
世の中が便利になればなるほど、人々は幸せになるはず…と思ってテクノロジーが進化してきたのかどうかは知りませんが、少なくとも不幸になろうと思って進化させてきたわけではないはずです。もっとこうしたら便利になるはず、困っている人が助かるはず、そんな思いでいろんな便利なものが誕生してきたに違いありません。
20年前くらいを思い出すと、スマホもタブレットもなくて、インターネットもそこまで普及していなかった時代でした。今とは比べものにならないくらい不便な世の中でしたが、果たしてあの頃を生きていた人々が不幸だったのでしょうか…。スマホやネットが普及して、どこにいても指先一つで買い物が済ませられたり、ホテルや飛行機の予約すら取れてしまいます。これ以上、一体何が便利になる余地があるのか分からないくらい便利な世の中になりました。
今の時代に生まれた子供たちは、人生のスタート地点から便利な世の中に生きています。さぞかし幸せだろう…と思いたいですが、『便利すぎる世の中で幸福度を上げるのは難しいのではないか』と最近よく思います。幸せの価値基準なんて人それぞれなので、「便利すぎて何が悪いの?」って思う人もいるでしょうし、今の時代に何の疑問も感じずに幸せに生きられている人は全く問題ないと思います。
先日、ネットの記事にお坊さんに同じような悩みを相談している人がいて、その回答には「今の時代で幸せを感じにくくなった原因は、世の中が便利になりすぎたから。昔は特別感を感じられるような出来事が当たり前になってしまったから、そこに幸福感を見出すことが難しい。」といった内容が書かれていた気がします。それを読んだ時にすごく腑に落ちたのを覚えています。
自分の青春時代は、好きな歌を聴くためにCDショップに行ってCDを買ったりレンタルしてきて、ようやく聴くことができました。今は家から一歩も出ることなく、ダウンロードすれば簡単に手に入りますし、なんならYouTubeで検索したら大概の曲は無料で聴くことができます。「どちらが便利ですか?」と聞かれたら、全員が後者と答えるでしょうが、「どちらの方が大きな喜びを感じられますか?」と聞かれたら、意見はけっこう分かれる気がします。
幸福度に影響する要素として結果が全てだとしたら、より簡単に早く手に入る方が良いに決まっています。でも、人間の感性ってそんなに単純ではなく、「苦労せずに手に入れたものに価値を感じにくい」という要素はかなりあると思います。北海道でしか食べられない美味しい名物があったとしたら、それを食べに行って実際に食べられた時の喜びはすごく大きいはずです。しかし、スマホのワンクリックだけで数日後に家に届いて同じものを食べられたとして、同じように大きな喜びを感じられるかと言えば難しいと思います。何でもかんでも簡単に手に入ることが幸せに繋がるわけじゃないと思いますが、利便性を高めることが正しいと信じて進化してきた社会が今さら退化していくことはないでしょうし、今後もどんどん便利な社会になっていくのだと思います。
人間の方が時代に合わせて幸福感を感じられるように進化できればいいのですが、ふと立ち止まって考えてみた時に、自分の感覚は昔のまま変わっていないんじゃないかと思うことがあります。青春時代によく聴いていた音楽を耳にすると、ただノスタルジックな気持ちになるだけでなく、「あの頃は楽しいことがいっぱいあったなぁ…」と思い返すことが多くなりました。不便さゆえに特別感を感じられるような出来事が今もなお記憶に強く刻まれているせいなのだろうと思います。
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2023/04/21 14:22:04