• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

momo太のブログ一覧

2018年12月16日 イイね!

新旧入れ替え (^^♪ 

新旧入れ替え (^^♪ 
どうもどうも。

皆さんお元気してますかぁー!

今年も残り15日になっちゃいましたぁ・・・。

今年も1年早かったですねぇ~。

皆さんはどんな1年だったんですか?

「ズボラなおじさん」公私ともに色々あった年でもありました。

還暦のいい思い出でございます。



いよいよ、日本にもキャッシュレス時代が到来する兆し。

現金が必要なくなる時代が来ますね。

確かに、振り込みやお支払いは電子化されてますよね。

スマホがあればお支払い「LINE pay」や「R pay」でOK。

便利な時代になりました。(使いすぎ禁物ですけど)



卓球が厚いですね。

世界一決定戦!グランドファイナル。

目が離せませんね。

ダブルスでは「みま・ひな」ペア凄いですよ。

シングルスは残念ですけど・・・。

男子シングルも負けてはいませんよ張本選手も凄い!

ちょれぃー

ちょれぃー




こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。




やっと、我が家もLED化の時代へ。 ← 遅い!って言わないでください

ここへきて、部屋の照明器具が壊れてきました。

って、蛍光灯が切れかけてきたんですよ。

なので、思い切って室内灯をLED化に。

ひと昔前まで「福沢諭吉」さんが2人必要だったのに、最近は「樋口一葉」さんおひとりでOK。

技術の進歩でしょうか、かなりお安くなりました。

なので、量販店へ行ってきました。



パナソニック HH-CC8820NZ ¥5,980.-とか。

アイリスオーヤマLED CL8D-5.0D ¥3.980.-などなど。



パナソニック HH-CD0818A ¥6,980.-をご購入でございます。

取り付け器具は別途ご購入ですね。

今までの取り付け器具は使用できません。 ← 古民家仕様なもんで(笑)


古い器具を取り除き。



こんなアダプターを無理やりとりつけぇーの。 ← 良い子はマネしないでください

新しい器具へ交換し、付属のアダプターを取り付けて。

照明器具を「カチャ」と取り付ければ交換完了なんですね。

物凄く、「あかるぅございます」眩しいです。 ← いままでどんだけ暗かったの?



量販店の店内をウロウロしていたら。。。

スマホが目に留まりまして。

「ズボラなおじさん」の現在使用しているスマホは・・・。

NEC製のMEDIAS、モデルN-02Eかなり昔の機種です。

購入してから5年か?いやもっと前だな・・・。



諸般の事情からこの機種しか購入できませんでした。

随分長く使用したので、そろそろ変え買えかと・・・。

しかし、「ズボラなおじさん」なもんで、なかなか機種変出来ずにいました。



だが、しかし。

還暦だし、今回思い切って機種偏することにしたのよ。

キャリアは?ソフトバンク?au?docomo?色々ありますよね。

しかし、これも諸般の事情からdocomoです。

どのメーカーさんも沢山の機種をラインナップしていますね。 ← 迷っちゃう

ウロウロしていたら、docomoのジャケットを着た店員さんが・・・。

スゥーっと近寄って来て、「何か機種をお探しでしょうか?」「お困りの事でもおありですか?」っと

「機種変したい」と告げると。

キラ!★☆と目の色が変わり。

「どんな機種をお探しでしょうかぁ?」☆彡

「特に希望は無いんだけど・・・。」・・・そうですかぁ~手をスリスリ

「最新機種で無ければ、年落ちの機種ですと0円機種を取り揃えております。」

「これななど人気機種ですよ」っと勧められたのが。

docomoのSC-02K。

Galaxy S9でした。

何処製?MADE IN JAPANか?

いや!SAMSUNG・・・まぁいいか。



もう大変です。

データーの移行や様々な再設定・・・「ズボラなおじさん」の脳みそは。

メルトダウンしております。

ちゃんと使えるまで操作方法に慣れないと・・・。

師走にさらに作業が増えてしまいました。


新旧入れ替えも良いですけど・・・「ズボラなおじさん」を新旧変更しないでくださいね。



ではでは。









Posted at 2018/12/16 08:23:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他
2018年12月15日 イイね!

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 最終回

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 最終回
どうもぉ~~!

皆さんお元気ぃ~してます?

いや~、急に寒くなっちゃいましたね。

冬物支度でミノムシ状態になってます(笑)

インフルエンザも増えているそうですよ。

手洗いウガイを細目にしましょう。



大手自動車企業の騒動・・・。

会長不在で迷走状態になっちゃうのかねぇ~。

ずるがしこい奴は古今東西何処にもいるんですね。

経営手腕の表と裏・・・を垣間見た感じです。



あおり運転の初めての判決。

何事もたきつけるのは好きな方ですけど・・・。

あおりを必要以上にやるのは辞めましょう。

この判決であおり運転の抑止力になると良いと思うのですが。





こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。




さて、「ズボラなおじさん」の小さな旅も最終回です。



琵琶湖の水上消防署を後に大津駅へ戻ることにする。

中央大通りを大津駅へ向かって登る。

そうなのだ、琵琶湖から大津駅へはなだらかな上り坂になっているのである。

「ズボラなおじさん」は、息が切れる。



紅葉が応援してくれるが、トルクが出ない。

その脇をママさん電動チャリの3人乗りが追い抜いていく。

乗せていただきたい気持ちである。



やっとの思いで大津駅に到着。

JR琵琶湖線で京都駅へ向かう。



突然ではあるが・・・。

喉が渇いたのである。

このハイボール、飲料店専用の物であるが。。。

とっても美味しいのである・・・。 ← 帰宅後Netで調べたらamazonで買える

喉を潤しながら列車を待つ。

列車が来たので乗車する、京都までは2駅だ。

不思議の思う事がある。

名古屋、京都方面の列車は、BOXシート型の座席多いと。

知り合いでもないので、対面で座るのは恥ずかしい。 ← 恥ずかしいっという年齢でもないのだが



16時に京都駅に到着。

丁度、品川駅のような造りである。

在来線と新幹線のホームが連絡通路で結ばれている。

今回乗車する新幹線は、のぞみ36号16時56分発である。



なので、時間までお土産を物色する。

京都と言えば、八つ橋だが買わない。

ソース味のポテチとしば漬けを買った。



あと、京都の地ビールと。



コーラを買った。。



京都を出発したのぞみ36号の停車駅は。

名古屋 ⇒ 新横浜 ⇒ 品川 ⇒ 東京である。

指定席の12号車7列のE・・・( ゚Д゚)

Dに先客が。 ← 先客あるあるなのだ

それが、異国の方、ノートPCで何やら作業中。

何て話せばいいんだ?

ドキドキしながら「エックスキューズ」と声を発してみた・・・。

「Oh!失礼しました、どうぞ」と流暢な日本語でご対応いただきました。

無地着席。

・・・。

\(-o-)/

・・・(~_~)眠い、自然に意識が無くなる。




今回の小さな旅は、時間が余りすぎて疲れた感じである。

尻切れトンボ状態であるが、これで終了である。



どうも、最後までお付き合いありがとうございました。


次回、何があるか分かりませんが、ご訪問をお願いします。


ではでは。

















Posted at 2018/12/15 07:13:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他
2018年12月13日 イイね!

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 その3

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 その3
どうも皆さん元気に活動されてますか?

今週急に寒くなりましたね。

慌てて、冬物を出してきました。

今年は温かい日が続いたので、体が寒さに耐えられません。



今年の世相を表す漢字一文字ですけど。

「災」平成最期の漢字一文字にしては、ちと寂しい気もするが・・・。

災害が多い年だっただけに、的を得ているかな?

出来れば「幸」の方が良かったですよね。





こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。




さてさて、旅は続くのである。

朝目が覚めたのは、AM4:00であった。 ← 年よりは朝が早いのである

一連の儀式を終わらせ、今日の行動を一応考えた。

「ズボラなおじさん」なので、行き当たりばったりになるのだが・・・。

朝食付きのプランなので、AM7:30にホテルレストランへ。

ホテルでは食堂とは言わない。

どうやら和食、洋食どちらか選択でバイキングの様である。


<ホテルWebより拝借>

「ズボラなおじさん」は和食をチョイスした。

生卵は無い、玉子焼きやスクランブルエッグであった。

切り身の焼き魚、玉子焼き、野菜、漬物、のり、みそ汁、ごはん&納豆を選んだ。

お変わりは自由らしい。


<ホテルWebより拝借>

夕食には、このようなセットメニューもあるらしい。

食後、トマトジュースとHOTコーヒを頂く。




食後、マッタリしてAM9:30にチェックアウトした。

さて?どこへ行くかであるが。



駅前に取りあえず出てみた。

通勤時間帯であるが、行き交う人は少ない。

滋賀県庁所在地であるのだが・・・。

広場に案内地図があった。



取りあえず、名所や旧跡を探す。



名所や旧跡を探しながら、大津港を目指すことにした。 ← って湖の港なんですけど

駅前から、琵琶湖を望む。



すいません、画質が悪くて分かりにくいでしたね(#^.^#)




街中をブラブラしていると。

かなりお寺や神社が多いことに気が付いた。

それも宗派はバラバラである。



日蓮宗のお寺さんであるが、家並みの中に忽然と現れる。

最初に向かったのは。

大津の本陣跡である。



突いたが・・・このような縦(立)看板があるだけだった。

その隣に石碑があった。



明治天皇ゆかりの跡らしいが・・・。

なんの石碑かよくわからなかった。



隣にもう一つ石碑があった。

書かれている内容は不明だった。 ← 漢字が難しくて読めん!




幹線道路に沿って、次の旧跡へと移動する。

道路は昔の城下町なのであろうか?細かな道が規則正しく交差していた。



道端には、このようなお地蔵さんの祠が沢山あった。

町民の信仰深さを垣間見た感じである。



近代的な建物の隣には、昔ながらの造りをした家並みも見ることが出来る。

石田家、桐畑家、森本家や初田家、佐野家といった地主や武家の子孫が住んでいるのか?



遥か昔の彦根藩主の時代へタイムスリップした気分である。

更に幹線道路R161へ向かう。

途中、単車屋さんがあった。



YAMAHAさんとHONDAさんのお店?

どうやら1家で兼業しているようだ。

親父がHONDAで、息子がYAMAHAか(笑)

完全にバイヤスが掛かっているな。。。




次に向かった先は。

露国皇太子避難地を訪ねてみた。

住宅の敷地であろうか?壁に標識が張り付いていた。



明治24年(1891年)帝政ロシアの皇太子を切りつけた大津事件発端の地らしい。



このような石碑も経っていた。

歴史や出来事を感じるが、何もなければただの住宅街の中だ。

この場所を訪れる人は少ないであろう。。。




大津城跡へと向かう。

途中に、神社が現れる。



彦田神社とな。



住宅街の中にある。

手入れは行き届いているようであった。

R161へ出て驚いた。

路面に線路(軌道)があるのである。

すると。



え!どう見ても路面電車ではない。

4、5両編成か?

道路に堂々と走っているのである。



交差点も車と同様に通過していった。

絶対にぶつかりたくはないな。。。



直進優先であるが・・・ムリに先に入る勇気はない。

この場所を車を運転する勇気はないな。。。と思う。

更にびわ湖浜大津駅へ進む。

?そこでまた驚く。



電車が信号待ちしていた。

多分、電車専用の信号機があるのであろう。

車はその脇をすり抜けていた。



信号が変わり、駅のフォームへと消えて行った。

京浜地区には、見られない光景であった。




大津城跡を探す。

堀や城壁が見当たらない。

って言うか、大津城跡と言うのにその痕跡すらないのである。

ここが大津城の跡なのか?



広い芝生があった。



分からないまま後にし、大津港へ向かうことにした。



広大な琵琶湖だけが迎えてくれた。

本当にデカいなぁ~。

大津港には、遊覧船であろうか大きな船が停泊していた。



TDLの遊覧船みたいだった。

外輪船ミシガン号だ。

琵琶湖クルーズを楽しみたいところであるが、時間がない。

多分湖面へ出たら二日は帰れない。 ← そんなことは無いと思う



優雅な船だね。

左右の湖岸は確認できるが、琵琶湖大橋より先の対岸は確認できなかった。

流石にデカい。

なぎさ公園の中を歩きながら琵琶湖文化館へ向かった。



残念ながら文化館は休館中であった。

再び、なぎさ公園へ戻り、桟橋へ向かう。




桟橋から湖面を見下ろす。



水鳥が泳いでいた。

カルガモかねぇ?



オシドリも泳いでいた。

平和を感じる瞬間であった。

ゆっくり時間が過ぎて行く。




大津港の脇に消防署があった。



なんで?湖に消防署と思う。

燃えるものは湖には無いけど・・・ね。

船舶火災への備えなのか?真意はわからないのである。



消防車ならぬ消防艇が停泊していた。

消防車は、全身赤いが、消防艇は胴体だけが赤いんだね。

なかなかカッコいい。




そろそろ、時間が来たので大津駅へ戻ることにした。



どうも、「ズボラなおじさん」の備忘録にお付き合いありがとうございました。

次回が最終回になります。

引き続きご訪問をお願いします。



では、また。



















Posted at 2018/12/13 08:14:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他
2018年12月09日 イイね!

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 その2

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録 その2
どうもどうも。

皆さん何して過ごしてますの?

「ズボラなおじさん」初めて洗車しましたよ。

まぁ、性格からして水で洗っただけですけど。

最近の車は、3次元曲線や複雑なデザインで洗いにくい、吹きにくい。




こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。




さて、「ズボラなおじさん」の小さな旅の続きである。

前回は、日韓友好の跡と、大戦下の遺構を訪問した。



そんな、遺構の近くには、大きな神社があった。

訪れる人は少ない。



そんな境内の入り口には大きな樹が衣替えの最中であった。

そんな場所を後にする。




次に向かったのは、日本の産業革命を担ったであろう遺構へ。

日本では採掘される鉱物の少ない場所の鉱山跡の一にお邪魔する。



そこは、土倉(滋賀県と岐阜県の境あたり)に位置する。

江戸時代には、彦根藩領で、伊賀氏の御用炭を焼きだしていた人々が移り住んでいた。

1907年に岐阜県安八郡のある人によって発見されたと言う。

1910年には、田中工業により採掘が開始された。(土倉鉱山の始まりである)

搬出鉱石は、黄銅鉱・班銅鉱・黄鉄鉱・その他金属と銀が少量採掘されていたそうだ。

これもまた、遺構である。



当時、日本は満州事変、日中戦争と戦火が強まり、ここで採掘された鉱物が多く武器と化した。

1942年の最盛期には100トン/月の選考処理能力を持っていた。

かなりの山奥である。



最盛期には、小学校や映画館もあるちょっとした町であったようだ。

家族を含め1,500人が生活していたそうだ。

今は、もうその風景はない。



このような石碑が寂しく鎮座していた。

既に廃坑になっているが、巷ではパワースポットの一つになっているらしい。

炭坑に入る入り口である。



構内からの湧水がたまっていた。

トロッコの線路らしきものが水没していた。

ここも多くの外国人労働者が働いていたらしい。



コンクリートの土台だけが残っていた。




次に向かったのは。

江戸時代にタイムスリップする。

そこは、JR北陸本線の「高月駅」を最寄り駅として、徒歩25分の所にある。

遡ること、320年前ほどの江戸時代中期の事。

儒学者の話である。

雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)の偉業に触れることになる。



当時としては珍しく、日本語、中国語、韓国語のトリプルリンガーだったらしい。

そんな能力を買われ、朝鮮通信使として、日本との外交を担った人である。

雨森芳洲庵(今で言う交流ハウス)にお邪魔した。



生憎の雨で、紅葉の樹々を濡らしていた。

門前の石畳に、紅葉した落葉が乱舞していた。

これを風情と言うのか?



今年の紅葉を始めて奇麗だと思った週間でもあった。

通信使とは、今で言う外交官的な存在なのか? ← 通訳も兼ねる

時の将軍が手紙を朝鮮へ送る。 ← 今のように電話会談成るものはない

その答えをもって朝鮮から通信使が来日、その通訳やお供をしたそうだ。



屋敷へ入ると出迎えてくれた。 ← 朝鮮半島からの通信使か?

雨森芳洲とは?

多文化共生を目指した偉業を担った方だそうだ。

ここ滋賀県は、琵琶湖の湖北の村で、異国情緒を感じることが出来る。

雨森芳洲(1668年~1755年)当時としては長生きの88歳で生涯を終える。

残されている関係資料により、ユネスコ「世界の記憶」に登録が決定。

東アジア交流ハウスとして、これからも東アジア交流の場として期待される場所でもあった。




この年になって、過去の日本での出来事に触れることが出来た。



ここから、琵琶湖の最南端に位置する大津へと向かう。

バスに揺られること、高速を使っても1時間45分かかる。

いかに琵琶湖がデカいか分かると思う。

今夜の宿に到着。



ホテルテトラ大津・京都である。

チェックインをする。

渡されたキーを見て驚く。

部屋番号は505号室・・・今朝乗った新幹線HIKARIは505号だった。

なんとなくGOGO気分だったのである。



部屋は、シングルだ。

普通のビジネスホテルですねん。



朝食付きで¥7.300.-/泊は少々高くねぇ。

夕食までには、少々時間がある。

シャワーを浴びてスッキリ。



新横浜で買ったおにぎり弁当と、米原のアンテナショップで買った「金亀」。



日本酒を肴におにぎりを食する? あら反対か。。。



はい、今回はここまで。

「ズボラなおじさん」の小さな旅の備忘録に最後までお付き合いありがとうございました。

次回は、大津も街を徘徊しちゃいますね。

今宵の街へ消えて行くのであった。



ではまた。









Posted at 2018/12/09 08:58:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他
2018年12月08日 イイね!

「スボラなおじさん」小さな旅の備忘録 旅立ち

「スボラなおじさん」小さな旅の備忘録 旅立ち
どうもぉ~皆さんお元気してます?

「ズボラなおじさん」旅にでる。

まぁ、元気に行ってきましたよ。

そんな、小さな旅の備忘録ですねん。

師走ってことで、駆け足ですけど。。。

行ってきました。



巷では、相変わらず不祥事が起きてしまいましたね。

被害者が、加害者にもなってしまうと言う典型的な事件でしたね。

まぁ、暴力はいけませんけど、指導とパワハラの境が良く分かりません。

野球部の事件も行きすぎはイケませんね。

先輩後輩、兄弟子弟弟子、このような世界ではあるよねぇ~。





こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。




この旅は、コンな感じから始まりました。



朝方、どんよりした曇り空の下、頭上から後光がさしてきました。

マンションだけが照らされています。

西の空。

東の空は?



東京の副都心。

何やら怪しげな雲の下。

降られてるかもしれません。

品川ゲートウェイ駅、品川と田町の間に新駅ができると。。。

高輪付近の駅名がねぇ~?どう思いますか・・・。

そんな方向です。



「ズボラなおじさん」が旅に出ます。

今回の旅は、第二次世界大戦下、日本と朝鮮との関係を感じる旅でもある。

様々な時代背景で、南北に分断された人々が居たり。

旧日本の軍隊による進行で、植民地になった人々の歴史にも触れる旅である。



家を出たのは、AM6時45分、最寄り駅から出発。

向かう先は、新横浜。



新横浜から東海道新幹線に乗車します。

通常は、のぞみに乗るんですけど・・・。

今回は、「ひかり」に乗車します。



HIKARI505号はAM8:33東京駅を出発。

品川8:39着 ⇒ 新横浜8:51着である。

新横浜8:52発12号車6Eの指定席に落ち着き、新横浜を出発する。

新横浜を出たHIKARI505号は、豊橋9:56着 ⇒ 名古屋へは10:17着である。

岐阜羽島には10:27着 ⇒ 今回の目的地米原には10:44着であった。



米原駅、「ズボラなおじさん」は初めて下車した。

しかし、周りには何もない。

何故、東海道新幹線がこの駅に停車することになったのか?不思議である。



大きな時計が出迎えてくれた。

西口、東口があるようだ。

東口には、レンタサイクルショップとお土産屋がある程度だ。

大きなバスロータリーがあるが・・・利用客は少ない。

隣接する鉄道は?「近江鉄道」である。



琵琶湖の南側を走る鉄道でもある。



流石、ローカルな鉄道なのであろう。



通勤時間帯を除き、1時間に1本の運行本数である。



紅葉時期にしては、山々の紅葉は今一つな感じである。




ここから向かう先は。

徒歩15分程度の所にある「平和の光像」である。

住宅街を抜け、山の方へ向かう。

今回は、かなり見物する方が多かった。

メジャーなのかも?



この地域には朝鮮人が多く住んでいたらしい。



このような像があった。

「平和の光」像。

この地域に住んでいた朝鮮人たちが、朝鮮民主主義人民共和国へ帰国する際に、日朝友好の祈念

(記念ではない)碑として、1960年に旧米原小学校内に建てられたものとのことである。

現在は、保育園となっていて、小学校は無い。



奇麗なモミジが共に、迎えてくれた。
 
過去の国策で、日本へ連れてこられた朝鮮人との友好の証なのかもしれない。




次に向かったのは、岩脇蒸気機関車避難壕へと向う。

第二次世界大戦時、ここ琵琶湖周辺には軍事施設や重要な産業を担う工場があったようだ。

北陸本線や、東海道本線は、ここ琵琶湖周辺と関東を結ぶ重要な起点でもあったようだ。

その重要な物資を運ぶための交通手段でもある鉄道機関を、敵の攻撃や空爆撃から守るため。

作られた蒸気機関車の防空壕なのだ。



この壕は、2本掘られたが、1本は貫通、もう1本は途中で終戦を迎え未貫通である。

そんな蒸気機関車の防空壕を訪ねてみる。

戦闘機を隠す壕は、日本各地にあるが、蒸気機関車の壕は非常に珍しい。

この壕も、多くの外国人の手を借りたのであろう。

今で言う、外国人労働者の受け入れ雇用なのかもしれない。



防空壕の入り口。

そんな労働者がいた事は、多くを語るものは今はいないのである。

東海道本線に隣接した小高い丘にそれある。



近代的な設備もなく。

ツルハシやノミのみで削岩したのであろう。

とてつもなく重労働であったろう。



中に入ることが出来る。

手掘りの跡が残る洞窟である。

中は、少々カビ臭い空気が漂う。



このような、蒸気機関車を隠す穴のような大きなも穴は、まず、下側を掘り進め。

ある程度進んだところで、上側を掘るようにして進んでいくらしい。

途中には横穴がある。



今は、枯葉で埋もれかかっている。



貫通穴を抜けると、東海道線を見ることが出来る。

貨物列車や旅客電車が今は走って見える。



もう一方の、不貫通穴。



両側から掘り進めたようだ。

入り口から50mぐらいで、行き止まりである。



このような作業を手で掘るとは、大変だったであろう。

結局、この防空壕は終戦を迎え使われることは無かったそうだ。

戦争時下の偉業であったにせよ、無駄な作業だと言わざるを得ない。

戦争に、勝者も敗者もないのである。



さて、次の日本の歴史に触れる旅へと向かう。

どうも、今回も小さな旅であるが過去の歴史にもう少し出会ってみたいと思う。





今回ここまで。


では次回はこの蒸気機関車の防空壕から偉人の話に触れたいと思う。


ではでは。




























Posted at 2018/12/08 12:37:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他

プロフィール

「DATSUN フェアレディ 280Z http://cvw.jp/b/2076100/48482941/
何シテル?   06/13 06:45
momo太です。1958年型です。よろしくお願いします。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2018/12 >>

       1
234 567 8
9101112 1314 15
161718192021 22
23 24252627 2829
30 31     

愛車一覧

ホンダ XR400R ホンダ XR400R
未だに、XR400Rに乗ってます。
ホンダ XR400R ホンダ XR400R
ホンダ XR400Rに乗っています。こいつとは付き合いが長い。もうかれこれ12~3年かな ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation