
~挨拶~ ミッドシップで検索すると1ページ目にうちのサイトが出てきましたw
国産最初のミッドシップがMR2(AW11)そこからNSXやSW20、ビートやAZ-1とミッドシップカーが増えてきました。
そして、国産最後のミッドシップがMR-Sです。意外にもトヨタが最初と最後を飾りました。国産ミッドシップの歴史はMR2に始まり、MR2
(MR-SはMR2の後継とする)に終わるのです。
確か登場当時、AW11はシビアな挙動とか言われていたんじゃないだろうか?当時MRに乗り慣れているドライバーなど皆無だろうから、シビアだの危ないだの言われても当然といえば当然。一昔前に乗ったけど、普通でしたけどね。
初のミッドシップということで、ドライバーを選ぶような車にはしたくなかった。トヨタはAW11をスポーツカーと名乗ることはなかったのである。
そしてSW20にシフト。1型の評判は凄まじく、とにかく危険な車だとレッテルを貼られてしまう。パワーに対して14インチのタイヤサイズは貧弱。さらにトラクション不足。縦にグリップにせず、横に逃げてしまう。アライメント変化が大きいリア周り。リアのバンプステアを使って積極的にグリップさせようとしたのだと思う。けど結果グリップを失ったときに急激なアライメント変化を起こし、挙動変化が大きい。グリップの頂点をピッチリ使えれば限界は高い。初期のS2000も同様の狙いがあった。しかし、結果的に両者とも限界を僅かに落とし、コントロール幅を広げ、より万人に乗れるような仕様変更がされる。
3型でパワーユニットの強化。当時は筑波サーキットでは国産最強を狙えるほどまでスペックアップを果たす。特にゼロヨンでは他の後輪駆動では相手にならず四駆ターボが比較相手だった。3型からスポーツABSが登場し、プロのブレーキングを上回るとまで言われるほど高評価だった。
そんなSW20はターボ、NAとも熟成続ける。200psまでアップされた、5型NAではシャシーとパワーのバランスが良く「ベストオブMR2」と言われるほど、ハンドリングマシンとして評価されるようになる。一方ターボは期待された足回りやタイヤの強化は最後まで行われず、パワーに足が負けていると評価される。そして、99年に惜しまれつつ生産終了。
MR-Sにバトンタッチ。MR-Sでは路線変更のオープンカー。とにかく軽さ命。軽量化なのかケチなのか分からないが、かなりの根性で1トン切りを果たしてデビュー。オープンカーゆえに剛性うんぬんを言っていると、際限なく補強を繰り返すことになるので、かなり妥協した感が否めない。事実TRDなどの補強パーツを使ってアップデートすると劇的に走りが良くなる。ハンドリングは軽快そのもので、ライトウエイトスポーツの魅力を十分備えていた。そして後期モデルはあれほどこだわった1トン切りはなんだったのか?と思うほど、あっさり1トンオーバー。しかし走りは熟成し質感も向上した。大幅な補強は裏を返せば登場時のボディ剛性のなさを如実に物語っている。
1800cc、140psのエンジンは非常にトルクフルで扱いやすいものだった。MR-SのデビューにかぶせるようにNB型ロードスターがパワーアップを図る。カタログ上はNBのほうが上回るものの加速ではMR-Sの後塵を拝す。MR-Sという車にあった必要十分なパワーと言えるが、どうもフィール面であまり評判はよろしくなかった。そして、同時期に同じオープンカーのS2000が登場したため比較されるとボロボロだった。共通点はオープンカーと言うだけでアレは完全なスポーツカーであるので、本来、比較すべき相手はFD3SやNSXなのである。
熱望されていた上級エンジン、2ZZの搭載モデルは実現せず。そして07年に生産終了。これでトヨタのラインナップからスポーツカーが姿を消し、国産ミッドシップスポーツが消滅したのである。ミッドシップ・ランナバウト、23年の歴史に終止符を打ったのであった。
そして12年、86が登場。トヨタにスポーツカーの復活。しかし未だどのメーカーもミッドシップスポーツの姿はない。
今後に期待。海外のホットなミッドシップカーを見習って欲しいものである。価格は見習わなくていいのですが(笑)
Posted at 2013/03/28 23:24:36 | |
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