あたしには、2歳5ヶ月になる甥がおり、すくすく育っています。
兄の子である甥っ子には、会う度に癒しをもらってます。
前回のブログにかきましたが、あたしは去年12月に姉を亡くしております。
赤ちゃんを欲しがっていた姉の、甥に対する想いは、特別なものだったと思います。
甥が、実家に来ては姉も駆けつけ溺愛してました。
あたしは、赤ちゃんをあやすことに慣れておらず、抱っこするのもビクビクしてたくらいなのに…
産まれてすぐの赤ちゃんだった甥を、姉はたくさん抱っこしたり、いっぱい笑わせてあげたり、あやすのが本当に上手でした。
姉はあたしによく言いました。
「あたしに赤ちゃん産まれたら、うんと可愛がってね‼」
あたしは、正直病気をもつ姉には赤ちゃんを産むことはかなり難しい事だと知っていました。
でも、姉は旦那さんとの子供を切望していました。
遠い未来に姉に赤ちゃんができたら、あたしはすごく嬉しいし思いっきり可愛がるだろうと当時漠然と思っていました。
あたしの両親にとって、初孫である兄の子は、やがて歩けるようになりました。
今では単語も覚えて好き嫌いもはっきりしてきました。
姉は甥が歩けるようになった姿を見る前に、天国へと旅立ってしまいました。
亡くなる一週間前に、姉が甥にプレゼントしたシャツを着て姉の葬儀に参列した、まだ死というものを、何もわかっていない甥はあまりに無邪気で参列者の癒しになっていたと思います。
つい先日のことです。
兄夫妻に、二人目となる赤ちゃんを授かったという嬉しいニュースが飛び込んできました。
姉の生まれ変わりなんだと、悲しみにくれているあたしたち家族に光がさしこんできたのだな、と思いました。
兄に喜びのLINEをたくさん送り、無事に産まれますようにと心から願っていました。
しかし、悲しいことにお腹の赤ちゃんが息をしていないことがわかったのです。
先週義理の姉は、赤ちゃんを堕ろす手術をしたそうです。
あたしは、いつも思います。
生きてること、産まれてくることは奇跡だなと。
赤ちゃんを授かっても無事に産まれてくることができなかった命。
喜びが絶望へと変わった瞬間の兄夫婦やあたしたち家族の悲しみ。
人は生きてる限り辛いことを避けては通れません。
その辛さを感じる度合いは人それぞれ違います。
あたしは、人に「砂上の楼閣」だと言われるくらい弱い人間です。
だからといって、強い人間になりたいとは思いません。
死や辛い出来事を通して、たくさん心を痛めて強くなるということも大切なのかもしれませんが、あたしは弱くていいのかなって思います。
開き直ってるのは承知してます。
でも、姉の死から、悲しみから学んだ
「人の命のはかなさ。命の尊さ。」
「家族のありがたさ。」
そして、
「感じる心、思いやる心、ゆるせる心」
をいつまでも持っていたい。
そんな想いをもって、「あたし」を生きていこうと思いました。
また、甥っ子が人を思いやる心を持てる子に成長することを願います。
きっと、これから悲しいことは続くけどそれを繊細に受け止め、傷つきながらでも皮肉にもなるけど、あたしの感じるままに受け入れて、それが人に対する優しさに変われるなら、そんな人間になれたらいいなと思います。
いつか甥っ子が大きくなったら、姉の話をたくさんしたいです。
人を大事にすることは、自分にかえってくることなんだってことを。
Posted at 2016/08/07 16:07:56 | |
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