

1964年

2025年
藤沢飛行場
神奈川県藤沢市に存在した飛行場。
1953年(昭和28年)- 1964年(昭和39年)の正式名称は東洋航空藤沢飛行場。
概要
太平洋戦争当時、海軍の飛行場として建設された。
湘南海岸の江の島の西側から引地川を北上した東側の
相模野台地丘陵上南端部にあった。
さらに北上すると厚木海軍飛行場がある。
滑走路は、南北方向で離着陸の方向は北から南向きだった。
終戦後は民間飛行場となり、廃止後の跡地は荏原製作所の
藤沢事業所の大部分・荏原湘南スポーツセンターの敷地の一部になった。
海軍飛行場時代
1943年(昭和18年)10月24日 - 藤沢カントリー倶楽部を閉鎖し、
同地周辺が横須賀海軍航空隊の基地となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 藤沢海軍航空隊が置かれる。
クラブハウス(グリーンハウス)は司令部として利用され、開隊当初は兵舎が
完成していなかったため、クラブハウスが兵舎と調理場も兼ねていた。
1945年(昭和20年)8月25日 - 藤沢海軍航空隊が解隊される。
1945年(昭和20年)9月2日 - 連合国軍550人が、本飛行場に進駐。
連合国軍は、飛行場として十分利用できず、約1年で撤退した。
跡地はゴルフ場や元地主に返還され、聖園女学院高等学校、
民間飛行場などになった。
唐池の施設部宿舎は、戦災孤児の養護施設(唐池学園)になった。
Wikipediaより
Posted at 2025/12/15 03:44:31 | |
トラックバック(0) |
マメ知識 | 日記