どうも皆さん。
強も暑いです。
台風が近づいているからでしょうか?空の雲の動きが早いです。
我が家の壊れたクーラー取り換えました。
只今フル回転ですよ・・・・・クーラーが無いと生きていけません。
リオのオリンピックはドラマがありますね。
番狂わせって言う言葉が当てはまるようなドラマが展開されていますね。
オリンピックには魔物が潜んでいるんでしょうね。
勝利の女神が微笑んでもらいたいです。
引き続きJAPANを応援したい。
やっちゃいましたね3,000本安打。
彼らしいコメントがまたいいですね。
「僕以外の人たちが喜んでくれる瞬間が、今の僕にとっては最大の喜びです」痺れますねぇー。
「明日になってしまえば消えてしまうんですけど・・・・・」泣かせてくれますぅ。
やはり偉業を成し遂げる人のコメントには重みを感じます。
さて、
そんな話をした後に何ですけど・・・・・超凡人の思い出話ですよ(;^ω^)
「ズボラなおじさん」のMy ヒストリーですけど。
1980年代から1982年までのお話をしてきました。
ここからは、調子づいてきた81年から83年ごろまでの話になります。
81年、82年の夏ごろでしょうか?

マイナーな草レースに顔を出すようになりましたね。
自分の技量がどんなものか試したくなっている頃です。
15分プラス2週ぐらいのスプリントですね。
市販車トレールクラスです。
スタートに失敗しています。

完全に出遅れています。
第一コーナーへ突っ込む瞬間が恐怖です。
つい、アクセルが緩みますね。
根性なしです(´・ω・`)
中盤、体力と気力に物を言わせ食らいつくも入賞すらできませんでしたね。
早々に「ズボラなおじさん」はスプリントには向いていないと気付きました。
83年ぐらいになると、巷でも耐久レースなるイベントが各地区で開催されるようになりましたね。
そんなある日、福島県白河にある(あった)羽鳥サバイバルランド。
ご存知の方もいるかと思いますけど・・・・・。

この頃は、市販車クラスでしたかね?
XT-250を持ち込んで無謀なチャレンジをしていましたね。
競技にうつつを抜かすも、ツーリングも行ったりしていました。
XT-250は市販トレールにしては軽量でパワーがありましたね。
でも、やはりテクニックを磨きたい時期でもあり。
今で言う朝練ですかね?

某、多摩川の河川敷です。
この後、とんでもない集団のボズのホームグランドでもありました。
そんなことは知らない時期にモトクロスのマネをしていましたね。
しかし、時代は2stに突入していきました。
それも水冷でしたね。

HONDAのMTX-200だったと思いまいます。
パワーありましたね。

フラットダートでは早かったです。
この時期から2stにするか4stにするか悩み始めましたね。
「ズボラなおじさん」にはIT-175があたんですけど・・・・・。
レーサーまがいのエンデュローレーサーなので、そこそこメンテも必要です。
このころヤマハのお店 「平 忠彦」さんがメカニック時代にいたお店です。
そのお店でメンテをお願いしてみてもらいましたね。
パーツが中々入らなくて苦労しました。
そんなある日。

羽鳥サバイバルランドに持ち込みましたね。
この時は、市販車、公道走行可能の単車(レーサー以外)はOKだったでしょうか?

無謀にもエントリーしちゃいましたが・・・・・散々な目にあいました(≧◇≦)
世の中には上には上がいるの図です。
早いライダーにはラップされるし。
周回遅れ(;^ω^)
気が付けば周りには誰もいないの図です。
この時は3時間耐久だったでしょうか?
完走はしましたけど・・・・・悔しいと言うより情けなかったですね。
別な日のマディーなレースでは・・・・・。

泥んこ遊びですよ。

いづれも、単独走行状態です。
これは12時間耐久レースだったか?
フロントはバースト(リム打ち)でパンク。
1時間もロスしました。
コースへ復帰するも今度はリヤがパンク。
コースがオープンコースで1週5キロぐらいあるんです。
ピットに戻るのも大変でした。
実質、走れた時間は?半分ぐらいでしょうかね・・・・・・(;^ω^)
修理後、コースには出ましたけど。
もう、体力の限界でした。
終了時間まであと1時間。
一応、完走だけはしたくて、ゴール手前で待ってチェッカーをうけました(笑)
また、別のレースでも。

走行台数が多いので、スタートで絡むと大変です。
やはり気持ちが折れてます。
気が付けば単独走行・・・・・早い人に置いて行かれています。
でも、走るのが楽しかったのを覚えています。
コースを走るだけなんですけど。
完走することが楽しくなりました。
走りも駆け引きするようになったり。
ここは、攻められる、ここは、抑えるこんなことを考えて走れるようになりましたね。
早い人に食らいついて、走り方を学んだり。
結構、勉強になりました。

やはり、自分には出来ない世界だとも悟りましたね。
所詮、草レース。
遊びですから、早く走れた時や、早い人と情報交換したり楽しくもありました。

結局、レースにはレーサーが必要。
この何年後かには、モトクロッサーを手にしていました。
公道が走れないので、トランポが必要になりますね。
この頃から、例の秘密基地の社長にお世話になっていました。
トランポお借りしたりして(#^.^#)
ツーリング4、レース(耐久レース)6のペースで楽しんでいました。
この後、レースでお知り合いになった方や、ツーリング仲間との楽しい単車ライフは続くのです。
83年から87年頃までのお話です。
それはまた後程。
長々と年寄りの昔話にお付き合いありがとうございました。
では。