
ロゼッタ・ストーン
ギャル文字の解読にも
ロゼッタ・ストーンがほしい〜
ぉレ£∋ぅ⊇〃±〃レヽма£
→おはようございます
ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)
エジプトのロゼッタで1799年に発見された石柱。
ロゼッタ・ストーンには、ヒエログリフ、デモティック、ギリシア文字の、
3種類の文字が刻まれていたため、ヒエログリフが解読できるようになった。
これにより、ロゼッタ・ストーン以外の古代エジプト語の記録も解読が
可能になった。
「ロゼッタ・ストーン」という言葉は、
いまや『絶対的な手がかり』を意味する言葉としても用いられている。
石碑って大事かなと。
これがもし紙による記録だったら、古代エジプトの歴史が
解らなかったかも。
現代では記録のほとんどが電子文書です。
コンピュータのOSが変わったり、文明が途切れたりで、
未来は現代の歴史を知ることができなくなるかも。
マイカー記録は「みんカラ」頼りで電子記録ですが・・・
ロゼッタ・ストーン
紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が
刻まれた石碑の一部である。
縦114.4 cm、横72.3 cm、厚さ27.9 cm、重量760 kg。
古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱である。
碑文は古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、
ギリシア文字の、3種類の文字が刻まれている。
同一の文章が3種類の文字で記述されていると早くから推測され、
1822年によって解読された。
これによってロゼッタ・ストーン以外の古代エジプト語の記録も解読が
可能になった。
もともとこの石柱は神殿に収められていたが、おそらくはローマ時代あるいは
中世の時代に運び出され、ナイル川のデルタ地帯にあるロゼッタ近郊の
ジュリアン要塞を建造するための建築資材として少しずつ使われていった。
そして1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、
エジプト遠征中のフランス軍兵士によって、エジプトの港湾都市ロゼッタで
再発見された。
石柱が立てられたのはプトレマイオスが即位した後であり、彫られた碑文は
新たな統治者を神聖な対象として崇拝する事をうたったものである。
勅令が出されたのが紀元前196年のことであり、プトレマイオス王が
再びエジプトを統べたことをふまえていることは確かである。
碑文の内容
父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、
神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明を
もたらした……
不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者である
プトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……
祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で
奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を
祝うため王国全土から招集された。
……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所と
それに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や
食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。
彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。
国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。
投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。
エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、
海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……
Wikipediaより
『ロゼッタストーンの歴史』をアニメで解説する。
象形文字が読める14歳のエジプト博士ちゃん!?|
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Posted at 2025/07/29 18:03:27 | |
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