
戦国の乱世に百年以上途絶えていた式年遷宮を復興させた勧進聖・慶光院
遷宮上人と呼ばれ尊敬された尼僧のお寺

臨済宗の尼寺で本山を持たない単立寺院
朝夕の読経なく葬儀もしません
朝廷や将軍家の祈祷を行う仏寺
本尊の釈迦牟尼仏(しゃかにぶつ)は客殿に安置

へんば餅の近くですが一般公開は年一回のため見学出来ません
へんば餅の新築店舗が秋に完成予定でしたがコロナで年末に?

慶光院の向かいの神宮道場も立ち入り出来ません

年一回の公開日見学
国の重要文化財のため建物周辺のみ撮影可

応仁の乱からの乱世で神宮も経済的困窮で遷宮が行えず仮殿遷宮(修繕)
宇治橋も老朽化し洪水で流されました
守悦(しゅえつ)という尼僧が勧進の旨を神宮に申し出
勧進聖=社寺の建立や修復は僧侶が諸国勧進の旅に出て人々に募財を呼び掛けます

守悦
京都の廷臣飛鳥井家に生まれ16歳で出家し熊野に住み神宮に参詣
二度の宇治橋架け替えに尽力した功績により上人号と紫衣を許されています
上人=歴世の慶光院は朝廷より上人の号を賜っています

その後に三世清順が外宮の遷宮を129年ぶりに再興
正遷宮の前に宇治橋架け替えのため勧進の旅に出て造替(ぞうたい)
功績により天皇の綸旨(りんじ=天皇のお言葉)により居室に【慶光院】の勅願を賜り宇治の地に自房を建立し慶光院を寺号としました

四世周養も諸国を勧進し内宮の修繕を行い仮殿遷宮
正遷宮復興の旅に出て織田信長に安土桃山城で敬神家の信長から遷宮費用を寄進されますが

その2ヶ月後に信長が明智光秀の謀反にあい本能寺で自刃

信長の後を継いだ豊臣秀吉も敬神尊皇で遷宮費用を寄進し123年ぶりに内宮の正遷宮が行われた歴史があります

五世周清は徳川家康から遷宮復興の功績により朱印状(式年遷宮執行許可書)と米三万石を慶光院が受け遷宮費用は徳川幕府から支出されるようになりました
慶光院の住持は幕末の十五代まで継承されています

明治2年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となりました

パンフレットから一部写真

建物は【書院造】として近世初期の貴重な遺構らしいです
屋根は入母屋造の本皮瓦萱で主屋に中門廊を突出させる【主殿造】

牡丹・唐獅子・梅・竹・が描かれた杉戸、帳台構廻りの金物に菊と桐の紋章が見られ金メッキの七宝が用いられ格式高い客殿になっています

毎年11月初旬に一般公開されます

GO TOトラベル以前から観光客は回復傾向でしたがコロナの影響でマイカー参拝が増加
五十鈴川🅿️入って遠いので諦め運良く一番近い地下道入口付近に😊
無料の1時間で済みました。
Posted at 2020/11/04 10:56:53 | |
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