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青と緑の稜線のブログ一覧

2016年04月29日 イイね!

本日は「昭和の日」です。

本日は「昭和の日」です。昭和の日 呼べば「時代」は帰り来る
産経ニュース
2016.4.29

 伝説の大女優と呼ばれた原節子さんの訃報が伝わった昨秋、「昭和がまた遠くなった」との嘆息が国民の間にもれた。

 「昭和が遠く…」はごく日常的に、例えば場末の小さな劇場が閉館したといった場合でさえも感傷交じりに語られる。

 「あの時代」が日本人の記憶の中にしっかりと生きている証左でもあろうか。しかし昭和元年生まれの人は今年でちょうど90歳を迎える。国民のおよそ4人に1人は平成生まれだ。昭和が語られる機会もおのずと減り、時代の原風景の記憶は確実に風化しつつあるといえよう。

 それでも、いやそうだからこそ昭和が歩んだ道を改めて振り返りたいのである。いま国内外で直面する諸問題を解決する上でも大きな意義があるに違いない。




 きょうは「昭和の日」である。言うまでもなく、この日は昭和時代の天皇誕生日だった。昭和天皇の崩御後は「みどりの日」となったが、昭和天皇の遺徳をしのび、昭和を顧みる日がほしいとの国民の熱望を受け、平成19年からは昭和の日と改められた。今年で10回目となる。

 祝日法に「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とうたわれているように、昭和のキーワードは激動と復興である。

 先の大戦で国土は荒廃し、国民は窮乏を余儀なくされた。犠牲者が数千人に及んだ昭和23年の福井地震や34年の伊勢湾台風など、幾多の自然災害にも襲われている。石油ショックという深刻な経済危機もあった。しかし国民はそのつど困難を克服し、復興を果たし、さらなる発展をもたらした。

 日本人の勤勉さに負うところではあるが、国民と苦楽を共にされた昭和天皇を中心に国民が心を寄せ合ったことも忘れたくない。

 元号の「昭和」は漢籍の中の「百姓(ひゃくせい)昭明、協和万邦」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味があるという。昭和の日本はまさに元号の意を体現したすばらしい国家へと成長し、平成にたすきをつないだ。

 もっとも昭和が残した課題は少なくない。憲法はもはや現下の国際情勢にそぐわず、家族や地域の人間関係は希薄化した。国民はいま一度、心を一つにした歴史を思い起こすべきではなかろうか。

 昭和はまだ、呼べど帰らぬほどには遠くなっていないはずだ。









昭和の日を祝し、今朝も国旗を掲揚しました。
















↓ ↓ ↓

ココから先は、大切な日にお目汚しとなってしまいます。
ご自分の判断でご覧ください。



また、フジテレビ・・・orz


フジが日本を侮辱?松下奈緒「早子先生」に映ったカレンダーから“あの祝日”を抹消
アサ芸プラス
2016.4.25



(略)

>そんな大苦戦中のドラマ「早子先生~」だが、記者によると第1話のセットに使われたある小道具に関して、不自然な部分があったという。

>「ドラマのセットで使われていたカレンダーから、4月29日の祝日である『昭和の日』が抹消されていたのです。昭和の日は、旧天皇の誕生日であり、日本人にとって特別な日です。しかし、戦争が背景としてあるだけに、一部の人々は、昭和の日に対し複雑な思いを抱いているとも言われています。そのため今回、わざわざ祝日の赤色を、黒にしたカレンダーを制作したということは、なんらかの思想を持った人間が、ドラマスタッフとして参加している可能性があるのです」(前出・テレビ誌記者)

> フジといえば1月期の月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でも、病院のセットに“放射能科”というプレートを使用したり、背景に首の折れた日本人形を飾るなどして大きな問題となった。

> もしもスタッフが、ドラマの中に個人的な思想を持ち込んでいるとすれば、今後、さらなるフジの視聴者離れは避けられそうにない。







「サザエさん」以外は、ほとんど見ていません。

フジテレビ。
潰れてしまっても結構ですわ。


Posted at 2016/04/29 07:25:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 記念日 | 日記
2016年04月29日 イイね!

上級国民>>グラフィックデザイナー>>>>|超えられない壁|>一般国民

上級国民>>グラフィックデザイナー>>>>|超えられない壁|>一般国民
「新エンブレム」が公正・公平に審査され、決定されたデザインなら、何も云うまいと思っていました。


そう。あの「パクリエイター」佐野氏デザインに決定した経緯が、あり得ないほどまっ黒だったから。

↓ ↓ ↓
はじめから結果ありきの、バカバカしい出来レース。
公募ではなく一部のデザイナーだけを対象に募集し、104点の中から選ぶものの、審査委員長自らが参加要請文を送った「国内を代表する8人のトップデザイナー」の作品を、出来栄えではなく、無条件で一次審査を通過させる。
選ばれると決まっていた佐野氏の作品は、『結果第一主義』にどっぷり浸かった審査の進め方により、当然デザインでもゴリ押し。
「類似デザイン」を指摘されると、二度も勝手に訂正しちゃう審査委員長やマーケティング局のトップが関与していた裏工作。
「入賞作品を8点選び、賞金10万円を贈る」としていたが、審査委では1位の作品を選ぶことに終始し、入選作を決める手続きすら全く行っていなかったという、応募者無視の全く不誠実だった審査の裏側。



「外野からネット民がゴチャゴチャとイチャモンをつけたのが許せない」

「佐野氏のデザインは優れていた」

(´・ω・`)フムフム。 そう云う意見もあるでしょう。デザインの好き嫌いは感性によるものだから。
            ネット民の気持ちが理解できず、ただのイチャモンに感じた人もいるでしょう。


でも。
はっきりと云います。

「佐野氏のデザイン、どうしても生理的にイヤ!」

「どこかのデザインをパクったからダメじゃないの。日本のオリンピックに合わない辛気臭いダサいデザインだから嫌なの!」

「金と名誉の亡者、汚い奴らが勝手に決めた出来レースなんて、ゼッタイに許しちゃダメ!」


デザインの好き嫌いは当然、人の感性によるものだから違いがあっても構いません。パクリエイター氏の作品が気にいっていた方も中にはいらっしゃるでしょう。

でも、多くの人が、日の丸をディスっている、弔旗を思い起こさせる、躍動感もなく、日本的な情緒のかけらも全く感じさせない「あのデザイン」自体がイヤだと感じたのは事実です。

その裏に隠されていた不正、卑怯な審査や背景を感じさせる「デザイン界の癒着や悪しき慣習」に対する批判的な声もネットからあがり、マスコミも追随し、次第に事実として明らかになっていきました。

その後、続々と登場した「こんなデザインはどう?」「こんなのも、いいね~」という候補たち。
色彩感覚にも優れていて、明るくて躍動感もあって、日本的な情緒も感じさせる、そんなデザインが自薦、他薦でどんどん現れました。





(やっぱり、多くの日本人が潜在的に求めていた作品は類似点がある。みんな同じ様な感性、感覚だったんだ。なんだか嬉しいなあ)

そう思えて、嬉しく感じたものです。


ですから、もう一度、誰もが参加できる形で公募し、前回の失敗を反省して公正・公平・公明な審査が行われるのなら、パクリエイター後にネットに登場した作品群にも見られたようなどんなにレベルの高い作品が選ばれるのか、心から楽しみにしていました。

日の丸の赤、富士山や花鳥風月、扇子や風鈴、水や風・・・。どんなデザインが選ばれるのかな。
楽しみだなあ~。










そして、4月8日。

発表された4つの候補・・・。




(´・ω・`)エエッ・・・


( ;´・ω・`)マジデ・・・


(´;ω;`)ソンナ~・・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・il||li _| ̄|○ il||l


こ、これが1万4599作品から選ばれた、4作品?

これらが、日本のデザインの最高レベルの作品



パクリエイター祭りの後、ネットにどんどん登場してきたどの作品のレベルにも達してないよ。

一度発表したものはダメだというから、あの時の作品は公表しなければよかったのかな。もったいなかったな。

でも、どうして日本らしい富士山や花鳥風月のデザインが少ないのだろう。

東京2020組織委が報道機関に注意文書 「五輪エンブレム候補の紹介は申請時の受付順を守って」産経ニュース2016.4.8

・・・なんておかしな記事があって、ABCDの順番を常に守らなくちゃいけないなんて、ヘンだよ。




それでも、『東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京2020組織委員会)』と『エンブレム委員会』を信じよう、まさか、再び不正を働くようなことはできないはずだから。

「イイものはイイ、ダメなことはダメ」

なんでもかんでも反対したり文句を云うような日本人になってしまってはいけない。

そう自分を戒めて、4つの作品のうち、どの作品が選ばれても受け入れようと思っていました。


(でもまあ、まさかAにはならないだろうな。一般国民の意見は審査に直接反映されないけれど、人気があるかどうかは、当然審査の参考にするだろうし。華やかさや躍動感も感じられない、一番人気がないデザインだし。一部では、某新興宗教団体のシンボルマークと似ているなんて云われているし。でも、Aとして、常にはじめに紹介されるポジションなのはどうしてのかな。A、B・・なんて、ランク付けをイメージさせるアルファベットなのは不自然だし、紹介する順番なんて、全部一列に並んでいる候補なら平等な立場であるはずなのに・・・。本当は、前に出てきた扇子のデザインとか好きなんだけど、A以外なら仕方ない、どれでもいいや)


そう。前回のブログにも、こんなことを書きましたよ。

>デザインに応募した人たちの「よーし!」という前向きな意気ごみと、前回の反省を生かそうと真摯に選考を進めているはずの「エンブレム委員」の方々の思いが、この4つの作品に集約されているものだと信じています。

>候補作品を公表し、透明な審査を進めるために幅広く意見を吸い上げることが「意見提出フォーム」の設置の意図だとは思いますが、私は、どの作品が選ばれても、それを支持したいと思っています。

>デザインの好みは人それぞれですし、前回のような邪な思いでコンペに参加している人も審査員も、今回はいないはずです。

>ですから、エンブレム委員会を信頼し、どの作品が選考されるのか、温かい気持ちで見守りたいと思っています。



女に二言はない!

だって、・・・信じてる。

信頼していた・・はず・・・、なのですが。

四角形を動かすだけでオリンピックからパラリンピックへ 東京五輪のエンブレムの秘密に驚きの声があがる
ねとらぼ
2016年04月27日

デザイナーの野老朝雄さん(47歳)が制作した新エンブレムのよさを紹介するサイトなども拝見しましたが、自分が感じていた違和感はぬぐえず。

(どうして、富士山や日本らしい華やかな意匠をモチーフにした作品が候補に選ばれなかったのか)



((-ω-。)(。-ω-))ウウン


ゥウン((-ω- )( -ω-))ゥウン





ネットを徘徊していると、・・・見つけました!

こんな記事が、4月3日の時点で出ていたのですね。

これが公正? 新「五輪エンブレム選考」またデキレースか
日刊ゲンダイ
2016年4月3日






>五輪のエンブレムは、国際オリンピック委員会(IOC)が定めた数々の条件を求められるが、コンペを主催する東京五輪組織委員会は、そのIOC規定を応募要項で告知しなかったのだ。

> 規定の1つに「『社会の共有財産』と見なされるものと混同させるようなデザインを含まない」との条件がある。組織委は前回コンペの応募要項で「社会の共有財産」の具体例として、「誰もが知っているようなシンボル 例:富士山」と説明していた。

>「商標登録を行う際、事前に類似商標を避けるための措置で、富士山のほかには、日本を象徴する桜や扇子、芸者のシルエット、東京の街並みを表すデザインも抵触しかねません。ここ数大会の五輪エンブレムがおしなべて具象性に欠け、抽象的な幾何学模様ばかりなのは、この規定があるからです」(JOC関係者)

> ところが、新エンブレムの募集要項を隅から隅まで読んでも、この厳しい規定は1行も出てこない。ましてや白紙撤回後は芸能人らによる新エンブレムの提案が相次ぎ、ネット上には富士山や桜をモチーフとした作品があふれていた。

> さらに募集開始直前には2019年のラグビーW杯日本大会のエンブレムを発表。富士山と日の出をあしらったデザインを見れば、組織委が応募者への注意喚起を周知徹底しない方が不自然だ。「同じスポーツの国際大会でも五輪はダメ」と、アナウンスしてしかるべきで、これでは事前にIOC規定を知っていた応募者だけが圧倒的に優位になってしまう。


>「前回のコンペに似てきましたね。当時は組織委のクリエーティブディレクターで、審査委員を兼ねていた電通出身の高崎卓馬氏が、審査基準として『デザインの展開力』を最重視。応募要項で『展開例は自由提出でよい』と記載していたにもかかわらずですよ。その結果、展開例を最も提出した佐野研二郎氏と未提出者の間で圧倒的な評価の差が付き、そのことが出来レースを疑われる事態を招いたのです」(デザイン業界関係者)



候補出揃った東京五輪新エンブレムに「A案で決まり」説
日刊ゲンダイ
2016年4月10日



 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会はきのう(8日)、白紙撤回になった大会公式エンブレムの再選定で、最終4作品を公開。最終決定前に候補作品を公表するのは、五輪史上初のことだそうで、エンブレム委員会の宮田亮平委員長は都内で行われた会見で「通常、ここまでオープンにすることはない」と豪語していたが、選定プロセスには不可解な点も残る。4点のうち1点は一度“落選”した作品で、“敗者復活”しているのだ。

 組織委は昨年11月24日から新エンブレム案を公募。12月7日の締め切りまでに1万4599点の応募があった。その後、ソフトバンクの王貞治球団会長ら21人のエンブレム委による商標チェックや選定を経て、今年1月9日には64点にまで絞られた。その後、さらに厳正な商標チェックがあり、56点が“落選”。計8点が残り、3月28日までにうち5点がさらに“落選”し、残ったのは3点だった。

 ところが、なぜかエンブレム委は一度“落選”させた56点の中から投票制で1点をピックアップ。“敗者復活”させ、きのうまでに計4点を最終候補として選び出しているのだ。3月28日時点で残った3点を最終候補にすればいいのに、なぜ1点だけ後から加えたのか。どうにも怪しい。“実力者”がネジ込んだ疑いがもたれているのだ。

 今後、組織委は公式サイトやハガキで国民の意見を募集する。最終的に4点のどれが採用されるのか。大阪芸術大学芸術学部の純丘曜彰教授はこう言う。

どの作品も趣旨が分かりやすく、旧エンブレムより優れています。特に、『晴れやかな顔、花咲く』と題されたD案は、古き良き“江戸”の下町文化を象徴するアサガオの花をモチーフにしており、“東京”五輪にふさわしいデザインだと思います

 ところが、すでに採用作品は「組市松紋」との題名のA案で決まっている、とのウワサも流れている。

「A案は藍色一色のみを使用したデザインで、カラフルな他作品とは趣を異にしている。最終選考の際、カラフルなデザインが好きな国民の意見がB~Dの3案で割れ、最終的にA案を利する結果になる可能性がある」(デザイン業界事情通)

 新エンブレムの決定は今月25日。果たしてどんな結果が出るか。A案が選ばれるように仕組まれているのか。



身内びいき採用か 新五輪エンブレム選考にも“怪しい匂い”
日刊ゲンダイ
2016年4月27日

 やっぱり「身内びいきの出来レース」だったのか。デザイン業界でもそんな疑念が渦巻いている。五輪エンブレムの白紙撤回から7カ月。応募総数約1万5000点から、ようやく選ばれたのは「組市松紋」のA案だった。各種メディアの事前アンケートでは「輪」をデザインしたB案や「朝顔」をイメージしたD案に人気が集中。国民の下馬評を覆す形での決着には、選考過程の不公正さが色濃くにじむ。

〈すでに採用作品は「組市松紋」との題名のA案で決まっている、とのウワサも流れている〉──。東京五輪組織委が新エンブレムの最終4候補を発表した翌日の紙面(4月11日付)で、日刊ゲンダイ本紙はそう報じた。

 根拠のひとつは「1対3」の対立構図だ。A案だけが藍色一色のモノトーンで、残る3案はカラフル。さらに左右非対称で具象的な3案に対し、左右対称で抽象的なデザインもA案のみ。A案だけが3案とは明らかに趣を異にしていた。

「1対3という極端な構図は、A案のアンチ票が3案に分散して結果的にA案を利する可能性を秘めていました。その効果は米大統領選の共和党候補者選びでも一目瞭然。アンチ・トランプ票が残る3候補に散らばり、過激で極端な不動産王を喜ばせています」(デザイン業界関係者)

 エンブレム委員会の投票結果はA案=13票、B案=1票、C案=2票、D案=5票。とても「B・D案推し」の国民の意見を反映したとは思えないが、委員21人のうち審査をリードした5人のデザイン専門家の人選が、そもそも偏っていた。

■作者も審査委員も「武蔵美」ばかり

 いずれもグラフィックデザイン界の重鎮である永井一正氏と関係の深い人ばかり。永井氏は前回コンペの審査員代表として不正投票を行い“晩節”を汚した。過去に永井氏が社長を務め、今なお最高顧問に君臨する「㈱日本デザインセンター」の現社長は原研哉氏。前回コンペの次点作のデザイナーで武蔵野美大大学院を修了、現在は同大教授の肩書を持つ。

「実はエンブレム委のデザイン専門家にはもうひとつの共通項があって、松下計氏以外は『武蔵美』とゆかりが深い。榎本了壱氏は武蔵美、勝井三雄氏は武蔵美の名誉教授、中西元男氏は武蔵美の特別講師を務め、柏木博氏は現在も武蔵美の教授です」(デザイン業界関係者)

 そしてA案の作者、野老朝雄氏はエンブレムの応募時に武蔵美の非常勤講師を務めていた。

 エンブレム委は「選考の際は応募者の名前を伏せていた」(宮田亮平委員長)と言うが、“同僚″なら作風を一目見れば誰の作品か見当はついてしまう。ましてや野老氏の作品の数々は武蔵美の公式サイトでも紹介されている。選考の過程で「身内びいき」の感覚は一切なかったと言い切れるのか。

 発表会の終了後、本紙はエンブレム委員を直撃。勝井氏は「(野老氏とは)直接の面識はなかった」と答え、柏木氏は口をつぐんだまま、会場を後にした。

 宮田委員長は会見で「『A案ありき』の報道には憤りを感じた」と語気を強めていたが、審査の過程は透明性に欠ける。





新エンブレムも出来レース・桜や富士山が駄目なことを隠して募集・創価学会マークのA案ありきの審査
『正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現』
4月26日


左上:【創価学会】のシンボルマーク  右上:創価学会を破門にした日蓮正宗の家紋
左下:東京五輪公式エンブレム    右下:パラリンピック大会公式エンブレム


(略)


そして、東京都知事の舛添要一の現在の妻は、創価学会の幹部だ!

■妻は創価学会幹部、自身も公明党候補者支援■
●平成21年(2009年)12月13日、公明党の日野市議くぼた知子後援会「激励する会」に駆け付け大激励。
妻の舛添政治経済研究所代表・舛添雅美は公明党のくぼた知子候補の推薦人に!
▼公明党(創価学会)とズブズブの舛添要一夫妻▼
公明党の日野市議くぼた知子後援会「激励する会」に舛添大臣(当時)
http://www1.hinocatv.ne.jp/t-kubota/k_web/t_020.pdf (リンク先 なし)


●詳細記事
舛添、大極旗と三色旗で応援受ける・舛添夫妻は公明党支援!妻の雅美は創価学会幹部か・カルト夫婦
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5326.html


その上に、新国立競技場を建設する大成建設も、上層部が創価学会員で占められる創価学会企業と言われている。








新エンブレムも出来レースと判明!⑤犯罪行為を全て暴露します※全国民必見!拡散
『謎の真相~謎の真相に迫ることをテーマにしたブログです。』さん より転載
2016/04/15



-当ブログを初めて訪問された方へ-

「新エンブレムも出来レース」で検索をかけると、当ブログの記事が相当上位にくるわけですが、これから「それはどういう話か?」ということをわかりやすく説明します。

まず、この話題に関心のある方の共通の疑問は、佐野案が撤回された直後から、ネット上には、多数の「私だったらこうする」「私が作ったのはこれです」という桜や富士山や松などをモチーフにした作品が多数公開されましたが、『既にネット上に公表してしまったものはダメです』と新エンブレム応募要項にも明記されているので、これらの作品が選ばれなかったことは仕方がないとしても、日本国民が、どれ程桜や富士山をエンブレムに取り込みたいと考えているかは知ることができたのではと思います。
所が、先日公開された4作品には、どれ一つ桜も富士山も描かれたものがありませんでした。

実は、これには裏があったのです。
国民から広く作品を募集する際に作られた応募要項のPDFには全く書いていないことを、審査員に対しては告知していたのです。
その告知の内容とは、富士山や桜のような国民の共有財産をシンボライズしたものは没にしろ、これはIOCの規定だ
という驚くべき内容の指示書です。※関連記事http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-318.html
「それは本当の話か?ちょっと信じられない。」
あなたはそのように言うかもしれない。
そこで、以下は先日(2016/4/13)私が週刊新潮、週刊現代、東京新聞、日テレ、自民党他、数十ヶ所に投稿した告発文です。―
………………
-新エンブレム選考について、前回審査員の一人の平野敬子さんという方が、審査員に配られた『IOC規定に関する文書』をご自身のブログで公開してるのだが、
http://hiranokeiko.tokyo/?eid=25&target=sequel&guid=ON&PHPSESSID=ncphgmopkdptthdcfged9mmnh3
そこには、今回の新エンブレムの応募要項https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/
には載せられていなかった、とんでもない重大な話が書かれている。

-以下転載-

……審査会当日に配布された審査関連の書類のなかに、「IOCのデザイン規定」の記述がありましたが、この規定を再読すると、審査直前に、私の認識力ではエンブレムの審査員は務まらないのではないかと著しく不安にかられたことを思い出します。審査委員の資料に記載されていた、このエンブレム選考基準となる規定を読んでいただきますと、エンブレムのデザインがいかに難しい課題であるか、出品作品を手がけたみなさまが、どれほど苦労されたかが理解していただけるのではないかと思います。いままさに、五輪エンブレムのデザインに取り組んでおられるみなさまの参考資料となりますので、公正性の観点から考えて、記載いたします。

【IOCのデザイン規定】

(1)エンブレムはその大会(2020年東京大会)と一目でわかるようなデザインにしてください。

(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)

(3)オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等などと混同されるようなデザインを含まないでください。)(IOC規定による)

(4)オリンピック聖火、メダル、オリンピックシンボル等、オリンピックに関係するデザインと類似したデザインをしないでください。

(5)JOC等他の競技団体と混同されるようなデザインにしないでください。

(6)将来開催予定の「大会マスコット」との類似性が出てしまうようなキャラクター要素を含まないようにしてください。

(7)あらゆるプラットフォームでも見やすく、かつフルカラー及び白黒で複製可能であることを条件とします。

(8)世界中で親しまれ、理解されるようなデザインをお考えください。

(9)オリンピックとパラリンピックは同じファミリーに属していると一目でわかり、かつ、混同される恐れがないようにデザインしてください。

(10)オリンピックのモットー、五輪マーク旗、その他オリンピックに関係する画像(炎、聖火、メダル)、スローガン、マーク・記号、その他特徴的な目印またはそれらの曲解的なデザインなど紛らわしいものを含んでいないこと。

(11)あらゆるプラットフォーム上でも視認性が高いこと。特に放送局のエンブレムに関するニーズに関しても検討しそれにこたえられるようなものになっていること。
(組織委員会より審査委員に配布された書類より記載)
-後略-

―――――――――――――――――


問題の箇所というのはこれである。↓


(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)



……14599人が応募したが、富士山を描いたものは最初からダメだったのである!


《社会の共有財産、例えばシンボライズされる富士山》

とのことだが、ということは、社会の共有財産、天然の植物桜も初めからダメだったということだ!


なんということであろうか…………………


桜がダメだというなら、当然梅も菊もダメということになる。
では、スミレはどうなのか?水仙はどうなのか?朝顔はどうなのか?

……………

この重大な項目を隠した応募要項を国民に提示していたのである。


※ちなみに、新エンブレム応募要項の記述は以下である。
…………
https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/



【制作にあたってのルール】以下の場合は、審査の対象外とします

〇オリンピック/パラリンピックエンブレム、展開案(応募要項においてテンプレートを公表)がそろっていないもの。

〇エンブレムを構成する要素のいずれかが欠けているもの。

〇エンブレムを構成するそれぞれの要素の順番を変えたり、まとめたりするもの。

〇パラリンピックエンブレムのワードマークの下にParalympic Games の記載がないもの。

〇オリンピックシンボルまたはパラリンピックシンボルが明らかにエンブレムの総面積の1 / 3 を超えているもの。

〇国際的に認識されているイメージ(例:国旗や国際機関のマーク等)と混同されるおそれのあるもの。

〇JOC・JPC 等他の競技団体と混同されるおそれのあるもの。

〇アルファベットや一般的な図形のみで構成されているもの。

〇オリンピックシンボル・パラリンピックシンボルをアレンジしたもの。

〇聖火やメダルをアレンジしたもの。

〇既に公表されているものと同一又は類似のもの。(Web による公開も公表作品とみなします)

〇第三者の著作権や商標権等の権利を侵害するおそれのあるもの。

〇政治的・宗教的メッセージを含むもの。

〇反社会的な要素、誹謗中傷を含むもの。公序良俗その他法令の規定に反するもの。
-以上-
――――――――――――――――――



上記の平野敬子さんらへ配られた


(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)


…という項目は見事に削除されている。

つまり、最初から、桜や富士山の絵が苦手な人物、または桜や富士山を描きたくない人物に便宜を図り内定させていたという推測が成り立つわけである。

※関連記事
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-319.html



あの朝顔の人(D案)はピエロとして引っ張り出された可能性が高いということになる。


これだけでも大変な話だが、問題はこの次だ。


その、『社会の共有財産であるシンボライズされる天然の風景を書き込むな』というIOCの規定だが、『オリンピック憲章』『IOC倫理規定』両方調べたが、

そんな内容の記述、それと示唆する記述はどこにもないのである!


何度も見たが、どこにもないのだ!

※関連記事
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-320.html


http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-321.html




オリンピック憲章について
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/


IOC倫理規定について
http://www.joc.or.jp/olympism/ethics/





(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)





…………この記述は一体、どこから来たのか?





何を論拠に、誰がねじ込んだのか?






…………………






※それともう一つ、
審査員達は、応募要項にこの重大な記述のなかったことをどう思っているのか?
あたかも、何者かの便宜を図るためとしか思えない卑劣な行為が行われたことに対し


なぜ、誰も騒がないのか?

わずかに平野敬子さんだけが、このような形で外部に洩らしてくれただけなのでは…………








※週刊新潮、現代、日テレ、自民党らに送ったのはここまで

―――――――――――――――――


平野敬子さんのブログのお話では、最初からA案ありきなのだといった内容の解説であるが、それもここまで騒がれれば、恐らくもう無理だろうと私は推測している。(…これでもまだゴリ押しするか?)


そこで、私のような相当深い所まで知った人間の考える「D案の人はピエロにされた可能性が高い」という指摘をかわすために、D案というのも考えられる。
しかし、そうなると今度、「桜や富士山が何千と寄せられたはずなのに、たった一つか二つしか寄せられなかったであろう朝顔がなぜ選ばれたのか?何千の桜を押し退けて、なぜあのパッとしない朝顔なのか?なぜだ?……」と、世間の関心が向き、私のような者の真相暴露記事が燎原の火のように広がり大変なことになる、…という可能性も非常に高いと言えるだろう。
そこで残ったのはBかCかということになるが、Bは、ファイアーfoxだ魔封波だと既に散々言われており、Cもまた、過去のいくつかの五輪エンブレムを踏襲したもので見映えがしないとネット上で言われている。私は、Aが平野さんに内幕暴露をされ、とても選べる状況ではないので苦し紛れでCになるのではないかと見ている。
しかし、いずれに決定されても、《いかがわしい選考に従って最終的に決定された曰くつきの代物》と後々言われることになるのは間違いない。
なぜなら、東京五輪はまだ4年も先の話だからである。このブログのこの記事も、4年の間には、間違いなく全日本国民の知る所となるだろう。
あの四人の作者が、全員五輪組織委員会のお友達なのか、それとも一人を除いて他の三人は何も知らない人なのか?
もし、何も知らない人達だったとしたら、彼らもまた被害者であり犠牲者である。



<管理人さん コメント>
■必ず全国民の知る所となります

賛同コメントありがとうございます。
この話は、非常に単純明解なので、間もなく全国民の知る所となります。絶対にウヤムヤで終わることはないと思います。万が一、平野敬子さんに圧力をかけて、問題の怪しげなIOC規定の明記された指示書の記事のブログを削除させるようなことがあったとしても、最後の最後は当ブログの貼付画像の文面が決定的な証拠となるでしょう。

以下は、私が組織委員会の意見投稿に送った文面です。

『組織委員会の皆さん、何ですかこれは?また犯罪ですか?…(2)開催都市、開催国らしさを反映すべきであるが、商標登録を行う必要があるため「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)」と見なされるものと混同させるようなデザインを含まないようにしてください。(IOC規定による)

…平野敬子さんらに配られた指示書の中の記述ですよね。今回の応募要項PDFに載せませんでしたよね。「富士山や桜のような共有財産を描いたものは没」というIOC規定。所がそのIOC規定とやらもウソ。二重の犯罪』
………
こんな単純な話は、必ず全国民の知る所となる。
理解する所となるはずです。
2016/04/19(00:52) 管理人



以上 『謎の真相~謎の真相に迫ることをテーマにしたブログです。』さんより転載しました。

……………………………………………………………………………………………………・・


私が感じていた違和感、不信感を払拭してくださる渾身の記事です。
新エンブレム発表前の、4月15日に書かれています。



今回のエンブレム騒動。
単純に、日本・東京で行われる国際的なイベント「2020東京五輪」にふさわしいシンボルマーク(エンブレム)であれば、それで納得していました。

イヤな予感がしています。
素直に自分の勘に従うと、今回も「クロ」だと思います。


信じていたのになあ。


もう、オリンピック自体がまがい物で、日本人にとって不必要なものではないのかしら。
大きな地震とか災害が起こらないといいのだけど。


あまりに「一般国民」の感情とセンスとかけ離れた審査結果、そして、暴露された裏側。




「上級国民」の闇は、私が想像しているより遥かに深く、暗いものなのかもしれません。
Posted at 2016/04/29 06:11:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 東京五輪 | 日記
2016年04月28日 イイね!

I am a farmer & gardener!

 I am a farmer & gardener!
遅い春が来たかと思っていたら、いつの間にか桜も散り始め、初夏の兆しが見えるこの頃。

みなさま、ごきげんいかがでしょうか。



今日は肌寒くてやわらかい雨も降ってきたので、外の作業はおしまいにして、ブログなんかを書いてますよ。


毎日の農作業では、音楽を聴きながら身体を動かしていることが多いのですが、仕事の種類によって、聴く音楽を変えています。

根気強く、丁寧な作業をしなくてはいけない時、『Carpenters(カーペンターズ)』の曲を聴くと、大雑把な私でも、気をつけながら作業ができることがわかりました

兄妹の名字は「Carpenter(大工)」さん。ご先祖様のお仕事はやっぱり大工さんなのかなあ~、名字の由来って面白いなあ~。


気になって調べてみました。日本だったら・・・、


「藍染(あいぞめ)」〈染物業者〉
「四十物谷(あいものや)」〈「四十物屋(あいものや)」から転じた〉
「青屋(あおや)」〈染物業者〉
「赤染(あかぞめ)」〈染物業者〉
「茜部(あかなべ)」〈染物業者。繊維を茜色に染める職業〉
「茜屋(あかねや)」〈屋号から。染物業〉
「網師(あじ)」〈漁業従事者〉
「網師野(あじの)」〈漁業従事者〉
「網師本(あじもと)」〈漁業従事者〉
「按察(あぜち)」〈按察使(アゼチ)という役人の役職名から〉
「網頭(あど)」〈漁業従事者〉
「阿刀(あとう)」〈部民の「阿刀部(あとうべ)」から〉
「鐙屋(あぶみや)」〈屋号から。両足を乗せる馬具“鐙”を製造販売していた〉
「油屋(あぶらや)」〈屋号から。油を精製販売していた〉
「網戸(あみと)」〈漁業従事者〉
「網元(あみもと)」〈地元の漁業を統括する“網元”から〉
「網本(あみもと)」〈地元の漁業を統括する“網元”から〉
「網屋(あみや)」〈屋号から。漁業従事〉
「網谷(あみや)」〈漁業従事者〉
「飴屋(あめや)」〈飴を製造販売していた屋号から〉
「綾部(あやべ)」〈綾織りに携わった部民〉
「荒物屋(あらものや)」〈荒物(日常の道具など)を販売する職業〉
「鮑谷(あわびたに)」〈「鮑屋(あわびや)」という屋号から転じた。海産物業〉
「蚫谷(あわびたに)」〈「鮑谷」から変化〉
「筏谷(いかだや)」〈「筏屋」の屋号から。船舶関係〉
「碇屋(いかりや)」〈屋号から。船に関する職業〉
「碇谷(いかりや)」〈「碇屋」から転じた〉
「碇矢(いかりや)」〈「碇屋」から転じた〉
「池部(いけべ)」〈古代の部民からの姓〉
「石切(いしきり)〈石切り工〉
「石工(いしく)」〈石材加工業者〉
「石積(いしづみ)」〈石を積みあげる〉職人〉
「石部(いしべ)」〈古代の部民からの姓〉
「石屋(いしや)」〈屋号から。石材店〉
「糸屋(いとや)」〈屋号から。裁縫用具店〉
「糸矢(いとや)」〈「糸屋」から転じた〉
「犬飼(いぬかい)」〈犬を飼育した役職“犬飼造”から〉
「犬養(いぬかい)」〈「犬飼」から転じた〉
「伊茂治(いもじ)」〈鋳物を製造販売した「鋳物師(いもじ)」から転じた〉





その他「う」~「わ」までも簡単に掲載されています。
地域の屋号(名字ではない)が結構ありました。名字はもっと古くからお商売をされていた方が名乗り、代々受け継がれたのかもしれませんね。

『職業から来た苗字について・・・』 ご参照


 

さて。

「バカボンのパパの職業は植木屋さんではなかった」ことに衝撃を受けた、バガボンドの母です。

あっ。
vagabondとは






「天才バカボン」の由来だそうです。なんだか洒落ていて、これまたびっくりですね。




我が家は兼業農家なのですが、この春は植木仕事も自分でやってみようと思いたちました。

いつもの年よりも、庭に入る機会が多く、そうなると気になってくる庭先の植物たち。

玄関先のお花の植え替えや草取りの後に、ド素人ながら、庭の植木をチョキチョキしてみました。

そのため、一昨日と昨日、張り切り過ぎて、二の腕と肩がパンパンで筋肉痛です。



この春、庭に入ったり、眺めりする機会が多かったわけとは・・・。

・・・実は先月。

夜中に突然、飲酒運転の車がノーブレーキでうちの塀に突っ込んできて、雷が落ちたようなものすごい音がしました。

Σ(Д゚;/)/ びっくりしました。

(これはヤバい音だ・・・)すぐに救急車を呼びました。
でも、運転手と助手席の人はドアを何とか開けて、ふつうに立って、ふつうにしゃべっていました。

∑((((((゚д゚;ノ)ノ びっくりしました。

助手席の人は、「後ろから煽った」と酒を呑んでいた運転手に因縁つけられて拉致された、見ず知らずの気の毒な人なのでした。

゚ ゚∑( Д ノ)ノ これまた、びっくりして、運転手のあまりのアホポンタンに目眩がしました。


アホポンタンが運転していた車が、昔の高級国産車で超頑丈だったのが幸いだったようです。

もし、塀にぶつかっていなかったら、ヤバかったと思います。

もし、塀がなかったら、我が家も、ヤバかったです。

子供たちが寝ている寝室に、猛スピードの飲酒運転(なんてことだ、未成年!)の超頑丈で重い昔の高級国産車が、ノーブレーキで突っ込んでいました。

暴走車は、我が家の塀の基礎の部分のコンクリートに車体の底ががっつり引っかかっり、ヒバの木がそれ以上進まないように食い止めてくれていました。




道路沿いにいきなり家屋が建っていなくて、庭があってよかったです(ほっ)

また、側面にも丈夫な塀があったことも、建物や命を守ることにつながりました(ほっ)


15年くらい前にも、門の入口部分に軽トラックが突っ込み、石が壊れ植えられていた松も折れたけれど、無保険の飲酒運転のおじいさんが運転手だったため、何も直してもらえず困ったそうです。





私は長年、「東海地震が明日にも来る!」と云われて続けて30年有余年の、地震防災県に生まれ暮らしてきました。
小学生の頃だったでしょうか、下校途中の小学生が地震によって倒れてきたブロック塀の下敷きとなり犠牲になった痛ましい事故がありました。

その後、道路側の家屋敷のブロック塀はやめて、なるべく生垣にするよう奨励されていた記憶があります。生垣に代えたり新設する時には、写真にとって申請すれば、自治体から補助金も出たのではなかったかしら。

実家はその後引っ越し、今の場所に家を建てたとき、田舎ながら結構交通量の多い道路沿いには大きな石垣と、その上にはブロックは積まず、槇の木で生垣をつくりました。道路沿いではない場所には、金木犀の生垣を。


ですから、今回の熊本地震でも、ブロック塀が倒れている映像を見ると怖ろしいと感じました。

しかしながら、思いがけずスピードを出した車が道路から突っ込んでくることを想定すると、ブロック塀も役に立つものだと思いました。

我が家の回りは、なぜか交通事故が多く、怪我をしてしまう人もいる地域だそうで、通学路でもある道路は、運転する立場からも気を付けなくてはいけないとしみじみと感じました。



歩道のすみの草や砂利をとりました。シャスターディジー(マーガレットみたいな多年草)を我が家の敷地に植えたら、歩道の際まで進出してきました。白いお花が長く咲いて、とっても可愛いんです。


ちなみにこの道はその昔は国道でした。
吉田松陰先生もこの道を通ったそうなので、ちょっと嬉しくなります。

今は県道になり、国道は別に作られたので昼間は大きな車はあまり通りませんが、夜になると信号も黄色点滅だけで、国道を通るより近道で登り坂もないため、大型の車が通過していきます。

賢い運転者さんのお気持ちは分かりますが、どうか住宅街を通らず、広い国道を通ってほしいです。



さて。

壊されてしまった塀も、無事、修理してもらい直りました。

例年だと、雪解けの後の庭に足を踏み入れることはありませんでしたが、今年は石屋さんや左官屋さん、事故車の処理の仕事のため庭に入る人も多く、自分もゆっくりと庭の木を眺めたりもしていました。
冬は、敷地の雪かきの雪置き場となっている庭で、雪が解け、心なしか植物たちも喜んでいるように見えました。

いよいよ遅い春を迎えた庭の木々たちも芽吹き、すくすくと伸びてきました。

そこで、稲の苗作りが一息ついて時間ができたので、私にできる範囲で庭の植え木の剪定をしてみようと考え、チョキチョキしたというわけです。




使う道具は、「高枝切りバサミ」です。

そして、iPodでお気に入りの音楽をかけて・・・。

レッツ、植木屋さんごっこ!!



SPARKLE 山下達郎 1985 2/23~24 神奈川県民ホール Live



山下達郎 LIVE 1981 NO.3



軽快にハサミを動かすのに、達郎さんの音楽は、どうしてこうもぴったりなんでしょう♪

すっかり楽しくなって、チョキチョキ、チョキチョキ、切りまくり、刈りまくり。


ワサワサしていた植え込み。下からツル科の植物が生えてきて絡みついていたからジョキッと抜き取って、なんとなくまあるい形に整えてみました。


庭の中をよく見ると、植えたものではない植物がちゃっかり生えています。
どうやら、鳥が種を食べて運んできたり、種が風で飛ばされて根付いた植物のようです。

せっかく生えてきたのだけど、前から植えてある植物が枯れてしまうほど養分をとられていたり、大きくなりすぎてバランスを崩してしまう木たちは、可哀想だけどサヨナラです。
とげとげした木もあって、一苦労です。タラの木だったらそのままとっておくんだけどなあ。

高い木や枝は梯子を使わなければなりませんが、情けないほどの高所恐怖症なので、ひとりでは梯子も上れません。
さらに、せっかく伸びてきた芽をハサミで切って整えるのも、植物が可哀想な気がして・・・。

やっぱり、私には植木職人は向いていないんだな。
植木屋さんがしてくれるみたいに、上手にきれいに剪定することもできませんでした。


軍手をして作業していましたが、脱いでみると手のひらも甲もキズだらけ!
帽子をかぶって首にタオルを巻いて作業していましたが、腕や首筋までにいつの間にか血が・・・。


最後に、切り落とした枝、庭のお花で、仏様と玄関のお花も生けて、おしまい♬



玄関には、少し前までは庭で咲いたばかりの「一重の椿」を生けていましたが、あっという間に季節は進み、剪定したつつじとモクレンを生けましたよ。



 ♪ ♪ ♪

少しだけ時間はさかのぼって、先週の日曜日。
農作業の後、お父さんとお兄ちゃんチーム、お母さんと弟チームにわかれて、いろいろな作業をしました。

機械いじりが得意なお兄ちゃんチームは、籾の芽出しをするために組み立てた育苗器(温床)を分解して片づけて、車のタイヤ交換、洗車をしました。



ワックスまできれいにかけてくれたので、雨が降ってもイイ感じです♪



弟チームは、玄関先のお花の植え替えと、種まき、掃除をしました。



パンジーとスノーボールが花盛りです。これから、カモミールとシャスターディジーが咲きます。
夏に長く楽しめるサティニアやペチュニアも植えました。お花の色は、母の趣味で「白」と「紫」ばかりだわ! 「緑」と「紫」の取り合わせが、一番好きで落ち着く色です♪




育苗器でいっしょに芽出しをさせた野菜の種。悔しいことに、ほとんど、ねずみに食べられてしまいました(#`Д´)ノゴルァァァァァ!! スイカやメロン、かぼちゃ、ズッキーニ、枝豆など、美味しそうな種ばかりやられました・・・。
また種を取り寄せているので、こんどはお風呂場を使って芽出しさせます。



その後、みんなでこいのぼりの竿を立てて、無事、終了!



お兄ちゃんは「風がないから、ひとりでこいのぼりを揚げてみる!」と、見事に一人で揚げてくれました。
それから、天気のいい日は毎朝、本当に一人で揚げて、しまってくれています。

弟は毎朝、玄関の新聞を取るお手伝いをしながら、きれいに咲いているお花を眺めています。



休日には、みんな総出で農作業を手伝ってもらうので、気がつけばお花見にも出かけておらず…。

「ごめんね、お花見にもつれていかないで」と息子たちに云うと、

「うちの枝垂れ桜でお花見すればいいじゃん(゚▽゚*)!」と。


そうだね。
今は我が家のささやかな可愛らしい桜を楽しみながら、農作業が一息ついたらお弁当をもって、長くいろんな桜が咲いている大きな公園に、自転車に乗ってピクニックに行きましょうね♪


 
満開の枝垂れ桜と、紫モクレン越しに泳ぐこいのぼりです。




こいのぼりをしまった後、風を計測する(?)ビニール袋をこっそり付けてます。




そうそう!

まだ、稲の育苗箱が並ぶまえのトラクターで耕したビニールハウスで、「お城」をつくって遊んでいたね。雪遊びをするような恰好で、泥んこ汚れなんて気にせずに思いっきり!

外堀、内堀、天守閣、櫓、落し穴、行き止まりなどを楽しそうに築城して、泥んこ遊びをしてました。




日に日に、新緑の芽が伸び、緑も濃くなる大好きな季節。

毎日のほんの少しの変化に気付きながら、ワクワクしながら暮らすのも楽しいものです。


子供たちと一緒に土を触って、お花を植えて、野菜を育てる暮らし。

季節を五感や全身で感じながら、いろいろな植物と一緒にすくすく育っていく子供たち。
お手伝いも遊びも、全力で楽しんでいる子供たち。


大好きな子供たちと一緒に幸せな時間を過ごせることに、日々感謝しています
(*´∀人)ありがとう♪

Posted at 2016/04/28 13:10:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2016年04月24日 イイね!

【追悼】プリンスさん、57歳で逝く。

【追悼】プリンスさん、57歳で逝く。
大好きで飽きることなく、毎日のように聴いている音楽があります。


かつて、毎日のように聴いていた音楽もあります。



レコードやCDを「アルバム」と呼んで、その世界観を大切に感じていたあの頃。

大好きなミュージシャンのアルバムは、A面からB面まで通して、はじめの曲からおわりの曲まで全て聴くことが楽しくて、ミュージシャンに敬意を表す流儀のような気持ちでもいました。


1980年代。


たくさんのミュージシャンのアルバムを、車の中で、部屋の中で聴いていましたが、プリンスさんの『Around the World in a Day(アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ)』も、そのうちの特にお気に入りの一枚でした。

『1999』『パープル・レイン』で衝撃を受け、いったいどこにたどり着くのか、どこまで逝ってしまうのか、どこまで広がっていくのか凡人の私には想像もできないほどの、とてつもない音楽的な奥深さとカッコ良さと新しさ。

華やかでいかがわしく卑猥で(…でも、私にはセクシィとは感じられなかったわw)、
ちょっぴり笑ってしまうパフォーマンス(不思議なスケールのハーレー・ダビットソン風バイク、縮小ギター、シークレットなブーツ。小さくたっていいじゃない、天才なのだから…)。

もしかすると、洋楽の世界ではプリンスさんこそ『個性的で特異で唯一無二の天才』アーティストなのではないかしらと、うっすらと思っていました。
素敵な曲を創り、歌い、演奏するミュージシャンはたくさんいるけれど、まるでモーツァルトのように枯渇することなく無限に湧き出してくる未曾有の才能をもって生まれてきたのは、プリンスさんではないかと。


ミュージシャンや音楽家、画家、デザイナーなどの芸術家には神様から授かった特別な才能がある。思考や素行が一般人と全く違っていても何の問題もない。
そう思っているので(もちろん、常識的な芸術家もいらっしゃると思います)、シンボルマークをタイトルにしたアルバムを出したり、「元プリンス」『The Artist Formerly Known As Prince』(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)と改名したりやっぱり元に戻したりしたことも含めて、アルバムは購入して聴かなくなっていたれけど、枠にとらわれない芸術家なのね、とも思ってました。

身長は157㎝だそうですが、小さめで粋なギターを抱えて、バイクに乗って、ほとんど裸ん坊だったり、お尻を出したりタイツを履いたり、シンボルカラーの紫色のあでやかな衣装を身に纏ったり、「プリンス」の名にふさわしい個性とインプレッションが炸裂するスターそのものでした。


プリンスさんが映画『バットマン』のサウンドトラックを担当した時、たまたまオーストラリアで日本に先駆けて公開された映画を見られたことも、プリンスさんとの素敵な思い出です(勝手にw)。

そこでは観客の皆さん、ものすごいフリーダムで、前の座席の背もたれに足を乗せて身体を倒し、ものすごくでっかいポップコーンとでっかいコーラを抱えて豪快に笑ったり叫んだりしてるのが日本の映画館との違いなんだなあ、と思ったものです。



90年代に入ってから、私自身も、どのミュージシャンの新しく発売されるアルバムもほとんど聞かなくなってしまっていたので、プリンスさんの新曲や動向は、ラジオや雑誌で知るくらいになっていました。

それでも相変わらず、手持ちのお気に入りのアルバムは、部屋のステレオでよくかけて聴いていました。


その中の一枚が、プリンスさんの『Around the World in a Day(アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ)』です。

トーキング・ヘッズの『Little Creatures(リトル・クリーチャーズ)』と、
ピーター・ガブリエルの『So』も、
プリンスさん共々私の超ヘビロテアルバムでした(自室のステレオで聴く洋楽アルバム部門。邦楽は、種ともこさんの『HARVEST』)。


ちなみに、車で聴くアルバム部門は、山下達郎さん、広瀬香美さん、KANさん、STING、ヴァン・ヘイレン、レッド・ツェッペリン、ビリー・ジョエルなどでした。




今夜は、57歳の若さで突然この世を去ってしまったプリンスさんを追悼しようと、久しぶりにレコードを引っ張り出して聴きました。





プリンスさんは、インターネット上で横行するYouTubeなどの海賊行為に不快感を露わにし、「それらのサイトに規制をかけない限り、新たな作品はレコーディングしない」と公言していたといいます(2011年)。
最近では、新たに自ら立ち上げた自身のウェブサイト、TIDAL、iTunes、Twitter、自らのYouTubeのページなどのネットを介してアルバムにとらわれない形でさまざまな楽曲、あるいは映像を配信していたそうです。


あまたの名曲のうち、私のFavorite Song『Raspberry beret』『Purple Rain』のYouTube動画(^-^; を貼らせていただきます。


Prince - Raspberry Beret Live



Purple Rain Prince AVI

ギター、めっちゃカッコいいです。



哀悼の意を表して、プリンスさんの記事を貼らせていただきます。



ご自分の中の「何か」と、外側の「何か」と、壮絶な闘いと葛藤を繰り広げながら音楽に紡ぎ、
世界中のファンから愛されていた孤高の天才に、感謝をこめて・・・




プリンスの自宅のペイズリー・パーク、死後に虹がかかっていたことが明らかに
NME JAPAN
2016.4.22



プリンスの『パープル・レイン』、あなたが知らないかもしれない20のトリビア
NME JAPAN
2016.4.22

プリンス、『NME』のラスト・インタヴューから選んだ最高の発言7選
NME JAPAN
2016.4.22


天才の痛み『プリンス/パープル・レイン』
2011.4.19
『カジノロワイヤルの手帖』さんのブログ


ごめんなさい、プリンス:追悼
WIRED
2016.04.22 FRI 19:45


4月21日(現地時間)、プリンスが57歳で亡くなった。その早すぎる死には、世界中から哀悼の言葉が寄せられている。そして、30余年彼の軌跡を追ってきた弊誌編集長からも。偉大なるミュージシャン、プリンスが教えてくれたもの。

TEXT BY KEI WAKABAYASHI


プリンスが主演を務めた1984年の映画『パープル・レイン』より。プリンス・アンド・ザ・レヴォリューションズ名義による同名サウンドトラックは、発表初週に100万枚を売り上げた。PHOTO: PHOTOFEST/AFLO



ある世代にとってのデイヴィッド・ボウイが、ぼくにとってはプリンスだった。

リアルタイムでは知らないのだが、ボウイがアルバム『レッツ・ダンス』を出したとき「時代がついにボウイに追いついた」と言われたのだと、どこかで読んだことがある。これはもちろん揶揄であって、それまでずっと時代の先端を走ってきたボウイが、ついに時代に追いつかれたという意味だ。

それが誰によって、どんな風に言われた言葉なのか、よくは知らない。けれども、そこに大きな幻滅があったことは想像に難くない。というか、むしろ痛いほどよくわかる。それまでの勇猛果敢なボウイを愛すればこそ、ナイル・ロジャースあたりとつるんでちゃらちゃらしているのが度しがたい堕落、裏切りと見えたのだろう。言うまでもなく、それは大きな期待があればこその想いだ。

『パープル・レイン』から始まったプリンスとの付き合いは冷めることなく『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』『パレード』あたりまで麗しく続いた。その後2枚組傑作『Sign o’ the Time』になると、さすがに難解ではあったけれど、それでもプリンスは、アルバムごとに姿を変えながら、常に新しい何かを見せてくれる存在だった。何をやってもやすやすと時代が設定したハードルのはるか上を超えていくことができた。彼が、人がそう呼びならわした通りの「天才」であることは、音楽をよく知らないティーンエイジャーですらやすやすと信じることができた。

その次のアルバムが、タイトルもないただ黒一面のジャケットの作品になるということを、雑誌かなんかで読んだのだと思う。ビートルズの『ホワイトアルバム』になぞらえて、「ブラックアルバム」と仮称されることとなっていたアルバムは「プリンスの最高傑作になる」と雑誌に書かれていた(当時、ぼくは『アドリブ』という雑誌を、なぜか毎月買っていた)。試聴をした評者が、1曲ごとに解説を書いていたことを覚えている。

当然、予定されていた発売日に、喜び勇んでCD屋に行った。ところが行くと、発売は延期になったという。で、次にアナウンスされていた発売日に行くと、また延期。焦らされれば焦らされるほど、期待は高まる。何せそれは、あのプリンスの「最高傑作」なのだ。いまかいまかとリリースを待ちわびながら、何度もお店に通った記憶がある。そして、ついに、ある日、たしか、いつも読んでいた雑誌の最新号によって、その「最高傑作」が発売中止、お蔵入りになったとことを知った。

プリンスは、かの『ブラックアルバム』が、自分のなかのネガティヴな感情から生まれ出た作品であることを理由にボツにしたのだということが書かれていた。それが事実なのかどうかは知らないけれど、当時の説明はそうだった。その贖いとして、直後、一転ポジティヴオーラ全開、お花の上に全裸の殿下が鎮座する『LOVESEXY』が投下されたのだった。

それは決して悪い作品ではなかった。いやむしろ素晴らしいのだ。CDでは全曲通して1曲扱いになっていたため曲ごとの頭出しができなかったのが鬱陶しかったものの、一生懸命よく聴いた。けれども何かが違う感じがした。「聴きたかったのはこれじゃない」というわだかまりがどうしても抜けなかった。

我慢ならなくなって西新宿に出向いて「最高傑作」の海賊盤を探しに行った。財布とにらめっこしながら、できるだけ状態の良さそうなものを求めて何軒もお店を回った。ようやっと入手した「黒盤」に自分がいくら出したのかはもはや覚えていない。興奮しながら帰宅してレコードに針を落とした。けれど、そこから聴こえてきたのは、やけに小さくくぐもった、まるで隣の家のラジオを壁越しに聴いているようなどうにもしょぼい音だった。音楽以前の問題でそれはハズレだった。幻の最高傑作の最高傑作たる所以を、そのブート盤が明かしてくれることはなかった。

それでも、だからと言って、プリンスを信じたい気持ちが失われたというわけではなかった。

その後の『バットマン』『グラフィティ・ブリッジ』も発売と同時に買い求め、飽かずに繰り返し聴いた。けれども、どこかに「あれ?」という気持ちは残った。初めて熱狂した頃の、『パープルレイン』に続くあの数枚の頃の、桁違いの異様さと奇妙さと桁違いのマスアピールとポップさを同時にもちあわせていたあの頃のプリンスは、徐々に徐々に失われていっているような気がしたのだ。もちろん、クオリティは相変わらず申し分ないのだ。けれども、何かが違う。

そうした疑念が決定的になったのは次のアルバム『ダイアモンド・アンド・パールズ』だった。これが、ぼくにとっての『レッツ・ダンス』だった。好きになろうと何度も努力したけれど、どうしても好きになれなかった。ヒップホップがメインストリームで勢力を拡大しているなか、プリンスは、そのトレンドになんとかキャッチアップしようともがいていた。時代は、とうにプリンスに追いついて、この頃には、もうすでに追い抜いていたのかもしれない。プリンスは、とっくに、時代の先端ではなくなっていた。

一生懸命、自分なりのラップをしようとしているプリンスが、ぼくには痛々しかった。時代を軽やか超越していた天才は、見て見ぬフリができないほどに時代からズレていた。それを認めることは、自分なりに、結構辛いことだった。

そして、そこからさらなる迷走が始まる。「プリンス」という名を放擲し、変なマークに「改名」するという、いまもって謎な時代へと突入。こうなると、さすがにもうついていけない。「かつてプリンスと呼ばれた男」となってしまった男は、ぼくみたいな「昔のプリンスはどこへ行った?」としつこく想い続けている「かつてプリンスを愛していた男」を、自らの手で拒絶したのだった。

プリンスは死んだのだ。世間的にも、ぼく的にも。『パレード』のなかでプリンス自身が歌った通りだ。「人生が永遠ならいいのにとときおり思う/けれども素敵なことにはすべて終わりがある」。

それでも、折に触れて作品を買い求め続けた。いつか「あのプリンス」が復活するんじゃないかと一抹の期待を込めて。でも、その期待が満たされることはなかった。その度に、いったいどこが分岐点になったのだろうと考えては、やっぱりあの「黒盤」の封印がひとつの転回点になったんじゃないかと結論することを、下手すればかれこれもう20年以上も繰り返していることになる。



映画『パープル・レイン』はプリンスの半自叙伝のように見せつつ、実際はかなりのフィクションだったと言われる。ストーリーが「史実」に即しているかどうかはここでは置いておくにせよ、嫉妬深い小心者のくせに傲岸不遜な野心家でもある、コンプレックスと自信とが表裏一体となったあの主人公は、ある面でプリンスという人そのものを表していたような気はしなくもない。

プリンスの音楽、とくに『パープル・レイン』を挟んでの前後3作くらいの「一番いい時」のプリンスの音楽は、そうした二面性にこそがまさに魅力だった。猥雑さと無垢さ。俗っぽさと高潔さ。醜さと美しさ。強さと弱さ。男らしさと女らしさ。激しさとユーモア。恥じらいと厚顔。善と悪。黒と白。

「革命」と名付けられたバンドについても同様だ。男女混淆の上手いのだか下手なのだかわからないこの奇妙なバンドほど、プリンスのビザールな世界観を体現していたものもない。だいたい名前からしておかしい。「王子と革命」。王家と革命勢力は普通対立しあうものではないのか。

矛盾をふんだんに抱え込んだ存在としてのプリンスは、そうであるがゆえに、誰にとっても抗いがたい魅力を放っていたに違いない。けれども、それは、おそらくきっと危うい均衡の上に成り立っていたもので、件の「黒盤」の制作途上で、プリンスはうっかり、その均衡を崩してダークサイドの側に堕ちてしまったのだ。

のちに発売された正規盤を聴く限り、確かに異様なテンションを感じさせる作品ではあるものの、プリンス一流のユーモアや愛らしさは、いたるところに感じられる作品だし、直後のライヴツアーでは、プリンス自身、このアルバムからの曲を茶目っ気たっぷりに披露したりもしている。けれども、残念ながら、そこに映し出された自分は、本人からしてみれば、見て欲しい自分ではなかったのだろう。プリンスが、ある時期から、ある宗教団体に身を置くようなことがあったことはなんとなく知っているが詳しくは知らない。

続くアルバムには、「LOVE」は満ち溢れていたものの、世界中が愛してやまなかった俗っぽくて猥雑な「SEXY」さは感じられなかった。そして、いったん自分のなかの「悪」にブレーキをかけてしまった音楽家は、以後、ぼくが知る限り、あの凶々しいまでの輝きを、熱病にうなされたようなほてりを、生理を逆なでするようなざらつきを、うまく取り戻すことができなかった。

あるジャズトランペッターを取材していたときにプリンスの話になり、「どのアルバムが一番好き?」と訊ねたことがある。彼は「それは夜通し議論できる話だね」と前置きしてこう答えてくれた。「普通に言えば、『アラウンド・ザ・ワールド〜』以降の3枚ということになるんだろうし、通ならば『ダーティ・マインド』や『コントラヴァーシー』あたりをあげるに違いない。もちろん、どっちも大好きなんだけれど、ぼくは、名前が『変なマーク』になっちゃってたあの頃のプリンスが、実は大好きなんだ」。「えー!! なんでですか!?」。「あの頃の、とにかくもがいている感じが、ぼくはたまらなく好きなんだよ」。

ロン・マイルスという名の異能のジャズミュージシャンは、おそらく、音楽家の耳をもって、音楽家・プリンスの苦闘を、あるいはわがことのように聴くことができたのかもしれない。それは、到底ぼくにはできなかったことで、そうやって一番苦しい時期にこそ、真摯にアーティストの表現と対峙しえた彼のような人をして「ファン」と呼ぶなら、ぼくなんかはファンと呼ぶに値しない移り気な浮気者にすぎない。ぼくは率直に、ロンに頭を垂れた。

それでも、いい兆しが見えてはきたところだったと思う。頑なに、門扉を閉ざしていたオープンなデジタルプラットフォームに対しても、一時ほど神経質にならなくなってきたのだろう、YouTubeで見かけることができるようになった最近のプリンスは、溌剌と元気そうで、歌声もギタープレイも衰えるどころか、ますます磨きがかかっていた。ポップアイコンであるよりは一ミュージシャンとしての凄みを湛えたその姿を見るにつけ、「プリンスは後退した」などと一度ならずも思ってしまっていたぼくは、自分が決定的に間違っていたのではないかと思った。そして、内心、そう思えたことが嬉しかった。

このわずか1年半の間にプリンスは4枚のアルバムをリリースし、それなりの高評価を得ていた。「これぞ、プリンス! 待ってました!」といった声もあれば「悪くはないけれど、プリンスでなくても…」といった消極的な意見もネット上にはあった。ぼくは、恐らく、これまでずっとそうだったように、後者の意見に与することになろうという怖さから、結局手を出せずしまいだった。

アーティストとともに年をとっていくということができるということは、とても幸せなことだ。けれども、音楽を聴き始めてすぐのまっさらな状態で出会ったアーティストの眩さは、どうしたって年を経るごとに失われていくということを、ぼくは、プリンスを通して、哀しみとともに学んだ。それは事実としてアーティストが後退しているということでは一切なく、一方的に、こちらがすれっからしになって行ったことの結果でしかないのかもしれないけれど、のちに生み出されたものを一切許容できないほどに、そのときの輝きは圧倒的だったのだ。

それでも、出会ってから30年強、継続的にプリンスは聴き続けてきた。それは、残念ながら、その都度都度の最新作ではなく、どうしたって昔強烈な印象を残してくれた「あの頃」の作品だった。

無尽蔵にあるだろうと想像される、あらゆる時代の未発表音源やライヴ音源が、プリンスの御殿「ペイズリーパーク」には恐らく山ほど残されていて、それはプリンスが生きている間は、まず世にでることないのは明らかだったので、生前、ぼくは「プリンス、早く逝ってくれないかな」などと冗談めかして話したりしていたものだった。そんな不謹慎な冗談が、思ってたよりもはるかに早くに現実のものとなってしまって、なんともいたたまれない、やましいような気持ちでいる。いいファンじゃなかったぼくは、きっと当時の未発表音源やライヴ盤や、ボックスセットなんかが出てくるたびに、喜び勇んで買うことだろう。

ディランやビートルズの過去のリマスター盤やボックスセットなんかが出るたびに、大騒ぎしてるようなオールドスクールなロックファンを、ぼくはずっと毛嫌いしてきた。「アーティストの今」を見てこそ、本当のファンだろう、と。でも、プリンスについてだけは、ぼくは、それを実行できなかったし、これからもできないだろう。ごめんなさい。

『パープル・レイン』のレコードのスリーヴには、長い詩のようなものが書かれていて、その最後だったかに、たしか、「May U live 2 see the dawn」(生きて夜明けを見れますように)という一節があった。プリンスは折に触れて、そのフレーズを使用してきた記憶がある。「プリンス、死す」の一報を受けて、真っ先に思い起こしたのは、その言葉だった。

プリンスは、その「夜明け」を、生きているうちに見ることができたのだろうか。



雑誌『ニューヨーカー』は、来週発売する号の表紙を“紫色の雨”にすることをツイートした。

(以上 転載 了)
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プリンスさん、素敵な音楽をありがとう

 ご冥福をお祈りいたします
Posted at 2016/04/24 00:29:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2016年04月21日 イイね!

Yes!高須ヘリコプター。No!報道ヘリ。

Yes!高須ヘリコプター。No!報道ヘリ。
今回の熊本地震で犠牲になられた方とご家族の皆さまに、謹んでお悔やみ申し上げます

また、被災され困難な暮らしを余儀なくされている皆さまに、心よりお見舞い申し上げます





地震。
噴火。
台風。
大雨。
洪水。
津波。
竜巻。


四季折々の自然に恵まれ、豊富な水や温泉の恩恵をうける日本ですが、古来から突然の自然災害は避けようもなく、遥か昔の先人も周囲の人々と協力し合い乗り越え、生活してきました。

いつ、どこで起こっても不思議ではない巨大地震。


そのために、私たちは何を備えておくべきか。
もしも起こってしまった時には、どうするべきか。

改めて考える機会となりました。

また、いざと云う時のモノの備えと同時に、どう考えどう行動するかという心備え、
人としての有り様や生き方についても、思いを馳せることにもなりました。


今は、被害にあった方々、被災している皆さんの心に寄り添いながら、
共感し、激励し、称賛し、祈ることが今の自分にできることだと考えています。



大地震の翌日。ばあばと一緒に仏様に手を合わせていた息子たち。

「今日も一日、家族みんなが元気でいられますように」と、いつものようにばあばが云ったところ、
「熊本の人も、みんな元気でいられますように、もだよ」と付け加えたんだよと、あとからばあばが教えてくれました。

そして、二人それぞれが大事にしている郵便ポスト型貯金箱から小銭を出してきて
「熊本の人に募金したいんだけど、どこに出したらいいのかな」と・・・。




日本中のみんなが、地震の被害に遭っている人たちのことを、他人事とは思わず心配し心に留めていること、役に立てる時がきたら、力になること。
そして、無理に自粛したりむやみに気に病んだりしすぎずに、被災者の皆さんの強さやたくましさを信じて、粛々と今この時間に、自分がやるべきこと、できることをすること。


それが、一日も早い終息、復旧、復興につながると信じています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


農繁期につき、朝も晩もつづく農作業。(お昼休みはちゃんととってます(^-^*) )
無事に、毎年の仕事ができることをありがたく思いながら・・・。


テレビはニュースの時間だけ、ネットもゆっくり徘徊する時間がとれないため、熊本地震の被害や現在の様子は断片的にしか把握しておらず、申し訳ない気持ちでもいます。
民放のテレビ局が流す情報は見なくてもいい、と自己判断し、全く見ていません。

このSNSで、実際に被災地にお住まいの方や、熊本に住む親せきや友人を気遣っている方たちの情報を拝見することで、勉強になったり、心配していることもあります。

5年前の東日本大震災の時とは違い、被害の範囲は津波のような広範囲ではないため、政府、自治体主導の支援、対策が功を奏しているように感じています。
福島原発事故後の民主党・管元総理のような、自らのアピールのため大迷惑な「ロケ視察(脳内マッカーサー)」をするような戯け者が日本の指導者でないことは、こんなに幸せで有難いことかと、改めて思い知らされます。


日本にとって「敵」であり、内なる「悪」でもある野党やマスコミは、今回の地震でも、いろいろと『やらかして』いるようですね。
阪神大震災の時、東日本大震災の時から、災害時の反省点や課題が改善されていない体質は、全く残念。

関テレ割り込み、虚偽投稿で謝罪=仙台放送―熊本地震
時事通信 4月20日(水)19時20分配信
お詫びとお知らせ | 関西テレビ放送 カンテレ

ツイッターやブログ、LINEなどネットを介して瞬時に個人が情報を発信し受信できるようになったことで、有益な情報と同時に、デマも飛び交うような情報化社会。
マスコミよりも、個人発、自治体発の情報の方がより重要で精度も高く、有益な場合も多いため、マスコミはますます、特ダネや刺激的な映像を電波に乗せようと、演出過剰になったり、嘘をとり混ぜたりするかもしれません。

全てを鵜呑みにすることなく、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力(メディアリテラシー)はますます重要になってきています。


マスコミに対して止めてほしい、自重してほしいと、地震発生時からずっと気になっていたのが、ヘリコプターによる空撮と取材です。

各社でヘリをチャーターして飛ばす必要が、本当にあるのでしょうか。

被災地の被害の状況を的確に知るための情報収集、捜索のために、災害対策の本部が必要としている飛行は仕方ありません。

各テレビ局がテレビの視聴者に見せるため ⇒ 視聴率を上げてスポンサーからお金を得るため の撮影なら、どうか止めていただきたい。
代表して一機飛ばし、それを共有すればいいんです。

がれきや土砂の中にまだいらっしゃるかもしれない行方不明者の捜索の妨げとなる騒音だと、以前から指摘されているのに、どうして改めないのでしょうか。

被災者の方たちからの迷惑だと云う切実な声は、届いていないのでしょうか。
テレビを視ている視聴者からも、声を上げないといけないのかもしれません。



今回、その被災地を飛ぶヘリコプターに関するブログの記事を貼らせていただきます。



次は、私の、あなたの住む町が被災地になるかもしれません。


正義の仮面をかぶってやりたい放題、威張り散らしているマスコミに対して、メールや電話で反省と改善を促す抗議は続けていきます。

そして、

「皆さん、フリーメイソンは世界征服を企む悪の組織ではありません
階級のある、勉強する組織です
立派な人しかいません」

(笑)とおっしゃる高須クリニックの高須克弥さん明るくお元気な大活躍も、併せてご紹介します。



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「ヘリコプターがなんぼ飛び回って邪魔しているか」伝説の芸人・上岡龍太郎が語ったテレビ震災報道のあり方

2016年4月18日
エキサイトレビュー
ライター情報:大山くまお



4月14日から続く「熊本地震」。テレビでも連日にわたって報道特別番組を放送され、現地の被害の状況などを詳しく伝えている。

インターネットを通して得られる情報も多いが、やはり大規模な取材班を組んでリアルタイムで映像と情報を伝えるテレビの報道は重要だ。大きな事件や災害が発生した場合、まずテレビをチェックする人も多いだろう。取材力だけでなく、多くの人に伝える力もテレビは図抜けている。

筆者も土曜の朝からNHKと民放各社の報道番組を見続けていた。そこで徐々に気になってきたのが、民放の報道番組に登場するレポーターとキャスターのテンションだ。危険な場所に出向き、悲惨な現状をレポートしているのだから、ついつい興奮してしまう気持ちはわかる。だが、それでも極力冷静にレポートしてくれないだろうか。余震の最中、レポーターが一番大きな声を出して騒いでいたりするのは、やっぱりどうにかしてほしい。

もう一つ気になったのが、各社とも同じようなニュースが続くということだ。地震によって崩れた家屋などの映像、死亡者の数、ヘリからの空撮、避難所の様子、専門家による地震のメカニズムの解説……だいたいこんなところだろうか。

コラムニストでイラストレーターの能町みね子氏は、テレビ報道を見た違和感について、次のようにツイートしている。

「倒壊した家屋からおばあちゃんを救い出す中継に何の意味があるの… 熊本の人に役立つ情報をやってるテレビ局はあるのかね」

筆者も同じく、1局ぐらい徹底的に被災者の避難についての情報や生活情報、あるいは支援に関する情報に徹した報道番組があってもいいと思っていた。インターネットを活用すれば、役立つ情報を集めて伝えることができるはずだ。報道に関する予算が少なそうなテレ東なんかがやったら、きっと喝采ものだっただろう。


阪神・淡路大震災直後の『パペポTV』


大規模な災害に関するテレビ局の報道姿勢について、今から21年も前にテレビの中から(!)徹底的に批判を行っていた人物がいる。それが芸人の上岡龍太郎だ。

上岡は昭和の時代から関西を中心に活躍していた芸人で、立て板に水の流暢な話術と、理路整然とした屁理屈、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で人気を集めていた。島田紳助をはじめ、明石家さんま、笑福亭鶴瓶などからも尊敬を受けていた大物芸人である。ただし、今から16年前の2000年に芸能界を引退し、それ以降は表舞台に出ていないので、若い人は存在すら知らないかもしれない。

上岡と鶴瓶が2人でフリートークをするだけという『鶴瓶上岡パペポTV』は、タイトルを変えながら14年も続いた人気番組だ。当初は関西ローカルの深夜番組だったが、話題を集めるにつれ、東京をはじめ全国でも放送されるようになった。

上岡のテレビ報道批判が飛び出したのは、1995年1月27日放送の回。5000人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災の直後に収録されたものだ。いつもは入れているギャラリーを入れず、笑いも一切なし。行政やテレビの報道などに2人がストレートな怒りをぶつけ続けるという異色の回となった。特に被災者の一人でもある鶴瓶の怒りはすさまじく、対応の遅れが目立った行政に対して「与党も野党もどっちもない。政治家はアホですわ!」と一刀両断している。

一方、上岡は冷静にテレビ報道について批判を加えていく。番組の冒頭部分の会話を抜粋する。

上岡「テレビはあかんね」
鶴瓶「ぜんぜんダメですわ、テレビいうのは」
上岡「こんなにテレビのレベルが低いとは(中略)今度の報道見ていて、まったくダメ。もうテレビ局には芸能レポーターしかいてないね」
鶴瓶「ほんまそうですよ」
上岡「ワイドショーしかよう作らんね」

では、上岡はテレビの報道のどのような部分を批判していたのだろうか?


報道陣のヘリコプターは何百人も殺している


番組序盤の上岡の発言を抜粋してみよう。

上岡「ヘリコプターで火災現場の上空を旋回しながら、『まるで死者を弔う送り火のようです!』言うてね。その日は風向きがどうで、どこが燃えていて、これから先どのへんに燃え移る可能性があるから、どのへんの人は早く避難したほうがいいのか、まったく言わない! 何のためのテレビか

非常時に際して、テレビの報道は感傷的なコメントを垂れ流すだけではなく、被災者にとってダイレクトに役立つ情報を流すべきだと上岡は主張している。

ほかにも死者が埋まっているかもしれない瓦礫の上を平然と歩くレポーター、現場に来てただ泣いているだけのレポーターなどを批判し、「テレビに映るものはすべて芸能でありワイドショー」「テレビに報道やジャーナリズムを期待しても、もう無理でしょう」と突き放す。

報道のヘリコプターといえば、このような話もある。

上岡「取材陣のヘリコプターが被災地の上を飛び回るでしょ? あの爆音のために、生き埋めになっている人たちに外からどんなに声をかけても、その人たちの声は爆音のために聞こえない
鶴瓶「息子さんがそうおっしゃっていたんでしょ?(上岡の息子は被災地でボランティア活動をしていた)」
上岡「だからね、あれは報道陣が何百人殺してますよ、ヘリコプターで。

その爆音のために、『誰かいますかー!』『声出してくださーい!』言うても、下で何日もこうなって(生き埋めになって)いたら声も出せん。その弱い声を聞き取って、いたら『よし、助けよう!』と行動している人をヘリコプターがなんぼ飛び回って邪魔しているか。そういうことに気がつかんのでしょうね、神経として


先に紹介した能町氏のツイートに対して、「ヘリの空撮は救助活動の邪魔! 崩れた建物の中に生き埋めになっている人の助けを求める声が聞こえない事は阪神淡路の時にも問題になった事です」とリプライしていた人がいたが、その元ネタは上岡が語ったこのエピソードだ

上岡「だから日本のテレビにはヒューマニズムちゅうのはないんですよ、人間愛というのはね。変なセンチメンタリズムはあるんですよ。思いきり悲しがろう、悲惨さを喜ぼうという。
 ところが人間性がまったくないから、18日(震災翌日)にテレビを見てたら、学者が出てきて『こういった建物は都市型直下型地震の場合には崩れやすく……』。それは後でええやろと。それ1ヶ月後でもやれることやろと。今はそんな専門家呼んでる場合違うと。地質学なんてもうどうでもええと。
とりあえず今はどうするかというと、こういう人にはこういう人工呼吸をするんですよとか、血が出たらこうやって括るんですよとか、こんなときにはこれを触ったらいけませんよとか、つまり助かるためのノウハウの専門家を呼んでくるべきだな。なんでその専門家をテレビ局は見つけないかと

テレビの報道は、被災者に寄り添った役に立つ情報を流すべきだという主張は一貫している。

上岡と鶴瓶は1時間の番組の間に、テレビの報道をはじめ、対応の遅い政府、縦割り行政、自衛隊、国会議員、保険会社、宗教団体、便乗値上げをしていた商店などを次々と批判(組織的に支援活動を行っていた山口組のことは絶賛していた)。同時に、避難所にテレビカメラを置いて被災者の無事を伝えるようにしたらいいのではないかと提案も行っている。

最後は、同じ系列局である日本テレビで放送されていた『24時間テレビ』を「なんでこんなときにせえへんのや、夏が来たらするくせに」(鶴瓶)とこき下ろし、「結局、テレビは芸能なんですよ」という上岡の一言で番組は終わった。

彼らの言うことが必ずしもすべてが正しいというわけではない。なかには暴論もあっただろう。それにしても、バラエティ番組でここまで言える芸人の胆力と、それを放送するスタッフの懐の深さにあらためて驚かされる。

テレビの報道に関しては、阪神・淡路大震災以降、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災を経て、多少なりとも変化はあったと思う。

NHK熊本放送局では、熊本市内のスーパー・コンビニの営業情報を流しはじめた。テレビ朝日とサイバーエージェントが共同出資したAbema TVでは、4月19日に「熊本地震情報掲示板TV」(http://news-prime.abema.tv/posts/725537?categoryIds=92698)を行う。被災地に住む人たちが、安否確認や物資、避難についての情報をテキストや動画で投稿するとそのまま紹介されるという番組だ。これなどは、まさに21年前に上岡が番組内で提案していたアイデアに近い。これからの新しい災害報道のフォーマットになるのではないかと期待している。
(大山くまお)


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「助けて、の声が聞こえへん」阪神・淡路大震災経験者がマスコミのヘリに苦言

Spotlight 『はむぽよ』さんのブログ より転載させていただきます。
2016.04.17



地震大国と言われる日本。4月14日に発生した熊本地震の際、「最大震度7」と聞いて、ハッと阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震、東日本大震災を連想した人も少なくなかったと思います。しかし、14日の地震の時点では被害は局地的だったため安心したような意見もあった中、16日に本震とみられるマグニチュード7.3の超巨大地震が発生。14日の地震には耐えていた多くの建物も倒壊、けが人や死者も続出し、道路が寸断され孤立してしまう地域も発生。避難所となるべき病院や指揮命令系統の中枢である市役所庁舎も影響を受けるなど、さらなる被害の拡大に被災地はまさにパニック状態となってしまっています。

震災後のマスコミ対応に非難も


そんな被災地の様子を刻一刻と私たちに発信し続けているのがマスコミの存在です。現地の映像と被災者の声を届け続けることで、視聴者に募金や救援物資を呼びかる重要な役割を担ってくれています。

しかし、そんなマスコミに「救助の邪魔だ!」「過去の教訓が生かされていない!」と怒りを覚える人も多いようです。


桂吉弥さん



関西で活躍する落語家の桂吉弥さん。自身がレギュラーを務める番組での一コマ。熊本からの中継後にコメントを求められた際、他の出演者が被災状況に驚く声をあげる中ただ一人
「あのね、今も後ろでずーっと鳴ってたんやけどね、マスコミのヘリコプター。何台も飛んでますやんか、あれどうにかならんのかね。現場で救助活動してると「助けてー!」とか「誰か居てるかー?」ってゆう叫び声がヘリの音にかき消されてしもて、全く聞こえへんのよ。マスコミ各社で協力して、ヘリ1台だけにするとかね、ほんまどうにかしてほしいなー・・・」とコメントされました。


実は桂吉弥さん、大学生の時に阪神・淡路大震災で被災された経験を持ちます。春から落語の世界に入門する、という矢先に震災に見舞われ、入門を延期し災害ボランティア活動を行っていた経験から、被災地への思いは一段と強く、また救助活動を邪魔するヘリの存在が許せなかったのでしょう。

神戸大生だった私はとんでもない揺れで目を覚まし、部屋の中が滅茶苦茶になっていくのを「夢であってくれ」と祈って見ているしかなかった。揺れがおさまった後に窓を開けると、折れた電柱とガスのにおいでこれは現実なんだと突き付けられた気がした。「これから大変なことになるやろうな」と覚悟したのを覚えている。夜が明けたら落語研究会のクラブ員の無事を確かめに走った。

出典 http://kobe-kobecco.com



同じく、被災地でのヘリに疑問を持つ声も



マスコミのヘリが飛んでいるのは自衛隊ヘリとは高度が違うから「邪魔にはなっていない」ということですが、被災地で実際に迷惑となっているのはその”音”なんですね。これは被災経験者でなければ気づくことができないことかもしれません。


こうした声にマスコミ側は

こういった意見を受けて、NHKでは早々に公式ツイッターでヘリコプターの件にコメントしました。




災害時のヘリ使用には見直しが求められている


”72時間以内”に救助されるかどうかが命の分かれ道と言われるように、災害発生後数日間は昼夜を問わず必死の救助活動が行われます。そんな状況を、大量のヘリによって妨害されてしまうという事態が起きてしまっては本末転倒、とても悲しいことです。

黄金の72時間とは、地震などの災害が発生によって倒壊した建物等の下敷きになった人の救出にあたっては、経過時間72時間を境に生存率が激減するとされることから、72時間以内に救出をめざすという意味で使われる。「72時間の壁」という言い方もある。

出典 https://www.hazardlab.jp






地震に限らず、大きな事故や自然災害が起こった時、私たちに現場の状況を伝え続けてくれるマスコミ。現場の記者たちも命がけでのリポートをしてくれています。

しかし、ヘリコプターの台数や、渋滞の元になる大量のロケ車両は一分一秒を争う救助活動の妨げになりかねません。緊急時におけるマスコミの対応は一度見直される必要があるでしょう。


以上、Spotlight『はむぽよ』さんの
~「助けて、の声が聞こえへん」阪神・淡路大震災経験者がマスコミのヘリに苦言~
から転載させていただきました。


  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪



「高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba」
 より転載させていただきます。



2016-04-20 19:14:01

高須ヘリ大活躍


朝一番 熊本リハビリ病院に向けて佐賀空港から離陸




発進
 
熊本空港の近くの崇城大学のヘリポートに着陸
崇城大学は航空学科があるのでヘリポートもあるのだ
ラッキー!


病院からのバスに支援物を資積み込む



メディアのクルーが来てる

フジテレビ「特ダネ」だって
インタビューに応じた
僕の心が被災者につたわりますよう

二番フライトは熊本防災消防航空隊基地
隊員のお迎え



陸上自衛隊災害救援隊に支援物資手渡す


 実に規律正しくてきぱき動いてくれる

お願いいたします。一刻も早く被災者の皆さんに届けてください

腹が減ってきた。弁当むさぼり食う

フライトしても飢えがおさまらん
おにぎり食う


お茶がぶ飲み
パイロット迷惑


第3フライトは
南阿蘇村


阿蘇山の噴煙

道に迷った
南阿蘇村はどこだ?


やっと着いたぜ🎵 
てきぱきと支援物資を運んで下さる自衛隊の皆さん


オスプレイが頭上を飛んでいった
なんか悔しい


離陸する僕らを見送る子供たち
自衛隊員が何か告げようと子供たちのところに行こうとしている
君たちは国の宝だよ
君たちを守るのは大人の義務だよ。
お礼はいらない
 
さようなら


以上、
http://ameblo.jp/drtakasu/entry-12152277361.html
「高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba」より 転載させていただきました。
Posted at 2016/04/21 13:18:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 所感・雑感 | 日記

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