか
いいかすれ具合も相まって、とても魅力的に映るんですよね~
まぁ素人の戯言はさておき、青水門が洪水を防ぐ役目を担っており
これで下町一帯水浸しを防いだ例が直近にもありました
そんなこんなを勉強できるのがここ
「荒川知水資料館アモア」
赤水門の土手向こうにあり、入場は無料です
中の展示は水門のこと
荒川放水路のこと
いろいろ勉強になります
特に下町出身の私、荒川は身近な存在
学生や社会人なりたてのころは、毎日総武線で荒川を渡ってました
冬の晴れた日には、車窓から富士山がくっきり望める絶景スポットでした
そんな荒川ですが、生まれたときには今のかたち
しかしこの荒川放水路が開削・通水されたのは1924年(大正14年)のこと
まだ100年ちょっとしか経っていないのです
もともとの荒川は、蛇行しながら東京湾にそそぐ、今の墨田川が荒川でした
明治42年に地図には現在の荒川は、影も形もありません
昭和22年の地図には、荒川放水路がはっきり描かれています
でも江戸川区民なら、なんか変?と思いませんか?
そうです、新中川が無いのです
新中川放水路が出来たのは、荒川放水路よりずっとあと
開削・通水したのは1963年(昭和38年)のことでした
当時を撮影したフィルムです
みんカラらしく…
昭和36年の環状7号線の映像も付けておきます(^-^;
で、今の地図がこちら
下町が河川だらけですね
青水門の岩淵水門が完成したとき赤水門は役目を終えましたが、歴史ある建造物ということで保存されました
水門としての役目を終えたため、川のかたちが赤水門稼働時と変わっています
赤水門が稼働していた頃
青水門が下流にほぼ完成しています
その後青水門の上流が開削され、赤水門の片側は中州のような小島になりました
青水門が直近で全部閉まったのは、2019年10月の台風19号のとき
私の住んでるさいたま市でも、荒川が堤防越水・決壊の恐れがあったため避難指示が出ました
彩湖の横のヤクルト戸田球場も水没
彩湖が調整池であるため、大雨のときには堤防の内側は全面池のようになるのは仕方ないことですね
そして岩淵水門の水位も4mを超え、水門が閉じられました
最高水位は7.17mまで上昇
そのとき、閉じられた水門の内側の墨田川の水位は1.62mとその差は5.5m
墨田川の堤防の高さは6.9mだったので、水門が閉じられなければ越水して隅田川流域は洪水が起きていたでしょう
閉じられた水門の外側は一面池のよう
河川敷もせべて水没していました
東京の町を水害から守る岩淵水門
重要な役割があるのですね
荒川と岩淵水門について勉強した一日でした🚴
Posted at 2026/10/12 10:22:07 | |
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