
私は沖縄が好きで毎年遊びに行っている。
なんで沖縄が好きかというと大失恋を経験し北海道から帰ってきた後の話だ。
やりたい仕事も見つからず、かと言って親の借金まで背負っていたので悠長に遊んでいる暇など無かった。
したいことも無い、ただ退屈な日々。
北の大地には何かがあると信じていたのに孤独に打ちひしがれいた。
だが家にはいたくない。窮屈な息苦しさの毎日が辛かった。ただ遠くに行きたいという衝動に駆られてやってきたのが沖縄だった。
初めて降り立つ南国の地。
一気に鬱蒼とした気持ちが突き抜けるように解放された。
ビーチでペプシ片手に陽が沈むのを眺めていたり、何にもせずに歩きながら考え事したり、時にはスコールに降られて橋の下で凌いだこともあった。
当然宿など取ることも無く公園のベンチで寝たりホームレスな生活をした。それはほんの数日だったが今思えば人生で一番ゆったりした時期だった。
今は三週間も四週間も休まずに働かされているからな…。
だが問題は帰る時に起きた。
帰りの旅費が足りない…!バカな!?誤算はしょうもないことで起きていたのだ。
財布に入っていたのが1万円札だと思っていたのが五千円札だったのだ。
完全に困った。
当時は運転免許すら持ってなくて健康保険にも入っていなかった(正確には保険料を滞納していた)。身分を証明する保険証すらない…。当然サラ金から金を借りることも出来ない。
完全に詰んだ…沖縄で遭難してしまったのだ。
警察に相談するか?
いや、別に落とした訳では無いし豪遊した挙句に金が足りないじゃどうしようもない。ましてや身分を証明するものが何一つないのだ。何にも無いのだ。当然就職なんて無理な話だ。金を稼ぐ手段は…無知蒙昧な私がそんなことできるわけがない。
楽器の一つ演奏出来ればいいがカエルの歌すら弾けない。オマケに音痴ときたもんだ。
手持ちの金が尽きたら?
沖縄の青い空が灰色に見えてきた。
いや、実際に灰色だ。雨が降ってくる!
近くの店の庇の下で雨宿りをする。
なんて言うか…今の私の気持ちを現すような土砂降りだった。
でも頭の中は真っ白…金が足りないだけで人生終わるのか?
とりあえず店の庇で雨宿りしてるのだからアイスでも食べて落ち着くか。
心神喪失状態だったのであまり覚えてはいないがぼんやりとアイスを食べていると店の親父さんが何かを察したのか
『どうしたの?』と聞いてきた。
私はことのわけを話すと親父さんは笑い出した。
『なんだそんなことか』と。そしてこう続けたのだ。
足りない金の分だけウチで働いて稼いでいけばいいよと。
私は耳に詰まった耳あかをほじくり出したがその言葉は確かに聞こえた。
こんな身分証明書も何にも持ってない得体の知れない人物を店で働かせるというのだ。まるで信じられない。
でも親父さんは本気だったらしく、その夜は親父さんの家に泊まればいいと言われたがさすがにそれは厚かましいので宿はあると嘘をついて野宿した。
翌日から店に行くと親父さんは早速仕事の内容の説明に入る。
仕事は主に裏方の仕事でゴミをまとめたり、掃除したり、搬入を手伝ったりだ。とにかく忙しい。親父さんは一人で店を切り盛りしており逆に要領を得ない私がいることで足を引っ張ってるような気がした。
モタモタしていると親父さんの怒号が飛んだりしたが私はとにかく親父さんのご厚意に応えようと必死だった。
しかしさすがは沖縄。観光客は日本人だけではない。アメリカ人も多く、その大きな体躯に驚いたものだ。
青びょうたんだった私にとっては巨人である。
英語で何か言われたが全くわからず首を傾げるだけの私だが、親父さんは英語を理解しているのか手際良くフランクフルトを渡した。
それは奇妙な光景ではあった。
アメリカ人は英語で喋り親父さんは日本語で返事をしているのだ。
1週間働き、親父さんは茶封筒を差し出す。
『これ、少しばかりだけど…これで帰れるだろ?』
それは給料だった。
思わず目頭が熱くなり茶封筒の中を見ると…本当に少なかった!
でもこれで帰ることが出来るのだ。1週間ちょっとぶりに布団で寝れるのだ。
『また沖縄に来る時があったら立ち寄ってな』
親父さんはそう言うと仕事へ戻っていった。
あれから私はブラックジギョーに捕まり沖縄へ行く暇もなく数年の時が過ぎた。
何年かぶりに訪れた沖縄の景色は様変わりしていた。以前とは違う観光客…中華系が多い!
そして親父さんは元気かな?とお店を探すが…あれ?どこだっけ?
方向音痴が災いしてお店の場所を忘れてしまったのだ。野宿していた公園は…あれ?無い?
何からかにまで記憶が定かではない。
街が変わってしまったせいもあるが、ブラックジギョーの過酷な労働で脳みそは完全に劣化してしまったのだ。
またあの時の気持ちがざわついてきた。
なんだろう?大切なものを無くしてしまったような喪失感に襲われた。
あれから結局親父さんの店があった場所には新しい店が出来ており、どうやら引退したのかもしれない。親父さんの姿はどこにも無かった。
人生は一期一会なのだ。
その時、その時代でしか出逢えない人がいるのだ。
長い人生の中でほんの数日運命が交錯し、永く心に残る出来事が思い出なのだろう。
あれから沖縄に頻繁に遊びに行けるようになり、あの時の恩返しというか沖縄は好きになり頑張って貯金してほぼ使い切ってくるのだ。
もちろん帰れなくなることはないさ。
それだけ私も成長したということだ。
そうだろう?
公園で野宿していたやろっ子がブセナテラスに泊まったりしているのだから人生わからないものだ。
