どうも、皆さん正月休みはいかがお過ごしですか?
「ズボラなおじさん」は相変わらず・・・・・「冬眠」してますが。 ← 何か?
朝のニュースでは、今日の午後あたりからUターンラッシュが始まるとか・・・・。
帰省やレジャーも大変です。
皆さんつかれていると思いますので、休憩を入れながら運転しましょう。
事故の無いように安全運転をお願いします。
さて、今年は伊勢志摩サミットの年ですか? ← 何をいきなりと言われそうですが。
TVのスイッチを入れたら、天照大神、天の岩度の話を放映していたもんで・・・・・。
神様っているんでしょうねぇ~。。。。
なので、今日は初詣に出かける訳ですよ。
さて、
Trabant 601Sのはなしですけどね。
あまりにもこの車のことがわからずNetでググってみました。 ← yahooですけど。
トラバント(Trabant)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のVEBザクセンリンク(ドイツ語版)社が生産していた小型乗用車である。
「トラビ」 (Trabi) の愛称で親しまれた。
名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語。
1957年に打ち上げに成功したソ連の人工衛星「スプートニク1号」を賞賛して命名された。
ベルリンの壁崩壊直後のベルリン市内を走るトラバント601(チェックポイント・チャーリーにて、1989年11月)。
先頭も、2台目、3台目もトラバントである1958年から1991年までの長期にわたって大規模なモデルチェンジは行われないまま生産されたが、大まかには1958年 - 1964年のP50・P60と、1964年以降のP601に分けられる。
1990年のベルリンの壁崩壊の直後からは、最新式のフォルクスワーゲン・ゴルフやオペル・アストラなどの西ドイツ製の車と、古色蒼然としたトラバントが、同じ通りで肩を並べて走るようになり、双方のドライバーとそれらを見比べた者に強烈なカルチャーショックを与えた。
それまで移動の自由を束縛されていた東側諸国の人々が、トラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景は、東欧における共産主義体制終焉の一つの象徴的シーンともなった。
共産主義政権時代、東ドイツでは膨大なバックオーダーを抱えていたが、一般国民が他に入手できる大衆車が実質存在せず、一方で生産工場には需要に見合った適正な生産能力がないという、閉鎖性と停滞の反映に過ぎず、東ドイツの体制をも物語る歴史的なモニュメントとも言える自動車であった。走行性能・安全性・環境性能が数十年前の水準ということもあって、旧東ドイツ地域および周辺諸国においては、急激に淘汰されている。
<Wikipediaより>
へぇ~「ズボラなおじさん」が生まれる前のことなんですねぇ。

<Wikipediaより拝借>
年代を感じますが・・・・・・。
味があると言えば、これはこれで、雰囲気ありますかね。
ドイツ国内においても、排ガス規制が強化されたことで、2008年1月からはベルリンなどの市街地では、歴史文化財として特別に許可を得た車両以外は走行できなくなっている。
しかし、それ以降もドイツ人の旧車に対する視線の変化の為か、ベルリンでもこの特別許可を得て走行を続けるトラバントが増加してきているという。
2010年11月現在、トラバントの特別許可取得台数はフォルクスワーゲン・ビートルの約5万台に次ぐ約3万台。愛嬌のある外見と誰でも修理が可能な単純さが人気の秘訣だという。

<Wikipediaより拝借>
なるほど、構造的に修理がしやすかったわけですねぇ(^^)v
「ボール紙のボディの車」と言われることがあるが、これは東ドイツ末期に製造品質が下がって表面の質感がボール紙のように見えたことから西側が仕上げ品質の低さを揶揄した表現であり、実際は長いモデルライフを通じボディの基本材料は綿の繊維を使った繊維強化プラスチック (FRP) である。
ただし、製造期間末期はレーガン政権下のドル・ルーブルの為替レート操作による共産圏の財政悪化のため、製造コスト低減を図って実際にプラスチックに紙パルプを混ぜ込んでいた。
<Wikipediaより>
FRPなどの素材も使われていたんですね。
結構、調べると奥が深そうですよ。
プラモデルの方は、部品点数もたくさんありそうです。
もう少し詳しく調べてから製作に入りますね。
なので、今回はここまでにします。
さぁ、初詣にでも行ってきます。
では。
Posted at 2016/01/02 06:37:01 | |
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