2007年03月23日
今月末に結婚する妹が、夫となる人が住む県へと本日引っ越していきました。都合により私は引越し作業を手伝うことが出来なかったのですが、替わりに母が随行し、今晩は向うで一泊する予定になっています。母と娘の間柄はある種友達のようでもありましたから、妹が家を出て一番寂しく思うのが母であることは間違いないでしょう。かなり遠い所へ行ってしまうことから、これからは母が携帯を使う機会も増えるかと思います。
数年前に買った「山口百恵 2000BEST」を昨日久しぶりに聴いていたのですが、その中で一際心に響いたのが「秋桜」でした。さだまさしによる情感たっぷりのメロディーと写実的な歌詞を山口百恵が誠実に歌い上げるこの名曲は、あまりにもタイムリーな内容であり、恥ずかしながら思わずグッと来てしまいました。このアルバムには素晴らしく格好良い「イミテーション・ゴールド」や感動大作の「さよならの向こう側」など、他にも多くの名曲が収録されていて、最初から最後まで飽きさせません。今や生きる伝説と化している山口百恵ですが、現役時代を知らない私でも、こういうアルバムを聴くことでその片鱗を伺うことができます。引退してから一貫してメディアに出ようとしない姿勢も、凡百の芸能人と違って好感が持てますね。彼女の引退コンサートの映像もライブラリーの中に眠っているので、今度また引っ張り出して見てみたいと思います。
「秋桜」には「もう少しあなたの子供でいさせてください」という歌詞がありますが、妹もそんな風に思うことがあるのでしょうかね…。もしそうなら、母も幸せなことでしょう。
Posted at 2007/03/24 02:32:36 | |
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趣味 | 日記
2007年03月22日
今月の27日よりアウディ・A6の特別仕様車が販売されるそうです。セダンが「ダイナミックライン」、アバントが「ラグジュアリーライン」と名付けられたこれらのモデルは、レザーシートやアルミホイールなど60~70万相当のオプションを装備しつつもベースモデルより20万円高程度に抑えられていて、それぞれ100台限定での販売となっているようです。追加される全ての装備が魅力的であるかどうか定かではありませんが、僅か20万程度で諸々付いてくるなら御得だと言えるでしょう。購入を迷っている人にとっては後押しする要素になるかと思われます。
A6やA4のアバントは、先代も現行もボディラインのエレガントさが際立っていて、他のメーカーのワゴンモデルとは一線を画していると思います。現行のA6は初めてシングルフレームグリルを採用したモデルとあって、押しの強いイメージを想起しがちですが、よく見れば先代と同様の女性的な柔らかさが其処彼処に残されているのがわかります。RS4やR8など兎角攻撃的なモデルが目立っている中で、A6やA4のノーマルなアバントはアウディ本来の知的なセクシーさを体現しているモデルだと言えるでしょう。ワゴンモデルがセダンと同等の魅力を備えていることは、メルセデスやBMWと比較してアウディが有利な点の一つではないでしょうか。特に先代A4などは写真で見るより実物のほうが数倍も肉感的で、他のメーカーには無い独特の色気を発散していました(ボディカラーが赤なら尚更)。どちらかといえばワゴンよりセダンの方が好みなのですが、アウディのアバントであれば翻意することも吝かではないですね。
Posted at 2007/03/24 03:59:02 | |
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2007年03月21日
2000kmの慣らし運転が終わり、アクセルを踏む力に遠慮が無くなりつつある今日この頃、いつも実感させられるのがDSGの優秀さです。
私がDSGのモデルを選んだ理由は、率直に言ってマニュアルの操作が下手だからでした。教習所を出てからAT車にしか乗ったことが無く、また「バトルギア」などのゲームでシーケンシャルシフトのイージーさに慣れてしまった(バトルギア2には幾ら費やしたかわからない)身としては、作業としてのクラッチ操作が正直煩わしいのです。純粋にハンドリングが楽しめて、なおかつMTのようなダイレクトな加速感も欲しい…。そういう我侭な欲求を持つ私に、DSGはまさに打って付けでした。
最初はATの進化版くらいにしか思っていなかったDSGですが、試乗の際に峠道をSモードで走ったときから、その性能に惚れてしまいました。ギアチェンジがスムーズなだけでなく、常にベストの加速態勢を維持できるようこまめに調整する賢さに、私は驚嘆させられたのです。毎日使うようになってからもDSGに対する不満は特に見当たらず、峠ではSモードに頼りっぱなしになっています。燃費さえ気にならなければ、街中でもSモードで走りたいくらいですね。
ゆったり乗ることが目的であれば、DSGよりも普通のATの方がマイルドで良いでしょう。しかし、ドライバーの感覚を先取りするようなDSGの働きぶりからは、病み付きになるくらいの快感をも得ることができます。この先VW ・アウディはDSGの搭載比率を増やすはずですから、いずれVW ・アウディのAT=DSGという時代がやってくるかもしれません。そうなれば、VW ・アウディは他社に対して明確なアドバンテージを持つことができるでしょう。ボディやエンジンほど話題にされないトランスミッションですが、DSGの実用化こそは近年において真にエポックメイキングな出来事だったと思います。
Posted at 2007/03/27 22:52:10 | |
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車 | 日記
2007年03月20日
LED ZEPPELIN シリーズの最後は、第7作目にあたる「PRESENCE」についてです。このアルバムは後期の傑作と評されていて、僅か7曲しか収録されていませんが充分に聴き応えのある内容となっています。特に1曲目の「ACHILLES LAST STAND」における各メンバーの競演ぶりは凄まじく、この曲をしてツェッペリンの代表曲とする人も少なくありません。円熟の極みに達した職人たちが、衒うことなく己の全てを曝け出している…。そのような真に迫る迫力が、このアルバムには満ちています。
専門家がツェッペリンについて語る場合、よくボンゾのドラミングの凄さを例に挙げることが多いのですが、正直に言うと、私はその点がいまいち理解できていません。私はそもそも演奏技術・用語に関して全く無知であり、楽曲を聴くときもギターの音やボーカルの声に集中しているので、ソロパートでもない限りドラムの存在を意識することは殆ど無いのです。正確なリズムをキープし続けるのが難しいことは充分わかっています。そういった意味では、DEEP PURPLE のイアン・ペイスの方がまだ理解し易いですね。ただ、あまりにもボンゾを評価する向きが多いので、数年前からツェッペリンの曲を聴くときはなるべくドラムの音に集中するようになりました。その結果、…すいません、今でもよくわかっていません。
しかし、一つだけ気付いたことがあります。それはボンゾのドラムが醸し出すノリの良さ(グルーヴ感?)が独特であり、他では味わえない類のものであるということです。私のイメージとして、本来ドラムは楽曲の根底を支えるパートであり、土台としてより確実・強固な音を出さないといけないと思うのですが、ボンゾのドラムは音こそ大きいものの、微妙に揺らいでいる気がするのです。その「揺らぎ」は、不安定感を生むのではなく、むしろギターの音やボーカルの声と同じくらいに扇情的に響いてきます。あるいは、生々しいと言っても良いでしょう。絵画や建築物に例えられることもあるツェッペリンの楽曲群において、ROCK としての勢いや力強さを与えていたのがボンゾのドラムだと思うのです。そういう観点に立つと、この「PRESENCE」にはまた違った味わいがあることに気付かされます。うまく説明できないのですが、以前までの楽曲・アルバムがメロディーを主体として製作されているとすれば、「PRESENCE」はアルバム全体がグルーヴ感(ボンゾのドラム)を主体として製作されているように思えるのです。リードドラムとでも言いましょうか、メンバー全員がボンゾのドラムを頼りに演奏しているように聴こえるのです。よって、個々の楽曲の印象は「II」や「IV」のそれほど強烈ではないのですが、アルバム全体の凝縮感や重量感というものが、歴代の作品の中でも一番強く感じられます。富も名声も地位も得たバンドが原点に帰ろうとしたとき、彼らが自分達の核だと認識したのがボンゾのドラムだった…、というのは言い過ぎでしょうか。
極端な表現をすれば、このアルバムはバンドにとっての終点であったと思います。「II」や「IV」を聴いてツェッペリンに興味を持った人には、是非このアルバムも聴いていただきたいですね。ROCK としての多様性を極めたバンドが最後に到達した境地とは如何なるものなのか。好き嫌いは別にして、このアルバムを聴いた時の印象は、ずっと心に残ることでしょう。
Posted at 2008/08/01 22:54:10 | |
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2007年03月19日
「 II 」に続いて紹介するのは、歴史的名盤とも言える「 IV 」です。アーティスト名もタイトルも書かれていないジャケットには、思わせぶりな一枚の絵と、四つの奇妙な絵文字だけが描かれています。この如何にも奇を衒ったデザインのアルバムは、しかし現在でも新譜が相当数売れ続けているという怪物的作品でもあります。単にロックというジャンルだけでなく、人類音楽史上に残る真の傑作といっても過言ではないでしょう。特に4曲目の「STAIRWAY TO HEAVEN(天国への階段)」は、芸術的な完成度を誇る名曲として、今もなお世界中で愛聴されています。誰でも一度は聴いたことがあるはずの曲ですが、忘れた人にはもう一度静かな環境で聴き直して頂きたい曲ですね。
この「 IV 」を初めて聴いたとき、私は全体の構成に少し違和感を覚えました。それというのも、4曲目と5曲目の間が断絶しているように感じられたからです。しかし、暫く考えてみるとその原因がわかりました。つまり、この「 IV 」はLPへの収録を前提とした構成になっていて、A面(1~4曲目)とB面(5~8曲目)という収録形態の都合上、「天国への階段」と「MISTY MOUNTAIN HOP」の間で雰囲気の齟齬があっても仕方が無いのです。むしろ、このアルバムは意図的にA面とB面でイメージを変えているようにも見受けられます。CD一枚で約12曲編成が当たり前の時代に育った私としては、いささか想像力を必要とする解答でした。
ここでA面について考察してみると、実はA面だけで「起承転結」が完結していることがわかります。順に追っていくと…
(1)BLACK DOG
前作「 III 」で散々な批評を受けた後、全世界が固唾を飲んで見守る中で発表された「 IV 」のオープニングナンバーは、ボンゾのドラムが印象的なロック色の強い曲でした。ただし、これに与えられているのは決して「 III 」への反発、「 II 」への回帰といったメッセージではなく、まっさらな心で「 IV 」を聴いてもらうための「地均し」的な役割でした。A面だけでなく「 IV 」というアルバム全体の基盤・イメージ源になっているのが、この曲ではないかと思います。
(2)ROCK AND ROLL
「 II 」に収録されていればあまり違和感が無かったであろうものの、「 IV 」の中では異質なほど軽いノリの曲だと言えます。1曲目ではまだ半信半疑だった人達も、この曲まで聴けば「昔のツェッペリンが帰ってきた!」と思ったことでしょう。確かに、曲単体としては明るく爽快な典型的ロックナンバーでもあります。しかし、A面という枠で見れば飽くまでもバンドの音楽的嗜好の一端を提示しているに過ぎません。「天国への階段」をメインディッシュとするなら、こちらは「新鮮なオードブル」といったところですね。
(3)THE BATTLE OF EVERMORE
この曲こそは、前作「 III 」を批判した人達への強烈なカウンターパンチであるかと思います。しかも、「ROCK AND ROLL」で昔のスタイルに戻ったと思わせておきながらの、このコテコテのトラッドフォークぶりですから、効果は絶大だったことでしょう。「音楽のスタイルに関して、誰にも何も文句は言わせない」そういうバンド側のメッセージも読み取ることができます。これもまた、バンドの多様性を証明するためのナンバーですね。
(4)STAIRWAY TO HEAVEN
様々なテイストのオードブルが出た後、それらを纏め上げ昇華させるのがメインディッシュの役割であるとするなら、この「天国への階段」は正しく最高の料理だと言えるでしょう。最初のアルペジオを聴いていると「THE BATTLE OF EVERMORE」の延長であるとも思いがちになるのですが、徐々に曲が進むにつれ、これが単なるフォークではなく、哀愁に満ちたバラードであることがわかってきます。そして、段々と楽器の数・音の数が増えていき、やがてクライマックスの第三パートに至ると、幻惑的なギターの旋律と驚異のハイトーンボイスによって、殆ど宗教的な高揚感を味わうことが出来ます。この時点で、この曲のジャンルがロックであるかどうかなどは、最早気にならなくなっていることでしょう。技術や形式に対する独善的な拘りではなく、聴衆を感動させるための真摯な計算が、この「天国への階段」には込められています。結局、この曲があまりにも素晴らしかったため、世の評論家達は皆、あれだけ批判した「 III 」の存在価値をも認めざるをえなくなりました。そういった意味でも、この「 IV 」というアルバムのA面は、前期ツェッペリンを総括する内容・構成になっていると言えます。
私が「 IV 」を流すときは、大抵最後の「WHEN THE LEVEE BREAKS」まで聴くのですが、やはり「天国への階段」でアルバムが一旦完結しているという印象は変わることがありません。敢えて言うなら、ツェッペリンにとっても、ロックという音楽ジャンルにとっても、この曲が発表された時がピークだったのではないかと思います。ある漫画家が「天国への階段」をして「死ぬ間際に聴きたい曲」と言ってましたが、今のところ私も同じ気持ちですね。
Posted at 2007/04/09 04:19:57 | |
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