「選択」
人生の岐路で、日常生活の中で、複数のモノから一つ以上のモノを選んでいる。
よ~――――く 考えた末に、
ちょっと悩んで、
何気なく、
または、まったく意識せずに、
選択していることもある。
朝起きて何を飲むのか、
どんな服を着るのか、
どの靴下をはくのか、
朝食のメニューは・・・。
ルーティーンのように無意識に悩まずに選択していることこそ、
心地よい日常ともいえるかもしれない。
でも、人生に岐路に立った時、自分はどんな選択をしてきたんだろう。
何を一番に考えてきたんだろう。
たとえば、進路。
将来、何になりたくて、どんな学校に進学すればいいのか。
自分の学力なら、どこの学校に行けるのか。
学生生活をおくるなら、どんな場所にある学校で学びたいのか。
将来の夢を実現するために必要な条件を満たすために、何を身につければいいか。
たとえば、大きな買い物。
どんな車に乗りたいか。
どのメーカーの、どの車種、どのカラー、どの型がいいか。
たとえば、友達。
どの人と仲良くなりたいか。または、なるべくなりたくないか。
たとえば、結婚相手。
どんな人と結婚したいか。
ずっと一緒に暮らしていくには、どんな人とがいいか。
子供を産んで家庭を築くためには、どんな人がふさわしいか。
それぞれの場面で、「選択」が行われてきた。
その時の基準は・・・?
勘。
なんとなく。
無意識に。
損得勘定。
偶然。
必然。
誰かに背中を押されて。
たったひとつ。
間違いなくいえるのは、
「自分で選んだ」「自分が選択した」こと。
積極的でも消極的でも、
自発的でも受動的でも、
成り行きでも強制的でも、
「自分が選択」したということを自覚していれば、他人のせいにはできない、しない。
成功しても失敗しても、
満足しても不満でも、
たとえ後悔するようなことがあっても、「自分が選んだ」ことならば、仕方ないし受け入れるしかない。
自分が選びようがないことは、「宿命」として受け止めて受け入れるしかない。
どの両親の子供として生まれるか、
どんな環境で生まれるか、
男なのか女なのか、
健康なのか病弱なのか、
体は大きいか小さいか、
賢いかそうでもないか、
それらは、自分で選びようがないこと。
本人の努力や頑張りを持ってしても、変えようがないこと。
それはそれで、満足であろうと不満であろうと、受け入れるしかない。
大切なことは、
「自分で選択できる」ことがあるということ。
その範囲や幅、数は、人によっても時代によっても違ってくるけど、私たちは確かに、
多くを
「自分で選択できる」時代に生まれ、育っている。
男に生まれたこと、女に生まれたこと。
それを悩んでいても仕方ない。
受け入れて生きていくのがいい。
でも、誰とつきあうか、誰と結婚するか。
一人で生きていくか、誰かと生きていくか。
子供は欲しいか、それともいない生活がいいのか。
それは、自分で選択できる。
誰かと生きていくなら、二人で選択できる。
できれば、本音でよく話し合える人と一緒に暮らすのがいい。
自分の考えだけ、相手の考えだけで決めることは、後で問題になることが多い。
大事なことは、いっしょに決める。
それでも、思った通りにならないことばかり起こるのも人生。
そんなときに大切だと思うことは、「
人のせいにしない」こと。
「自分が選んだこと」だと思えば、不満もでないし文句も言わないし、納得できて我慢できることもある。
受け入れがたい現実があっても、仕方ないと思えたり、なんとか頑張って乗り越えようと思える、…かもしれない。
『自分で選択できる』
それは、とてもありがたいこと。
そして、できるだけ
「選択肢」を多く持つことができることが、不満の少ない、満ち足りた人生を送るための秘訣かもしれない。
広い視野を持つ。
いろいろな技能、資格を見につける。
大きな心で、ドンと構える。
自分が努力することで
「選択肢」を増やし、また、人からも
「選択される」人になる。
なんだか、すごくシンプルなことなんだね。

「あなたは、メンクイでしょ?」
何か月前のことかな?
こんな言葉を投げかけられてから、ずっと考えてた。
(そうなのかな? 自分はちがうって思っていたんだけど…)
その人は、私の夫の顔を見て、そういったわけではない。
私が、そういう生き方をしているという。
(容姿だけで配偶者を選ぶことも、人の評価もしないつもりだけど・・・)
容姿だけでなく、出自、家柄、生まれた場所、体格、学歴、職業、持ち物・・・。
そんなものよりも、性格、心、気質、志向が大切。
自分と似ているか、尊敬できるか、わかりあえるか。
ずっとそう思ってきたのだけど・・・。
考えた末に、こう思い到りました。
はい。わたしは、メンクイです!
メンクイじゃないと思うことで、自分自身をイイ人だと思いたかったところもあったのかなって。
顔や容姿には、その人の内面がにじみ出ている。
顔、とくに目を見れば、直感的に人柄や内面がわかる気がする。
本能的に受け入れられるか、受け入れられないか、
好きだと思うか好きになれないかは、目でわかる。
人だけでない。
周りのモノ、自分の周辺にあるものは、美しいデザインや色のモノを選んでいる。
乗っている愛車も、大好きな車も、形が大好き。
デザインがカッコ悪い車は、自分は絶対に選択しない。
リビングのソファー、寝室の布団カバー、好きな色の気に入っているデザインだ。
着る服も、着心地のいい好きなデザインや色を選んでいる。
壁に貼るポストカードも、カレンダーも、美しい絵画や写真。
そうか~。
わたしって、メンクイで、美しいモノが大好きだったんだなあって。
友達になってくれる人は、自分が選んだ人ではなくて、いつの間にかお互い気付いたらそばにいた人たちだけど、
やっぱり、心も外見も美しい人が多い。
心が美しいから、表面に現れるのだなと思う。
結婚相手の夫。
いっしょにいるのが楽で、いつまでも友達のように会話がつづけられそうだとお互い思った。
容姿で選んだわけでも、選ばれたわけでもないと思うのだけど、やっぱり、外見も大切。
私より背が高くて、スラっとしていて、ハンサム。
目が生き生きとしていて、優しい。
髪の毛は少なくなってきたけど、あんまり気にならない。
子供が生まれてから思う。
自分の子供たちには、できるだけアドバンテージを与えてあげたい。
健康でいること。
好奇心いっぱいで、生き生きとしていること。
学校の勉強についていけること。
友達とうまく付き合える柔軟な性格をもつこと。
できれば、男の子だから身長は高く、顔はイケメンがいい。
あんまり欲張りだと罰が当りそうだから、
健やかに事故や怪我、病気にならずに成長してくれたら、それだけでありがたいと思っていますが。
そうね。
私は、メンクイ。
それは、けっして主人を喜ばせるためのことばではなくて(笑)
自分が何かを選択するときの、大切なポイントだったということ。
人で言えば、目鼻立ちが整っているという表面的な美しさだけではなく、
内面からにじみ出る美しさであったり、
モノでいえば、モノづくりをする人の精神が反映されている機能美や造形美だったりする。
だから、自分も努力して、美しくありたい。
外見の美しさ…は、ちょっと難しいけど、
内面から透けて見える美しさは、追求したい。
人から、世の中の事象から、たくさん学びたい。
人から求められて、選択されるようなモノを多くしまえる抽斗(ひきだし)をもちたい。
ずっと考えていたことの答えがでてすっきりしたので、書いちゃいました。