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2022年10月27日

安倍元総理大臣への追悼演説

安倍元総理大臣への追悼演説 野田元総理大臣の追悼演説を、YouTubeで拝見しました。
素晴らしい、心のこもった追悼の言葉に、心が震えました。

日本男児として、正々堂々と在りし日の安倍総理の生きざまを語ってくれた野田元総理に心から感謝し、敬意を表します。

野党の議員だからこそ、語る言葉に誠と重みがありました。
現第二政党の幼稚な議員もどきには到底任せることはできない、
この方にしかできない役目でした。

同じ内閣総理大臣の職を経験した方同士だからこその、
安倍総理大臣の艱難辛苦、捲土重来、不言不語、思いを共有できる人選でした。

真摯で真心のこもった追悼の言葉で、安倍総理の功績と尽力、労苦、無念さを、政敵として、敗軍の将として、余すところなく語ってくれました。

国葬儀まで時間がかかりすぎて、マイノリティでありながらラウドスピーカーたちの心ない雑音や悪口に、ご遺族のみなさんはどれほど心を痛められていたことでしょう。
私たち多くの日本国民も、テレビ新聞などオールドメディアによる事実ではない偏った報道や印象操作に、憎しみと悔しさばかりが募り、安倍ちゃんを失ってしまった喪失感と悲しみに打ちひしがれていたのですから。

野田元総理が、キッパリとはっきりと言ってくれました。

なかでも、

「マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。」

このくだりでは、涙があふれてきて止まらなくなりました。

どんな理由があっても、どんなバッググラウンドや支援者が存在しても、
卑怯にも背後から銃を使って命を奪う行為は、ゼッタイに許せない。許さない。

そのことが、全ての日本人が許すまじ事実であり、その犯罪の検証や背後を徹底的に捜査し追求し続けることが、無念の殉死をとげてしまった安倍ちゃんへの償いと、汚名返上、威信をかけて警察がすべきことなのです。

それがおざなりになっていることに、ずっと不信感と憤りを感じています。

追悼演説を依頼され、見事に応えた野田元総理が、彼の所属する立憲民主党の雑魚議員もどきたちや朝日新聞、バカ左翼たちのように、犯人の山上何某を担ぎ上げたり称賛するような人でなしでなく、心ある日本人で、本当によかった(´;ω;`)


安倍第二次内閣が発足し、快進撃を重ねることになったあの日。

解散総選挙することを野田元総理がいきなり発言した党首討論は、日本の潮目を変える、歴史上のターニングポイントでした。

あの頃の高揚感。安倍ちゃんがもう一度、政権を奪取して総理大臣として戻ってくる喜びと期待感は、私にとっても忘れられない幸せな時間だったわ・・・。

大きな仕事をやり終えて、もう一度休養と充電期間をとってから、
第三次安倍内閣がまもなく始まるはずでした。
もしかすると、高市早苗内閣総理大臣を支えるフィクサーとして活躍後、かな。

第三次安倍内閣総理大臣は、菅義偉官房長官、高市早苗防衛大臣、高橋洋一財務大臣、小林鷹之経済安保相、小野田紀美外務大臣、小坪慎也拉致担当大臣などを従えて、再々登場するはずでした。

その頃には、アメリカは再びドナルド・トランプ大統領が返り咲き、
ロシアの蛮行や中国の勝手は許さず、自国を誇りに、他国も尊重し、
日本的な自由と正義と誠実、勤勉さを共有できる人々が世界中にあふれ、
アニメやスポーツや様々な文化を共有して、楽しい毎日を送っている…。

そんな夢を打ち砕いた犯人を許さない。
そのバッグにいる勢力も許さない。

安倍ちゃんが目指した国づくりを、志を引き継いていくのが私たちの義務です。



野田元総理 国会で故・安倍元総理への追悼演説【ノーカット】(2022年10月25日)



安倍元総理を追悼する国会演説が、25日、立憲民主党の野田元総理によって行われました。野田元総理は第二次安倍政権の直前に総理を務めていて、安倍元総理の国葬には、「元総理が元総理の葬儀に出ないのは私の人生観から外れる」として、立憲民主党議員が多く欠席するなか出席しました。それでは、野田元総理による追悼演説をノーカットでご覧ください。


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野田元首相の追悼演説全文 「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん‥」
産経ニュース
2022/10/25 13:57


立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の安倍晋三元首相に対する追悼演説を行った。

安倍氏の昭恵夫人が傍聴席で見守る中、野田氏は「あなたは議場では闘う政治家だったが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった」として、首相を引き継ぐ際、安倍氏から励ましを受けた思い出などを回顧。「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかない」との決意を語った。


演説の全文は以下の通り。


本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

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遺影を手に、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を傍聴する安倍昭恵さん=25日午後、国会・衆院本会議場(矢島康弘撮影)

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。


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平成24年11月の党首討論で対決した野田氏(右)と安倍氏

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

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衆院本会議で安倍元首相の追悼演説をする立憲民主党の野田元首相(壇上)。右上は遺影を手に傍聴する安倍昭恵さん=25日午後

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。


私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。


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遺影を手に、安倍元首相の追悼演説が行われる衆院本会議に向かう安倍昭恵さん=25日午後

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。






611回 野田元首相の追悼演説 立派でした。立民の人は何を思う




野田元総理の名演説。ふざけるな。テロと闘う決意なき立憲民主党。(22/10/26)








ブログ一覧 | 安倍政権 | 日記
Posted at 2022/10/27 22:24:31

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この記事へのコメント

2022年10月27日 22:52
お疲れ様です(*´∀`)
「心が震える」とはこの事でした。
コメントへの返答
2022年10月28日 6:33
口車の弥七さん、おはようございます♪

野田元総理のお父様は、陸上自衛隊第一空挺団の元隊員で、落下傘部隊の方なのだそうですね。
後に、財務省にまるめこまれてしまったけれど、芯はしっかりしている方とお見受けしました。
2022年10月28日 9:05
この件、必ず書いてくれると思ってました。
野田元総理の安倍さんに対する追悼演説素晴らしかったです!
思わず拍手してしまいました。

立憲の蓮〇さんは「勝ちっ放しはないでしょう。」を
「勝ちっ放しではないでしょう。」って言ってましたね。
単なる言い間違いなのか、わざとなのか・・・?w
コメントへの返答
2022年10月29日 21:26
debiruさん、こんばんは♪

>この件、必ず書いてくれると思ってました。

はい(*'▽')書きました♪期待にお応えできて光栄です。

>思わず拍手してしまいました。

私もです!途中から、ティッシュで目と鼻から出るモノを拭きつつ、嗚咽しなから聞いていました。

立憲の蓮〇さん…。悪いのは性格だけでなく、耳もでしたか。実の息子にも愛想をつかされる気の毒な人。自業自得ですね。

野田さんの追悼演説で、アベガー界隈が発するモヤモヤが消え失せて、光の差す天国へ安倍ちゃんをお見送りできた気がしました。日本人の一人として、素晴らしい追悼をしてくださった野田さんに感謝しています。
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