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ミセガワのブログ一覧

2014年05月24日 イイね!

トラブルの歴史

トラブルの歴史2004年にナンバー付きサーキット走行専用車(笑)として購入したマイエイトですが、走行距離は10年3ヶ月で12万キロオーバーです。

サーキットばかり走っているので、勿論ノントラブルでは有りませんが、それでも重大、あるいは危険度が高いものは10件程度で、使用状況を考えると昭和の車とは比べ物にならないほど信頼性が高いと思います。
FCの時なんか、乗れる時間の方が短い感じの壊れ方でしたね。まあ知識も金も無く、十分な管理やメンテが出来なかったのも原因ですが。

ここでは私の車に発生したトラブルを列挙するとともに、何に気を付ければこれらのトラブルを回避できるのかを私なりに提言したいと思います。

俺カーに最初に襲いかかったマシントラブルはクラッチブローでした。


最初に起きたのは2005年6月12日。
加速中、2速から3速にシフトアップした瞬間にドシン。衝撃と共に推進力を失い、明らかにトラブルと判りました。幸いYU2さんと一緒だったので、牽引してもらって自宅近くまで戻りました。
YU2さん牽引ロープの長さしか車間が無いのに50km/hとか出すもんだから、追突するのではととてもビビッて運転しましたね。

そして次のマシントラブルもまたまたクラッチで2006年の12月で人生初積車帰。マツスピの強化入れていたのに再発です。この時はさすがにおかしいと色々考え、結果的にクラッチラインがエア噛みし易く、その為クラッチの切れが不完全になり易い所に来てイナズマシフトをすると壊れるとの推定をし、R魔に相談しに行ったらまさにビンゴ。

で、クラッチエア抜きキットを付け、頻繁にクラッチエア抜きするようになってトラブルフリーとなりました。

次に起きたのはチタンマフラーの割れ。2007年頃です。
今は廃番の様ですが、この頃トラストからフルチタンマフラーがリリースされていて、その軽量化効果たるや10kg以上だったので高価でしたが奮発しました(嫁に内緒で)。しかしチタン、熱伸びを吸収するだけの柔軟性が無く、一度は溶接してもらって再使用しましたが、他の部分の変形も酷くなる一方だったので取り外す事にしました。


結論として、時期尚早でした。

で、次に起きたのはチト命にかかわるトラブルで危ないです。
その1 パッド剥離。


これは2006年11月のHKSのイベントで菊池靖選手が俺カーを運転して、俺が助手席に乗ると言う企画の時に発生しました。プロドライバーは結構みんな「ドカン」とブレーキ踏みますが、菊池選手も富士のダンロップ入口で「ドカン」としたら、バキッと嫌な音がして、その後点検したらパラリとパッドが落ちました。。。ちなみに自分で踏んだり、加藤選手が踏んでもP社もE社も剥がれたので、高温で強く踏みすぎなんだと思います。。。

ただ、最近サーキットでは5部山以下は使わなようにしてから、酷い剥離は発生していないです。



他にもローターが割れたり、もっと酷いのはリアキャリパーを留めているボルトの一本が折れるなど、本当に命にかかわるトラブルが有りましたが、何れも使用限界に近い消耗したパーツ(この場合ローター)を使用した事がトラブルを誘引しています。だから特にブレーキ関係は早めの交換をお薦めします。
俺も今年あたりフロントキャリパー交換しようかしら。

そして大物トラブルとして最初に起きたのはミッションでした。
2010年3月20日の筑波ファミラでのHANKOOKお試し会の後、ただでさえも気温高めで車にはきつかったのに、もう一本走った時に2ヘアの立ち上がりで少し強引に稲妻シフトした時に「グニャ」と嫌な感触でミッションが入った後、一応走れるには走れるものの、ミッションケースをコトコトと叩くいやな異音がするようになりました。どうにか自走で帰れたものの、帰りの向島線でいつミッションが音を上げるかと、ヒヤヒヤもんでした。
結局Dでミッションバラしてみたらキーが抜け落ちて、金属のかけらがバラバラと出てきたそうです。。。
新品交換は厳しかったので、結局程度の良い中古ミッション、そして純正クラッチを組んでもらって20マソ程の費用で復活。

さて以後はサイドポートエンジン後のトラブル関係になりますが、サイドポートエンジンやDG-5取り付け後、かなり綿密に面倒見ていただくようになり、所謂メンテ不足によるトラブルはあまりなく、2010年12月にセルモーターが死亡し、その時点検したらお約束の触媒断裂も併せて起きると言う事が有り、セルが死んだせいでエンジンが掛らず、人生二度目の積車でドナドナと相成りました。



RE雨宮の皆さん、マジすいません。ありがとうございます。

ちなみにこの後熱に強く、破損によるは排圧上昇起因のエンジンブローも予防する意味から、スポーツ触媒に交換しました。純正触媒は2個直列配置の為、前側が壊れてしまうと、後ろ側の前で排気を塞ぎ、排気の逃げ道が無くなってエンジンブローになるリスクが有るそうです。スポーツ触媒は一か所だけだし、壊れても抜けちゃうだけだから心配ない。
確かセルと触媒で20マソ位掛ったか。

2012年11月には走行距離が10万キロ越えの頃で、さすがにお疲れになったのか、燃料ポンプがお亡くなりになりました。費用は・・・47,000円ほどと傷としては浅いものでした。


そして2010年のサイドポート後、絶好調でちっともチューニングエンジンの様なナーバスさは感じられない素晴らしい珠玉のエンジンでしたが、2年以上経過した2013年1月頃から冷間から温まる途中で激しくオイルが燃焼室に入って煙幕を張るトラブルに見舞われ、二度目のオーバーホールという、大きなポイントを迎える事になりました。

どうせ開けるならばハウジング類が摩耗しきっていない早めが良いと思い、開けてみたところ、サイドのオイルシール(ゴムの輪っか)が切れていて、煙幕を張ったそうです。残念な事になぜそうなったのかは今でも明確では有りません。
ただ、思った通りハウジング類は総て再使用出来ましたので、OH費用自体は一度目よりも随分と抑える事が出来た事も伝えておきます。

そして今のところ最後のトラブルは皆さんの記憶にも新しい、2013年12月の筑波でのステーショナリーギアシールのぶっ飛びです。このトラブルのせいで盛大にオイルを拭き、傍から見たらどう見てもエンジンブロー、ミセガワカーライフは終わった様相でした。
人生三度目の積車帰宅



しかし神は見捨てていませんでした。結局ブローバイガスが急激に吹いたのと、キャッチタンクが既に一杯で逃げ場が無かった事が重なって内部油圧が急上昇。そしてシールがポンと。。。。
一つにはREVを上げすぎによる、ブローバイの急激且つ大量発生が原因と思っています。対策としてはREVを9000で守る事と、キャッチタンクの容量増が有効と思いますので、夏休みの宿題として頑張る予定です。

このトラブルは壊れた部品自体は高くないのですが、最初原因が分からずエンジンをバラしてしまった為、工賃が高く付きました。


総括すると、

知識やメンテが足りなくて壊れたもの
1.クラッチ*2
2.ブレーキキャリパー*1 ローター*1

ハードな使用に対して、装置の信頼性が足りなかったもの
1.マフラー割れ
2.パッド剥離*3
3.ミッション×1
4.触媒*1
5.エキセンシール飛び

寿命がきたもの
1.セルモーター
2.燃料ポンプ

原因が良く解らないもの
1.オイルシール切れ


結局十年間でクラッチ2枚、キャリパー2個、ミッション1機、触媒1本、エンジンOH3回を費やしましたが、驚いた事にエンジンそのもののブローはゼロなんです。ホント、エンジンは素晴らしいですね。
そしてクラッシュによる外装修理もゼロ

これは俺がチキンで天才だから(笑)ですね。

サンドトラップまでや、スピンは多々ありますが、クラッシュは無し。

これからも安全運転でタイム出しに行きますのでよろしくお願いいたします。



Posted at 2014/05/24 20:01:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月16日 イイね!

FSW ラジアルアタック編

FSW ラジアルアタック編ミセガワアーカイブズシリーズ、今日はFSW本コースのラジアルでのアタックについてです。私は絶対的なタイムの意味でも、あるいは安全性の意味でも、限界が高く、コントロールが楽なSタイヤを中心に走っています。ハイグリップタイヤ履くと腕が上がらないと言いますが、別に自分が運転が特別上手いとも思っていませんので、タイヤに頼ってタイム出しています。逆にタイムが出ない事をタイヤや車のせいにするのは最低にカッコ悪いと思っているからです。

タイヤがイマイチだからとか、車のチューニング度合いが低いから遅いので有って、腕では負けていないといった感じのアピールをする人がたまに居ますが、俺は大嫌い。
俺は負けない車を維持する事と、家族の生活とを両立する為に必死に働いている。本当に自分の腕がたつと思い、金掛けているやつらをひがむのなら、頑張って道具を揃えて一度でいいからタイムで証明してみろ

と思っています。

俺は言い訳したくないから、最初から勝負にならない様な仕様では走らないと決めています。

勿論タイム云々ではなく、コントロールや自己の成長に主眼を置いて走られている方はそれはそれで有りなので、良いと思います。要はタイムが出ないのは俺のせいじゃない。車がショボイからだとアピールする人が嫌い。複雑な事情が有る方も中にはいるかと思いますが、経済力もまた自分のせいだと思いますよ。


あっ、ちょっと熱くなってしまい話がそれましたが、Sタイヤで走っていると他の人との実力の差が良く解らずに、「ホントのとこ、どうなの?」となってしまいますので、ラジアルでの挑戦についても記述し、多くのエイト乗りと目線を合わせておきたいと思います。

さて、私のセッティングノートをひっくり返すとどうやらじめてFSWをラジアルで走ったのは2006年4月22日の様です。つまり富士リニューアルの1年後。

タイヤは純正ホイールに組んだ245/40R18のAD07。当時の感じとしてはRE01Rとかには若干劣る感じでしたが、まずまず当時としてはトップクラスのラジアルです。この頃はR1Rには出会っていませんでしたが、出会っていたらまた違う結果だったんでしょうね。

R1Rは今でも一発のグリップはかなり戦闘力が有ると思いますが、AD07は今持ってきたら明確にワンランク下だと思います。

タイムは2分11秒49(@13℃)でした。今だとサーキット常連組から観たら「フンッ」な感じのタイムですね。


で、この年の12月28日には再びアタックしていて、この時初めて10秒を切って9秒95を出すんですが、同時にクラッチが逝きました。。。


その後、やはり富士はSタイヤメインだと言う事で1年間ラジアルで走る事は無かったのですが、同年の筑波MSCTで結果を出しいたRE070の実力を富士でも試したいと思い、2007年12月にチャレンジ、9秒18まで短縮しましたが、クリアが取れない中でのタイムでしたので、遥かにイケる感触が有りましたので、2008年1月に再挑戦し、サイドポート前ベストである2分7秒52を記録するに至りました。


この時は気温2℃と極寒でしたが、RE070は三周目でも七周目でも殆ど変わらないラップペースを維持でき、低温でもグリップが立ちあがり、かつタレない本当に良いタイヤでした。

その後は申し訳ない事に、1年半もラジアル走行が無く、2009年6月の暑いさなかにAD08を履いて2分11秒1(@24℃)と何とも煮え切らない、そもそも夏だけラジアルで走ると言う、タイム出す気が感じられない運用をしてダラダラと過ごしていました。
楽しく過ごしていた時の一こま。奥はエイトリアン氏です。


そんな感じであまりFSWをラジアルでフルアタックする頻度は多くないのですが、2010年11月にサイドポート化後のシェイクダウンをHANKOOK VENTUS RS-3で行い、シフトミスしまくりながら6秒86とベスト更新しました。

ただ、酷い運転だったのでラジアルベストの走りはこんなもんじゃないと確信していましたので、その後RS-3や、そしてR1R(265/35R18 新品4本)でアタックを行い、2012年11月22日(@9℃)にR1Rで2分04秒36を出し、これが現在のベストです。この時は最高速も208と振るいませんし、水温や油温も100℃とかなので、もっと行けるはずです。

この後、2013年に期待のGOODYEAR EGALE RS-SPORTSで一度アタックもしていますが、この時は4秒77と少し及ばない結果しか出ませんでした。

今年は冒頭で言った言い訳をしない為にも、ラジアルも納得のいく新品4本を投入して何としてもベスト更新してゆく所存です。

乞うご期待。
Posted at 2014/05/16 22:11:21 | コメント(7) | トラックバック(1) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月10日 イイね!

筑波アタック編

筑波アタック編さて、多くの皆さんにとって興味深いのはFSWでは無くて、むしろTC2000、所謂筑波サーキットへのチャレンジの方ではないかと思います。

ぶっちゃけ、インチキしたSタイヤでのタイムこそ1分2秒890を記録しているものの、ラジアルでの記録はチャレンジしている回数自体も少なく、実力的にもタイム的にも今日のレベルで考えるとそれ程見るべきものは無いというのが本当のところではないかと思います。

とはいえ、筑波は外せないサーキットですので挑戦の歴史をひも解いて行こうと思います。

既報の通り、初チャレンジは2005年12月4日 この日は曇天、今にも泣き出しそうな空模様で、確か1走は2℃位、最終的にベストタイムである1分06秒309を記録した3セッションも5℃とかなりキンキンに寒いコンディションでした。1セッションはコースを覚える目的でユーズドの235/45R17で走行。2走目も少しアタックをするものの、ユーズドをキャリーオーバー、3セッション目で持参した245/40R18+9Jの虎の子Sタイヤパックを投入して首尾よくベストタイムを記録しました。
それ程深い考えが有った訳では有りませんが、偶然にも結構しっかりした戦略の組み立てになっていたんですね。

今思えば、どんなに走り慣れているコースで有っても、その日その日で微妙にコンディションも異なるだろうし、人間のウォームアップも必要だから、1セッション目にフルアタックと言うのは果たして本当に効果的なんだろうかと疑問に思います。
最近プロアイズの走行会で富士を走ると、例え多少気温が上がっても、走りが修正出来た2本目にベストを記録する位ですから、走り込みが十分とは言えない筑波ではなおさらだと感じます。

あっ、少し脱線しましたが、そんな訳で初の筑波アタックは大勝利に終わり、エイトリアンカップ終了後は雨に見舞われると言う、何とも強い引きを持っていたこの時期でした。

さて、次の筑波アタックは1年後の2006年12月16日。
当時RTE入会条件としては、ラジアルで筑波10秒切りとJAFライセンス所持が必須でしたので、Sタイヤでの記録しか無い私は大丈夫だとは思いますが、一応タイム出しておこうと思い、TSRの走行会に参加しました。
この日は気温15℃と冬としては暖かくて、決して有利な条件では有りませんでしたが、記録は1分9秒395と、気温を差し引いても寂しいタイムでした。それが証拠にさわじぃさんは確か7秒台記録していたし。
ただ、この低記録の理由は今思えば原因が有ります。それは245/40R18サイズのAD07をとりあえず転がっていた純正8Jに組んで使った事です。
単純に太いタイヤを持ってきてもダメで、適正なリム幅に組んではじめて適正な接地形状が出て、横剛性が出て、その横剛性のお陰で低めの空気圧で接地面積を大きくしても腰砕けしない。そして更にインセットの見直しでトレッド幅を広げて旋回性能を上げる。
ストレート比率が高くて、コーナリングパフォーマンスのタイムへの寄与が小さい富士では中々気付きにくいタイヤの使いこなしの重要性を筑波は教えてくれたんです。

この反省を元に、翌月に迫ったエイトリアンカップに備え、9Jホイールを買い増し。245/40R18のMコンを1セット、G/Sを1セットとタイヤに頼った、でも凄く正しい準備をして1月13日のエイトリアンカップに臨みました。

しかし結果は惨敗。1セッション目は教科書通りMコンで臨んだものの、十分にクリアが取れず、6秒95。ここで焦らずそのまま2セッションもMで行けば良かったのに、焦ってG/Sのフレッシュを投入。それも気温10℃も有って、G/Sはもう合わないと分かっていたにも関わらずです。やはり焦りは禁物。

追い打ちをかけるように2セッションのアウトラップの最終コーナーでまだ温めが不十分だったらしく、コースアウト。新品G/Sは砂だらけになってしまいました。。。。
この日、1分6秒729と前年の記録に及ばず終了。


せっかくタイヤを整えてきたのに、焦りや戦略が未熟で結果につなげる事ができませんでした。

やはりどんなに強力な武器も、使いこなしを間違うと威力を発揮しないという事です。戦艦大和じゃ飛行機には勝てないみたいな…。



まあそんな事で思ったように4秒台とか出す事は出来ませんでしたが、この頃の筑波と言えばMSCTやJRSCCといったJAF公認 サーキットトライアルがちょっとしたブームで、私も3月にBライを取り、そのままJRSCCのイベントに参加してめでたく完走、晴れてAライドライバーとなり、筑波ファミリーライセンスも取得して筑波の練習をするようになりました。

走り込み最初はやはりどんどんタイムアップして楽しいものです。

そんな中、ラジアル限定イベントであるMSCTに焦点を絞り、タイヤの選定や車両のセットアップをレベルアップしていったのが2008年シーズンでした。まず人と同じタイヤではアドバンテージを得られないと考え、当時主流だったR1RやRE01R、AD07といった市販リプレイスタイヤでは無く、インプレッサSTi純正装着されている235/45R17のRE070に目を付けました。この頃は既に転職していましたが、前職時に調べたRE070は「マジか!?」と言いたくなるほど手間暇かかったタイヤで有る事を知っていたので、こいつはきっと武器になると信じて投入しました。
それと空力もアンダーフロアーの物では無く、ロールする事が前提の箱車は安定的に効果を得る為にはやはり上もののパーツが有効と考え、当時合法な範囲では最も高くて後ろに付けるられる(高くて遠いが効果的だから)R魔のGTウイングを投入。
R魔に行って大原さんに「GTウイングください」と言ったら、大原さんが目を丸くして、かつ嬉しそうな顔をしていたのを今でも覚えています。

この二つ、正直凄くGOODでした。

まだそれ程走り込み出来ていない2007年11月のMSCT、このイベントはファシリティーが充実していたので家族全員で参加していましたが、このトライアルで見事4位、速いお父さんをインプットする事に成功しました。タイム的にも当時としてはかなり上出来な1分7秒941を記録。難しい筑波で1年で1.5秒の進歩は大きいと思いましたね。

ちなみにその年のエイトリアンカップでも好調、Sタイヤのタイムも1分5秒8台に突入しました。

RE070の性能はいつでも期待を裏切ることなく、摩耗していってもタイムが降下することなく、最終的に2008年3月に1分07秒37と、あとちょっとで夢の6秒台と言うところまで到達して寿命を終えました。


ところが2009年シーズン、やっぱR1Rじゃないと勝てないと思い、中古を譲ってもらいました。ところがどっこい、こいつが迷子の元凶に。RE070と違い凄く摩耗姿も汚く、性能が不安定で本当に手を焼きました。特にリアに中古、フロント2本のみ新品とかやった時はバランスが崩れてメタメタ。この時、R1Rへの印象を非常に悪くしました。
不調の原因がR1Rなのは明らかで、Sタイヤで走るエイトリアンカップでは着実にタイムアップ、5秒3と夢の4秒台まであと少しと言うところまでタイムは改善していました。

R1Rで迷子になり、諦めてAD08を投入した最後のMSCT 2009は5位と、最後までポディウムに立つことはかなわなかったのは心残りでした。

MSCTやJRSCCがリーマンショック以降無くなってしまい、私の筑波熱もやや冷めて行きましたが、そんな中で2010年3月にみつさんとレボの青木社長の御好意でHANKOOKの新商品であるVENTUS R-S3のお試しを企画していただき、ここでまんまと1分6秒77と夢の6秒台、そしてベスト更新を達成しました。このタイヤは好き嫌い分かれるし、真冬は全然温まらず、WETでは死にそうですが、春から夏にかけではかなり強力で、フィーリング的にRE070に似ていた事も有り、お試しだけでなく、実際に購入して使用しました。現在の筑波のラジアルベストタイムは1分6秒391ですが、このタイムはこのタイヤで出したものです。

あっ、このお試し会の後、ミッションブローして中古ミッションに乗せ換えになったのはご愛敬。自走で帰れたけれど大変だったよ。

ミッションもブローしましたが、その夏ご存知の通りサイドポートエンジンへの乗せ換えを実行、筑波のタイムアタックもPhaseⅡに移行していきます。

RE雨宮の青木さんと二人三脚、とにかくSタイヤで記録を出そうと頑張りました。当初リア5キロだったバネは、リアが弱すぎるとの理由から7キロにアップしたり、ガス圧調整したり、アライメントもトーインとか色々試しました。
そして最後は。。。

こんな事や、

こんなことまでやって、

1分2秒890を達成。2012年2月5日の事
<object width="420" height="315"></object>


エイトリアン氏は1秒台まで出していて、それに挑むのも一つの選択肢ですが、普通に快適に乗れて、過給もせず、2秒台が出た事に対しては私自身は満足してしまっています。
1秒台前半とか追い求め出すと、もう車じゃなくなってしまい、それは私自身はあまり好きなやり方では無い。。。まあ負け惜しみみたいな気もしますけど。

今はギア比も富士を狙ったものにしてしまったので、今後筑波でベスト更新する事は難しいかもしれません。

一方、ラジアルのタイムは大分古いものだし、タイヤもその後かなり進歩しているので今冬は出来れば新しいラジアル投入して少しはタイム改善しておきたいなと思っています。最近みんな速いからね。。。

後、私をさんざん惑わせてくれたR1Rですが、2012年に新品を安く入手出来た為、使用してみたところ今までの事がなんだったんだ???
と言う位、グリップするんです。つまりR1Rは新品をパチッと4本投入しないとダメと言う事が分かりました。どんなタイヤでもその傾向は多かれ少なかれ有るんですが、R1Rはチト極端でしたね。

しかし富士も筑波も結局振り返ってみると、どれだけ上手くタイヤを使えたかキーでした。

やはり路面と接触しているのはタイヤだけ。こいつをいかに上手く使うかが総てと言っても良いですね。

さあ、今冬何のタイヤ買おうかな。楽しみだ。


Posted at 2014/05/10 00:45:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月06日 イイね!

今後の執筆予定

今後の執筆予定ミセガワアーカイブズの今後の執筆予定ですが、

①筑波アタック編
②様々なトラブル編
③ラジアルでの取り組み編

くらいは予定しています。

ただGWが終わりますので今後は中々進まないかも。


取り敢えず5月11日はお得意の休日出勤の予定です。

有給どころか代休取得もままならない。

このGWが4連休+4連休休めたのは超嬉しかったです。

おかけで時間がとれて色々書く事が出来たし、走る事も出来ました。
才能も若さも無いので、練習量とキンでタイムアップするしかないのですが、練習時間があまり取れないのがとにかく痛すぎ。

今後は遠征よりも大小富士をこまめに走って練習しようかと思っています。
Posted at 2014/05/06 18:08:33 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月05日 イイね!

FSW アタック編 後編

FSW アタック編 後編yasukoyasuさん、写真勝手に転載させていただきました。ありがとうございます。

さて、2009年仕様で完成形、タイムもまあ限界ではと思いましたが、エイトリアン氏が2分2秒89だかで上回っており、何とか一矢報いたいとの焦燥感もあり、それまでOHまでして使用してきた車高調HKSのハイパーMAX Performerを手放し、まだ出たてでモニターを募集していたDG-5雨宮スペックに飛び付きました。それと言うのも、このセットのモニターはものの代金は支払うものの、当時雨宮に居た青木さんとコミュニケーションを重ねてセッティングを煮詰めていく事が出来る特典付きでした。この特典は少しでも速くしたいと言う私にとっては正に渡りに船、ついに脚のセットアップをプロにお願いすることになった訳です。(私の車で得られたデータや仕様変更が後のDG-5仕様に生かされています。)

こんな事が有って、2010年シーズンは新しい足回りの熟成やウイングの影響などセットアップに明け暮れる日々で、大した記録も残せませんでしたし、私自身が肩を怪我して入院するなど記録的には飛躍の無い年でした。


このDG-5での絡みから一気にRE雨宮&青木さんと関わりが深くなり、怪我も有ってなにもできなかった2010年シーズンの鬱憤、そして伸びない最高速、70000キロを超えたエンジン・・・・・。
色々考えて一大決心のOH&サイドポート加工エンジンに仕様変更する事を決断したのが2010年の春でした。
それまで雨宮のパーツで付いていたのは前述のDG-5とバッテリー移設キットくらい。そこからCPUは勿論のこと、最終的にはマフラーからエアクリから、ブレーキパッド、ボンネットやLSDに至るまで雨宮仕様となり、ちょっとしたデモカー並みのスペックへ。
この仕様変更は総額で諭吉100人を超えましたが、エイトを買ってから7年が経過しようとしていて、今までの自分ならば新車入れ替えとなるところでしたが、車も仲間もかけがえ無く、また適当な車も見当たらなかったことからカミさんに頭を下げ、了承してもらいました。まあ3年乗り増しすれば新車買うより全然経済的ですしね。

そんな訳で大規模リニューアルしたミセガワRX-8 PhaseⅡは辛い馴らしを終えて2010年11月6日にFSWでシェイクダウン。新しいミッションが絶不調であった(2010年3月ブローして乗せ換え)のにもかかわらず、当時期待して導入したHANKOOK R-S3と相まっていきなり自己ラジアルベストの2分6秒86を記録しました。気温は16℃位ありましたが、この時記録した最高速は何と217.43km/h。速ぇ。期待通り。

この時のストレートの速さは今も凄く印象に残っていますが、その後あんまりこの速さを感じる事が無くなったのは謎です。慣れとばかりも言えなくて2011年シーズンの真冬の富士で、211とか?な日も多々あり。しかしやはりパワーの恩恵は確かで、このシーズンSタイヤで2分02秒80、ラジアルで2分04秒99と各々自己ベストを更新する事が出来ました。

翌2012年シーズンは前年度、筑波で借りた265/35R18サイズが非常な好印象だったのでついに爪折りをして同サイズのMコン投入をした事と、エンジンも当りが出たのかタイムも安定して2分02秒前後を記録するようになり、まずシーズンスタートのイベントでもあるFSSTで2分02秒036、最高速は214km/hを記録。これは今でも車種別ランキング1位の記録で破られていません。
その後も2分1秒87とついに2分2秒台を切り、最終的には2012年3月13日に265/35R18の中古G/Sで2分00秒51を記録。これが現時点でのパーソナルベストとなっています。走り始めから色々とやりはしましたが、同じ車体、ナンバーも付いていNAのままでとうとう11秒短縮できた訳です。


ただ残念ながらこの記録を出した日に、エイトリアン氏が2分切りを達成してしまい、私の記録はかすんでしまいましたが、自分的にはこの時の走りはベスト-ベスト-ベスト繋がった感じでした。


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これ以降、何故かこの走りに迫る記録は全く出ず、せいぜい2分1秒5止まり。エンジンも心なしか元気が無いようにも思えたし、オイルシールの断裂も発生した為、2013年夏に二度目のオーバーホールを敢行し、同時にデフのOHやファイナルの5.1化を行い、ベスト更新の為に万全を期して2014年シーズンを迎えるはずでした。

ところがこの頃、ただでさえも多忙だった業務が殺人的に忙しくなり、単身赴任も続いて十分な準備や練習もできなく、もどかしい思いをしていて、2013年の12月のプロアイズでどうにか2分1秒2とベスト更新を予感させる記録を出したものの、その走行の後にエンジン不調を感じ、その予感は的中して皆さんがご存知の通り筑波でのトラブルとなりました。

いっそもう車を乗り換えようかとも思いましたが、あのエイトでもう一度でいいから走りたいと言う思いが強く、結局もう一度エンジンを組み直しする事となりました。幸いな事にRE雨宮殿のご協力が有ったり、エンジンそのもののブローでは無かった為、この4月から走行を再開できましたが、シーズンを失ってしまった事は間違いないです。

4月の復活以降、富士では気温15℃の条件下で2分03秒1を記録していますが、まあ私の見積もりでは気温で速くなるのは2秒程度。となるとまだ2分切りは出来ていない計算になります。

こんなアーカイブズを書いていると、もう終わりの様に思われるかもしれませんが、まだやり残した事があります。

もうそんなに時間も資源も有りません。2015シーズンこそは富士での目標達成をすべく、集中したいと思います。

練習も勿論ですが、やはりやれる努力は全部やらないとダメですね。

ちゃんと頑張って納得してから終わりにします。

Posted at 2014/05/05 14:32:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記

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「道の駅はしごの旅 http://cvw.jp/b/247321/48501239/
何シテル?   06/22 18:10
昔は一生懸命タイムを出そうと走っていました。@RX-8 主要サーキットのベストタイム FSW(富士スピードウエイ)レーシングコース Sタイヤ:2′00...
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