
前回の「MPVの思い出」から時間がたってしまいました。
次は愛媛の見処で〆ようと思っていたのですが、ぜひ披露したかった写真が見つかりません。
あちこち調べたのですがどうしても出てきませんでした。
それは3年前のGWに行った、「東洋のマチュピチュ」といわれる別子銅山跡です。
どうもマイクロソフトのクラウドに保管したようなのですが、IDもパスワードも忘れてアクセスできませんので諦めましょう。
毎年、夏休みは必ず、その他にもよく愛媛県の実家に帰りました。
その都度愛媛県の見所を訪ねました。
その中であまり有名でないものを中心に(笑、ご紹介したいと思います。
○石手寺
まず最初は松山市の道後温泉の東にある名刹、石手寺です。
真言宗豊山派の古刹で熊野山(くまのさん)、虚空蔵院(こくうぞういん)と号します。聖武天皇の勅願で行基が薬師如来を刻んで建立されました。最初は法相宗でしたが813年に空海がここを訪れ真言宗に変わりました。四国八十八箇所の51番目の札所です。
正岡子規も 南無大師石手の寺よ稲の花 と詠んでいます。
大師像です。
国宝の山門。
三重の塔。
マントラ洞窟。日本の寺院では珍しい洞窟です。
○四国カルストと大野ヶ原
久万高原町の高知県と境目の高原(山頂?)に石灰岩が露出したカルスト台地が広がります。一帯は草地に開発されて牛が放牧されています。天気が良ければ絶景ですよ。4~5年前に風車が建設されました。
愛媛県と高知県に跨っています。
牛さんたち。(^^)
ここから少し西に行ったところに人里が。
戦後、酪農農家が入植して開発がされた大野ヶ原です。
観光用のお店、もみの木さんです。主に酪農製品の販売と飲食店です。搾りたての牛乳が美味しい。甘い味ですよ。

その隣に小さな家畜の動物園。動物と触れ合えます。
○内子町歴史的建造物群
私の出身地の内子町です。八日市の歴史的建造物の町並みです。
江戸時代よりハゼの実から木蝋の生産が盛んでそれで財を成した上芳我家の屋敷。今は一般に開放されています。
大正、昭和に隆盛を極めた映画館、旭館。
内子座です。今年重要文化財になりました。
○泉田の棚田
内子町五十崎の泉田にある棚田です。日本棚田100選にも選ばれました。

そこから大洲市川辺町に抜ける道は、坂本竜馬が土佐藩を脱藩して長州に向かった道といわれ、
川辺町では「竜馬脱藩の道」として町おこしの一助としています。
○小田深山
内子町小田の笠取山の谷あいには岩肌を清流が流れて風光明媚な景色を作っています。この川は黒川で下流で面河川と合流してやがて仁淀川となって太平洋に注ぎます。日本一の水質を誇ります。(平成22年)
○大洲市内
大洲城です。
詳細は過去の拙ブログをご覧下さい。
https://minkara.carview.co.jp/userid/2323545/blog/m201503/p2/
臥龍山荘です。
大洲市出身の財界人の河内寅次郎が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し、明治40年(1907年)に完成をみた山荘です。肱川が大きく蛇行する場所に石垣を築きその上に築かれた山荘で、肱川と富士山(とみすやま)を正面に見えます。
富士山(とみすやま)
大洲市内の何処からでも見える伊予富士と呼ばれる形の良い山です。山頂付近に広くつつじが植えられており、その最盛期には沢山の市民が見物に訪れます。
又、山頂付近からの下界の眺望も素晴しいものです。中央に見えるのが大洲城です。
○佐田岬半島
四国最西端の佐田岬の灯台です。

灯台から見た豊予海峡。沢山の漁船が。この海峡で取れる魚は、大分県で揚れば関○○(あじ、さばなど)ですが、愛媛県だと岬(はなと発音)○○と呼ばれます。
○宇和町
今は合併して西予市となりましたが、宇和町の卯之町一帯は江戸時代から文化が開けた町で明治以降も種種の文化財に富んでいます。
交通の起点、卯之町駅です。
江戸時代からの名門 旅館松屋さんです。
四国最古の小学校!! 開明学校です。
今は宇和米博物館になっていますが、元は宇和小学校でした。日本一長い廊下で有名です。毎年ここで雑巾がけ競争をする「Z-1グランプリ」が行われています。(ZはZoukin)
○宇和島市
和霊神社。宇和島藩家老・山家公頼(通称 清兵衛)を主祭神とする神社です。公頼は伊達政宗の家臣でしたが、元和元年(1615年)政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えました。讒言により死を賜いますが、後に無実が証明されこの神社に祭られます。
緑青の屋根が見事です。
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
Posted at 2015/12/06 23:44:05 | |
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