こいのぼり、揚げました!
桜が咲くよりも早く、空に泳ぐ こいのぼり。
空の上から、春と初夏の訪れを見ていてくれるのね。
今日も、日本各地で、こいのぼりが泳いでいるのでしょうか。
それとも、あまり見かけなくなってしまったのかしら。
先日、下の息子の幼稚園に行った時、先生から
「お母さん、こいのぼりの2番、知ってますか?」と聞かれました。
-「たしか、♪みどりの風にさそわれて~、ではなかったかしら?」
「それとまたちがって、お母さんのこいのぼりが出てくる歌詞があるんだって!」
-「そういえば、まごいしかてでこないですね」
子供たちが弾いていたオルガンをかりて伴奏し、♪「こいのぼり」もみんなで歌って、帰ってきました。
またきてねヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ って言われながらww
どんな歌詞なのか気になって、調べてみました。
我が家のこいのぼりです!
こんな風にして、あげます。
気になる旬の情報局 より引用
http://トレンド旬情報.biz/2251.html
作詞/近藤宮子 作曲/作者不詳
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
ご存知のとおり、「屋根より高い…」のこいのぼりの歌は、近藤宮子さんの作詞で有名なのですが、発表されている作詞は、1番の歌詞のみ なんです。
一般的には、「2番の歌詞はない」と言われているんですが、作詞者不詳なんですけど、まことしやかに言われている、2番の歌詞が、実は存在しているんです。
次の歌詞です。
みどりのかぜに さそわれて ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま おもしろそうにおよいでる
もうひとつ、幻の2番?
5がつのかぜに こいのぼり めだまをちかちかひからせて
おびれをくるくるおどらせて やさしいそらをおよいでる
そもそも端午の節句は、江戸時代から武家の風習、節句としてはじまりました。
この頃のこいのぼりは、黒色の真鯉の1匹のみでした。
こいのぼりの鯉は、「登り龍」です。
鯉が滝をのぼって天へと飛翔すれば、龍へと变化するといわれている「昇竜」のたとえです。
武者人形や兜を飾ったり、菖蒲(勝負)湯に使ったりするのも、男の子に、「強くたくましく育って欲しい」という 親の願いや願掛けの意味があります。
明治に入り、黒色の真鯉と赤色の緋鯉と、初めて2匹の対になりました。
でも、家長制度が常識の世の中だったからか、お父さんの真鯉と長男の緋鯉という意味だったのです。
昭和の時代になって、家族が大事にされる世の中になりました。
そこから、初めて、お父さんは、真鯉、お母さんは、緋鯉、こども達は、小鯉となったんです。
小鯉も数が増え、3つのこいのぼりが飾られるようになったんです。
今では、かなりカラフルで、女の子に似合う色の緑やオレンジの子鯉もいるぐらいです。
1番の歌詞にお母さんが登場しないのは、故・近藤宮子さんが作詞した当時(昭和6年、24歳)の時代背景がかなり影響していると思われます。
まだ、その当時は、緋鯉がお母さんだというのが一般的ではなかったんですね。
ところが、お母さんが出ているバージョンの歌があること、ご存じですか?
教科書「しょうがくせいのおんがく1」(音楽之友社/昭和57年発行)で
2番の歌として載せられていいます。
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やねよりたかい こいのぼり
おおきいひごいは おかあさん
ちいさいまごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
作詞/近藤宮子 作曲/作者不詳
「しょうがくせいのおんがく1」(音楽之友社/昭和57年)より引用
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この教科書では、1番と2番で、家族全員がこいのぼりの歌詞の中に出ている事になっています。
いまの時代の風潮として、家族を大事にする という流れになってきているということが、 この歌詞に反映されています。
実際のこいのぼりも、いまの時代背景に沿ったものへと変化しています。
子鯉の色も豊富で、黒、赤、青、紫、緑、オレンジなど、たくさんあって、色彩ゆたかです。
こいのぼりも、お父さん、お母さん、こども達といます。
こどもが生まれるたびに、子鯉を1匹ずつ増やしている家庭もあるので、その家のこいのぼりを眺めて見るのも、樂しいかぎりです。
「あ!あの家は、1姫2太郎だ!」などと、眺めることもたまにあり、 少し心がホクホクします。
昔は、5月近くになると、男の子のいる家庭では、 たいてい空を大きく、
こいのぼりが、たなびいていましたが 昨今は、あまりみなくなりました。
大きな建物も増えてきて、こいのぼりを建てる場所も なくなってきたためなのでしょうか?
昔は平屋の家が多かったのか、 「屋根より高い」こいのぼりだったのも、
最近は、「ビルより低い」こいのぼり となってしましました。
今はあまり見かけなくなった分、こいのぼりを飾っている家を見つけると、
うれしくなって、ワクワクして 心もほころんでしまいます。
日本人の心は残ってるなぁと感じます。
<以上 引用終わり>
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「こいのぼり」といえば、こちらも。
5年生の音楽の教科書に載っています。
作詞:不詳、作曲:弘田龍太郎
1.甍(いらか)の波と雲の波 重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に 高く泳ぐや、鯉のぼり
2.開ける広き其の口に 舟をも呑(の)まん様見えて
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には 物に動ぜぬ姿あり
3.百瀬(ももせ)の滝を登りなば 忽(たちま)ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と 空に躍るや鯉のぼり
「タッカ タッカ」のリズムに合わせて、軽快に歌います。私の大好きな唱歌です。
教科書の歌詞には、必ず脚注が付いているのもポイント。
「甍」なんて、今の子供たちは知りませんものね。
「
橘」って、ご存じですか?ミカンの仲間、柑橘類の一種です。白い花が咲きます。
wikipediaより引用
日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれた。
古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されている。古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では「右近橘[2]、左近桜」として橘が植えられている。ただし、実際に『古事記』に登場するものが橘そのものであるかについてはわかっていない。
奈良時代、その「右近の橘」を元明天皇が寵愛し、宮中に仕える県犬養橘三千代に、杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓を下賜し橘氏が生まれた。
『古今和歌集』夏、よみ人しらず「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」以後、橘は懐旧の情、特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになる。
1937年に制定された文化勲章は橘をデザインしている。昭和天皇の意向で意匠が橘花とされたとする説については別記事「文化勲章」を参照のこと。
四季折々、季節ごとに、大切にされてきた文化。
昔から歌われてきた唱歌を、大切に残していきたいものですね。
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歌詞が好き。曲が好き。声が好き。歌い方も好き。自由だけど切ないから好き。
素敵な無敵な林檎さんに欠かせないのは、あのアレンジとベースラインだと、3rdアルバムを聴いてから気付きました。師匠!
今、車の中でヘビロテなのは、椎名林檎さん。
私生活なんてどうでもいいから、生きていてくれれば、曲をつくってくれれば嬉しいという存在。
(誰と結婚しようと暮らそうと構わないし、幸せでいてほしい)
椎名林檎 - ここでキスして。
東京事変 - 幕ノ内サディスティック
椎名林檎 - ギブス