今から思えば、子供の頃には好奇心が掻き立てられるようなメカニカルなものが、身の周りにずいぶんあった。
まずは足踏みミシン。
母親が使っているのを横で見ているうちに、なんとなく使い方を覚え、そのうちに自分で糸を通し、生地の端切れをもらって縫うようになっていた。
足の踏み加減で自在にスピードコントロールができ、レバーで前進、後進を切り替え、角の部分はスピードを落として手で布を回してクリアしていく。
こうやって書いてみると、車の運転ととても良く似てることに気づいたが、こんなことに夢中になって遊んだ覚えがある。
一度、勢い余って針が爪を貫通したことがあったが、多分、相当痛かったに違いない。
※今回の画像は全て借り物です。
楽しかったのはそれだけではない。
ベルトを外してミシン本体を上に跳ね上げると、機械いじりが好きな子供にとっては堪らないモノが姿を現す。
左側写真は、下糸を収めたボビンケースをセットする場所である。
針と共に降りて来た上糸に、ボビンケースから引き出した下糸を掛けるための部品(確かそうだったような?)には、糸をスムーズに滑らせるためかメッキが施されており、子供心に美しいと感じていた。
右側写真は、布送り機構と先程のメッキ部品への動力伝達部であるが、本体のハンドルを手で回しながら、その動きを何度となく見ていたものだ。
そして、次はこの編み機。
ハンドルを持って左右に動かす部分(キャリッジと言うらしい)をひっくり返すと、右側写真のようにこれまた魅惑のメカ機構が現れる。
キャリッジにあるダイヤルやレバーの操作によって、裏側にある幾つもの爪が動き、これで本体にある針の駆動パターンを変える機構になっているが、これがまたとても面白く、夢中になった。

お次はレコードプレーヤー。
当時はセパレートステレオが全盛となりつつある時代であったが、惹かれたのはトーンアームの機能美もさることながら、曲が終わるとトーンアームが自動的に元の位置に戻る機構とその動きであった。
どんな仕組みなのかを知りたくて、ターンテーブルを外してセンターのシャフトを手で回して、何度もその動きを確かめたものだった。
やや大きめのお菓子の空き缶の蓋に針を貼り付けて、回転しているレコードの上に針を降ろして音が鳴った時は、ちょっと感動だった。
そして、最後は自転車の変速機。
自転車は小学校1年から乗り回していたが、変速機付きのセミドロップ・ハンドルの自転車を買ってもらったのは、小学校の高学年になってからであった。
周りがだんだんと変速機付きに変わっていく中、欲しくてたまらなかったので、買ってもらった時はペダルを手で回しながら、何度もギヤを切り換えてはその動きを見て、一人悦に入っていた。
では、今の時代はどうなのだろう?
科学技術の飛躍的な進歩と生産技術の発達により、モノは溢れかえり、自分で作るよりも買った方が安くつく時代となり、その結果、ミシンや編み機は多くの家庭からその姿を消しているようである。
音楽プレーヤーにしても、iPodのように可動部は一切なくなり、液晶画面とICなどが詰まっているだけのものになってしまった。
TVやPCも似たような状況で、中を開けたとしても機構的に面白いものは何もなく、せいぜいHDくらいだろうか。
子供の頃にあった製品は、現在のモノと比較すると機能も機構もシンプルだったので、どんな仕組みで動いているのかと想像する余地もあったし、中を開けてみれば何となくメカニズムが理解できるものも多かった。
しかし、現在の製品はiPhoneのようにあまりにも多機能であり、それ以上にできることが凄すぎて、中の仕組みを想像する発想すら出てこない、完全にブラック・ボックスになった。
このように周囲からメカニカルなモノが減り、代わってブラック・ボックスが増えて行った結果、ウチの子供達もそうであるが、モノの仕組みやそのメカニズムなどに全く興味を示さなくなっている。
文明と科学技術の発展の結果、便利で快適な暮らしが可能になったが、その一方で失われているものもあり、このこともその一つなのだろう。
いろんな意味で、そろそろ違う方向に舵を切らないといけない時期に来ている。
Posted at 2015/05/24 01:33:11 | |
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