
先日、やっとのことで移転オープン後の初訪問を果たした、広島のタイヤショップさん。
一昨日のブログにも書いた通り、私とこのお店の付き合いは彼是17年にも及ぶ長いものですが、過去一番の蜜月時代はというと、RX-7でサーキット走行に明け暮れていた
独身時代。
とりわけ、サーキットユーザーが泣いて喜ぶような熱対策が施された上に、当時の自主規制枠280psに達したⅤ型RX-7の登場、その進化ぶりを意気に感じ、私が無謀にもⅣ型からの乗り換えを敢行した2000年初頭から2002年末までの約3年間が、まさにそのピークといえる時期でした。
当時は週末のたびに足繁くショップに通い、お店のスタッフと楽しくコミュニケーションしながら、タイヤやオイルといった消耗パーツを交換したり、シートやサスペンションなどのモディファイ計画を立てたりしていたものです(^o^)。
などと、最近めっきり記憶力に自信がなくなった私でも、そんな楽しかった日々をつい昨日の事のように思い出せてしまう理由は・・・何の気なしにお店で撮りまくったデジタル写真が数多く残されているから(^_^;)。
自室に保管している紙焼きの写真も合わせれば、時代時代のお店のディスプレイの変遷や、スタッフの愛車遍歴までもが、いとも簡単に辿れてしまうのです(笑)。
そんなわけで、今回のブログ用に選んだ懐かしのShotは、2001年の夏のもの。
IV型のRX-7で愛用していたスポーツ走行用の「オリジナルペイントの純正17インチアルミ+RSV 98spec」のセットを履き、次なるサーキット走行への準備をしているシーンですね。
ただし、現在RX-7に装着しているMAZDASPEEDの“R-spec”車高調を導入したのは2003年で、これよりずっと後のこと。なのに何故このタイミングでアライメント調整をしているかというと、同じくⅣ型RX-7の遺品である”B-spec”車高調を緊急装着したから。
というのも、その前月、MINEサーキットを走行中、最終コーナーの立ち上がりで、リアスタビのリンクブラケットが突然砕けてしまうというアクシデントが発生したのです。
Ⅴ型のタイプRS購入から1年半、ずっと純正の足廻りのままスポーツ走行を楽しんできたのですが、RSV 98specの強力なグリップ力が過大なロールを発生させ、足廻りに多大なストレスを与えていたのでは?と思い至り、遊休品の街乗り用車高調サスを有効活用して、少しでも足元を固めようと試みたというわけ。
そうそう、あの瞬間はリアから「バキッ」と大きな異音がしてビックリしたなぁ・・・
などと、1枚の写真から当時の生々しい記憶を呼び戻すことができたのは良いとして、ひとつだけ違和感が残ったのは、ドアに大きな
「RENOWN」ステッカーを宛がっていること(^_^;)。
・・・あ、念のため状況を解説しておくと、クルマを少しだけリフトアップしたこの状態が、ステッカーの貼付け作業にとても都合が良かったので、私が我儘を言い、アライメント調整中に同時作業を企てたもの。
私が巨大な「CHARGE」ステッカーを複製し、現在のようにRX-7の両サイドに配したのは2004年のことで、それまでの5年間、ずっとこの位置は"空席"でした。
そう・・・この時の「RENOWN」ステッカーの貼付けは、結果的には「未遂」に終わったのです。
実はこのRENOWNステッカーは半年ほど、この赤FDのボンネットに鎮座していたことがあります。
しかしその後、私が外観モディファイのモチーフを、栄光の「マツダ787B」から、思い出深い「マツダ767B」にスイッチしたことに伴い、貼替えを決意。この写真を撮影した時点で、すでにボンネット上は現在の「CHARGE」ステッカーに取って代わっていたはず。
なのに、こうして両サイドでこっそり復活を試みていたとは・・・
当時はこの「RENOWN」以外、大サイズのステッカーを持ち合わせていなかったとはいえ、なんだか意外な過去を垣間見た気がしました。
もちろん、仮にこの時、貼付けを強行していたとしても、そのうち、「CHARGE」ロゴ('89年仕様)と「RENOWN」ロゴ('91年仕様)の共存がきっと自分自身で許せなくなったはずなので、正しい判断だったとは思いますけどね(^O^)。
以上、大して変わってないように見えて実は要所要所が変わっている、我が赤CHARGE号の歴史の一コマでした。
Posted at 2013/11/12 23:18:46 | |
トラックバック(0) |
隠れ家のセブン | 日記