早朝5時の出発で、外気温は9℃。
さすがにこの位の気温になると、乗り始めた直後はダンパーの動きが渋く、路面の細かな凹凸がコツコツと結構伝わってくる。
しかし、20分程度走るとダンパーオイルも暖まり、いつものしなやかな動きへと戻り、凹凸をタン、タンと心地よく吸収してくれるようになる。
よし、いい感じ!
さて、足尾銅山は1600年頃に鉱床が発見され、その後、幾多の歴史を経ながら、1973年に閉山となっている。
閉山の理由は製錬工場からの排出煙による大気汚染や、産廃物に伴う環境汚染によるものであり、明治時代に起きた足尾銅山鉱毒事件以降、改善措置は採られてはいるが、鉱毒被害は収まらなかったとある。
私が小学生の頃、北九州の空はスモッグに覆われ、洞海湾はヘドロに埋め尽くされていた覚えがあるが、環境汚染に対しては知識や技術、そして考え方も未熟な時代であった。
R122を渡良瀬川沿いに走り、足尾のやや手前を支流の庚申川に沿った県道293号へと折れ、小滝地区に向かう。
紅葉もちょうど見頃のようだ。

写真は抗夫浴場跡で、案内板によれば、仕事を終えた抗夫たちは何よりも先に汚れを流し、疲れを癒すために入った、と記されている。
こちらは旧小滝橋で、大正15年に架設され、庚申川沿いの小滝路で唯一残っている鋼製の橋とのこと。
その他、小滝地区周辺には朝鮮人供養塔跡や中国人慰霊碑があるが、強制連行については足尾銅山の観光案内等にはその記載は見当たらない。
主張していくためにも、伝えるべきは伝えていく必要があると思うが。

その先の銀山平キャンプ場で、朝日にライトアップされた紅葉に巡り合えた!

そこから峠を越えて、製錬所のある本山地区に向かう。
峠を下った辺りにある本山抗口跡。
他の施設跡もそうであるが、足尾銅山ではそのほとんどが関係者以外立ち入り禁止となっているため、中に入ることはおろか、そばに近寄ることもできない。
こちらは本山動力所で、削岩機の動力源である圧縮空気をコンプレッサーで作り出していたとのこと。


本山製錬所のすぐ横に架かっている、わたらせ渓谷鐡道の鉄橋。
ここから間藤駅までの区間は、既に廃線となっている。
そして本山製錬所。
上段左側写真の奥に見える山が、銅山の中心となる備前楯山である。





本山地区周辺の街並み。

サンバのリズムに合わせて、山の中をいつまでもクルクルと回り続ける私は、どこか病んでいるのでしょうか?
廃校になっている旧本山小学校。


通洞地区へ向かう。
足尾駅近くにある役員、幹部用の社宅跡で、まだ実際に住まわれている家屋も一部にある。

渡良瀬川沿いに建つ通洞変電所で、今でも稼働しているそうだ。
道を隔てて、変電所の反対側には通洞選鉱所がある。

観光用として一般公開されているのが、足尾銅山観光と呼ばれる施設である。
実際に通洞抗口から入抗でき、中では採掘の方法を人形を使って再現しているので、当時の様子を伺い知ることができる。
坑道は縦方向に36層に重なっており、その高低差は約1100m、そして総距離はなんと1200kmにもおよぶという、想像を絶するものであった。



足尾銅山観光は今年で30周年を迎えたということであるが、中途半端なトロッコや坑道内の見せ方、そして、その他の施設についても30年前と変わらないのでは?、と感じるものであった。
世界遺産登録を目指すのであれば、なおさら工夫が必要であるが、このままでは従来の観光施設としても魅力が衰えていくように思えた。
次回、わたらせ渓谷鐡道編に続く。
Posted at 2014/11/03 16:45:49 | |
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