
今日は生憎のお天気ですね。
近くにある桜も雨に濡れて色を鮮やかにしながら来年への布石であり緑の葉を蓄えるようになりました。
そんな日曜日、お登りさんは東京都心を走る山手線なる電動客車に乗り浜松町という駅舎を目指しました。
集積回路カード乗車券なるすいかあを利用すれば、客車に乗り合わせる人々も皆其々の用向きの為、携帯情報端末機との(一部)一方的な意思疎通に無心となる人ばかりで人との会話は勿論、駅舎の駅係員との触れ合いもなく、車窓から見える東京という街の様子に目を向ける人はおらず、機械的電動客車は電車運転士により定時に吾々を運んでくれます。
ただ乳母車に乗った幼児が降りた乗降場より、電車に手を振る様子が愛おしく感じられました。
まったく世の中はあらゆることがおーとまちかりーになり大変便利となったものだと感じました。
そんなお登りで二元的な価値観になかなか移行できない、いや心の中では移行してくないともはっきりと思っている人間が何をしに行ったかというと、これまた不思議なことに、日頃大変興味のある自動車について、現在の内燃機関式自動車が近い未来電気自動車に変わっていくということを大衆媒体でよく見聞するようになり、試乗体験なる催し物に参加する為です。
日の出浅橋近くのハイカラな「
BESIDE SEASIDE」なる場所に到着いたしました。
門構えや店内のハイカラな雰囲気に気後れしながらも、手続きをすませ、主催カンパニーの今後製造される自動車への方針を傾聴します。
そして今後の世界の道を席巻するかもしれない新しい電気自動車に試乗されてもらいます。
新しいといっても歴史は現在の内燃機関式自動車よりも古く、今自分が乗っている内燃機関式自動車も優れた電子制御装置の恩恵に胡座をかいていることも自覚しながら。
初めて体験した電気自動車は回生制動装置なるものは今までの感覚と異なり違和感を覚えながらも、それすら設定で(結局はデジタル制御の中ですが)アナログ感覚を楽しめる設定に変えることが出来、結論としては特段の美辞麗句を必要としないほど、現行の内燃機関式自動車との大きな操作感覚の違いも無く運転を楽しむことが出来たと思います。(「思います」という部分が全てを認めたく無い心情が出ているのかもしれません。)
デジタル上に作られたアナログの世界も、アナログの中に散りばめられたデジタルの世界も、いわば量の問題であって、もともと魂と肉体という矛盾の中で生きている自分自身と同じようなものだと考えました。
こと運転に関しても、デジタル領域が増えただけで不安定な人間が操舵するというアナログな領域は厳然として残置されている当然のことを改めて思いました。
また兼ねてよりEV車とガソリン車を比べ、環境面だけでなんとなく良いという世情の噂には、疑問を感じており、一台の車を長く大切に使うことが一番なのでは無いのかという三元や六元の価値観を持っていた自分にとっては。主催カンパニーの持続可能という言葉は夢毎のように印象を持っていましたが、その同社は完全に(成功するか失敗するかは分かりませんが)舵を切りその製造時に排出するCO2をも削減する方針をとったという話を聞いた際はその姿勢を潔しと見習い長く不満に思っていた部分を嚥下することが出来た気持ちでした。
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と、今後の自動車の一端を垣間見た後は、電動客車に揺られ途中の駅舎内の立ち食い蕎麦のあたたかい蕎麦つゆに幸せを感じ、会場でご馳走になったお洒落なパスタとケーキよりも美味いと思いました。
『言いおほせて何かある』とは芭蕉の言葉を思う桜舞う日でありました。
※タイトル画像はペコちゃん。最近イートイン出来る不二家さんが減って妻が寂しがっておりました。
Posted at 2022/04/03 23:56:43 | |
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