
現在の皇室の諸問題に大きく関わっている人物で、皇太子妃雅子さんの実父。
「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と国会で答弁。
外務省の中韓への、弱腰体質の基幹を作った人物。
一家そろって自分の金は一円たりとも払わないごっつぁん体質、外交機密費疑惑。
韓国利権べったりの高円宮と、朝鮮半島系カルト宗教団体が小和田氏と雅子氏を支持。
GHQの日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚、
それでいて傲慢な権威主義者。
それが、小和田 恒氏です。
小和田 恆(おわだ ひさし)氏 84歳
生年月日 1932年9月18日(84歳)
★いまだ、現役。国際司法裁判所所長経験のち、平で在任。
出生地 新潟県新発田市
★三代前は辿れない家系。本家と関係なし。背乗り朝鮮人説濃厚
出身校 東京大学教養学部卒業
ケンブリッジ大学修了
★修士論文は、人より1年長くかけても書き上がらず、
→日本へかえって仕上げて送ると英側には嘘をつき、
→日本側には「紛失して提出できなかった」と別の嘘をつく。
職歴 外務省入省(1955年)
英語研修(ケンブリッジ大学大学院)
条約局法規課、在ソ連大使館、国連政府代表部などを経て
欧亜局大洋州課長、外務大臣秘書官事務取扱(1971年)、条約局条約課長(1972年)
条約局条約課長(1974年)、
福田赳夫内閣総理大臣秘書官(1976年)
在米大使館公使(ハーバード大学ロー・スクール客員教授)
★三菱枠、雅子ゴリ押し
在ソ連大使館公使(1984年)
★二度、ソ連のハニトラにひっかかりスパイになる。
外務大臣官房長(1987年)
★「日本の外交は東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁
★1988年に創価学会からの要請に応じて、池田大作名誉会長らの外国訪問旅行
に便宜供与を図ったとして、国会で追及されている
外務事務次官(1991年)
★湾岸戦争の際には、自衛隊の派遣に反対の立場。
国連大使(1994-99年)
★長女・雅子氏が皇太子妃として入内。
コロンビア大学、ニューヨーク大学などで客員教授として国際法の教授にあたる
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授(国際機構論)
(財)日本国際問題研究所理事長(1999年3月 - 2003年1月)
外務省顧問、世界銀行総裁上級顧問、2002年からは広島大学学術顧問も兼任
国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)判事に任命(2003年)
国際司法裁判所所長に選出(2009年)
所長退任後は判事を継続。
称号 教養学士(東京大学・1955年)
法学士 (ケンブリッジ大学・1956年)
名誉博士(敬和学園大学・2000年)
名誉法学博士(バーナラス・ヒンズー大学・2001年)
名誉博士(法学)(早稲田大学・2004年)
配偶者 小和田優美子
子女 皇太子徳仁親王妃雅子
池田礼子
渋谷節子
(以上、
Wiki より一部引用、
★はブログ主、加筆 )
小和田恒氏こそ、日本のガン。
大東亜戦争後、GHQによる日本弱体化政策に沿って出世した、反日自虐史観左翼の申し子。
雅子さんのような女性が、よりによってどうして皇室に入り込めたのか。
日本で一番と二番目にエラい舅と夫をないがしろにし、伝統やしきたり守らずめちゃめちゃにして、2000年以上つづく皇統の断絶の危機に追いやるような不出来な女性が、どうして皇太子妃に選ばれたのか。
そして、今も誰からも叱責されず、首に鈴を付けられずに我がままの限り、傍若無人に振る舞い、公務はサボり、子育てを放棄し、三大欲求を満たすためだけに皇室の中にいられるのか。
その背景には、父親である小和田恒氏の存在があることは、間違いありません。
小和田恒氏について知ることで、皇室の今、これからが見えてくるに違いありません。
拙ブログでは、今回から、小和田氏について書かれた著名人の記事や、皇室ウォッチャーたちが拾い集めた情報などについて、まとめてみたいと思います。
日本人のメンタリティーとはかけ離れた、おそらく背乗り朝鮮人の子孫で「上級国民」である小和田氏の生き様、思想、悪事、罪について、情報を共有していただければ幸いです。
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衝撃の書、
『皇太子さまへの御忠言』(2008年8月発行)の筆者、
憂国の士、西尾 幹二氏。
<書籍の内容紹介>
日本の将来に大きく関わる「皇室の危機」!
民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。
祭祀を離れた天皇は天皇ではない。
一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」は、国連に関係する仕事であるらしい。
私が恐れるのは、雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせるよう誘いはしないかという点である。
「雅子妃問題」を放置しておけば、皇室の危機、そして日本の危機につながる。
いまこそ、タブーなき国民的議論を!
(まえがきに代えてより)
2016年Will6月号でも、西尾幹二氏と加地伸行氏が対談をしています。
【崖っぷちの皇位継承】皇太子さまへの諫言
■西尾幹二×加地伸行…「御忠言」から八年 いま再び皇太子さまに諫言申し上げます
皇室問題が、有り得ない愚行を重ね続ける「皇太子妃雅子氏の問題」から、皇太子殿下も含めた問題ではないかと、皇室ウォッチャーの視点が変わり始めていた頃。
沈黙を守る保守言論人の中で、極めて適切でタイムリーで勇気ある提言をなさっていた西尾幹二氏。
その、西尾先生の記事を、ご自身のサイトよりご紹介させていただきます。
西尾幹二のインターネット日録 より、転載させていただきます。
『週刊新潮』の記事
2012.3.3
『週刊新潮』(2月23日号)に
「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。
※ 動画で内容を知りたい方は、 ↑ こちら ↑ をご覧ください。
「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事
雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。
雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは
戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。
私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、
アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。
安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある
憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。
小和田氏が、
日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。
中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は
東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、
「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。
平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、
日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。
要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、
何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。
傲慢で権威主義者
1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は
自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。
櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。
すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。
アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。
小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という
「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。
理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。
用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。
自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は
本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。
運が悪いことに、
皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら
皇室は「無私」の象徴であるからだ。天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。
皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。
確信犯的無信心の徒
雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。
勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは
妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。
皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。
小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、
左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。
日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、
国連に関係する仕事であるらしい。何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、
皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。
女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。
私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。
どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。
今から30~50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。
今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ」
(以上、西尾幹二のインターネット日録/『週刊新潮』の記事 より転載させていただきました)
このような人物が、かつて外務省のトップである外務次官の地位にあり、娘の入内のおかげで外交機密費流用疑惑から逃れ、国連大使、国際司法裁判所判事までつとめ、現在も国体を揺るがしている皇太子妃の父親であり、女系天皇『愛子天皇』即位の道を画策していることについて、どうお考えになりますか。