「春になって暖かくなったらタミを新しいベランダで遊ばせてあげたいな」
―もう5年たつのかな―
2012年。うるう年の2月29日。
その日は、横浜でも積もるくらいの雪が降る寒い日でした。
4年に1回しか訪れないその日に、うちの愛犬タミは天国へと旅立っていきました。
16歳7ヶ月生きてくれました。
これは、最後まで懸命に生きてくれた愛犬タミのお話です。
横浜にあるパシフィコ横浜にて、たくさんのワンちゃんが売られていると知った私の兄は、会場に行き、まだ0歳2ヶ月のビーグル犬を見つけました。
それがタミとの出会いでした。
その犬を飼いたいと言い出したのは兄でした。
両親に「犬の面倒は全部兄弟3人で見るから犬を飼いたい」と懇願し、奇跡のOKをもらい、その翌日、兄弟3人で買いにいきました。
まだ、犬が怖いと思ってた私が初めて抱っこした時の子犬の柔らかさ、温かさは今でも感覚として残っています。
家族の仲間入りをした『タミ』と名付けられた犬は、飼い主に似て臆病で、人見知りな犬でした。
散歩に行き、他の犬とすれ違う度に「しっぽが内側に入り込み、毛は逆立ち、草の匂いを嗅いだふりをして、他の犬が通りすぎるのを待ってまた歩き出す」といった感じで(^-^;
うちは、自営業で両親は共働き。
会社は、車で30分の所にありタミは毎日、苦手な車に乗せられ通勤してました。
車は、最後の最後まで慣れませんでした。
タミとは、様々な瞬間を共有し、いろんな所へ行きました。
私の人生のあらゆる場面におり、兄弟や私の進学、成人、就職、失恋に至るまで、どの瞬間にもタミは存在し、時には喜び、悲しみを共有し、時には慰めをもらい、写真を見ればどこにでもタミは、うつっています。
思えば色々やらかしてくれました。
*脱走して2時間帰ってこなかったこと。
*旅行先で宿に慣れず一晩中、母を寝かさなかったこと。
*これまた逃走し、走ってる車に突進し運転手さんが慌てて急ブレーキをかけてくれたおかげで、前輪と後輪の間にかろうじて入り、命が助かったこと。
*兄がお酒に酔い、警察官が家まで送り届けてくれた時、警察官をペロペロなめてしっぽフリフリして歓迎してたこと。
あげたらキリがありません。
ゆっくりと成長していく人間と比べ、成長の速度がはやい犬は、気づけばおばあちゃん犬になっていました。
黒々とした艶のよい毛なみは、歳をとり白い毛が混じり顔も優しくなっていきました。
タミは、兄や姉の結婚も見届けました。
残された実家暮らしの私は、毎日会社の日々で。
朝早く家を出る私の、一人朝ご飯の時間を狙って、のそのそ起きては、おこぼれをもらい、トイレを見事にはずし、また寝に戻るというのが朝の日常でした。
⬆
ギリギリに起きる私には、タミがやらかしてくれたトイレの掃除は、痛い時間のロスでした。
それでも、どんなイタズラしてもいいから、何回でもトイレはずしていいから、生きててほしかった。
肉球と爪、フローリングの床によって作り出される「ツカツカ」というタミの歩く音は、タミの存在している証であり、晩年そのテンポがslowになっても家にいれば、どこからともなく聞こえてきました。
音にも愛しさを感じます。
2011年12月。タミ16歳5ヶ月。
当時お家を増築工事していたこともあり、家の中は特に寒い冬でした。
12月に一階の壁がぶち抜かれることからスタートした工事は、お正月もホロがかぶった状態で翌年3月に終わりました。
「春になって暖かくなったらタミを新しいベランダで遊ばせてあげたいな」
2月のある日、母がそう言ってたのを思い出します。
工事も終盤を迎える2月下旬。
かつて食欲旺盛で奪ってでも食べる食い意地のはってたタミの食欲は、ついになくなりました。
17㌔あった体重は7㌔まで落ち、スポイトを使い水を飲ませ、手の上に小さく丸めた母手作りのタミの大好物ミックスも食べなくなりました。
私は、弱りきって横に寝ているタミと手を繋ぎ添い寝したり、一緒に写真とったり動画をとったり、目を合わせてたくさんの「ありがとう」を伝えたりしました。
ご飯を食べなくなって3日目の2月29日朝、まだ寝ているタミに何度もありがとうを言い、可愛い横顔にキスをし、2月末の繁忙日のためいつもより早く家を出ました。
横浜でも珍しく雪が降った、明日から3月という春目前の日。
15時過ぎ、ようやく忙しさも一段落し、私はふとタミのことを思い出しました。
「生きててほしい。今日も生きててほしい。」
心からそう願いました。
仕事が終わり、スマホを見ても親から何の連絡も入ってないのを確認し、家路を急ぎます。バスを降りてからは、雪が積もっていたため、雪のないところを見つけて走りました。
玄関を開けて、ブーツも脱がず、
「タミは?」
と大きな声で問いかける。
急いで居間のドアを開けたら、毛布をかけたタミがいる。
「生きてた…よかった…」
そう思った瞬間だった。
タミがいつも首に巻いてたマフラーをしている父が目にうつり、
「タミ死んじゃったよ。」
その言葉が父の冗談であってほしい。私を驚かそうとしてるだけなんだと。
「嘘でしょ。」
次に、母が目にうつった。
涙目だった。
毛布をかけられたタミは、眠ってるんじゃないかと思うくらい、いつも通りのタミのふくらみだった。
私は、しゃがみこみ毛布をめくった。
穏やかに目を閉じているタミ。
触ると体は硬くなり始め、冷たくなっていた。
溢れでる涙は、タミを生き返らせてはくれない。
胸は苦しく、痛く、喪失感でいっぱいだった。
家族みんなで大事に大事に守り続けてきたひとつの大切な大切な命が失われたのだ。
犬を飼うものの宿命を知ったのもこの時だった。
―犬を買いにいくあの日の3人の子供たちは、こんな恐ろしい日が訪れることを想像すらしてなかった―
タミの死の前後40分を、母がビデオカメラにおさめていた。
時間は、私が会社で時計を見た15時過ぎから始まる。
大きな鳴き声とともに、苦しいあまり体を回すタミ。
父が駆けつける。
外には雪が降っており、父がタミを抱っこして、雪を見せている。
確かに雪を見つめるタミの大きな瞳。
―タミは雪を見て何を思っただろう―
父に抱かれたまま、永遠の眠りにつくタミ。
大好きだった両親に見守られ、最後は父の腕の中で静かに息をひきとっていった。
「ありがとう」ともとれるような大きな口を2,3回あぅーんとあけて、口を閉じた。
それを母は、「タミが最後にありがとうを言ってくれたんだよ。」って言っていた。
その40分の記録を私は、目を反らさずしっかり目に焼きつけた。
辛すぎて、もう二度と見ることはできない記録だと思った。
タミは16年間私たち家族として、多くの喜びや笑顔をもたらしてくれた。楽しい思い出もたくさんできた。
あらゆる瞬間にいてくれて、家族の成長を見守っててくれた。
子供たちが大人になるまで見届けてくれた。
幸せな時間を共に過ごすことができた。
だから、タミを飼って本当によかった。
たくさんの犬の中から、たまたま私たちの家族に仲間入りしたタミは、私たち家族に飼われてよかったと思ってくれてるんだと思いたい。
犬にもあらゆる表情や感情、本能がある。
甘え、淋しみ、いじけ等人間と重なるものばかり。
頭もよく使うが、全てに一生懸命で何より純粋だった。
全力でタミは、タミを生きてた。
4年に1回しか来ない、うるう年に亡くなるという、大胆なことをしでかしたタミ。
タミの命日は、4年に1回では悲しすぎるので、2月28日と3月1日も加えることにしよう。
家族でそう決めました。
3月1日は、悔しいくらいに晴れ暖かい日でした。
春はそこまできていたのにね。
もっとあたためてあげてたら、この寒い冬を乗り切って生き延びてくれたかもしれない。
新しいベランダで「ツカツカ」歩くタミの足音を聞くことができたかもしれない。
春になるとタミと菜の花の咲く道を家族で散歩したことを思い出します。
それは幸せの風景です。
これが、愛犬タミのお話です。
※。.:*:・'°☆※。.:*:・'°☆∠※。.:*:・'°☆
生まれてから、あらゆるものを得続けてきた。存在するものが、当たり前のものとして生きていた。
それに気付いてからは、失うことばかりで。
私のかけがえのない大切なものは、それからまたひとつ失われた。
今私は、大切なものを失う怖さに日々怯えている。
それらが、いずれなくなってしまう未来に…
未来に希望はあるのかな。