ドイツ戦闘機のエンジンは、有名なダイムラーベンツの液冷V12のエンジンですが。
空冷14気筒のBMWもありました。

フォッケウルフ Fw190は、第二次世界大戦時のドイツ空軍の戦闘機である。この機体はメッサーシュミットBf109とともにドイツ航空戦力の主力を担った。愛称は「ヴュルガー」(百舌(鳥))。設計はクルト・タンクによる。
本機は強力な空冷エンジンを搭載し優れた飛行性能を見せたほか、機体が頑丈で発展性に余裕があり、戦闘爆撃機型や対爆撃機型、高速偵察機型など様々な派生型が生産され、さながら「軍馬」のごとくよく過酷な戦場に耐えて大戦を戦い抜いた。1944年にはエンジンを液冷のJumo213 Aに換装したFw190-D9型が登場した。
大戦末期に開発されたさらなる改良型は、設計者であるタンクの名称を取ってTa 152と命名された。
シリーズの総生産数は20,000機以上。(Wikipediaより)
愛称が「ヴェルガー」百舌鳥(もず(鳥))だそうです。

政権の大軍拡政策によって、ドイツ空軍は戦闘機の近代化を強力に推し進めた。ところが、主力戦闘機メッサーシュミット Bf109は高性能ではあったものの[1]、操縦が難しくまた主脚のスパンが短く構造も脆弱であったため、着陸事故が多かった[2][1]。また搭載エンジンであるDB 601は生産性に難があり供給数量に限界があった。(Wikipediaより)
空冷エンジンと言うこともあり、日本の陸海の戦闘機によく見る形状で、「ズボラなおじさん」は好きです。

その事故率の高さと生産性の問題に不安を感じたドイツ空軍上層部は、1938年[3][4][5]、フォッケウルフ(正確なドイツ語での発音はフォッケ・ヴルフ)社に対し、補助戦闘機の開発を依頼した。次に想定される戦争は必ずしも長期戦が想定されていたわけでもなく、当時のドイツが補助戦闘機にまでリソースを回せる国力があるとも限らなかったことから、実際に採用されるかはよくわからない状況であったとも言われるが[6]、フォッケウルフ社ではこれを受けて、クルト・タンク技師およびブラーザー主任技師を中心としたわずか12名のチームで開発を進め[7][8]、1939年6月1日に初飛行に成功した。
当時、戦闘機に使用するエンジンとして液冷エンジンが有利とされていた。液冷エンジンは前面投影面積が小さく、空気抵抗が少なくなるが[13]、Fw190は当時使用可能だった唯一の1,500馬力級空冷星形エンジンBMW 139(離昇出力1,550馬力)を使って開発された。これは液冷のDB601系エンジン(離昇出力1,075馬力)がBf109その他の機体に採用され、工場側の生産と供給の能力が手一杯であることから、別のエンジンを使用するよう空軍当局が指示したともされ[14][15][16]、また同時にJumo211系も主に爆撃機に供給されていたため選択の余地がなかった、または不本意な選択だったともされる[4][16]。しかし別の説ではエンジンの指定その他の要求はほとんど無かったともされ[17]、タンク自身は後に、その馬力の大きさと被弾への強さから敢えて空冷エンジンを選んだとしている(Wikipediaより)
スペック[編集] 性能諸元
機体記号 Fw190A-5 Fw190A-8 Fw190D-9
全長 8.95 m 10.192 m
全幅 10.510 m 10.506 m
全高 3.95 m 3.36 m
翼面積 18.30m2
全備重量 4,063 kg 4,750 kg 4,840 kg
速度 670 km/h (6,250m) 640 km/h (6,400m) 698 km/h (6,400m) / 732 km/h (6,400m、 MW50使用)
航続距離 850 km 1,035 km 810 km
1,450 km
(300リットル増槽装備時)
主武装 7.92 mm 13 mm 13mm
MG 17 機関銃 2挺 MG 131機関銃2挺 MG 131機関銃2挺
20 mm 20 mm 20 mm
MG 151/20機関砲 2門 MG 151/20機関砲4門 MG 151/20機関砲2門
20 mm
MG FF 機関砲 2門
発動機 出力(馬力)
BMW 801 D-2 Jumo213A
1,700馬力(離昇) 1,776馬力
(離昇。MW50使用時には2,240馬力)
(Wikipediaより)
このスペックは、日本陸軍の一式戦闘機の鍾馗にほぼ同じだそうですよ。
しかし、エンジンの出力や武装が大きく違いますね。
次回は、高高度に対応するため、JumoのV12を搭載したDタイプをご紹介したいと思います。
Posted at 2014/08/05 20:07:28 | |
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