
みなさぁ~ん。
お元気?お変わりございませんか。。。
「ズボラなおじさん」の体調には変化なし。
(T_T)/~~~相変わらず目がかゆいですけど・・・。
体温も36.5度を中心に安定しとります。
不要不急の外出しないよう要請が出てしまいましたね。
東京都封鎖(ロックダウン)になる前の対応でしょうけど。
東京都知事の声明が報じられましたねφ(..)メモメモ
休日も外出自粛、業務はできるだけ自宅でと言うことですね。
「ズボラなおじさん」も自宅待機することになりました。
こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。
さて、前回のブログで各務原航空宇宙博物館主催の模型コンテスト。
結果をお伝えしましたが・・・。
その顛末をこの自宅待機中にご報告したいと思います。
昨年、2019年3月第3回同模型コンテストで2連覇を達成した時の事。
例の模型屋さんで検討を讃え、祝賀ムードで盛り上がり。
「次なにする?」・・・え!
なんと、次年度のコンテストも開催予定との情報がありぃーの。
次のプロジェクトの検討会になってしました。
第4回の応募期間は、5/8~7/12ですね。
それまでに、企画書と計画スケジュールを決めなければなりません。
さぁどうする?
「全国人工衛星・探査機 模型製作コンテスト」なので・・・。
ターゲットはやはり探査機かな。
と言う事で・・・白羽の矢が立ったのが。。。
木星探査機「ガリレオ」と言う探査機の名前が出てきたのです。
第2回同模型コンテストの題材でもあった土星探査機「カッシーニ」とも縁がある探査機であり、その打ち上げ方法も話題性があることから面白いと結論付けられたからである。
この「ガリレオ」について少しご紹介しておきます。
<Wikiより>
ガリレオ (Galileo) は、1989年10月18日にアメリカ航空宇宙局 (NASA) が打ち上げた木星探査機。
1995年12月7日に木星周回軌道に到達し、2003年9月に木星大気圏へ制御落下させられるまで、木星とその衛星の観測を続けた。
名前は天文学者のガリレオ・ガリレイにちなむ。
2003年9月までその任務に就いていた探査機です。
2020年の現在とのその任務の終了期間との時間差があり、どうかと思うが。
かなり打ち上げまで様々な運命に翻弄された探査機であることが面白い。
そのエピソードとは。
<Wikiより>
オービター(軌道周回観測機)とプローブ(大気圏突入観測機)で構成されている。
オービターは800×800画素のCCDカメラや各種の計測機器を搭載し、また地球との通信用に大小2基、プローブとの通信中継用に1基のアンテナを装備していたが、主アンテナ(高利得アンテナ)は予定通りに展開せず、地球との通信には小型のアンテナが用いられた。
主アンテナより低速でしか交信できないため、探査機のプログラムを遠隔操作で書き換え、観測データを圧縮して送信させるようにするなどの対策がとられた。電源はプルトニウムを熱源とした原子力電池である。
まず、主アンテナが予定通り展開しなかったことがその1つ目のエピソード。
展開しなかった原因についても、話題性があるのだが、それは後で。。。
2つ目のエピソードであるが。
<Wikiより>
当初、1986年5月にスペースシャトルで打ち上げられ、セントールによって木星へ直行する軌道に乗る予定であったが、チャレンジャー号爆発事故によって打ち上げは延期された。
また、液体燃料を使用するセントールをスペースシャトルに搭載する計画は液体燃料が危険との判断から変更された。
液体燃料ロケットであるセントールよりも比較的安全だとされる固体ロケットの慣性上段ロケット (ISU) を用い、木星へ直接向かう代わりに一旦逆の金星に向かい、金星、地球、地球とスイングバイを行って増速する方法を用いて木星に向かった。
この方法は VEEGA (Venus Earth Earth Gravity Assist) と呼ばれる。
また金星周辺を通ることとなったため、強烈な太陽光線からの保護を目的として、全体が「日よけ」で覆われた構造となった。
1989年10月18日、アトランティス (STS-34) のペイロードベイ(貨物室)に搭載されて打ち上げられた。
一旦低軌道までスペースシャトルで上がった後、ペイロードベイから探査機を放出した。
オービタが充分に安全な距離をとって離れたあと、探査機を載せたIUSに点火、地球周回軌道を離れて最終的に木星へと至る旅に出発した。
<Wikiより>
2000年12月、土星探査機カッシーニが木星スイングバイを行う際に木星の磁気圏を共同観測する「ジョイント・ミッション」を行う。
2003年9月21日、当初の予定よりはるかに長期間のミッションを経て、木星大気圏に突入することとなった。
これは姿勢制御用燃料の尽きたガリレオが衛星のどれか、特に生物が存在する可能性があると考えられているエウロパに落下した場合、探査機に付着している地球の微生物が衛星の環境を汚染してしまう恐れがあったからである。
つまり、主アンテナが展開しなかった原因であるが。
当初打ち上げの時期がチャレンジャーの事故と搭載する燃料の危険性により。
打ち上げが大幅に遅れたことにより、主アンテナを構成している部材が経年変化(硬化)をしてしまい、上手く展開することが出来なくなったと推察されるこ。
さて、二つ目のエピソードとしては。
スペースシャトルで打ち上げるという点である。
イメージはこんな感じですね。
また、土星探査機「カッシーニ」と連携して共同作業をおこなったこともあり。
かなり話題性があると考え「チームタリホー」のプロジェクトが始まった。
リーダーや誰がどのパートを作るか?
作業分担と企画書作成の担当が話し合われた。
そうなると、模型作成のための資料集めが始まる。
実際に地上で組み立てられている作業風景である。
思うように展開しなかった主アンテナがこれ。
作業している人物との対比であるが。
それほど大きくはない探査機である。
この下の部分に液体燃料ロケットであるセントールが合体される。
しかし、危険性がけねんされたため、実際は比較的安全だとされる固体ロケットの慣性上段ロケット (ISU) が連結されたのである。
合体するとこんな感じになるのであろう。
かなり探査機「ガリレオ」の形状が複雑であることが分かってきた。
スペースシャトルから打ち上げる時の制約から。
直接木製へ向えないため。
一旦逆の金星に向かい、金星、地球、地球とスイングバイを行って増速する方法を用いて木星に向うため、かなり太陽に近い起動を通ることから。
このような保護膜で覆われていた。
主アンテナが開くとこんな感じなったんであろうね。
かくして、プロジェクトの開始である。
適宜、NASAなどの資料を参考に模型作りが始まったのである。
まさにイメージはこんな感じである。
まず。
オービター(軌道周回観測機)とプローブ(大気圏突入観測機)部分は。
チームの中で唯一、ハンダ付けの匠の技を持っているM氏が担当。
各種プローブと主アンテナの作り込みが期待される。
次に。
固体ロケットの慣性上段ロケット (ISU)部分であるが。
ビッグモデルの製作やエンジン模型に精通していて、各種コンテストでも頭角を現し、TAMIYAさんなどのメーカさんとも親交が深い人物F氏が担当。
展示台については。
こんなイメージになるのだが。。。
模型界のレジェンドとして、各クラブや模型業界でも有名な人物。
「ズボラなおじさん」の尊敬するT氏が担当することになった。
T氏はソリッドモデルや帆船模型などの木工制裁に精通しているのである。
更にバックの宇宙空間であるが。
イメージはこんな地球をバックにしたい。
印刷技術に精通していて、自動車模型を主に手掛けるN氏が担当することになった。
紙の材質だとかにも詳しい。
おまけとして。
「ガリレオ」を宇宙空間まで持ち上げた影の立役者スペースシャトルであるが。
「ズボラなおじさん」が担当させていただくことになった。
参考とした、HASEGAWAさんの1/200スケールのプラモである。
こうして、木星探査機「ガリレオ」のコンテスト模型のPJがスタートしたのである。
どうもどうも、最後まで模型談義にお付き合いありがとうございます。
次回は、模型製作の模様をパートごとにお伝えしますね。
ではでは。