
伊勢の地に神宮を導いたのが倭姫命で天皇の皇女でありながら大和から諸国を巡り伊勢国に入り神宮の基礎となりを定めや多くの御教え(みおしえ)を示されています。

倭姫宮の参道入口は2ヶ所あります
徴古館側と内宮と外宮を結ぶ御幸道路の信号交差点角(駐車帯ありますが🅿️ではありません)

参道入口の鳥居近くに3台さらに進むと奧に広い🅿️🚗スペースがあります

徴古館・美術館が休館日でも🅿️🚗の利用は一年中OK❗です
休館日は入口が半ゲート通行規制ありますが進入可です

倉田山の一角にあり神宮徴古館・農業館・神宮美術館・神宮文庫・皇學大学とともに丘陵地にあり時間をかけてお参り(観光)したい別宮です。

参道は短いですが深緑に包まれています

信号交差点から歩くと丘陵地のためちょっとキツいです

内宮外宮の外部にある別宮はすべてトイレあります

別宮(べつぐう)とは字の通り正宮に対する別宮(わかれのみや)…別け宮(わけみや)で重要な位置付けにあります。

神宮の中で最も新しい別宮で大正時代の鎮座のため樹齢の長い巨木はありません

千木や鰹木など同じ唯一神明造りでありながら外宮と内宮の細部の違いがよく分かります

社殿の建築様式とか間近に見ることができる別宮としても人気があります

2000年前に垂仁天皇の皇女としての史実は数多く知られており省略します
天照大神が「是の神風の伊勢の国は、常世之浪重浪帰する国なり、傍国可伶なり 是の国に居らむと欲ふ」と倭姫命に教え伊勢の地に大和の傘縫邑から皇大神宮を創建されました

ご朱印はこちらでいただきます
伊勢神宮は別宮もご朱印は朱印のみ

皇居に祀っていた天照大神の神霊 八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が大和国傘縫邑へ、その後に伊勢へという古い歴史に想いを寄せると倭姫命の存在の大きさが分かってきます。
これで 37/125社めぐりました
Posted at 2017/03/26 14:13:34 | |
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