前のブログの最後に、元フジテレビ女性アナウンサーが弁護士になったことをご自分で書いた本について、紹介しました。
菊間さんは、2001年に『私
がアナウンサー』という本も出版しているそうです。
『私は・・・』ではなく、『私が・・・』です。
なんと強い自我、自尊心。そして、自己顕示欲、自意識の高い人なのでしょう。
当時のフジテレビ女子アナといえは、跳ぶ鳥も落とす勢い、日本の女性職業ヒエラルキー(ピラミッド型の階層構造または上下関係)の一番トップのポジションにあったといえるでしょう。
その人が、生放送中の転落事故で腰椎などを骨折、一年かけてブラウン管に復帰したとき出版したのが、前述の本、「私が・・・」です。
その後、「未成年のアイドルを飲酒に誘い、彼のキャリアを喪失させてしまった」不祥事により、アナウンサーの座を追われ、テレビ局を退社することになります。
そして、法科大学院、予備校に通い、猛勉強の後、浪人しながらも司法試験に合格。
低い合格率の難関を突破した素晴らしいガッツ、見事な成果です。
「やればできる」と言われながらついに努力することができなかった自分のような人間にとっては、眩しすぎる存在です。
しかし、二冊目の彼女の自伝には、自ら犯したジャニーズ事務所所属の少年に対する軽率な行動に関する反省などは一切触れられず、自らの苦難の道のりや「弁護士バッジ」を獲得して有名弁護士事務所に所属し、活躍していることが綴られているそうです。
「弁護士」になりたかった動機や、どんな「弁護士」を目指すのかについても書かれておらず、ただ、「弁護士になる方法」について書かれたHOW TO本のようです。
彼女は、いったい何のために弁護士を目指したのでしょうか。
いろいろな理由があるのでしょうが、「人気有名女子アナ」というポジションから転落し、そこから這い上がり、周囲を見返し、羨ましがられ、自慢できるのは、職業としては最難関といわれる「弁護士」になることだったからではないのかと、うがった見方をしてしまいます。
では、彼女のような動機は、有名人ならではの特別なものなのでしょうか。
子供の頃から頭がイイと言われ、周囲から期待され、有名大学に入り、司法試験に合格する。
弁護士に限らず、医大にはいり、医者を目指す人。
中央官庁などの国家公務員を目指す人。
華やかな広告代理店やテレビ局などのマスコミを目指す人。
その人たちの動機は、いったい何なのでしょう。
余計なお世話…、なんて云わず、もう少しお付き合いくださいね。
今、日本中で、世界中で始まっている
「動き」について関係があるのが、まさに、
「動機」、「心映え」の持ち様だと考えているのです。
「魂」の在り方ともいえると思います。
明治から昭和の初めにかけては、貧しいながらもずば抜けて頭のいい人や、名家の子息など、一握りの人にしか開かれていなかった「司法・立法・行政」などを担う日本国のリーダ―。
自身の立身出世のため、お家を守るという意識だけではなく、自分の生まれ育った故郷、藩、日の本の国のために尽力された方が多かったのではないかと思います。
それが、日本人としての自然な生き方でもあったと。
大東亜戦争後、GHQの策略により、日本を弱体化するために相応しい人物を登用するようにもなってしまいました。
志の高い、公の精神を持つ人々は、公職追放により公務員などの職などにつくことができなくなってしまいました。
省庁の官僚、教員などは、志の高い人に限らず、左翼思想や共産主義思想をもつ人なども多く採用され、戦前の日本を否定し、戦勝国に都合のよい政策や教育を行ってきました。
もちろん、中には、公のために働こうと尽力した方々もたくさんいらっしゃったと思います。
しかし、日本国民の大多数も高度経済成長の中で、経済的な発展や所得が上がりよりよい生活をすることを第一と考えてきました。
金銭が第一。
良い学校を出て、良い会社や職場に勤め、良い生活をすることこそが幸せだと思う時代が、長く続きました。
そこには、
「公」の精神はありません。
バブル経済が崩壊し、消費税も増税、新入社員の就職もままならず、給料も上がらず、会社の倒産やリストラもあり、先の見えない厳しい時代が続きました。
構造改革や規制緩和もあって競争力の激しくなった様々な業界では、一部の企業が独り勝ちし、
また、外国の安い労働力を求めて海外へ製造業が進出し、日本では産業の空洞化も起こり、地方では若い人が働く職場もなくなっていきました。
追い打ちをかけるように、日本人以外の政治家が中共や朝鮮のスパイとして暗躍し、彼らがつくった政党が政権をとり、中国や韓国にとって都合のいい政策、在日に優位に働く制度などへ改悪し、円高がますます進み、デフレスパイラルの中、日本人はどんどん自信を失っていきました。
そんな中で起こった東日本大震災の津波による大きな被害、福島第一発電所の水蒸気爆発による放射能漏れ。
無能な政府は機能せず、子ども手当や高速道路無料化など目先の金銭に目がくらみ一票を投じてしまった一般国民も、自分たちの失敗に徐々に気づきました。
本当の幸せは何か。
私たちは、どんな国をつくっていけばいいのか。
弁護士や医者、政治家や官僚、大企業やマスコミ…。
頭がイイといわれ、努力する才能もある人たちが目指す職業。
我が国のリーダーとして活躍が期待される人たち。
その人たちは、何のためにその仕事に就こうとしているのでしょう。
高収入?
高い地位?
名誉?
特権?
人々の羨望の眼差し?
それだけが目的で、それを達成することがモチベーションだとしたら、まさにその人たちは「公」の精神を欠いた「上級国民」です。
「一般国民」とは違う自分。
特別な存在である自分。
みんなが憧れる優雅な生活。
自由に使える十分な金銭。
それだけを目指して、自分の生活がよければそれでいいと、もしも本当にそれだけを考えているのなら・・・。
単に、記憶力がよくて、要領がいい人だけならば。
IQは高くても、EQが低い人ならば。
「公」よりも「私」が最優先の人ならば。
そのような人は、国を動かすリーダーや、公の福祉を目指す人材として、登用されないようにしてほしい。
もしも、私利私欲、利己主義的な人であっても、仕事をしていくうちに、社会や国民みんなの幸せを考えられる人になってほしい。
かつて、吉田松陰先生のような己に厳しく、武士道精神をお持ちであった日本人は
公 >>>>> 私
であったと思います。
指導的な立場、公務員や教員である方はせめて、
公 ≧ 私
であってほしい。
日本をもう一度取り戻すため。
「利己的な上級国民」ではなく「指導的立場の国民」「国民のお手本となるべきリーダー」となるために、何が必要なのか、考えてみました。
1.国籍条項の規定と徹底化
「国籍条項」を国の中枢に関わる役職、国会議員をはじめ立法、司法、行政の各方面で徹底し、日本人でなければ職に就けないようにする。
日本を貶め、日本を弱体化しようとし、自国民(中国や朝鮮)のためだけの活動をする非国民を、公職から排除する。
現在では、外務公務員は明白に国籍条項が規定されているが、宮内庁をはじめ、全ての省庁、国会議員などで明確な規定をする。
2.マスコミから反日外国人、帰化人を排除する。反日的な番組の意図的に放送に対し、放送倫理・番組向上機構(BPO)で公正に適切に対応する。
3.教育界から反日外国人、帰化人を排除する。
4.司法、立法、行政の職員採用の際、国籍条項を設け、反日外国人、帰化人を排除する。
また、適性検査を行い、私利私欲が強かったり利己的である者を採用しないようにする。
5.皇室に関わる仕事に就く者に対し国籍条項を設ける。また、神道以外の特定の宗教を信仰する者や新興宗教団体の信者は、任命しない。
6.これからの日本を背負って立つ若者に対し、自虐史観的歴史、嘘の歴史を教えることなく、自国に誇りが持てる歴史教育、道徳教育を行う。
7.歴史上の人物や出来事を通して、公のために生きることの素晴らしさや意義を学ぶ。
8.現代社会の中で、社会の発展に寄与した人やひたむきに頑張る人を紹介し、生き方について学ぶ。
9.生きていく上で金銭も大切だが、お金よりも大切なものもあることを家庭の中で学ぶ。
10.健康的な食生活、働くことの意義や楽しさ、共同体の中で協力しあうことの大切さを、子供の頃から体験を通して学ぶ。
加えて、最も日本の中で大切な存在であり、国民のお手本となってくださる天皇陛下は、宮中祭祀と諸外国との親善、国事行為のみを行うものとし、
譲位や「生前退位」などなさることなく、摂政を置くなどして、終生天皇陛下としておつとめいただくこと。
今、さまざまな場面で、私利私欲にまみれた人たちが露見しています。
「上級国民」といわれる人たちの中にも、たくさん。
日本人でない人たちの中にもたくさん。
皇室の中でさえ、例外ではありません。
「浄化」が始まっているのです。
然るべき立場にありながらあまりにも身勝手で未熟な「心映え」の人、「魂」が未熟な人があぶり出されています。
「上級国民」という立場でなく「一般国民」であっても、己の分を弁えず、不平不満ばかりで努力しようとせず、楽をして自分だけ利益を得ようとしている輩にも、「浄化」の波は訪れてきます。
世界の中でも、日本人的な精神に感応し、共に高め合おうとする人たちも続々と現れています。
「類は友を呼ぶ」「波長の法則」が至る所で見られます。
『日本人が一致団結して、己の欲だけでなく公のために尽力しようとすること』を恐れて、3S政策などで日本人を堕落させようとした勢力のたくらみも、露見しました。
日本人の多くの人たちが、テレビや新聞などのマスコミが発信する情報に惑わされず、自分で情報を取捨選択しようとしています。
ネットで発信するブログやSNSなどを通して情報の共有化や情報交換をはかり、思考したり深化させようとしたり、自分だけでなく仲間と繋がることから点と点が線となり、線が面となり、面が立体的になり、自分たちが目指すものをイメージして構築していきます。
直感で怪しいと思うこと、素晴らしいと思うこと、仲間だと見わけられること、敵だと思うこと。
そんな風に、自分の感覚や勘が研ぎ澄まされていくことを感じています。
それをキチ○イだというなら、それで構いません。
私たちは、いつか死んでいく。
その時に何を残すか。何を残せるか。
「浄化」が始まっている今、次代を担う子供たちに、生きていく上での大切なことを伝え、共に手を繋いで助け合い、目指す地域、社会、国づくりをしていくことが、私たち大人の役割だと思います。