
来た、見た、勝った
Veni, vidi, vici
ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー
古典ラテン語
1965年最終戦10月24日に行われた F1メキシコ・グランプリにおいて、
ホンダが初優勝を飾った際、監督の中村良夫は、東京のホンダ本社宛に
"Veni,Vidi,Vici." (来た、見た、勝った)と電報を送った。
ホンダF1の中村良夫監督、シャレオツですね。
当時の東京ホンダ本社も歓喜に沸いたと思います。
この言葉は1980年代の第二期ホンダF1時代に伝説としてよく聞かれました。
1980年代は中村良夫さんが書いた記事も雑誌などでよく拝見していました。
もとは、ローマの将軍ユリウス・カエサル
(英語読み ジュリアス・シーザー (Julius Caesar) )が、紀元前47年のゼラの戦いの勝利を、ローマにいるガイウス・マティウスに知らせた言葉である。
ローマ内戦において、カエサル率いるローマ軍がナイルの戦いでプトレマイオス朝のファラオのプトレマイオス13世らを破った後、小アジアに派遣していたグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスがポントス王ファルナケス2世に敗北したという報せが届いた。
カエサルは6月にエジプトを発ち、途中シリアやキリキアの安定化に努めながらポントスに向かい、8月2日、ポントス西部のゼラでファルナケスと会戦した。
戦闘は4時間程でカエサルが指揮するローマ軍の勝利に終わった。
この時、ローマにいる腹心の1人ガイウス・マティウスに「来た、見た、勝った」と書いた手紙を送った。
カエサルの文体は、共にラテン文学の双璧とされるキケロとは対照的に、明瞭簡潔を特徴とするが、この「来た、見た、勝った」の三語は、その特徴をよく表すものである。
中村良夫
中島飛行機(富士重工業「スバル」の前身の一つ)に入社、航空エンジン開発部門のエンジニアを務め、同時に帝国陸軍の航技中尉(技術中尉)として陸軍航空技術研究所や陸軍航空審査部に属し、超大型重爆撃機「富嶽」や ジェット戦闘襲撃機キ201「火龍」などの開発に携わる。
戦後、1950年オート三輪メーカーの日本内燃機製造に転職。
その後、1958年3月にホンダに入社した。
当時ホンダには自動車のことがわかるエンジニアがほとんどいなかったため、入社後まもなく本田技術研究所の四輪開発部隊の責任者を任される。
中村はS500やT360といった市販車の開発の指揮を執る一方で、F1チームの監督となり、1964年よりスタートしたホンダのF1参戦の責任者となる。
1965年最終戦メキシコ・グランプリ、海抜2000mを越える高地で開催される同グランプリでは、かつて航空機エンジンを開発した中村の知識と経験が大きく活かされ、リッチー・ギンサーがホンダのF1における初勝利を飾った。
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Posted at
2025/05/30 10:57:37