日本三大○○といえば、
三大霊山 富士山、白山、立山
三大河川 信濃川、利根川、石狩川
三大急流 富士川、球磨川、最上川
三大瀑布 那智の滝、華厳の滝、袋田の滝
三大松原 三保の松原、天橋立、箱崎
三大温泉 熱海温泉、南紀白浜温泉、別府温泉
三大美林 青森ヒバ、
秋田スギ、木曽ヒノキ
三大地鶏 比内地鶏、薩摩地鶏、名古屋コーチン
三大台風 室戸台風、枕崎台風、伊勢湾台風
三大崩れ 大沢崩れ(静岡県)、常願寺川鳶山崩れ(富山県)、稗田山崩れ(長野県)
三大名城 姫路城、名古屋城、大坂城または熊本城
三社 伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂神社または春日大社
三名塔 法隆寺、瑠璃光寺、醍醐寺または羽黒山五重塔
日本三景 松島 天橋立 宮島
三大ダム 黒部ダム、 奥只見ダム、御母衣ダム
三大祭 祇園祭、天神祭、神田祭
三大だるま市 毘沙門天だるま市(静岡県富士市)、深大寺だるま市、高崎だるま市
三大怨霊 菅原道真、平将門、崇徳天皇
三大銘茶 宇治茶、
静岡茶、狭山茶
三大珍味 カラスミ、このわた、ウニ
三大うどん 讃岐うどん、
稲庭うどん(秋田県)、水沢うどん(群馬県)
三大そうめん 三輪そうめん(奈良県)、揖保の糸(兵庫県)、小豆島そうめん(香川県小豆島)
三大ラーメン 札幌ラーメン、喜多方ラーメン、博多ラーメン
三大そば わんこそば、出雲そば、 戸隠そば
三聖(書聖) 空海、菅原道真、小野道風
三聖(歌聖) 柿本人麻呂、山部赤人、衣通姫
三大随筆 枕草子、方丈記、徒然草
三大歌集 『万葉集』、『古今和歌集』、『新古今和歌集』
三大俳人 松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶
三大仇討ち 忠臣蔵(赤穂浪士の討ち入り)、伊賀越えの仇討ち、
曾我兄弟の仇討ち
三大景気 岩戸景気、いざなぎ景気、バブル景気
三大頑固 津軽じょっぱり、土佐いごっそう、肥後もっこす
三大忠臣 万里小路藤房、平重盛、楠木正成
三大悪人 道鏡、平将門、足利尊氏
三大悪女 藤原薬子、日野富子、築山殿《淀殿、北条政子、春日局など≫
そして、
新・3大○○といえば・・・。
「新・3大○○調査会」 ~ジョン・ケージ、ミスター味っ子、特撮ヒーロー、そして、おっぱい~
「新・3大○○調査会」~トロント・ブルージェイズの川崎宗則選手~
「勝手に・3大○○調査会」 ~皇太子妃雅子殿下のうっかりしゃべっちゃった本音・失言・迷言 ~
笑う門には福来たる ~類は友を呼び、好きなモノは巡る~
↑ 拙ブログで、こんなのもご紹介しました(笑)
ところで、みなさま。
「日本三大盆踊り」とはどこの盆踊りか、ご存知ですか?
まずは、圧倒的な知名度を誇る徳島の
【阿波踊り】。
中世からの古い踊りの流れを汲む、31夜を踊り明かす郡上八幡の
【郡上踊り】。
そして、笠や頭巾で顔を隠すため亡者踊りとの別名を持つ、秋田県羽後町西馬音内地区の
【西馬音内(にしもない)盆踊り】。
※富山市八尾町【おわら風の盆】はテレビ等で有名になりましたが、三大盆踊りではありません。
しっとりとした秋田美人が、編み笠や彦三頭巾で顔を隠し、かがり火だけの闇の中を手指を大きく反らして優雅に踊ります。
一度、間近で見てみたいと願っていましたが、なんと先日!
ついに、その願いが叶ってしまいました。
先週、皇太子夫妻が訪れたばかりの秋田県立博物館で、特別展「妖怪博覧会」の開催に合わせて、オープニングイベントが開催されました。
午前中から子供たちにも手伝ってもらって別のイベントに参加(主催者の一人)していましたが、長男の友達家族からお誘いもいただき、子供たちをそのまま会場に送って、自分は一度帰宅してから再び会場に向かいました。
インドネシアに行った時にバリ舞踊やガムランなどの楽器演奏は体験済みなので、怪談と西馬音内盆踊りに間に合えばOKよ!
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日本三大盆踊りの一つである西馬音内盆踊りや、インドネシアのバリ島で儀式や冠婚葬祭の際に演じられる
バリ舞踊、秋田に語り継がれる
民話や怪談、特別展のギャラリートークを行います。
実施日:7月15日(土)
申し込み:不要
タイムスケジュール
17:10~17:50 特別展ギャラリートーク※観覧料必要
18:00~18:30 バリ舞踊(人文展示室)
18:40~19:10 怪談・民話(人文展示室)
19:20~20:00 西馬音内盆踊り(人文展示室)
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夜の博物館の中は、篝(かがり)火のような明かりがついて素敵な演出がされています。
常設展は無料なので、縄文式土器や土偶などのお気に入りの出土品や郷土の歴史を見にときどき訪れる、私たち一家のお気に入りの博物館。
県立図書館には月に一度、県立博物館は3カ月に一度は足を運びます。
さあ。秋田弁の優しい口調の怪談が終わり、いよいよ、盆踊りが始まります。
西馬音内盆踊り@県立博物館 20170716
西馬音内盆踊り 羽後町観光物産協会ウェブサイトより
西馬音内盆踊り
優美夢幻の世界へ。秋田県・羽後町8月16日~18日 祖霊たちを送る盆の八月十六日。出羽の山並みに日が沈むころ、 羽後町西馬音内に寄せ太鼓の囃子が鳴り響きます。 やがて、着飾った子供たちが、篝火のたかれた本町通りで音頭の踊りを披露し、三日間にわたる盆踊りが幕を開けます。 およそ七百年前に始まったとされる西馬音内盆踊り。昭和十年(1935)の東京での始めての公演をきっかけにして形式が整えられ、五十六年には、高い芸術性を有する民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されました。 伝統の技はしっかりと受け継がれ、磨き上げられ、新たな歴史を刻んでいます。
櫓の上で奏でられる勇壮な囃子と野趣に満ちた歌声が佳境に入るにつれ、踊りの輪も広がっていきます。 編み笠や彦三頭巾で顔を隠した踊り上手たちが加わり、あでやかな端縫いや藍染めの衣装が篝火に浮かび上がります。 明治四十年(1907)の滞在中、偶然目にした俳人・河東碧梧桐は「初めて絵になる盆踊りを見た」と記しています。 しなやかな手振りと足運びが織り成す魅惑の曲線美。豊かな実りを願い、祖霊たちと一体となり、一心不乱に踊り続けます。 囃子方、踊り手、篝火が繰り広げる夢幻の世界に観客は酔いしれます。
踊りの起源
西馬音内盆踊りの起源・沿革については記録されたものが全くないため、全て言い伝えによるものです。 正応年間(1288~93)に源親という修行僧が、蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し、ここの境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。 これが、慶長6年(1601)西馬音内城主小野寺茂道一族が滅び、土着した遺臣たちが君主を偲び、旧盆の16~20日までの5日間、宝泉寺(西馬音内寺町)境内で行われた亡者踊りと合流しました。そして天明年間(1781~1789)に現在の本町通りに移り、現在まで継承されてきたものと伝えられます。
伝統を守る
大正年間に、いよいよ盛んになった盆踊りに対して、警察当局が「風俗を乱すもの」として弾圧したことが伝えられています。街の人々の抗議も押し問答の繰り返しでらちがあかず、その上、そうした事情で必要な経費も集めることができずに、一時は非常に衰えました。 しかし、西馬音内盆踊りの復興を強く望む住民感情が高まり、地主の中にも私財を投げ出してまで復興を望む人々があったようで、数年後には、元のように盛んになりました。
野性的な囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が西馬音内盆踊りの特徴です。踊りには
音頭と
がんけがあり、がんけは、月光の夜を飛ぶ雁の姿を踊りから連想した「雁形」、仏教伝来の「観化」、現世の悲恋を痛み、来世の幸運を願う「願生化生祭り」がつまって「願化踊り」と呼ばれたとの諸説があります。がんけの歌詞、節回しには哀調が漂い、本来、娯楽の踊りでなかった事を物語るのではないでしょうか。
音頭
手の振り、足さばきとも静かで優雅な動きをします。
手指を大きく反らすことがアクセントとなっています。
寄せ太鼓に続いて「ヤートーセー ヨイワナ セッチャ」 という掛け声で囃子が始まり、朴とつな地口(歌詞)に囃され、 踊ります。「とり音頭」も踊りは音頭と同じですが、 囃子の主役は笛になります。
がんけ
「亡者踊り」の側面を持っていることから、 甚句の歌詞や節回しには哀調が漂います。
踊りは音頭に比べてテンポが速く、回転する動きが入ります。
一番と二番があり、二番では、人さし指を立てた左手で たもとを握り、一段としなやかな振りとなります。
名前の由来には①飛ぶ雁の姿を踊りから連想した「雁形」 ②仏教からきた「勧化」③現世の悲運を悼み、 来世の幸運を願う「願生化生の踊り」が詰まった―などがあります。
西馬音内盆踊り@秋田県立博物館オープニングイベント 20170716
◆編み笠 + 端縫い衣装
よく乾燥させたイグサで作る半月形の笠。 前後に大きな反りが入っているのが特徴で、 前と後ろを赤いひもで結びます。 笠の左右にくくり縫いされた赤いあごひもと 白い肌のコントラストが際立ちます。
かつては「接(は)ぎ衣装」と言われ、 大小の絹布の端切れを配色や配置 に工夫しながら接ぎ合わせて作られました。 一定のルールがあり、袖口や裾などには同じ柄の布を使い、 布の配置は左右対称とします。 百年を経たものもあり、女性たちの美への変わることのない 情熱が感じられます。
◆彦三頭巾 + 藍染め浴衣
黒い布をすっぽりかぶり、前と後ろに垂らします。 「目穴」を目の位置に合わせて、頭巾を止めるために豆絞りの 手ぬぐいなどで鉢巻をします。 この頭巾をかぶった一団が踊りに加わると「亡者踊り」 の雰囲気が漂います。
多くは手絞りの藍染めです。 かつては町家の女性たちが自分なりの柄を考え、 作りました。 最も古いのは百数十年たつといわれています。 腰からさげた赤い「しごき」が踊りの動きにつれて揺れ、 乱舞します。
<
西馬音内盆踊り 羽後町観光物産協会ウェブサイトより一部引用させていただきました>
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じつは私。顔が見えないように深く編み笠をかぶった、若くてきれいな女性だけが踊る盆踊りだと思っていましたが、男性も既婚者の女性も踊っていたことを知りました。
シンメトリーに配置された生地をあてたあでやかな衣装で、『五穀豊穣』を祈り踊るのだそうです。
そして、黒子のように目穴だけ空いている黒い頭巾と藍染の浴衣での踊りは、『亡者』の弔い。
西馬音内盆踊りは、送り盆にご先祖の霊を慰め、五穀豊穣も祈る盆踊りだったのです。
そして、踊りは町内単位などではなく、個人での参加だということも教わりました。
伝統に基づいた衣装を身にまとえば、誰でも参加することができるそうです。
さらに驚いたのは、素晴らしい踊り手の男性もいらっしゃったこと。
八郎潟の「願人踊り」のようなコミカルで力強く奔放な踊りが、女性の優美さと対照的でステキです。
あのダイナミックな踊りは、こちらのイケメンさんが踊っていました♪

夜の博物館も、ワクワクするね。 <長男、お友達、次男>
野性的な囃子と対照的な、優雅で流れるような美しい踊り。
スタイル抜群の美しい秋田美人が、顔を隠し、指先まできめ細やかに優美に踊る。
勇壮で力強い男性が、ダイナミックに踊る。
先祖供養と五穀豊穣を願い、伝統的を継承している国の重要無形民俗文化財
『西馬音内盆踊り』は、感動的で素晴らしい、まさに『日本三大盆踊り」と云われるのにふさわしい盆踊りでした。
あ~、羽後町に見に行きたい。
あ~、私も一緒に、踊ってみたいわ☆