
旅行2日目です。
本日は串本から海岸沿いに北上して、太地町、那智勝浦、新宮市を回り、R168に入り本宮大社をお参りして帰路に着く予定です。
朝も昨日来の風雨が続いています。でも天気予報では台風の進路が大きく東に逸れて、当地でも昼頃には天気が回復するようです。
ホテルの部屋。流石にリゾートホテルなので広々としています。
窓の正面に橋杭岩が見えます。

ホテルのプールが綺麗です。
橋杭岩には強い波が当たっています。今は満潮のようですね。
朝食を。
ここはバイキングのようです。大丈夫かな? いえ、これで大丈夫。
朝からボリュームたっぷり。

右上の椀には梅粥が。その左はマグロ茶漬けです。
〆には和歌山ラーメン。

この上にデザート、コーヒーが。
【橋杭岩】
ホテルを出発してまず、橋杭岩に。1kmちょっとです。

風雨が強いので必死の撮影。長居はできません。早々に次の目的地に。
【太地町くじらの博物館】
南紀には過去2度来ましたが、太地町は初めてです。ご存知の通り鯨の町です。江戸時代から捕鯨で町が成り立って来ました。
R42から分かれて太地町に入ると、鯨の親子のオブジェが歓迎。
くじら浜公園に近づくと捕鯨船(RESERCHと表示が)が展示。
くじらの博物館に到着。
くじらのショーの時間が近いのでまずそちらに。
始まり始まりー。

あんな巨体なのによく飛んだり跳ねたりできるもんだ。
ショーは約10分。
それから博物館の中を。
3Fから。
くじらのオスのあれ。(笑
今日は台風接近でありませんでしたが、イルカとの触れ合いなどのイベントもあります。
【那智大社・青岸渡寺など】
そこから30分弱で那智大社に。那智大社の駐車場まで上がってきました。
大社を参拝。
正式には熊野那智大社で熊野三山の一つです。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつです。
その隣に青岸渡寺が。
青岸渡寺は天台宗の寺院で、西国三十三か所の第一番の札所です。これも上記の世界遺産の一部です。
ここの三重の塔と那智の滝の組合せは絶景ですね。
絶景を楽しんだ後は下の道を通り駐車場に。途中にも大社の鳥居が。

実はこれが本来の鳥居だそうです。
山を下りる途中で熊野古道の大門坂に。

熊野古道はかつてバス旅行で別の場所はたくさん歩いたのですが、大門坂はまだでした。
【速玉大社】
ここを出発して約30分で新宮市にある速玉大社に。
速玉大社は正式には熊野速玉大社で、熊野三山のひとつです。これも世界遺産の一部です。
御神木の「梛」(なぎ)の大木。
本殿。
ここでお守りを買いました。

足が少し悪いので守っていただこうと。
【神倉神社】
速玉大社から2kmもない処に神倉神社があります。速玉大社ほど有名ではありませんが、じつはここは速玉大社の謂わば前身となるものです。
「神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。
熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。」速玉大社のHPより
このような急な階段を5百数十段登ります。途中から少し緩やかになりますが。
到着。

上のしめ縄かかかった岩がゴトビキ岩です。
眼下に新宮市内が一望できます。
ここは和歌山県の朝日夕日百景のひとつでもあります。
【徐福公園】
紀元前2百年頃、中国を統一した始皇帝は東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めるべく部下の徐福に命じます。徐福は3千人の童男童女を引き連れて東方に向かったと「史記」は述べています。その後の顛末は一切歴史書には述べられていません。そこから東アジア各地に徐福伝説が残っています。
ここ新宮にも徐福が渡来したとの伝承記録が残っており、江戸時代には徐福の墓も出来ました。その周辺を徐福公園として整備されました。
私は大学入試に世界史を選択しました。中国史も勉強しましたので徐福の話はよく知っていました。今回当地を訪問するにあたり名所を調べるとここを発見しましたので大いに興味を持った次第です。
【本宮大社】
新宮市を発って次の(最終)目的地である本宮大社に向かいます。
それにつけても新宮市で昼食をと思っていましたが、なかなか食堂に巡り合わず、本宮大社近くに道の駅が。
「瀞峡めぐりの里 熊野川」
和歌山ラーメンの派種、和歌山チャーシュー。と、目張り寿司。

優しい味ですね。
本宮大社に到着。
ここも正式には熊野本宮大社で熊野三山のひとつで世界遺産の一部です。また熊野信仰では八咫烏が神武東征の故事から導きの神として崇拝されており、日本サッカー協会も八咫烏をマークとしているので多くのサッカー関係者が訪れています。
この中(上社4社)はカメラ禁止となっているので、門の外から。

1番から4番までの社があり、それぞれお参りをしました。
国道を挟んで反対側の平野部に大斎原(おおゆのはら)の鳥居があります。明治時代の十津川大洪水で流されるまで社があった場所です。
奈良に帰る途中に谷瀬の吊り橋を寄りました。

かつては国道沿いで訪れる人も多かったのですが、バイパスが出来てからメインストリートではなくなったせいか、寂しげでした。橋の袂のカフェも今日は閉まっており、営業してるのかな?開発の光と影の部分ですが、奈良の名所がさびれゆくのはちょっと悲しい。
とまれ、久しぶりの南紀旅行は懐かしい部分、目新しい部分、ともに楽しかったです。
Posted at 2020/09/26 23:10:15 | |
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