
2009年のシーズンを最後にF1から離れていたキミ・ライコネンがF1に復帰するらしいのですが、ブラジル・インテルラゴスサーキットでF1最終戦が開催されていたその時、ワタクシはWTCCの登竜門といわれる(嘘です)軽自動車の耐久レース『2011幸田K-4チャレンジカップ耐久レース』の最終戦で2年ぶりにれーす復帰を果たしました。
2009年5月、『2009 幸田K-4チャレンジカップ耐久レース 第2戦』で華々しく
れーすでびゅ~!したつもりだったワタクシですが、車も運転手(ワタクシ)も性能が低くまったく競争にならなず、その翌月の『
幸田K-4チャレンジカップ耐久レース 第3戦』には、より戦闘力のあるチーム「ミルトゥデー」に電撃移籍するという素早いステップアップを果たせたものの、チーム「ミルトゥデー」は2009年限りで財政難により解散。その後レースの世界から遠ざかっていたワタクシですが、40歳過ぎのミハエル・シューマッハが頑張っている姿をみて、2年ぶりに復帰することを決意しました。
復帰戦は、軽耐初参戦した時のチーム「くんきち ミラ」からエントリーでした。
『幸田K-4チャレンジカップ耐久レース』が他の軽耐と違う特徴は、全長1,031.494mのコースを予戦義務周回数30周以上と決勝4時間30分という長いレースで無給油(一部車両を除く)で走りぬかなければならないということです。
よって、速さと燃費の良さをそなえたトゥデイが有利なレギュレーションになっているなか、「くんきち ミラ」は他のトゥデイ以外の車と比べても競争力がありません。
ちなみに、今年度第1戦で優勝した№36「ブリッド花優膳早川水道トゥデイ」が決勝 303Lapしてベストタイムが49.867秒だったのに対し、2009年第2戦でのチーム「くんきち ミラ」の実績は決勝 261Lapでベストタイム54.786秒と激遅!
それなのに、何故また「くんきち ミラ」から参戦しようと決めた理由は、前回のレースではワタクシにとって初レース、初めての車、初めてのコースレイアウト(K-4コース)、体重の差もあるということもありましたが、チームメイトのKさんにベストタイムが1秒近く遅かったのでリベンジしたかったのでした。

車検での一コマ
AM 8:00 からの受付を済ませると車検が始まりました。
車検では、まずは車重測定をします。
2年前参加した時の重量は
655.5㎏で、今回はアンダーコート剥がし、リアスポイラー撤去して臨みましたので車重は
645㎏でした。
今回のピット割りは、前戦から軽耐復帰した№20「チームイナガキトゥデイ」と共用でした。
チームイナガキの I さんはワタクシと同じ99年式S2000のオーナーで『S2000 Driving Forum』の常連参加者でもあり、
今回同じドライビングフォーラム常連の凄腕ドライバー某H先生を助っ人として起用し、車の方も実績のあるチームR’Sトゥデイの脚を移植しての参戦で表彰台を狙うと意気込んでいます。
車検とブリーフィングが終わるといよいよ予戦です。
今回我がチームの予戦担当はKさんでしたが、我々の車は燃費が厳しいため予選義務周回の30周を省エネ走行するだけでタイムアタックしませんでしたのでビリと思いきや、同じ作戦を考えていたチームがあり、14台中13位でした。
予戦トップは№37「タツミ トゥデイ」の50.345秒で、№20「チームイナガキトゥデイ」は4位でした。
決勝スタートドライバーは予戦でタイムを出した人が担当することになっている?ため、我がチームはKさんが担当し、次のドライバーはワタクシ→チーム代表の I さん→ I さん→再びKさんからというサイクルで走ることとし、走行時間は一人20分から30分位の間で臨機応変にかえる事としました。
なお、一人のドライバーが連続して運転できる運転時間は60分以内とし、ドライバー交代は9回以上を義務づけられています。

レースでの一コマ
決勝ローリングスタートを予戦順位通りに無難にスタートしたKさんも9周位までは前を走る車が遅かったためか、57秒台と遅かったのですが、№22号車をパスした後は
前日の練習走行のタイムを上回る55秒台が出るようになりました。Kさんの第1スティントベストはGPSロガーによると55.023秒でした。
続いてワタクシの走行となりました。
2009年のレースでは早めにインについて短距離で走った方が燃費的にも後続車をブロックするにも有利ではないかと思い、そうしたラインで走っていたのですが、「くんきち ミラ」号の場合はこのコースにギア比が合っておらず、短距離で走るためにボトムスピードを下げてしまうと反ってスピード的にも燃費的にも悪くなるのではないかと考え直し、また幸か不幸か、根本的に他車との速さの違いから考えてもブロックラインを走る必要がないので、ボトムスピード重視のラインで走ることにしました。
走り出して3周目位からワタクシも前日の練習タイムを上まわる55秒台が出るようになりましたが、結局ワタクシの第1スティントベストは55.665秒でKさんのベストには届きませんでした。
反省点としては、車重の1.1割以上の体重があるワタクシが運転すると我々の車にはL.S.Dがついてないので左コーナー特にショートヘアピン立ち上がりでインリフトしてホイールスピンするだけでトラクションがかからない。(笑)ホイールスピンするということは無駄な燃料を消費していることでもあるので改善要です。
体重は今更どうにもならないので、走り方を変える必要があります。
前日の練習でのGPSロガーのデータでKさんとワタクシを比較すると、バックストレート後からショートヘアピン立ち上がりまでのSCT3での走行ラインがKさんはアウト・イン・ミドルのラインで小さく回って直線的に立ち上がり次の第2ヘアピン向かうように走っているのに対し、ワタクシはアウト・イン・アウトで大きく回ってから第2ヘアピン備えてミドルに向かうように走っていました。
Kさんのように真っ直ぐ立ち上がった方がトラクション的には有利なのですが、SCT3でのタイムはワタクシの方が速かったので悩むところであります。
チーム代表の I さん→ I さんも各第1スティントを走り終え一巡し、再びKさんの走行になりました。
お昼を過ぎ、気温が少し上がってきたのとタイヤも垂れてきたのか?Kさんの第2スティントは1回目のベストを更新することができませんでした。
ワタクシの2回目の走行になりましたが、今度はショートヘアピン立ち上がりから第2ヘアピン進入までのラインを直線的に走り、第2ヘアピンをイン・イン・アウトのラインで走るようにし、ショートヘアピン立ち上がりのアクセル操作も慎重にしました。
ホイールスピンは少なくなりましたが、ラインが悪いのか?気温とタイヤの変化なのか?55秒台が出にくくなりました。
第1スティント走行が終わった後、チームのメンバーに何速で走っているか訊いたところ、ワタクシは燃費のためにAコーナーは3速で走っていたのに対し、忙しくなるけど2速を使うとのことでした。(驚)
そこでワタクシも燃費はきつくなってから考えるとして(笑)、Aコーナーを2速で走ってみました。
すると簡単に55秒台が出るようになり、最終的に現時点でのチームベストの54秒台が出ました。(喜)
チーム代表の I さん→ I さんも各第2スティントを走り終え、3順目のKさんの番となりました。この頃になると気温も下がりガソリンの搭載量も減って軽くなる事からKさんのペースも55秒台前半が多くでるようになり、やがてワタクシのタイムを0.07秒上まわるチームベストを更新しました。
レース終了まで残すところ40分くらいでワタクシの出番となりましたが、チーム代表から『義務ドライバー交代の9回をクリアーしたので、後はお前が最後まで走れ!』と言われました。
えっ、いやだ~!
と、駄々をこねましたが、見事却下されました。(涙)
日頃のサーキット走行でもクーリングラップ無しに延々と走り続けているワタクシなので40分くらい走るのは全然構わないのですが、ここから先は燃費がきつく我慢の走りをしなければならないし、もし、ガス欠で止まってしまったらノーポイントに終わる結果になるので、小心者のワタクシにとっては精神的に非常にシンドイのです。
kさんからバトンタッチして走り出すと車の軽さを感じ、いよいよ今回のワタクシの最大の目標であったチームベストタイムを目指します。
1・2周走って落ち着いたところでバックストレート区間で恐る恐る燃料計を見ると、何と、既にEラインをかなり下回っていました。(滝汗)
まだ40分近くもあるのに、どうすんの~!
往生際が悪くタイム更新があきらめきれず、しばらくアタックし、何とか55秒台は切れましたが、恐怖で右足に力が入らず、Kさんのベストも自己ベストも更新できません。(悲)
残り30分くらいになると、いよいよガス欠状態が出始めました。
もうそうなると完全にあきらめ、ここからはひたすら省エネ走行に切り替えです。
なるべく高いギアで走って、ボトムスピードも落とさないようにします。
初めのうちはラップによってガス欠状態が瞬間的で出たり出なかったりしてましたが、ラップを重なるごとに第2ヘアピン立ち上がりで必ず症状が出るようになり、その息継ぎ時間も段々長くなるようになりました。
第2ヘアピンエイペックスからコーナリング終了までは完全にガスがいってなくて無呼吸症候群状態。
何時止まっても不思議でないように思えました。
ハラハラしながら走っていると、前方に黒いトゥデイがスピードダウンしているのが見えました。
そう、№20「チームイナガキトゥデイ」でした。
№20号車も燃費が苦しくなってきたのでしょうか。レース前『はうちは燃費は余裕だ』と言ってたのに。
№20号車は必要以上にペースダウンしている様子で、やがて追いつき、
オーバーテイクしました。
とは言っても、根本的に周回数が違うので順位に影響ありませんが。(笑)
その後もハラハラドキドキしながら走って273Lap走ったところで、チェッカーフラッグが振られました。

決勝結果
優勝は今シーズン最高の304周を走りきった№36「ブリッド花優膳早川水道トゥデイ」が5戦全勝でシリーズチャンピオンを決めました。
№36号車は予戦でも46周走っており、30リットルの燃料タンクで350㎞以上走って、尚且つ予戦時50.430秒のタイムを出すという、我々の車からすると異次元です。
2位は、4周遅れの№88「マケラーレンⅡトゥデイ」。
マケラーレンは幸田K-4耐久の初代シリーズチャンピョンで、昨年からは西浦の軽耐にレースの場を移しておりましたが、レース中の車輌火災によりレース活動休止。チーム解散した「ミルトゥデー」の車輌を手に入れ、前回の第4戦から幸田K-4耐久に復帰したのでありました。
一時は№88「マケラーレンⅡトゥデイ」と2位争いしていた№20「チームイナガキトゥデイ」は結局7位のようでした。
我々チームの成績は、№25「みんなそれぞれいろいろアルト」がフロントハブ損傷で133周目にリタイヤしたために、ドベにはならず予戦順位と同じ14台中13位でした。(笑)
残念ながら自身の目標の一つであったチームベストは出せずセカンドベストのタイムで終わったのですが、チームとしては前回のレースでの周回数261Lapでベストタイム54.786秒という成績に対し、今回は273Lapとベストラップ54.734秒だったので若干ですが成長できたので良しといましょう。
2011幸田K-4チャレンジカップ耐久レース第5戦 参加車輌編 ①
2011幸田K-4チャレンジカップ耐久レース第5戦 参加車輌編 ②
2011幸田K-4チャレンジカップ耐久レース第5戦 参加車輌編 ①