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2018年11月03日 イイね!

「ズボラなおじさん」旅に出る in 信州の続き

「ズボラなおじさん」旅に出る in 信州の続き
どうもどうも、皆さんこんちは。

日に日に寒くなってきますねぇ。

体調には気を付けて遊びましょうね(^^♪

「ズボラなおじさん」はどうやら咳喘息になっちまったようです。

風邪は治りましたけど・・・咳が出ると止まりません(--〆)



長くなりますけど。。。<おまけ>までお付き合いくださいね。




今日は?11月3日ですね。

文化の日ですな。

東京では、10月31日の都内でのハロウィンが盛り上がってますけど。

今年も終わっちゃいましたね。

っで。

11月3日は(イレブンスリー)なるイベントが関西方面であるそうな。

警察関係者も東に西に大変ですよね。

怪我しないようにお願いします。




こんにちは、マオペースな「ズボラなおじさん」です。





さてさて、信州の小さな旅の続きでございます。



2日目は、こんな所を訪れて見ました。

五郎兵衛用水なる地域を散策。

東北や信州はお米が美味しい地域が多くありますよね。

そのお米を作るには、田んぼが必要ですわな。

さらに、田植えには田んぼに水を引く必要がある訳でして。

そのためには用水路を整備する大事業を江戸時代初期に実行した偉大な方がいたそうな。

<以下Webより>
五郎兵衛記念館は、江戸時代初期に私財を投じて五郎兵衛用水(2018年「世界かんがい施設遺産」登録)を開削し五郎兵衛新田を開発した、市川五郎兵衛真親(さねちか)翁の開拓の偉業を顕彰し、関係資料を整理保管するとともに学術研究に寄与することを目的として、昭和48年に開館しました。

五郎兵衛新田村に関する古文書約3万点と周辺地域の古文書約3万点を収蔵し、その一部を展示しています。

また、関係の農具なども展示しています。

市川五郎兵衛真親(さねちか)は、戦国時代の元亀2年(1571)ころに、上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県南牧村)に生まれました。

市川家は羽沢村を本拠地とする土豪の家で、五郎兵衛が生まれたころは、甲斐国の武田家につかえていました。

文禄2年(1593)12月のことでした。

五郎兵衛は、この「朱印状」を根拠にして砥沢村(現:南牧村)で砥石山の経営を行うとともに、信州佐久地方へやってきて、新田開発を行いました。

佐久地方へやってきた五郎兵衛は、まず三河田新田・市村新田(ともに現:佐久市)を開発し、ついで五郎兵衛新田(現:佐久市)の開発にとりかかりました。

そのために寛永3年(1626)12月、当時この地方一帯を支配していた小諸藩から「開発許可状」をもらい、蓼科山の山中の湧水を水源とし、その水を春日村地先で取水し、そこから約20キロメートルの用水路を開削して矢嶋原(のちの五郎兵衛新田)まで引いてきました。

そして、この用水を基に五郎兵衛新田を開発しました。

用水路が完成したのは、寛永8年(1631)ころと推定されています。

<ここまで>

そんな昔に20kmもの用水路を引いたんですね。

それぞれの地域に平等に水を引く必要があったんだね。

ただ、村を束ねる旦那様の権力や出資金の違いで水の分配水量が違ったそうだ。



それがここ。

本水路の幅は、おおよそ2m。

それを。



相浜っちゅう所へは、8寸(24cm)で分配され。



上原へは、1尺5寸(45cm)の幅で分配され。



中原・下原っちゅう所へは、4尺2寸(126cm)の幅で分配され、それは現在も続いている。

この水路の恩恵で、この地域一帯は美味しいお米の産地になったんだって。

この用水路を引いた、市川五郎兵衛真親(さねちか)を讃え、「五郎兵衛米」と言う品種になったとさ。




この辺は、浅科と言うらしい。



この辺一帯は、上原地区になるようです。

郵便局は。



簡易郵便局でした。



古い石碑が村の中にポツんと密かに立っていた。



用水路をこのあたり一帯へ引くのは大変だったそうで。

土地には、もちろん高低差がある訳でして。

まんべんなく水を引くため、一部を嵩上げする必要があったようです。

村には、このような道祖神もあった。



何時の頃からここに鎮座してるんでしょうかね?

そんな、嵩上げをしたところがここだそうです。

「つきせぎ」と言うらしい。



近年に建てられたものであろう。



この用水路にも秋の気配が漂う。



五郎兵衛さんは、この時代にしては長生きをしたらしい。

何んと90歳以上の御歳で亡くなられたそうですよ。

遺言で、この用水路を引いた一帯を眺める小高い丘に埋葬してほしいと。

そんな小高い丘に眠っておりました。



立派なお墓でした。





確かに、このあたりの田んぼが一望できました。



そのお墓の近くには、立派な桜の樹があります。



この桜にも珍名がついています。

「掟破りの桜」と言うらしい。

何でも、五郎兵衛さんの使者が、お代官様の所へ用水路の許可をもらうため旅に出たそうな。

昔は通行手形なる通行許可書が必要でしたが。

それを忘れてしまい関所で足止め。

その使者が、五郎兵衛さんの使いだと申し出たところ。

役人が、「その人なら知っとる」と言うことになり、関所を通ることが出来たそうです。

無事にお代官様の許可をもらい、記念にこの桜を持ち帰ってこの場所へ植えたそうです。



立派な桜ですね。

桜の花が咲くころ来てみたいですね。



さらに、この地域の村人たちは、五郎兵衛さんの偉業を讃え。

神として崇め奉ったそうですよ。



市川五郎兵衛真親(さねちか)さんの名前にちなんで。

真親神社としたそうな。

神として祀られちゃったんですね。

凄いわぁ。。。



そのお隣には、諏訪神社が併設されていました。

長くなりましたので、今回はここまで。

次回は、この続きから、無事カエルをご紹介したいと思います。





<おまけ>

焚火台&コンロなんですけど。

まず、コンロで使う網なんですけど。



これね。



この大きさなんですけど、キャンプに持ち込むにはコンパクトさも必要。

このままだと小さくなりませんよね。

っで、「ズボラなおじさん」無い知恵絞りましたよ。

100均でこんなステンレスの網を2枚買ってきた。



これを



釣りをする方は、ご存じだと思いますけど。

「スプリットリング」を使って、この2枚をつなぐんだな。

そうすると。



2枚が繋がった状態になるね。



ほぉ~~ら、折りたためてコンパクトになる(^^♪

っで、ここにステンレスの串をさすね。



あら不思議。

焼き網の完成です。



使う時の状態。

コンロ本体は、準備中(笑)



100均で4枚買ってきた。(正確には5枚)

このままでも良いが、通気性を確保するため穴を開けるね。



穴8個×4列=32穴

穴7個×2列=14穴

なんと46穴開けますねん(^-^;

なので、もうしばらくお待ちください。



どうもどうも、今回も最後までお付き合いありがとうございました。

次回もご訪問お願いします。


















Posted at 2018/11/03 08:22:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他

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何シテル?   06/16 07:10
momo太です。1958年型です。よろしくお願いします。
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