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青と緑の稜線のブログ一覧

2022年10月27日 イイね!

安倍元総理大臣への追悼演説

安倍元総理大臣への追悼演説野田元総理大臣の追悼演説を、YouTubeで拝見しました。
素晴らしい、心のこもった追悼の言葉に、心が震えました。

日本男児として、正々堂々と在りし日の安倍総理の生きざまを語ってくれた野田元総理に心から感謝し、敬意を表します。

野党の議員だからこそ、語る言葉に誠と重みがありました。
現第二政党の幼稚な議員もどきには到底任せることはできない、
この方にしかできない役目でした。

同じ内閣総理大臣の職を経験した方同士だからこその、
安倍総理大臣の艱難辛苦、捲土重来、不言不語、思いを共有できる人選でした。

真摯で真心のこもった追悼の言葉で、安倍総理の功績と尽力、労苦、無念さを、政敵として、敗軍の将として、余すところなく語ってくれました。

国葬儀まで時間がかかりすぎて、マイノリティでありながらラウドスピーカーたちの心ない雑音や悪口に、ご遺族のみなさんはどれほど心を痛められていたことでしょう。
私たち多くの日本国民も、テレビ新聞などオールドメディアによる事実ではない偏った報道や印象操作に、憎しみと悔しさばかりが募り、安倍ちゃんを失ってしまった喪失感と悲しみに打ちひしがれていたのですから。

野田元総理が、キッパリとはっきりと言ってくれました。

なかでも、

「マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。」

このくだりでは、涙があふれてきて止まらなくなりました。

どんな理由があっても、どんなバッググラウンドや支援者が存在しても、
卑怯にも背後から銃を使って命を奪う行為は、ゼッタイに許せない。許さない。

そのことが、全ての日本人が許すまじ事実であり、その犯罪の検証や背後を徹底的に捜査し追求し続けることが、無念の殉死をとげてしまった安倍ちゃんへの償いと、汚名返上、威信をかけて警察がすべきことなのです。

それがおざなりになっていることに、ずっと不信感と憤りを感じています。

追悼演説を依頼され、見事に応えた野田元総理が、彼の所属する立憲民主党の雑魚議員もどきたちや朝日新聞、バカ左翼たちのように、犯人の山上何某を担ぎ上げたり称賛するような人でなしでなく、心ある日本人で、本当によかった(´;ω;`)


安倍第二次内閣が発足し、快進撃を重ねることになったあの日。

解散総選挙することを野田元総理がいきなり発言した党首討論は、日本の潮目を変える、歴史上のターニングポイントでした。

あの頃の高揚感。安倍ちゃんがもう一度、政権を奪取して総理大臣として戻ってくる喜びと期待感は、私にとっても忘れられない幸せな時間だったわ・・・。

大きな仕事をやり終えて、もう一度休養と充電期間をとってから、
第三次安倍内閣がまもなく始まるはずでした。
もしかすると、高市早苗内閣総理大臣を支えるフィクサーとして活躍後、かな。

第三次安倍内閣総理大臣は、菅義偉官房長官、高市早苗防衛大臣、高橋洋一財務大臣、小林鷹之経済安保相、小野田紀美外務大臣、小坪慎也拉致担当大臣などを従えて、再々登場するはずでした。

その頃には、アメリカは再びドナルド・トランプ大統領が返り咲き、
ロシアの蛮行や中国の勝手は許さず、自国を誇りに、他国も尊重し、
日本的な自由と正義と誠実、勤勉さを共有できる人々が世界中にあふれ、
アニメやスポーツや様々な文化を共有して、楽しい毎日を送っている…。

そんな夢を打ち砕いた犯人を許さない。
そのバッグにいる勢力も許さない。

安倍ちゃんが目指した国づくりを、志を引き継いていくのが私たちの義務です。



野田元総理 国会で故・安倍元総理への追悼演説【ノーカット】(2022年10月25日)



安倍元総理を追悼する国会演説が、25日、立憲民主党の野田元総理によって行われました。野田元総理は第二次安倍政権の直前に総理を務めていて、安倍元総理の国葬には、「元総理が元総理の葬儀に出ないのは私の人生観から外れる」として、立憲民主党議員が多く欠席するなか出席しました。それでは、野田元総理による追悼演説をノーカットでご覧ください。


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野田元首相の追悼演説全文 「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん‥」
産経ニュース
2022/10/25 13:57


立憲民主党の野田佳彦元首相は25日の衆院本会議で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の安倍晋三元首相に対する追悼演説を行った。

安倍氏の昭恵夫人が傍聴席で見守る中、野田氏は「あなたは議場では闘う政治家だったが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもあった」として、首相を引き継ぐ際、安倍氏から励ましを受けた思い出などを回顧。「あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言葉の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかない」との決意を語った。


演説の全文は以下の通り。


本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

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遺影を手に、衆院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を傍聴する安倍昭恵さん=25日午後、国会・衆院本会議場(矢島康弘撮影)

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。


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平成24年11月の党首討論で対決した野田氏(右)と安倍氏

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

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衆院本会議で安倍元首相の追悼演説をする立憲民主党の野田元首相(壇上)。右上は遺影を手に傍聴する安倍昭恵さん=25日午後

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。


私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。


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遺影を手に、安倍元首相の追悼演説が行われる衆院本会議に向かう安倍昭恵さん=25日午後

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。






611回 野田元首相の追悼演説 立派でした。立民の人は何を思う




野田元総理の名演説。ふざけるな。テロと闘う決意なき立憲民主党。(22/10/26)








Posted at 2022/10/27 22:24:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2022年10月24日 イイね!

Foreverヤング

Foreverヤングラジオ番組の電波に乗って、
自分のラジオネームとメッセージが読まれたときの、
あの興奮と感動。

体験されている方もいらっしゃるでしょうね。


実は、三週間前に、とってもとっても久しぶりにラジオ番組に投稿しました。
そして、読んでもらいました( *´艸`)


ラジオ番組にメールをしたのは、およそ20年ぶり。

秋田に嫁いで来る前に、静岡のFM局で「フォルクスワーゲン新車購入資金50万円」の懸賞に当選し、お礼のメールをして以来です。


思い起こせば、ああ、青春の大学時代。
一目ぼれしたツートンカラーのパトカー、R30。
ステキすぎる丸目のテールランプ。
SKYLINEに乗りたい一心でアルバイトを続け、ようやく購入できると思っていた矢先、父親から
「ぶつかってもぶつけられても死なない車に乗れ」
と、VWゴルフを買ってもらい…。

その後、社会人になってからも、10年間乗り続けたゴルフⅡ。
手放すのはまだ早い、と思っていたのですが、思いがけず、懸賞に当たったので嬉しいのと戸惑いの複雑な気持ちのまま…。
懸賞当選後、新年度の職員あいさつで、滅多にない幸運を伝えたところ、翌日に同僚と昼食に出かけた帰り道に事故は起こりました。
わき見運転をしていた後続車が、横断歩道手前で小学生が渡るのを待っていた私のゴルフⅡに追突し、なんと、廃車となってしまいました。
(同僚二人が軽いむち打ちになりましたが、父の言ったとおり、誰も死にませんでした)

これも運命と、その時購入した緑色のゴルフワゴンに荷物を目いっぱい積んで、父親に大反対、勘当されて秋田に嫁いできました。

と、このあたりのお話は、古い拙ブログで。


車とわたし<前篇>

車とわたし<中編>

車とわたし<後編>




前置きが長くなりました。

三週間前にお便りを出したのは、某スポーツイベントに次男が参加し、
その会場にいらしていた地元のローカルタレントさん、
ラジオ番組のパーソナリティをしている石垣政和さんから、
マイク越しに声をかけてもらったお礼を伝えたかったから。

体育の日、じゃなくてスポーツの日。
いつもは帰宅途中の車の中で聴いていたのですが、
休日で家にいたため、初めてスマホに「ラジコ」をダウンロードして
ラジオを聴いて、番組の途中にメッセージを送りました。

そしたら、最後に読んでいただいて、嬉しびっくり(*'▽')

調子に乗り、翌週にも投稿したら、メッセージは読まれないけど、
ラジオネームを読んでもらって、ほっこり。

今日も、勤務時間終了後に、メッセージを送りました。

ふふふっ( *´艸`)


車に乗ったのはラジオが始まって半分くらい過ぎていたけど、
わくわくして聴いてました。
今日の投稿も、おもしろいネタばっかりで、大笑い。

音楽の特集は、竹内まりやさん。
車の中で、合唱のガチ練習くらい全力で歌っていたら、
二車線の信号待ちのお隣の車のお兄さんがこちらを見ていて、
笑ってましたよ。

最後の投稿者の名前に、私のラジオネームがないから
(もしかして・・・?)
番組終了後にスマホのラジコで、最初から再生しました。

そしたら。

ふふふふふっ( *´艸`)

読まれてました。
ちょっと、おもしろおかしく誇張されて。

なんだか嬉しくって、お風呂上りにウメッシュを飲んで、チーズを食べて、
もういっかい、最初から最後までラジコで聴いちゃいました。



Foreverヤング│エフエム秋田│




Foreverヤング│エフエム秋田│2022/10/24/月 18:00-18:55

http://radiko.jp/share/?sid=AFM&t=20221024180104

「ラジコ」で、一週間、過去の番組を聴くことができます♪



Foreverヤング - 石垣政和のお部屋



面白くて、ちょっとエロくて、自分の世代にドストライクな選曲。
毎週、ラジオを聴いて、ゲラゲラ笑っています。
クールな相方、樋口さんとの掛け合いも、見事な名人芸。

石垣さんは地方のタレントさんとはいえ、
マスコミ、業界人だから、左寄りのパヨクな方だと勝手に思っていました。

ところがどっこい。

真っ当で硬派な常識人で、共感・賛同するブログを書かれています。

ぜひ、石垣さんの魅力の一端に触れてくださいね。

石垣政和のお部屋 今日の1枚


Posted at 2022/10/25 00:00:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2022年10月17日 イイね!

昭恵夫人「豊かな67年の人生だった」【本当にさようなら(´;ω;`)ウッ…】

昭恵夫人「豊かな67年の人生だった」【本当にさようなら(&#180;;ω;`)ウッ…】本当に、さようなら、なのですね。

昭恵さん。
立派なご挨拶です。
さすがは、晋三さんが大切にされた、すてきなご伴侶です。


どんなに淋しく、悲しく、悔しく、切なく、辛いお別れなのでしょうか。

安倍ちゃんと昭恵ちゃんが重ねてこられた月日は、日本のため、
私たち日本人のためのかけがえのない、感謝に満ちた時間でした。


どんなにお辛いのか、想像することしかできません。
どうか、心穏やかな優しい日々が過ぎてゆきますように。

お二人への感謝と尊敬を、
いつまでもいつまでも抱き続けている私たちがいることが、
少しでも、安らぎと癒しとなりますように。

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安倍氏県民葬詳報
昭恵夫人あいさつ詳報「豊かな67年の人生だった」

産経WEST
2022/10/15

参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の山口県民葬(県民葬儀)が15日、下関市・県国際総合センター「海峡メッセ下関」で営まれた。遺族代表であいさつした喪主の昭恵夫人は「主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただき、豊かな67年の人生だった。本当にありがとうございました」と述べた。昭恵夫人のあいさつの詳細は以下の通り。

「本日は主人の県民葬、立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ、県議会関係者の皆様方には厚くお礼を申し上げます。細田(博之)衆院議長はじめ、国会議員の先生方には大変、お忙しい中、わざわざ下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。地元の議員の皆さま、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの方にご参列をいただき、また、台湾からも遠くたくさん、ご参列いただきました。主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます」

「7月8日にこのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百か日を迎えました。信じられないような中で日々が過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、『あっ、本当にいなくなってしまったんだな』と寂しさが増してきているような日々でございます」

「平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんで志半ば、総理目前といわれながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。秘書をしていた主人は、おそらく誰よりも、その無念さを感じたことと思います。
 その後、父の遺志を継いで、政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて、毎日、毎日、多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の時代でもありました。主人はその中で、政治家になる決意をして、そして、『未来は不変のものではなく、われわれの努力によって作り上げていく』という信念のもと、『世界平和のために新しい秩序、この日本が中心になって作っていかなくてはならない』。そんなことを語っておりました。それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫していたのではないかなと思います」

「主人を支えてくださったのは、本当にこの地元にいる皆様方でした。初めて選挙に出たときは志は高かったと思いますけれども、また、父の秘書をしていたとはいえ、政治家としては全くの未知数で、30代という人間としても、まだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。時に厳しい言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで、主人を大きな政治家に育てていただけたのだろうなと思っております。ことあるごとに主人は『自分が東京で安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだ』と口にしておりました」

「特に2007年、第1次政権、病気のために辞任することになったときには『突然、総理を投げ出して無責任な男だ』と大変な批難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくして、この地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、『晋三さん、もう1回頑張りなさい』と励ましていただきました。主人にとりましては、本当にどんなにうれしかったろうかと思います」

「そして、その後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。そのとき、主人は『再び地元の皆さんに政治家として、生命を吹き込んでいただいたんだ』というふうに言っておりました。そして、もう一度、政治家として頑張っていこうと決意を新たにしたのではないかなと思っています」

「その後、2012年に負けるかもしれないという自民党総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、『負けてもいい。何度でもチャレンジする』と言って総裁選に出馬をいたしました。その後、7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりまして厚くお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました」

「主人は山口県が本当に大好きで、この下関・長門が大好きでした。役職について、だんだん、帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年、お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。『コロナでなかなか帰れないけれども、コロナが落ち着いたらゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいね』と、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔参院議員)先生の選挙の応援で帰ってきたのが最後となってしまいました」

「今回、遺骨という形で帰ってきたのは、本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方にお越しをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。一般献花においても、長い、長い列ができて長時間並んで、献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います」

「増上寺でのごあいさつのときに、吉田松陰先生の『留魂録』を主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいて、豊かな67年の人生であったと私は思っています」

「主人が愛した、この山口県、私も本当に大好き。これからも先ほどの映像にも出ていましたけど、令和の地方のあり方、私もこの地域のために、これから何かしら活動していきたいなと思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願い申し上げます」

「母は94歳になりました。家では、弔問に来られる方の対応をしておりますけれども、残念ながら、この県民葬に参列することはできませんでした。長年、お世話になりました皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えしてほしいと母からも言われました」

「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると、気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当に、このように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりましてお礼をさせていただき、私、喪主のごあいさつとさせていただきます。本当に本日はありがとうございました」

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安倍元首相のピアノ演奏 昭恵夫人の誕生日にサプライズ披露するため60年ぶり猛練習
NEWSポストセブン
2022.07.15

 選挙演説中に凶弾に斃れるという衝撃的な事件から4日後の7月12日、東京・港区の増上寺で、安倍晋三・元首相の告別式が営まれた。昭恵夫人が喪主を務めた告別式には岸田文雄・首相や麻生太郎・自民党副総裁ら約200人が参列。1000人以上が焼香の列に並んだという。

 参列者のひとりがその時の状況を明かす。

「会場では、生前の安倍氏の活動を紹介するVTRが流れました。昭恵夫人と世界を回るスナップやスピーチに加え、安倍氏が演奏するピアノに合わせ、昭恵さんと合唱する動画も流れた。会場に響く2人の歌声は参列者の涙を誘いました」

 安倍氏が演奏をしていたのは『花は咲く』という曲。東日本大震災の復興支援のために作られたチャリティーソングだ。昨年12月に安倍氏は公式YouTubeチャンネルでこの曲を弾く姿を公開したが、今年6月にも昭恵夫人のためにサプライズ演奏していたという。昭恵夫人の友人が話す。

「昭恵さんは今年6月10日に還暦を迎えました。自身が経営する居酒屋『UZU』では2回ほど、デヴィ夫人ら著名人を招いてお祝いの会が開かれたのですが、それとは別に、白金の『八芳園』で30人ほどのごく親しい友人たちを呼んでパーティーをしたのです。参加者は昭恵さんの友人のみで、安倍元首相の関係者や夫妻共通の友人などはいなかったようです。

 そこに安倍元首相がサプライズで現われ、約5分にわたり、昭恵さんのためにピアノの演奏を披露したのです。それが、『花は咲く』だった。小学校2年生の時に習っていたピアノをやめたという安倍元首相は、60年ぶりにピアノの猛練習をし、この曲が弾けるようになったそうです」



 出棺前の「最後の別れ」の際には、昭恵夫人が安倍氏に頬ずりをする姿が見られたという。その後、安倍氏は東京・品川区の斎場で荼毘に付された。斎場周辺には大勢の人たちが集まり、「安倍さんありがとう!」などの声が飛び交った。

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「何度でも申し上げます、安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした」ー令和四年九月二十七日  前内閣総理大臣 友人代表 #菅義偉 【ノーカット版】









Posted at 2022/10/17 06:09:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記
2022年10月02日 イイね!

日本の中心と津々浦々で、花は咲く。

日本の中心と津々浦々で、花は咲く。9月27日が晴天に恵まれて良かった。
本当に良かった。

もし、安倍元総理の国葬儀が休日開催だったら、
高速バスに乗って九段坂公園に献花に行きました。

「国葬の賛成と反対で国を二分」
「国葬反対が65%」

マスコミが自分たちの思い込んでいる、そうであってほしいという願望、捏造、
フェイク情報を、メディアという公の武器を使って、
国内だけでなく海外にも流布されて、
安倍総理の名誉を傷つけ、功績を無視し、
安倍総理を慕う国民も煮え湯を飲ませられ続けている状態に我慢ができず、
普通の日本人・サイレントマジョリティの一人として、
献花することで意思表示をしたかったのです。

でも。
平日で、仕事を休むことは叶わない。
しかも、元々その日は出張が入っていたけれどコロナのためにオンラインに変更されて、一日中、職場の一室でPCの前にいなくてはならない。
国葬の中継さえ観ることもできない。
業者さんに頼めば、九段坂公園に献花する列に並んでいただかなくても、別のルートで会場に運んでいただけるのかと思ったけれど、それもできず。

当日は、花キューピットで自民党県連に花かごとメッセージを届けていただいていたので、17時30分の終了時刻に間に合えば記帳に行くつもりでした。
しかし、研修の終了時間は勤務時間ギリギリで、しかも、項目の多い研修の振り返りをすぐにメールで送らなくてはならず、…やむなく断念。

帰宅してからネットで国葬関連のニュースを見ました。


安倍元総理のご自宅前の海上自衛隊の儀仗隊がご遺骨のお見送り、
防衛省に立ち寄り、多くの制服組と背広組がお見送り、
武道館へ到着と同時に、自衛隊による弔砲が19発、
昭恵夫人から遺骨を受け取って祭壇へ置いたのも3人の儀仗兵、
会場で「君が代」などを演奏したのは、陸上自衛隊中央音楽隊、
銃剣を携えた儀仗隊が入場し、黙とう、
岸田総理の無難な弔辞、菅元総理の友人代表としての感動的な弔辞、
祭壇の左右に並ぶ二人の儀仗隊は、微動だにせずに直立不動、
自衛隊の皆さんの一糸乱れぬ、整然かつ美しい所作に感動。
遺骨が武道館から自宅へ戻る際、「花は咲く」を演奏。

政府発表の国葬儀の参列者数は、海外の弔問客を含め4183人、
会場近くの九段坂公園で受け付けた一般献花者数は約2万3千人。

海外からは、インドのモディ首相、オーストラリアから現・元職合わせて4名、
米副大統領や元駐日大使ら12人ら、218の国や地域、国際機関の代表者が約700人が参列。

主な参列者の一覧
◎皇族: 秋篠宮皇嗣同妃両殿下と次女佳子さま、三笠宮家の寛仁親王妃信子さまと長女 彬子さま、高円宮妃久子さまと長女 承子さま
◎三権の長(経験者含む)
 菅義偉・前首相、野田佳彦・元首相、麻生太郎・元首相、福田康夫・元首相、小泉純一郎・元首相、森喜朗・元首相、細田衆院議長、大島理森・前衆院議長、伊吹文明・元衆院議長、尾辻参院議長、山東昭子・前参院議長、伊達忠一・元参院議長、山崎正昭・元参院議長、扇千景・元参院議長、戸倉三郎・最高裁長官、大谷直人・前最高裁長官
◎政党幹部
 茂木自民党幹事長、山口公明党代表、馬場日本維新の会代表、玉木国民民主党代表、立花NHK党首、松田参政党代表
◎経済界
 黒田東彦・日本銀行総裁、十倉雅和・経団連会長、芳野友子・連合会長、御手洗冨士夫・キヤノン会長兼社長CEO、笹川陽平・日本財団会長
◎首長
 小池百合子・東京都知事、大野元裕・埼玉県知事、大村秀章・愛知県知事、河村たかし・名古屋市長、松井一郎・大阪市長、高島宗一郎・福岡市長
◎文化・芸能・スポーツ・その他
 原辰徳・読売巨人軍監督、王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長、梨田昌孝さん、張本勲さん、青木功・日本ゴルフツアー機構会長、武藤敏郎・元東京五輪・パラリンピック大会組織委員会事務総長、伊調馨さん、萬田久子さん、横田拓也・北朝鮮による拉致被害者家族会代表、杉田和博・前官房副長官
◎海外から
 ハリス・米副大統領、メイ・元英首相、サルコジ・元仏大統領、ミシェル・欧州理事会常任議長(EU大統領)、万鋼・中国全国政治協商会議副主席、韓悳洙(ハン・ドクス)・韓国首相、モディ・インド首相、アルバニージー・豪首相、グエン・スアン・フック・ベトナム国家主席、リー・シェンロン・シンガポール首相、フン・セン・カンボジア首相、タミム・カタール首長、アブドラ・ヨルダン国王、サルマン・バーレーン皇太子、蘇嘉全・台湾日本関係協会会長、バッハ・国際オリンピック委員会(IOC)会長



国葬儀に対する警備は、全国から派遣された警察官約2500人を含め最大約2万人の警察官が動員され、最高レベルの態勢で東京都内各所の警戒に当たったそう。
テロや国葬反対デモなど、大きな混乱もなく、海外の要人を無事に迎え、送り出してくれたことに、心から感謝。


そして、何より感動したのは、晴天ながら炎天下の中、一般献花に訪れた人々の整然と美しく並ぶ長い列。
故人を偲び、感謝の気持ちを捧げようと、それぞれの装いと表情で花束を抱く美しい日本人の佇まいを見て、熱いものがこみ上げてきました。

最長5時間ほど、4キロほどの長い時間と道のりを、横入りすることもせず、愚痴を言うこともなく、気の置けない会話をしながら静かに安倍総理に対する弔意を意思表示する
政府発表では2万数千人、実数7万とも10万ともいわれる献花された皆さん。

マスコミが垂れ流してきたことはウソばかりでインチキだったことを、
サイレントマジョリティが黙って、行動で明らかにしてくれました。

できることなら、自分もその場にいたかった。
安倍ちゃんに対する感謝と弔意を示す国民の一人となって、
恩返しがしたかった。

平日の炎天下の中、心を込めた献花をしてくださった皆様には、
感謝の気持ちでいっぱいです。

Twitterでも、一般献花をされた方々のツイートがupされていて、
嬉しく心強く拝読しました。

その中のお一人。
あの日の光景が目に浮かぶような、素晴らしい紀行文です。
akicyo53様。
転載を快諾してくださり、ありがとうございます♪


それでは、紹介させていただきます。


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国葬儀の一般献花のご報告

僕は普段並びません。どんなに美味しいラーメンでもグルメでも並んで自分の貴重な時間を費やしてまで食べる程のものなど僕には無いと思っているから。
僕は仕事を絡めないで遠方には行きません。無駄が多いと思ってしまう効率主義の性格だからです。
そんな僕が 続

仕事を朝イチで切り上げ、休みを取って国葬儀の一般献花に参加しました。
自分でもビックリしています。
結果、参加して本当に良かったと思っています。東京駅から歩いて大手町駅まで行った時、足を引きずる高齢女性が声をかけてこられました。
「国葬に行かれますか?」
「行きますよ。」


「ご迷惑でなければ一緒に付いていって良いですか?」
「喜んで😁」
そうしてその女性と同伴させていただく事に。
聞くと彼女は日本会議の女性部の人だった。上品で穏やかで川崎の奥から一人で来られたようで歩きすぎて足が悪そうでした。居てもたってもいられない気持ちで参加したと。


二人でゆっくり歩いて半蔵門駅に到着して5番出口を目指すとすぐに警察の誘導で6番出口を目指す様言われました。するとエスカレーターの下まで行列。一般献花の人達でした。
すると別の女性に声をかけられ、3人で目指す事に。エスカレーターを登り切ると目の前には凄い行列。


ビルや区画をなんかいも回り回って献花台に向かう。
あまりにすごい人数でどれくらいかかるのか?想像もつかない。
でも不思議と全く重荷には感じない。
行列は整然として道路の端に寄り、動かない事に対して文句を言う人も警察官に文句を言う人も一人も居ない。
それが気持ち良い。


私達も周囲の人も会話はマスゴミの酷い報道や野党のズルさ。反対派の非常識さについてが殆どで
「みんな同じ話してるな」
と少し笑えた。はるか彼方まで見える乱れぬ行列を見て日本人としての誇りを覚えた。
2時間並んでやっと千鳥ヶ淵の所持品検査まで来た。そこからは風が気持ち良く歩けた。


一般献花台まで来て花束を置き静かに手を合わせた。涙が止まらなくなるかと思ったが案外泣かなかった。
反対派や世間の空気に苛ついたり、警察に不満があったモヤモヤが消えていく。ただ素直に心から安倍総理のご冥福をお祈りできた。
同じ様に手を合わせる人達をみて、
「日本はまだまだ。」


誰かが言ってた献花する静かなる日本人の反撃。日本はまだまだいける。
マスゴミなんぞ駆逐して、反対派の共産主義者や情弱高齢者なんかに負けるわけがないと確信した。本当にあらゆる年代の人達が寡黙に並び、黙って花束を添えた。コンナヒトタチに負けるわけない。安倍総理のイズムを継ぐ。


それが出来るのだと確信して安倍総理に休んでほしいなと。
国葬儀に参加できない人達の分も手を合わせてきました。
同じ想い、同じ国家観を共有できる人達と同じ空間に居られる最高の国葬儀一般献花場でした。
追伸
マスゴミは行列を撮りにきませんでした。九段下の少し動きの出る処を陣取ってた。続

反対派の叫び声も聞こえませんでした。太鼓の音は聞こえましたが。
要するに、そういう規模だったって事です。皆さん、これから日本は多難続きだと思いますが、コンナヒトタチに負けないように日本という国を次の時代にしっかり紡ぎましょう。
俺も自分に出来る事をやります。
長文すみません。 終



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あの日の光景が目に浮かぶようです。
残念ながら、自分の職場や周りにはあまりいないけれど、
志を同じくする方々が、おそらく日本各地から都心に集まり、
長時間、長距離の道のりを静かに歩いて、安倍総理を偲んでくださっている。



そう思うと、自分も、いてもたってもいられず、翌日の夕方に、
地元の自民党県連に記帳に行ってきました。

9月28日。
職員会議が終わり、勤務時間終了5分前。

住まいが近くにあるSさんに、
「(県庁のすくそば)〇〇からここまで、どのくらいかかります?」

「ぼくはだいたい45分ですけど、アノ車なら35分ですかね( ̄ー ̄)ニヤリ」

「( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽ」

「よーし」

Rさん
「あら、どこかイイところに行くの?」

「はいっ(⌒∇⌒)」


5分間だけ年次休暇をもらって、車を走らせます。

事前に電話で確認して、17時30分に間に合うならどうぞとの職員の方。
ちょうど帰宅時間ラッシュで混んでいましたが、ギリギリ何とか間に合いました。

事務所に着くと待っていてくださり、記帳をさせていただきました。

前日に、国葬儀に合わせてお花を届けていたこともご存じで、
「このお花ですよ。カードも、記帳のなかに貼らせていただきました。」
と教えてくださいました。

ギリギリの時間になってしまったけど、
東京まで行けなかったけれど、
どうしても気持ちを届けたい。

大切な日に、日本の片隅からも、安倍総理への感謝と追悼の意を伝えたい。
安倍総理が蒔いてくれた種を、私たちが水をまき、芽をだし、育て、
花を咲かせることを約束したい。




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私がブログを書きたくなるのは、書きたいことがあるから。
伝えたいことがあるから。

なんとなく…、な時もあれば、どうしても!、の時もある。

安倍ちゃんが暗殺されてしまった時から、まるで深海の底にいるような
後悔と悲しみと絶望の中にいるような、淀んだ気持になってしまっていた。

国葬儀に反対する左翼、マスコミなど「こんな人たち」「あのような人たち」の大声に押されて、まるで安倍ちゃんを慕い感謝する人たちの方が少ないような報道。

当日も、反対デモの数百人(野鳥の会の人によれば307人ww)を1万5000人、
2万人なんて盛りに盛って、
献花した人の行列は、ニュースなどでもちらっとしか伝えない。
菅ちゃんの「魂の弔辞」は、電通が関わって作ったようなことまで言われて。

怒り心頭。
偏向報道、ここに極まれり。

そうじゃない、そんなはずないと普通の日本人は思っているけど、
その声は反映されず、メディアの公器によって消し去られてしまう。


いいえ。

今は、テレビや新聞、雑誌などのオールドメディアだけでなく、
個人が発信できるSNSもある。
ひとり一人が、自分の考えを発信し、繋がり、紡いでいくこともできる。

自分と似ている考えの人がいることを知る、確認し合えることは、
大きな喜びとなり、自信や誇りにつながります。

家族や友人だけでなく、会ったこともない人とでも、
SNSを介して繋がることができる。

だから、ブログを書きたくなるのだと。
twitterは、相変わらずうまく使えないので、情報を収集するばかりですが。



私の持論。

教育は、「よりよく生きるため」「社会の役に立てるため」のもの。
ひとり一人が、自分自身の人生をより充実させるために、
そして、社会に参加し、自立し、できれば納税者となって社会に貢献できる。

そんな日本人を育てるために、自分自身が日本人の精神をもち、
先人の功績から学び、よりよい日本を創っていく一人となりたい。

生きていく上での幸せについて、ステキなブログを見つけたので、
紹介させていただきます。



【人間の究極の幸せは四つ】働くことで得られる幸せとは~自ら人に与える大切さ~
2022年8月25日
Eigo.COM
人生は日々冒険。今を生きる。


人間の究極の幸せは、次の四つになるそうです。

 人に愛されること
 人に褒められること
 人の役に立つこと
 人から必要とされること


(略)

特に、働くことによって愛以外の三つの幸せは得られると。

(略)

四つの幸せを得るにはどうすればいいでしょうか?

それは、最初に「自分から人に与えること」が大切だと思います。

 人から愛されるためには? 先に自分が人を愛すること。
 人に褒められるには? 先に自分が人を褒めること。
 人の役に立つには? 助けを必要としていないか自分から声を掛けること。
 人から必要とされるには? 自分にしかできない得意ワザを持つこと。

人間、いつどうなるか分かりません。

どんなに健康に気を付けていても、明日の朝に今日と同じく目が覚める保証は無いのです。

これは生き物としての宿命だと思います。

だからこそ、いつこの世を旅立つことになっても、

「あなたがいてくれて本当にありがとう」と言われる人生にしたい。

人間の究極の幸せへ、少しずつ近づいていきたいです。



自己肯定感が下がった時の対処法
2022年8月25日


自己肯定感が下がった時の対処法は次の通りです、

①嫌なことを考える時間を減らす
②自分を褒めてくれる人と話をする
③心から好きなことをする
④完璧主義を辞める
⑤失敗した経験を「学び」と考える
⑥過去は振り返らない
⑦十分な睡眠を取る


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うん。
実践できそうです。

②は、いつもつながる、話せるわけではないけど、自分も相手に心がけたい。




Posted at 2022/10/02 18:58:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 安倍政権 | 日記

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