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momo太のブログ一覧

2014年08月05日 イイね!

ネタ切れ#3

ドイツ戦闘機のエンジンは、有名なダイムラーベンツの液冷V12のエンジンですが。
空冷14気筒のBMWもありました。


フォッケウルフ Fw190は、第二次世界大戦時のドイツ空軍の戦闘機である。この機体はメッサーシュミットBf109とともにドイツ航空戦力の主力を担った。愛称は「ヴュルガー」(百舌(鳥))。設計はクルト・タンクによる。

本機は強力な空冷エンジンを搭載し優れた飛行性能を見せたほか、機体が頑丈で発展性に余裕があり、戦闘爆撃機型や対爆撃機型、高速偵察機型など様々な派生型が生産され、さながら「軍馬」のごとくよく過酷な戦場に耐えて大戦を戦い抜いた。1944年にはエンジンを液冷のJumo213 Aに換装したFw190-D9型が登場した。

大戦末期に開発されたさらなる改良型は、設計者であるタンクの名称を取ってTa 152と命名された。
シリーズの総生産数は20,000機以上。(Wikipediaより)

愛称が「ヴェルガー」百舌鳥(もず(鳥))だそうです。


政権の大軍拡政策によって、ドイツ空軍は戦闘機の近代化を強力に推し進めた。ところが、主力戦闘機メッサーシュミット Bf109は高性能ではあったものの[1]、操縦が難しくまた主脚のスパンが短く構造も脆弱であったため、着陸事故が多かった[2][1]。また搭載エンジンであるDB 601は生産性に難があり供給数量に限界があった。(Wikipediaより)

空冷エンジンと言うこともあり、日本の陸海の戦闘機によく見る形状で、「ズボラなおじさん」は好きです。


その事故率の高さと生産性の問題に不安を感じたドイツ空軍上層部は、1938年[3][4][5]、フォッケウルフ(正確なドイツ語での発音はフォッケ・ヴルフ)社に対し、補助戦闘機の開発を依頼した。次に想定される戦争は必ずしも長期戦が想定されていたわけでもなく、当時のドイツが補助戦闘機にまでリソースを回せる国力があるとも限らなかったことから、実際に採用されるかはよくわからない状況であったとも言われるが[6]、フォッケウルフ社ではこれを受けて、クルト・タンク技師およびブラーザー主任技師を中心としたわずか12名のチームで開発を進め[7][8]、1939年6月1日に初飛行に成功した。

当時、戦闘機に使用するエンジンとして液冷エンジンが有利とされていた。液冷エンジンは前面投影面積が小さく、空気抵抗が少なくなるが[13]、Fw190は当時使用可能だった唯一の1,500馬力級空冷星形エンジンBMW 139(離昇出力1,550馬力)を使って開発された。これは液冷のDB601系エンジン(離昇出力1,075馬力)がBf109その他の機体に採用され、工場側の生産と供給の能力が手一杯であることから、別のエンジンを使用するよう空軍当局が指示したともされ[14][15][16]、また同時にJumo211系も主に爆撃機に供給されていたため選択の余地がなかった、または不本意な選択だったともされる[4][16]。しかし別の説ではエンジンの指定その他の要求はほとんど無かったともされ[17]、タンク自身は後に、その馬力の大きさと被弾への強さから敢えて空冷エンジンを選んだとしている(Wikipediaより)

スペック[編集] 性能諸元
機体記号       Fw190A-5       Fw190A-8        Fw190D-9
全長                  8.95 m                 10.192 m
全幅                 10.510 m                 10.506 m
全高                  3.95 m                   3.36 m
翼面積                     18.30m2
全備重量        4,063 kg         4,750 kg          4,840 kg
速度     670 km/h (6,250m)  640 km/h (6,400m)   698 km/h (6,400m) / 732 km/h (6,400m、                                                 MW50使用)
航続距離        850 km         1,035 km          810 km             
                          1,450 km       
                       (300リットル増槽装備時)             

主武装      7.92 mm          13 mm             13mm  
          MG 17 機関銃 2挺     MG 131機関銃2挺     MG 131機関銃2挺
          20 mm             20 mm             20 mm
          MG 151/20機関砲 2門   MG 151/20機関砲4門   MG 151/20機関砲2門
          20 mm
          MG FF 機関砲 2門
発動機 出力(馬力)
                   BMW 801 D-2               Jumo213A
                 1,700馬力(離昇)                 1,776馬力
                                      (離昇。MW50使用時には2,240馬力)
(Wikipediaより)
このスペックは、日本陸軍の一式戦闘機の鍾馗にほぼ同じだそうですよ。
しかし、エンジンの出力や武装が大きく違いますね。

次回は、高高度に対応するため、JumoのV12を搭載したDタイプをご紹介したいと思います。


              

Posted at 2014/08/05 20:07:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2014年08月04日 イイね!

ネタ切れ#2

Me 262B-1a/U1
複座の夜間戦闘機である。
メッサーシュミット Me262 (Messerschmitt Me 262)は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍が使用したジェット戦闘機、爆撃機である。愛称は「シュヴァルベ(Schwalbe、ドイツ語でツバメの意[1] )」。世界初の実戦配備および実戦を行ったジェット機である。(Wikipediaより)

赤の12番である。
300Lの投下式(ドロップ式)タンクを2本装着している。
この機体は夜間偵察機と説明書にはあった。


ジェット戦闘機の開発は開戦前の1938年から始まっていたが、実用化されたのは終戦直前の時期となった。1939年にはハインケル社がジェット機の初飛行に成功し、本機に先んじてターボジェットエンジンの製作がBMW社及びユンカース社で始まっていた。(Wikipediaより)

流石にジェットエンジン・・・・燃費が悪そうですなぁ~。
胴体の燃料タンクでは、航続距離は845km(6,000m)とあるが・・・・・。
XR400Rの燃費は解っても、この距離が燃費がいいのか悪いのか解らん!!


ジンベイザメのようでカッコいい。
最大速度は870km(高度6,000m)、820km(高度10,000m)
正直、今の旅客機の方が速い。


しかし、当時の戦闘機にしては、最速であったのか?
小回りが利かなそうであるが、当時も敵機とのドッグファイトは禁じられていたようである。

急旋回をすると機速が著しく下がり、敵機の餌食になったと説明されている。


でも、「ズボラなおじさん」は、このMe262Aが好きである。
現在の、最新鋭のジェット戦闘機より、アナログチックで好きである。

Posted at 2014/08/04 19:53:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2014年08月03日 イイね!

ネタ切れ

ついに単車関連のネタが枯渇しました。(ー_ー)!!
ネタを探しましたが無いのです。
ですが、こんなのがありました。

今の飛行機はレシプロエンジン/ジェットエンジン(ターピンエンジン)などが主流ですが、第二次世界大戦には、このようなロケット推進戦闘機なるものが存在していた。

メッサーシュミット Me 163 「コメート」(Messerschmitt Me 163 "Komet") は、第二次世界大戦時にドイツ空軍が開発した航空機史上唯一の実用ロケット推進戦闘機。「コメート」とはドイツ語で彗星(コメット)の意。

ロケットエンジンを動力源とした航空機の開発は1920年代には各国で行われていたものの、初期のロケットエンジンは燃焼の制御が難しく、実験は常に爆発の危険が伴うものであった。1937年にドイツのヴェルナー・フォン・ブラウンがエチルアルコールと液体酸素を推進剤とした推力300kgの液体燃料ロケット A1を開発すると、これに着目したハインケル社のエルンスト・ハインケル博士により、Bf 109との制式採用争いに敗れた自社の単発単座レシプロ機 He 112 にこれを搭載した。

1937年6月には離陸から着陸まで全てをロケット動力のみで行う純粋なロケット飛行に世界に先駆けて成功し、ロケット飛行機の実用化に先鞭を付けた。(Wikipedia より)

無尾翼機である。(今では珍しくないが、当時は斬新であったであろう)
液体燃料を使用しているらしい。

機速は1,000km近く出たのでしょうか?現在のリノ・エアレースのアンリミデットの怪物エンジンを搭載した飛行機でさえ900kmは出せない。

こんなのに追いかけられたら逃げられないですね。


思うに、限られた機体の面積である。
搭載できる燃料にも限りがある、電撃的に攻撃し、燃料が尽きればグライダーだ。
連合軍からすれば、格好の餌食であったろう。

しかし、さすがドイツ、精密機械を創造する知恵はすごい。


このような技術があって、のちのジェットエンジンの開発に繋がっていくのでしょう。
また、ロケットなどのエンジンにも継承されたことでしょう。

次回は、Me262A、Bをご紹介します。




Posted at 2014/08/03 10:44:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2014年08月02日 イイね!

猛暑!!#3

近頃、暑いです。(^^ゞ
「ズボラなおじさん」には、辛くこたえます。(#^.^#)
今日も突然雷や突風、雨や雹がありそうで、一日クーラーの利いた部屋にこもる。

最初の「世田谷区教育委員会」の表示板が目に留まり・・・・・スーっと中へ引き込まれてしまった。
「まぁ、まぁ中へどうぞぉ~」って言ったかどうか?


<解説>
大聖山吉祥院
縁起によると当寺は天平十二年(七四〇)行基の開基と伝え、同人の作による地蔵菩薩立像を安置し、東覚山と称していた。本尊は不動明王坐像で、開山良弁僧正の作と伝えられている。建武二年(一三三五)、兵乱により堂宇などが焼失し、その後は世田谷吉良氏が当寺を再興するが、天正十八年(一五九〇)主君北条氏の没落と共に滅び、以降は無住となった。近世後期、周辺の村人によって伽藍などが建てられ、現在の配置となる。また、当寺は玉川霊場第六十一番札所である。(世田谷区教育委員会掲示より)

玉川霊場第六十一番札所とある。
へぇ~、六十一番目なのか。
お寺さんのようであるが、良く分からない。


なかにお墓などもあり、やはり古くからあるお寺さんのようである。

感心して読んでいたら、何やら右側の方から視線を感じて、右を見てみたら。。。。。
ふと?何かが目にはいりました。

じゃぁ~ん!!













じぇ、じぇ、じぇ、じぇ、じぇ~。
何だ?普通お寺さんであれば、如来像やお不動さんなどの像がいるのであるが。

亀だ(たぶんカメだと思う)何でだろう?
不思議である。
説明書きなどもない、帰宅後ゆっくり調べてみよう・・・・とこの時は思った。

何か泥棒のような「コソコソ」している不審人物と思われそうなので早々に外へ出た。


玉川不動尊とある。

あら!そこに注意書きが。
「檀家の方以外は、立ち入りをご遠慮ください」入場禁止的な看板がありました。

大変失礼いたしました。

後ろめたい気持ちで、吉祥院を後にした。

言うまでもないが、その後亀の正体について、調査は行っていない。

さて、いよいよブログネタが無くなった。
しばらく、休刊となります。(本当か?)




Posted at 2014/08/02 10:06:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | かみたま | 日記

プロフィール

「DATSUN フェアレディ 280Z シャーシ編 http://cvw.jp/b/2076100/48493706/
何シテル?   06/19 07:08
momo太です。1958年型です。よろしくお願いします。
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