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青と緑の稜線のブログ一覧

2025年10月30日 イイね!

高市早苗さん。おめでとう。ありがとう。

高市早苗さん。おめでとう。ありがとう。何があっても、がんばれそうな気がする。
今日も、いい一日になりそうな気がする。

総理大臣が変わって、
認めたくない人が去って、
ようやくそんな気持ちにさせてくれる、うれしい毎日。

ありがとう、高市早苗さん。
ありがとう、トランプさん。

ありがとう、安倍晋三さん。






安倍ちゃんがいっぱい出てくる。
泣いちゃう(´;ω;`)ウゥゥ

岩田さんも。
昭恵ちゃんの芸術作品w


Posted at 2025/10/30 06:18:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2025年07月19日 イイね!

It's starting again

It's starting againどうしてこんな人が総理大臣になった?
どうしてこんな総理が降ろされない?
どうしてあの暗殺事件を有耶無耶にしたままでいるの?


ずっと心が晴れないまま、悲しいまま、許せないままでいましたが、
ようやく、小さな光を見い出だした思いがしています。

わたしたちの心情を代弁してくれる方がいる。
安部ちゃんの思いを引き継いでくれる人が、政界に飛び込もうとしています。

若い人たちも政治に関心を持ち、
世の中の理不尽さに憤り、

新しいこの国が、始まっていく予感。
顔も見たくない、声も聞きたくない、在り得ない総理がやっと消える…。
あんな最低な総理を誕生させた、愚かな前総理も許さない。







「安倍さんを私が外から、つまり自分が政治家になるんじゃなくて、
その外から応援すれば日本の国益を守れるし日本人の生活も豊かにできるんだと」

「安倍さんがあの 極悪非道などうしようもない男に殺されて。
あの後 ですね、 国内政治の状況は徐々に徐々に少しずつ悪くなってきました」

「7月8日ですね。その日から優秀で信頼できる政治家さえ私が応援してれば
それだけで日本のためになるんだという風に思える時代は、終わりました 」

「それだけで日本人が幸せに暮らすことができるんだという風に思える時代は
終わりました」







参議院選挙 どうなるのかな?
期待を込めた勝手な予想

■比例50 ■合計125
自民 9    30
公明 4    6
立民 6    26
国民 9    20
参政 9    18
れいわ2    2
維新 2    5
保守 4    4
共産 2    3
社民 0    0
Ǹ党 2    3
改革 1    1
その他0     7


It will surely change.









Posted at 2025/07/20 06:06:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2023年06月30日 イイね!

癒しの良書「安倍晋三 回顧録」

癒しの良書「安倍晋三 回顧録」

しばらくぶりのブログです。

みんカラに二か月三か月続けてブログを書かなかったことはなかったので、
今夜中にupしようと思い立ち、下書きのままで未投稿だった
櫻井よしこさんの記事を見つけました。




もうすぐ、あの日から一年が経とうとしています。

朝、ラジオから聴こえてきた、耳を疑ったニュース・・・。
韓国とのスワップ再開?ホワイト国復帰?レーダー照射棚上げ?
異次元の少子化対策の財源は増税?
国家観のない首相になりたかっただけの無能な検討使が、なぜLGBT法案を強行?

安倍ちゃん亡き後の自民党のていたらく。

政治に目を向けると、一年経っても喪失感と悲しみは消えません。

でも、そんなことばかり思っていてもいけない。
自分のするべきことに目を向けて、やるべきこと、やりたいことをすればいい。

よし。


では、安倍ちゃんに関するニュースをいくつか貼っておきます。


故安倍晋三元総裁 一般献花
自民党
2023年6月20日

故安倍晋三元総裁の一周忌法要に伴い、一般献花をお受けすることとなりましたのでお知らせいたします。

○日 時:7月8日(土)13時~16時
○場 所:増上寺 大殿前(東京都港区芝公園4-7-35)
○主 催:自由民主党、清和政策研究会、安倍家

生花以外の供物(香典、酒、手紙など)はお受けしかねますので、予めご了承ください。
敷地内にお車の乗り入れはできませんので、公共交通機関をご利用の上ご来場ください。
手荷物検査にご協力をお願いいたします。
上記の時間より早くお越しいただいても、お待ちいただく場所がございません。
多くの方にお越しいただいた場合、長時間お並びいただくことが想定されますので、飲料をお持ちいただくなど熱中症対策をお願いいたします。



森喜朗元総理と菅義偉前総理が初めて明かした胸の内
6月26日発売の月刊『Hanada』8月号(飛鳥新社)において、森喜朗元総理と菅義偉前総理が安倍元総理一周忌を前に想いを寄稿した。
株式会社飛鳥新社
2023年6月26日 06時30分

同号には、西村康稔経済産業大臣、島田和久元総理秘書官、谷口智彦元内閣官房参与なども寄稿。また、作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏が「保守新党」の設立を宣言。

【総力大特集 あなたを忘れない!】
◎森喜朗 「私心」のない人
◎菅義偉 今も「趣味は安倍晋三」
◎櫻井よしこ×加藤康子 日本に対する思い、国民に対する愛情
◎谷口智彦 安倍元総理・大和西大寺・韓鶴子
◎島田和久 国を守る最後の砦
◎西村康稔 親子二大にわたる岸家・安倍家との縁
◎石橋文登 安倍晋三の「無念」
◎吉田真次 安倍先生の無念は必ず晴らします
◎堤堯×久保紘之 内政でも外交でも安倍不在が悔やまれる
◎河井克行 獄中日記 何度も僕を救った安倍総理の言葉

【総力特集 LGBT法案で自民党は死んだ】
◎百田尚樹×有本香「保守新党設立宣言」
◎山口敬之 忘恩の徒 稲田朋美に告ぐ
◎門田隆将 「LGBT法案」で自民党崩壊へ




「 安倍氏『回顧録』、戦い続けた生涯の記録 」
『週刊新潮』 2023年2月23日号
日本ルネッサンス 第1037回


『安倍晋三 回顧録』が出版された。聞き役を務めた読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は、本書は1年前に完成していたと語る。にも拘わらず出版が遅れたのは安倍氏自身が待ったをかけたからだ。

「総理を辞めて安倍派の会長になった。体調もよくなり、政治的影響力は強くなる一方だった。そこに本音で語った本書を出すと、余りに影響が強すぎるからでしょう」

安倍総理の本音の数々は一部の人々にとっては衝撃であろう。だが、回顧録が世に出ていたはずの昨春がすぎてわずか3か月、安倍総理は突如、凶弾に斃れた。刊行を許可したのは昭恵夫人だったというが、本書を残して下さったこと、安倍総理が如何に全力で戦っていたか、その記録を残して下さったことに私は深く感謝している。そして思う。安倍総理の闘いはなんと国を想う知恵と戦略に溢れていることか、国民への優しさに満ちていることか、と。2月10日、言論テレビで橋本氏が語った。

「神は細部に宿ると言うでしょ。多彩なエピソードがもの凄く面白い。それだけだったら単なる居酒屋での話だ。しかしそこに、話を大きく包む戦略がある。周到な準備と人物への厳しい鑑識眼があって、立体的に場面場面の情景が浮かんでくる」

私の読後感は一言で済む。先述のように、「安倍さんはこんなに戦っていたんだ」ということだ。戦った相手は朝日新聞などのリベラルなメディアだけではない。政敵だけでもない。プーチン、習近平、オバマ各氏ら、世界の首脳だけでもない。首相が掲げる政策の実現に、経験と頭脳の限りを尽くして知恵を出し支えるべき官僚群と烈しく戦っていたのだ。なんと官僚たちは自分たちに従わない政治家、安倍晋三を倒しに来たのだ。その筆頭が財務省だった。

安倍氏は消費税を2014年4月に5%から8%へ、19年10月には10%へ、二度、引き上げた。但し、二度目の引き上げは2回の延期を経て行われた。2回延期の理由は明らかだ。8%への増税で景気の冷えこみが酷過ぎたからだと、安倍氏は語っている。財務省はそのとき「8%に引き上げてもすぐに景気は回復する」と説明していた。だが、彼らの見通しは完全に外れ、GDPはマイナス成長となった。国民生活を考えれば増税の余地などなかった。だからさらなる増税を拒否したのだ。

そこで彼らは麻生太郎副総理兼財務相に安倍氏説得を働きかけた。安倍氏は景気の冷え込みを数値を示して説明し、逆に麻生氏を説得した。すると財務省は驚くべき工作を始めた。回顧録にはこう書かれている。

「この時、財務官僚は谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策したのです。彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない」

企みは谷垣氏が乗らず失敗した。安倍氏は最初から財務省を退けたわけではない。第1次政権では「財務官僚の言うことを結構尊重」した。その安倍氏が財務省批判に転じた唯一の理由は「デフレ下の増税は政策として間違っている」からだった。

財務省の力の源泉

「ことさら財務省を悪玉にするつもりはないけれど、彼らは税収の増減を気にしているだけで、実体経済を考えていません」「国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです」「そして内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備を始めるわけです」と安倍氏は語っている。

財務省の力の源泉について橋本氏が説明した。

「予算の箇所付は主計官が決めます。国会議員は政策のためにも地元のためにも予算をつけてもらわなければ困る。つまり国会議員が主計官に頼むわけです。政治家はみんな財務省に借りがある。そこが強み。それに何といっても国税を握っていますからね。(査察に)入るぞとは言わなくても、(政治家は)もうお手上げです。こうして財務省は人脈を張り巡らしていくのです」

橋本氏はこうも語る。

「財務省の力は強い。安倍政権はおそらく、財務省と徹底的に対決して長期政権になった唯一の例かもしれません。適当に、うまくやった方がいいわけですからね」

だが政治家が財務省と適当にうまくやって、財政規律ばかり気にした結果が、失われた30年だ。財務省が日本経済を順調に成長させ、若い世代が就職するのに困らない社会を実現したのなら、批判する理由は全くない。けれど日本は世界でたった1か国、他国が成長を遂げてきた何十年もの間、殆ど成長しなかった。

白川方明日銀総裁時代の凍りつくような金融政策もあって、日本経済はデフレの中で苦しみ続けた。経済成長も雇用創出も果たせなかった財務省。このような財務省の倒閣運動に対抗するために、安倍氏は増税延期を掲げて選挙戦に臨んだ。14年12月の衆院選、16年7月の参院選がそれだ。そして安倍氏はいずれも圧勝した。

保守主義者の矜恃と楽観

回顧録で橋本氏が尋ねている。7年9か月の安倍内閣の間中、財務省との暗闘が続いていたのか、と。

「増税先送りの判断は、必ず選挙とセットだったのです。そうでなければ倒されていたかもしれません」と、安倍氏。

再度強調したい。内閣の方針に従うべき頭脳集団が逆に倒閣を仕掛けてくる。本末転倒のあるまじき状況が続いていたのだ。その圧力を、安倍総理は、国民の支持は我れにありと示すことで、撥ねつけた。財務省路線でさらなるデフレに落ち込み、就職もできない若い人たちが多勢生まれる社会など、もう真っ平ご免だ。だから国民は朝日新聞が何を言おうが、財務省が何を仕掛けようが、安倍氏を支えたのだ。

だが、暗闇の中から狙いを定めて政権の足を引っ張るのは財務省だけではなかった。本書342頁などに詳述されている厚生労働省も同類だ。

心打たれるのは、こんな酷い状況下でも安倍総理が保守主義者の矜恃と楽観を失っていないことだ。困難な課題に取り組むことを「時代に選ばれた保守政権の使命だ」と受けとめていた。

外国要人とのエピソードも痛快だ。冗談を解さないオバマ米大統領が、日本はアメ車を買わない、非関税障壁ゆえだと論難したことにどのように反論したか。沖縄の米軍基地の土地は米国のものだと思い込んで、普天間基地の土地の値段を尋ねたトランプ大統領にどう対処したか。習近平国家主席が実は共産主義も社会主義も信じていないと、事実上、打ち明けたことなど、仰天の話が続く。

小泉純一郎氏も小池百合子氏も登場する。政治は権力闘争なのだ。非情でドライな絵が描かれている。

国民と日本のために、これほど戦った政治家がいた。そのことに深い感動を覚えた回顧録だった。





中居正広が安倍元首相の告別式参列を告白 ひまわり持ち「安倍さ~ん、ありがとう」
2023年3月5日 13:06

 タレントの中居正広が4日放送のニッポン放送「中居正広 ON&ON AIR」に出演し、昨年7月に死去した安倍晋三元首相を弔問していたことを告白した。

 ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんなど、昨年に亡くなった芸能人との思い出を語るなかで言及。どのタイミングで安倍さんを弔問したのか口にしなかったが、昨年7月12日に東京・増上寺で行われた告別式に参列したようだ。

 中居は安倍元首相と「お付き合いは全くなかったですけど」と切り出し、「一般の方も参列できると聞いて」弔問を決意。その日がちょうど仕事もオフで「一人で」参列した。

 手向ける花を購入するために一人で花屋に来店。「実は…」と献花の花を買いたいと説明し、「色がある花は(葬儀マナーとして)良くないんですか?」と聞いた。花屋の店員から「そんなことはないですよ」と言われ、「ひまわりを持っていってもいいんですか?」と確認してひまわりを購入した。

 その足で告別式会場に向かった。警備員に「花を手向けたいんですが」と聞いたが、献花の終了時間を繰り上げられたと説明され、献花は叶わなかった。警備員に「(安倍元首相を)お見送りをするんでしたら歩道でお待ちください」といわれ、見送ることにした。

 その場で「2時間くらい待った」後、「安倍さんを乗せた車(霊きゅう車)が目の前を通った時、『安倍さ~ん、ありがとう』って持っている花を安倍さんに向けて振った」と回顧した。

 あれから8か月ほどがたち、「自分でも(告別式に)行くと思わなかった」という。首相経験者が凶弾に倒れる前代未聞の事件に「いてもたってもいられなかったのかな」と語った。

 テレビ局関係者の話。「中居さんは芸能人の告別式に基本的には参列しません。それは、一人でひっそりと追悼したいからだそうです。安倍さんの告別式に参列していたとは驚きました」

 中居は2018年9月、東京・港区の光林寺で営まれた女優の樹木希林さんの告別式に参列したが、他の芸能人の告別式には基本的に参列していない。だからこそ、安倍元首相の告別式への参列は関係者の間で驚きをもって受け止められた。





Posted at 2023/06/30 23:35:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2022年10月27日 イイね!

安倍元総理大臣への追悼演説

安倍元総理大臣への追悼演説野田元総理大臣の追悼演説を、YouTubeで拝見しました。
素晴らしい、心のこもった追悼の言葉に、心が震えました。

日本男児として、正々堂々と在りし日の安倍総理の生きざまを語ってくれた野田元総理に心から感謝し、敬意を表します。

野党の議員だからこそ、語る言葉に誠と重みがありました。
現第二政党の幼稚な議員もどきには到底任せることはできない、
この方にしかできない役目でした。

同じ内閣総理大臣の職を経験した方同士だからこその、
安倍総理大臣の艱難辛苦、捲土重来、不言不語、思いを共有できる人選でした。

真摯で真心のこもった追悼の言葉で、安倍総理の功績と尽力、労苦、無念さを、政敵として、敗軍の将として、余すところなく語ってくれました。

国葬儀まで時間がかかりすぎて、マイノリティでありながらラウドスピーカーたちの心ない雑音や悪口に、ご遺族のみなさんはどれほど心を痛められていたことでしょう。
私たち多くの日本国民も、テレビ新聞などオールドメディアによる事実ではない偏った報道や印象操作に、憎しみと悔しさばかりが募り、安倍ちゃんを失ってしまった喪失感と悲しみに打ちひしがれていたのですから。

野田元総理が、キッパリとはっきりと言ってくれました。

なかでも、

「マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。」

このくだりでは、涙があふれてきて止まらなくなりました。

どんな理由があっても、どんなバッググラウンドや支援者が存在しても、
卑怯にも背後から銃を使って命を奪う行為は、ゼッタイに許せない。許さない。

そのことが、全ての日本人が許すまじ事実であり、その犯罪の検証や背後を徹底的に捜査し追求し続けることが、無念の殉死をとげてしまった安倍ちゃんへの償いと、汚名返上、威信をかけて警察がすべきことなのです。

それがおざなりになっていることに、ずっと不信感と憤りを感じています。

追悼演説を依頼され、見事に応えた野田元総理が、彼の所属する立憲民主党の雑魚議員もどきたちや朝日新聞、バカ左翼たちのように、犯人の山上何某を担ぎ上げたり称賛するような人でなしでなく、心ある日本人で、本当によかった(´;ω;`)


安倍第二次内閣が発足し、快進撃を重ねることになったあの日。

解散総選挙することを野田元総理がいきなり発言した党首討論は、日本の潮目を変える、歴史上のターニングポイントでした。

あの頃の高揚感。安倍ちゃんがもう一度、政権を奪取して総理大臣として戻ってくる喜びと期待感は、私にとっても忘れられない幸せな時間だったわ・・・。

大きな仕事をやり終えて、もう一度休養と充電期間をとってから、
第三次安倍内閣がまもなく始まるはずでした。
もしかすると、高市早苗内閣総理大臣を支えるフィクサーとして活躍後、かな。

第三次安倍内閣総理大臣は、菅義偉官房長官、高市早苗防衛大臣、高橋洋一財務大臣、小林鷹之経済安保相、小野田紀美外務大臣、小坪慎也拉致担当大臣などを従えて、再々登場するはずでした。

その頃には、アメリカは再びドナルド・トランプ大統領が返り咲き、
ロシアの蛮行や中国の勝手は許さず、自国を誇りに、他国も尊重し、
日本的な自由と正義と誠実、勤勉さを共有できる人々が世界中にあふれ、
アニメやスポーツや様々な文化を共有して、楽しい毎日を送っている…。

そんな夢を打ち砕いた犯人を許さない。
そのバッグにいる勢力も許さない。

安倍ちゃんが目指した国づくりを、志を引き継いていくのが私たちの義務です。



野田元総理 国会で故・安倍元総理への追悼演説【ノーカット】(2022年10月25日)



安倍元総理を追悼する国会演説が、25日、立憲民主党の野田元総理によって行われました。野田元総理は第二次安倍政権の直前に総理を務めていて、安倍元総理の国葬には、「元総理が元総理の葬儀に出ないのは私の人生観から外れる」として、立憲民主党議員が多く欠席するなか出席しました。それでは、野田元総理による追悼演説をノーカットでご覧ください。


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野田元首相の追悼演説全文 「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん‥」
産経ニュース
2022/10/25 13:57


立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の安倍晋三元首相に対する追悼演説を行った。

安倍氏の昭恵夫人が傍聴席で見守る中、野田氏は「あなたは議場では闘う政治家だったが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった」として、首相を引き継ぐ際、安倍氏から励ましを受けた思い出などを回顧。「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかない」との決意を語った。


演説の全文は以下の通り。


本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

alt
遺影を手に、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を傍聴する安倍昭恵さん=25日午後、国会・衆院本会議場(矢島康弘撮影)

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。


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平成24年11月の党首討論で対決した野田氏(右)と安倍氏

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

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衆院本会議で安倍元首相の追悼演説をする立憲民主党の野田元首相(壇上)。右上は遺影を手に傍聴する安倍昭恵さん=25日午後

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。


私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。


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遺影を手に、安倍元首相の追悼演説が行われる衆院本会議に向かう安倍昭恵さん=25日午後

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。






611回 野田元首相の追悼演説 立派でした。立民の人は何を思う




野田元総理の名演説。ふざけるな。テロと闘う決意なき立憲民主党。(22/10/26)








Posted at 2022/10/27 22:24:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2022年10月17日 イイね!

昭恵夫人「豊かな67年の人生だった」【本当にさようなら(´;ω;`)ウッ…】

昭恵夫人「豊かな67年の人生だった」【本当にさようなら(´;ω;`)ウッ…】本当に、さようなら、なのですね。

昭恵さん。
立派なご挨拶です。
さすがは、晋三さんが大切にされた、すてきなご伴侶です。


どんなに淋しく、悲しく、悔しく、切なく、辛いお別れなのでしょうか。

安倍ちゃんと昭恵ちゃんが重ねてこられた月日は、日本のため、
私たち日本人のためのかけがえのない、感謝に満ちた時間でした。


どんなにお辛いのか、想像することしかできません。
どうか、心穏やかな優しい日々が過ぎてゆきますように。

お二人への感謝と尊敬を、
いつまでもいつまでも抱き続けている私たちがいることが、
少しでも、安らぎと癒しとなりますように。

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安倍氏県民葬詳報
昭恵夫人あいさつ詳報「豊かな67年の人生だった」

産経WEST
2022/10/15

参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の山口県民葬(県民葬儀)が15日、下関市・県国際総合センター「海峡メッセ下関」で営まれた。遺族代表であいさつした喪主の昭恵夫人は「主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただき、豊かな67年の人生だった。本当にありがとうございました」と述べた。昭恵夫人のあいさつの詳細は以下の通り。

「本日は主人の県民葬、立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ、県議会関係者の皆様方には厚くお礼を申し上げます。細田(博之)衆院議長はじめ、国会議員の先生方には大変、お忙しい中、わざわざ下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。地元の議員の皆さま、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの方にご参列をいただき、また、台湾からも遠くたくさん、ご参列いただきました。主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます」

「7月8日にこのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百か日を迎えました。信じられないような中で日々が過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、『あっ、本当にいなくなってしまったんだな』と寂しさが増してきているような日々でございます」

「平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんで志半ば、総理目前といわれながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。秘書をしていた主人は、おそらく誰よりも、その無念さを感じたことと思います。
 その後、父の遺志を継いで、政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて、毎日、毎日、多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の時代でもありました。主人はその中で、政治家になる決意をして、そして、『未来は不変のものではなく、われわれの努力によって作り上げていく』という信念のもと、『世界平和のために新しい秩序、この日本が中心になって作っていかなくてはならない』。そんなことを語っておりました。それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫していたのではないかなと思います」

「主人を支えてくださったのは、本当にこの地元にいる皆様方でした。初めて選挙に出たときは志は高かったと思いますけれども、また、父の秘書をしていたとはいえ、政治家としては全くの未知数で、30代という人間としても、まだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。時に厳しい言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで、主人を大きな政治家に育てていただけたのだろうなと思っております。ことあるごとに主人は『自分が東京で安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだ』と口にしておりました」

「特に2007年、第1次政権、病気のために辞任することになったときには『突然、総理を投げ出して無責任な男だ』と大変な批難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくして、この地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、『晋三さん、もう1回頑張りなさい』と励ましていただきました。主人にとりましては、本当にどんなにうれしかったろうかと思います」

「そして、その後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。そのとき、主人は『再び地元の皆さんに政治家として、生命を吹き込んでいただいたんだ』というふうに言っておりました。そして、もう一度、政治家として頑張っていこうと決意を新たにしたのではないかなと思っています」

「その後、2012年に負けるかもしれないという自民党総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、『負けてもいい。何度でもチャレンジする』と言って総裁選に出馬をいたしました。その後、7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりまして厚くお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました」

「主人は山口県が本当に大好きで、この下関・長門が大好きでした。役職について、だんだん、帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年、お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。『コロナでなかなか帰れないけれども、コロナが落ち着いたらゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいね』と、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔参院議員)先生の選挙の応援で帰ってきたのが最後となってしまいました」

「今回、遺骨という形で帰ってきたのは、本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方にお越しをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。一般献花においても、長い、長い列ができて長時間並んで、献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います」

「増上寺でのごあいさつのときに、吉田松陰先生の『留魂録』を主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいて、豊かな67年の人生であったと私は思っています」

「主人が愛した、この山口県、私も本当に大好き。これからも先ほどの映像にも出ていましたけど、令和の地方のあり方、私もこの地域のために、これから何かしら活動していきたいなと思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願い申し上げます」

「母は94歳になりました。家では、弔問に来られる方の対応をしておりますけれども、残念ながら、この県民葬に参列することはできませんでした。長年、お世話になりました皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えしてほしいと母からも言われました」

「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると、気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当に、このように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりましてお礼をさせていただき、私、喪主のごあいさつとさせていただきます。本当に本日はありがとうございました」

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安倍元首相のピアノ演奏 昭恵夫人の誕生日にサプライズ披露するため60年ぶり猛練習
NEWSポストセブン
2022.07.15

 選挙演説中に凶弾に斃れるという衝撃的な事件から4日後の7月12日、東京・港区の増上寺で、安倍晋三・元首相の告別式が営まれた。昭恵夫人が喪主を務めた告別式には岸田文雄・首相や麻生太郎・自民党副総裁ら約200人が参列。1000人以上が焼香の列に並んだという。

 参列者のひとりがその時の状況を明かす。

「会場では、生前の安倍氏の活動を紹介するVTRが流れました。昭恵夫人と世界を回るスナップやスピーチに加え、安倍氏が演奏するピアノに合わせ、昭恵さんと合唱する動画も流れた。会場に響く2人の歌声は参列者の涙を誘いました」

 安倍氏が演奏をしていたのは『花は咲く』という曲。東日本大震災の復興支援のために作られたチャリティーソングだ。昨年12月に安倍氏は公式YouTubeチャンネルでこの曲を弾く姿を公開したが、今年6月にも昭恵夫人のためにサプライズ演奏していたという。昭恵夫人の友人が話す。

「昭恵さんは今年6月10日に還暦を迎えました。自身が経営する居酒屋『UZU』では2回ほど、デヴィ夫人ら著名人を招いてお祝いの会が開かれたのですが、それとは別に、白金の『八芳園』で30人ほどのごく親しい友人たちを呼んでパーティーをしたのです。参加者は昭恵さんの友人のみで、安倍元首相の関係者や夫妻共通の友人などはいなかったようです。

 そこに安倍元首相がサプライズで現われ、約5分にわたり、昭恵さんのためにピアノの演奏を披露したのです。それが、『花は咲く』だった。小学校2年生の時に習っていたピアノをやめたという安倍元首相は、60年ぶりにピアノの猛練習をし、この曲が弾けるようになったそうです」



 出棺前の「最後の別れ」の際には、昭恵夫人が安倍氏に頬ずりをする姿が見られたという。その後、安倍氏は東京・品川区の斎場で荼毘に付された。斎場周辺には大勢の人たちが集まり、「安倍さんありがとう!」などの声が飛び交った。

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「何度でも申し上げます、安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした」ー令和四年九月二十七日  前内閣総理大臣 友人代表 #菅義偉 【ノーカット版】









Posted at 2022/10/17 06:09:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記

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「高市早苗さん。おめでとう。ありがとう。 http://cvw.jp/b/2096003/48737707/
何シテル?   10/30 06:18
青と緑の稜線(りょうせん) と申します。  稜線とは、空と山の境界線、「SKYLINE」を意味します。 ゴルフⅡ、現在はゴルフワゴン(2台目)に、殊...
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