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momo太のブログ一覧

2016年07月22日 イイね!

ショートブレイク

どうもどうも。

皆さんお元気ですか?

「ズボラなおじさん」はぼちぼちですよ。


ダウンロードしましたか?

巷では新しいゲーム・・・・・・www

「ポケモンGO」って言うんですかね・・・・・ついに日本でもダウンロードが出来るようになったとか。

(笑)・・・・・・・なんですの?

ニュースでは、先行でダウンロードできた外国での事故情報。

そんなに熱中してしまうのか・・・・・気になる。

お山でもポケモンGETできるのかなぁ・・・・・に気になる。



さて、

皆さんにはどうでもいかもしれませんが・・・・・・・。

「ズボラなおじさん」的にはですよ。

自給自足の・・・・収穫に影響があるどうでもいいショートブレイクなお話し。

昨日の(7/21)ですけど・・・・。

収穫が楽しみ的なものを発見!

これですよ。


自給自足唯一の「おみかん」っす!

今年も実を付けてくれました。

大きくなぁーれ!大きくなぁーれ!!

なんとなくですが、農家さんや酪農さんの期待が・・・・・・。

同じような気持ちかなって・・・・・・勝手に思っちゃうわけですよ。


今年は結構大量かもしれませんね。

沢山実が付いています。

しかし、何もしない放置農家の「ズボラなおじさん」なので・・・・・どうでしょうか?


実がなってますなぁー(^^♪

自宅で自給自足の体験ができるのは・・・・・いいね!

なんて自画自賛していましたが・・・・・。

なんと、他の隣人が・・・・・いやいや隣鳥か?

可愛い野鳥が遊びに来ていました。

メジロか?ウグイス?

分かりませんが遊びに来てくれています。


野鳥ですよね。

スズメさんではないなぁ。

この雨の中頑張ってますね(^^)v

なんとなく「ホコ」っとする一瞬でいたね。

シャッターを切ったとたん何処かへ飛んで行ってしまいました。

残った景色は・・・・。


雨が降り続いています。


なんとなく 「ホ~~~ト」
っとした一コマでした。











Posted at 2016/07/22 22:02:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 気まぐれ | その他
2016年07月21日 イイね!

YZR500(OW70)

どうもどうもぉー。

皆さんお元気ですか?今日はあいにくのお天気ですね。

梅雨明けがそこまで来てるのにねぇ~。

東海地方まで梅雨明け宣言しましたよ(--〆)でも関東はもう少し先か?


東京都知事選もうすぐですね。

誰に投票するか考えている方もいらっしゃるでしょうね。

「ズボラなおじさん」はもう決めています(^^♪

根っからの政治家は信じられなくなっていますので・・・・・。


さて、模型談義の始まりです( ^)o(^ )

性懲りもなく申しわっけありませんね(^^♪

今回は、こいつです。


お待たせいたしました。

YAMAHAさんの傑作マシンですよ。

ちょっと調べてみましたが・・・・・凄いマシンですね。 ← 個人的な感想です。

作り始めて、なんと緻密な設計をしているのか?YAMAHAさんの技術陣のセンスすばらしい。

デリケートな楽器やオーディオにもつながる魂を感じております。

さぁ、さぁー始まり始まりぃ~~~。


昔、1983年のこと。

この時のロードレース世界選手権500ccクラスのレースは史上に残る名勝負といわれた時代です。

全12戦行われたレースの中で、優勝者はたった2人だけ。

ケニー・ロバーツとフレディー・スペンサーによってすべてのレースの優勝が分けられたのです。


( ^)o(^ )懐かしいです。


ケニー・ロバーツ6勝、フレディー・スペンサー6勝、さらに2位の入賞回数、ロバーツ、スペンサー伴に3回、ポールポジション獲得回数ともに6回。

まさにこの2人の一騎打ちが繰り広げられていました。


(^^)vほぼ独占場ですねぇ~、マシンは?


この2人のマシンが、HONDA NS500とYAMAHA YZR500(OW70)です。

互角の性能を持った2台ですが、ワークスマシンに違いありません。

そのコンセプトはともに軽量、低重心、質量の集中化を目指したマシンです。

ケニー・ロバーツロバーツ駆るYAMAHA YZR500はトップスピードにおいて、スペンサーのNS500を一歩リードする実力がありました。

重量、ホイールベースなど、ほとんど変わらない数値を示しています。


(^^♪なるほどぉー、YAMAHAさんのマシンはパワーがありそうですね、その心臓部は?


YAMAHA YZR500のエンジンは、2サイクル水冷4気筒ですが、シリンダーは2気筒ずつ上方と下方に分けられたV型レイアウトになっています。

V型の角度は40度で、下方の2気筒はほとんど水平にねかされたところに位置しており、低重心かを実現。


エンジンブロックです。 ← クランクケースですが。


(^^)/やっとV型エンジンが登場しましたね。


また、通常のV型4気筒と大きな違いがあります、それは上方の2気筒と下方の2気筒にそれぞれクランクシャフトがあるという独特なメカニズムとなっている点です。


V型の特徴が出ていますね。

キャブレターはVバンクの間に収められ、並列2気筒と同様の幅の狭いエンジンに仕上げることに成功しています。


クランクシャフトが2本あったのか?



( `ー´)ノほー!スリムなフレームが実現できたわけだ、エンジンの詳細は?


ボア×ストロークは56mm×50.7mm。


排気量125ccってところですね。

ロータリーディスクバルブと排気口を可変式としたYAMAHA独自のパワーシステム、YPVSを装備し、実に140馬力以上を絞り出す、クラス最強のエンジンとなっています。

なに?ロータリーディスクバルブ側も可変式だったのか。

可変式の排気ディバイスがこのころからフィードバックされるんですね(^_-)-☆


(^-^;1気筒あたり124.11ccあたりですか?4気筒では496、44ccギリギリのスペック



4気筒分です。


キャブレターは今で言う「FCR」のようなフラットバルブのようです。


シリンダーを合体させました。


V型の間にキャブレターを配置しています。

若干上下のシリンダーの位置がオフセットされているようですね。

スクエア4のエンジンとは違いますね。


密集していますが、これが質量の集中化と言うのでしょうか?

メンテしにくそうですけど・・・・・エンジンユニット交換なんでしょうか?


確かに今まで製作してきたKR500やRGB500のよな武骨なイメージはありません。

とてもスリムです。


いかにも混合気がストレートに各気筒へ入る感じがします。

140馬力以上かぁ~。


流石ですねぇ~。

いい仕事していますねぇ~。



フレームにも特徴があります。


組み立てます。

アルミのセミモノコックを採用、特にステアリングヘッドとリヤスイングアームのピボット部分を結ぶメインフレーム部分は独特な形を作り出しています。

重そうに見えるフレームの重量はわずか8kg以下と軽量に仕上げられ、しかも、これまで以上の高い剛性を生み出しています。



スリムでコンパクトなエンジンと軽量セミモノコックフレームにより車体重量は、わずか118kg以下。
ライバルのNS500の116kgと大差ない仕上がりになっています。


素晴らしいですね。 ← 個人的な感想です。


その特徴あるフレームへエンジンを搭載してみました。


フレームがエンジンを包み込むようになっています。


確かにマスの集中化がされているようにです。


以降の製作は次回にしたいと思いますが・・・・・・。



リヤサスペンションには、ヤマハ伝統ともいえるモノコックサスペンションを装備。


(@_@)他社とは違ってリンク機構のない構造だったのかな。


コイルダンパーユニットはガソリンタンク下、メインフレームの中に収まるような形でレイアウトされています。

タイヤは前後18インチを採用。

レースによってはフロント17インチを使用した時もありましたが、NS500が前後ともに16インチを採用したのと好対称を見せています。


(^_-)-☆それぞれの設計思想があったのでしょう。


1983年はマルボロ・YAMAHAチームからケニー・ロバーツとエディ・ローソン、フランスのソノート・YAMAHAからは、M・フォンタンがそれぞれエントリー。

ケニー・ロバーツとHONDA NS500に乗るフレディー・スペンサーの対決は忘れられない名勝負となりました。

1983年シーズンを最後にケニー・ロバーツは世界グランプリから引退してしまいましたが、YZR500(OW70)はさらに進化を続け、1984年型が誕生。

このマシンに乗ったエディー・ローソンは見事、世界チャンピオンの座を獲得しました。


(^^♪ポテンシャルの高いマシンだったんですね。

色々調べながら組み立てると興味がわきますね。


「ズボラなおじさん」はワクワク、ドキドキするのが好きです。

この続きはまた今度にします。

一気に組みあげたくなるプラモデルキットです。



どうも長々とお付き合いありがとうございました。


ではまた。







Posted at 2016/07/21 10:14:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2016年07月18日 イイね!

My ヒストリー(#3)

おはようございます。

流石に梅雨の真っ最中、お天気がはっきりしませんね。

今日も厚い雲が空を覆ていますよ。

そう言えば、最近珍しい夕焼けを見ました。

突然の大雨になる前兆だったのでしょうか?


「ズボラなおじさん」が徘徊していた時にふと空を見上げた時のものです。

真っ赤な夕焼けではありませんでしたが。。。。。。

幻想的な夕焼けでしたね。



最近、珍しいものを手にしたんですけど。

ポテチなんですけど。。。。。

エスニックと言うか・・・・・・アジアンテーストって言うのか・・・・。

珍しかったですよ。


パクチーの味が強烈なポテチです。

見た目は普通の塩味のポテチに見えるんですけど。。。。。

味がね・・・・・。

(;^ω^)個性的です。

人には進めませんが・・・・ご興味のおありの方はいかがですか?



さて、お題のMy ヒストリーですね。

楽しい時はかなりのめり込んでしまいますね。

とにかく、この時代は楽しかったんです。 ← 今も山の中を走るのは好きです。

しかし、今と違ってダートのある林道は減りましたね。

凝縮されたデザートジャンキー1年目でした。

立て続けにツーしてましたね。


これはこの年(1980年)、秋頃でしたかね。

道志街道途中のお店(コンビニではありません)で小休止の図です。

まだ、道の駅とかはありませんでした。

「中性脂肪600」さんのXT-500のカラーリング良いセンスしてますね(^^♪

この時は・・・・・確か四連湖のバンガローで1泊したツーでしたね。


若干紅葉が始まった湖畔ですよ。

なんのことは無い湖でしたね。

観光客もいなかったかな?

まぁ、寒い冬を目前では、キャンプをする人もいないでしょうけど・・・・。



翌日は、野呂川林道?や丸山林道なる林道を走破したとメモに書いてありました。

途中、河川敷で川渡をして遊んだりしたようです。

皆さんもこんな経験ありますよね(笑)


まだ、フロントをあげることを知らないときでしたね。

フロントを上げれば水を被らなくて済むのにね(爆)

水浴びが好きな時代ですね。

恥ずかしい写真です。



この時の林道です。


野呂川林道とメモにありました。

南アルプス方面なのでしょうか?記憶が定かではありません。

今も走れるんですかね?

フラットなダートで走りやすかったですね。

しかし、タイヤはノーマルもしくは、トライアル用のタイヤのようです。

よく走れたもんです。 ← さほどスピードも出せなかったと思う


気持ちよく遊んだあとの図ですね。

適度な汚れがその証。

この時のKL-250のフロントフォークにはエアバルブが付いていたかな?

何に使うのか?どのように使うのか全く理解していませんでしたね(笑)

コンプレッションアジャスターなんかでもなかった。




お次は。

この年の走り納で富士山へ行きました。

久しぶりに高速移動です。


誰が写真撮った?この時トランポ一緒だったかな?

まったく記憶がありません。

ひたすら西を目指して走ります。

2台で走っていたのかな?


「チェッチェッチェロー」さんが企画している「お茶会」ブルックスミーティングをやる場所かな?

左手の大きな建物。

むろんこの時のビルのオーナーは違っていたと思いますけど。。。。。(保険会社?)


大井松田ICを通過し、御殿場へ向かいますね。

寒かったですね。

冬の高速は特に・・・・・グリップヒータも無かったし。

そうそうKL-250はバッテリー搭載してましたね。

セルはありませんでしたが。。。。

ヘッドライトはバッテリー点灯式でした。

思い出したのですが、当時シビエのH4(ハロゲン)へ改装していました。

今の、XR400Rの提灯ライトより明るかったです(笑)

富士山の麓の林道は当然積雪ありでした。


こんなことして遊んでいたんですねぇ。

現在は完全舗装されている林道の昔の姿です。

滝沢林道入り口の右側へ入った林道だと思います。

確か茶屋があったはずです。

懐かしい。



アイスバーンはお手上げでしたね。

コケまくりました(爆)

でも、楽しかった。


なんとなく、積雪路の走り方を覚えていったように思います。

SP-370の方・・・・・早かったですよ。

色々と勉強させていただきました。

そうそう・・・・・この時代に半クラの使い方を教わりましたね。

何とか習得できるまでには怖い思いもしましたけど。

コーナりングの出口付近で、走りながらクラッチを一瞬切って繋ぐと・・・・・。

アクセルは開けたまま・・・・・。 ← 良い子はマネしないでください。

走りの次元が変わりますよ(爆) ← あくまで自己流ですので。。。。


この後、滝沢林道へ向かったとメモに書いてありました。

不思議とこれまで、パンクの図は無かったですね。

コケましたけど・・・・・そんなにダメージ無かったのかなぁ?

今のようにデジカメもなくアナログの撮影なので、画像もとれてなかったのでしょうか?



部屋の整理するつもりが、あまりの懐かしさにアルバムをめくってしまいます。

まだまだ、懐かしい写真が出てきます。

当面、部屋の整理はできそうにありませんね。。。。。



度々、昔話でもうしわけありません。

でも、まだ写真が出てくるもんで・・・・・・・。


My ヒストリー続きます。



では。































Posted at 2016/07/18 07:59:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | デザートジャンキー | 趣味
2016年07月17日 イイね!

My ヒストリー(#2)

どうも、皆さんお元気ですか?


(#^.^#)地味な業務を遂行してまいりました。

本日は、グローバルな業務でしたね。 ← 知らんわい!

お天気は?降りそうで降らない・・・・とっても蒸し暑い日でした。


巷では、3連休でプライベートを満喫された方も多かったとおもいます。

高貴なお方の「生前退位」・・・・・「ズボラなおじさん」もしてみたい。

さりとて・・・・・・地道に人生を謳歌したいと・・・・・・も思っています(笑)


さて、

今回お題の「デザートジャンキー」・・・・My ヒストリの続きです。


デザートジャンキーに侵された「ズボラなおじさん」もかなり調子こいてきました。

走り方は自己流です。

当時は、手本になる先輩もいませんでしたね。

全て、自己流でした。

見よう見まねで、何とかジャンプもできるようになりましたね。



そんなある日のこと・・・・・・海を渡りました。

1980年(S55)ですかね。

初めての経験でしたね。

単車で海を渡った訳ではありませんよ(笑)

初めて、フェリーなるものへ乗船し海を渡りました。


一応ナンバーは修正したのですけど・・・・もう廃車なのでいらなかったか。

渡った先は・・・・・千葉の木更津でしたが。

カーフェリーってやつですね。

まだ、アクアラインはありませんでした。

初めて、海岸を走りましたね。

当時・・・・・バハカルフォルニア1000マイルレースの情報などに興味を持っていましたね。

この時は、民宿へ1泊しましたね。

海岸線の走り方は、ジモティーのカブのおじさんから教わりました。

砂浜、走れなかったのです。

でも、この時から走り方がなんとなく分かった気がします。

クタクタになるまで、砂浜で遊びました(^^)v


当日、行き当たりばったりの訪問でした。

突然の来客にも快く対応してくれました。

貸し切り状態でしたね。

しこたま海の幸を味合わせていただきました。




こんな乗船券が残されていました(笑)

なんと物持ちが良いことやら。

結構、千葉を満喫していましたね。

九十九里まで足を延ばして銚子(調子)での出来事でした。

帰りは南下し途中でこんなこともしていたようです。


やりたくなるんですよね。

フロントアップ。

この時代無我夢中でしたね。

楽しくてしょうがありませんでした。

今は?林道もないかもしれませんね。



その後と言えば・・・・・相変わらず林道を走っていましたね。

その後の図です。

今は、廃道?になっている丹沢湖から明神峠へ抜けられる林道を走りました。

クロースドになる直前の走行だったと思います。

とてもいい林道だったのに・・・・・・残念です。


今はもう走れないでしょうね。

フラットダートで走りやすかったです。

今走行出来たら・・・・・・・www

明神峠→三国峠→山中湖・・・・・途中の皆さんご存知な場所での1枚。


懐かしいですね。

ひとしきり山中湖から富士山を堪能した思い出が蘇ります。

この時は?「中性脂肪600」さんはいなかったかな・・・・・?

帰宅途中ご自宅へ寄りました。

何やら怪しい・・・・・・。


単車の整備中でした。

この後、突然単車のカラーリングが変わっていて驚きました。

この時がノーマルのカラーリングの見納めになるとは・・・・・・。



富士山へツーリングへ行きましたね。

なんと・・・・・。

あのXT-500が・・・・・・。


US YAMAHAカラーに大変身していました。

いつも、あの方には驚かせられます(笑)

やっちゃえ感性の持ち主のようですね。


五合目でのショットです。

この時は、林道を走るのが楽しくてしょうがありませんでしたね。

とにかく「デザートジャンキー」でしたよ。 ← 今もですけど(爆)

アクセルターンやブレーキターンを覚えていきました。


多分、ブレーキターンの練習だと思いますが。

ここから、パワーONにするだけの技量はまだありませんでしたね。

そう言えば、KL-250のリヤは17インチでしたね。

この後、モトクロスタイヤを探すのに苦労しました。

なんで?17インチなんだってでしょうね?

今でも不思議で、疑問です。

大分ダートの走り方が分かってきた時代です。

しかし、まだ上には上がいることを知らない時代でもありました。


かなりニーグリップもできるようになり。

フロントの遊びも抑えられているようです。

まだ、膝が甘いですけど。

楽しくて、楽しくての時代の一コマです。

あら?

まだ、喫煙者だったんですね。


ひとしき遊んで小休止の図ですか。

富士山5合目の佐藤小屋あたりの図ですかね?

これから益々、「デザートジャンキー」にハマってしまうのです。




すいませんね、昔話に花が咲いています。

(笑)長々と思い出話にお付き合いありがとうございます。

身辺整理していたら・・・・・・出はでるは昔の写真が。

懐かしくてつい。



もうしばらくお付き合いをお願いします。








Posted at 2016/07/17 19:14:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | デザートジャンキー | 趣味
2016年07月16日 イイね!

My ヒストリー

どうも皆さんお元気でしょうか?

「ズボラなおじさん」は元気にしていますよぉー。

相変わらず地味な業務は続いちゃってますけど・・・・・なかなか思い通りにはいきませんね。

明日も仕事なのですよ(--〆)



日本の遥か西の方では悲惨な事件が起きていますね。

どう考えてもおかしいと思うのは「ズボラなおじさん」だけでしょうか?

なにかが狂ってきています。

日本でも起きそうな事件だけに怖い


ここらで、気分を入れ替えようと最近、身辺を整理整頓中です。

別に大意は無いのですけど。。。。

そうしたら懐かしいものが出てきました。



「ズボラなおじさん」のバイクライフ・・・・単車にのめり込んだ時の写真が出てきました。

しばらくお付き合いください

1978年のこと。

実は「ズボラなおじさん」のバイクライフは遅咲きでしたね。

最初の単車は、ヤマハのFT-50(ミニトレの前身)中古品。

その後、すぐにSUZUKI ハスラー50(中古)に乗り換えました。

高校の同級生から譲りう受けました。

TS-50でしたか?色はメタリックブルー(実際の指定色のネーミングは忘れました)

画像は無いのですけど。。。。。色違いですが。


<Webより拝借>

このようなマシンでした。

2stでしたね。

ヘッド研磨して圧縮比を上げ、クランクケースに穴を開け。

RGBのようにサイドにエアファンネルつけてました(#^.^#)

次の単車は。

ヤマハDT-125(中古)でしたね。

これは、友人から譲り受けました。

初めてのツーは富士山の5合目でした。


写真が白黒ですけど。

富士スバルラインを使って5合目まで行きました。

帰りは滝沢林道を下るも、途中でガス欠・・・・・苦い思い出です。

ツー仲間のHONDA XLー125からガスを分けてもらい何とか麓まで降りてきました。

この時からデザートジャンキー(林病)に感染しました。

1979年(S54)の頃です。

翌年1980年には、犬越林道を始めて走りました。


丁度、丹沢湖へ向かう林道の出口だったと思います。


この時は、DT-125とXL-125。。。。

そして「中性脂肪600」さんのTX-500でしたねぇー。

ちょっと分かりずらいですが、向かって左側のマシンです。

その後、約1ケ月のちのことだと思いますが、大弛峠と言うところを初めて走破。

途中、笹子峠を使い勝沼へ入ったと思います。


無修正画像ですが・・・・まだこの林道もダートでした。

この時は、SUZUKIのSP-370も同行したと思います。

この方、キ印です。 ← 走り出すと半端ないです。


今のように登山客も少なく閑散としておりました。

125のパワーは非力で、1速と2速多用って感じで、途中でコケまくり。

慢心相違でたどり着いたことを思い出します(#^.^#)



色々なところへ行きましたね。


パッキングは今も昔もかわりません。

昭和縛り(笑)

初めてキャンプしました。

丹沢湖の上流で野営したと思います。

その後、富士山の滝沢林道へ入りました。


1速全開!厳しいコーナリング。


余裕の「中性脂肪600」さんのXT-500。

この後、パワーに物を言わせグイグイ高度を上げていきました。




やはり125では、この先辛いと思い。

バイトしてニューマシンを手に入れました。

色々、模索していたところ悪友が「これ買っちゃった」と家に来た単車が。

KawasakiのKL-250でした。

この時からkawasakiフリークになりました。

即効でkawasakiのディーラへ向かったのは言うまでもありません。


ニューマシンです。

早速、多摩川のモトクロスコースへ行きましたね。

250のパワーに圧倒されました。

エンジンもフラットだし、扱いやすかったですね。

リヤサスに時代を感じます(笑)


初めて、KL-250で林道へ入りました。

初夏の頃だったと思います。


ダブルkawasakiですね。

やはり250のトルクとパワーは楽でした。

しかし、今思うとやはり1速と2速の繋ぎが悪かったですね。

でも、この時の燃費が43km/Lで驚きました。

まぁ、慣らしでしたけど・・・・・。

驚いたわけです、DT-125が18km/Lでしたから。

流石4stだけあります。

キャブも負圧式のSUキャブだったかな。

大分、ライディングにも慣れてきました。


でも、まだまだフロントが遊んでますね。

この頃、よくコケました。

ハンドルバーやブレーキ&クラッチレバーも折りました。



この時代は、ツーへ、走り回っておりました。

今もあるのかな?大弛峠手前の乙女高原です。

この時はグリーンロッジへ宿泊。


向って左側からSP-370、KL-250、同じくKL-250、XL-250、そしてTX-500。

楽しかったですよ。

林道天国でした。

益々、デザートジャンキー(林病)になっていきましたね。

特効薬はありませんでした。


しばらくは、このKL-250を愛鉄馬として、遊びまわっておりました。

皆さんにも、このようなヒストリーがあると思います。

今はWebやeメール、SNSなどの便利ツールがありますが。。。。

情報収集なんかもアナログでした。

タイヤ一つ買うにも大変でしたよ。

ポチっと無かったですから・・・・・・(笑)

なんか、懐かしいですね。


昔話をするようになってきた「ズボラなおじさん」も年取ったのでしょうか(笑)

そう言えば、この時代から既に・・・・・・。




こんなこともしていたんです(笑)


こんな感じで、My ヒストリーをご紹介していきたいと思います。

長々と、昔話にお付き合いありがとうございます。


では。


























Posted at 2016/07/16 10:54:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | デザートジャンキー | 趣味

プロフィール

「DATSUN フェアレディ 280Z http://cvw.jp/b/2076100/48482941/
何シテル?   06/13 06:45
momo太です。1958年型です。よろしくお願いします。
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