
2020年も残すところ、あとわずかになりました。多くの人々にとっては楽しいことよりも辛いこと、悲しいことの方がはるかに多い年だったのではないかと思います。御多分に洩れず自分も人生設計が大きく狂いました。絶望の淵に追いやられて、生きる意味を見失った時期も長く続きました。
このまま生きてて、何か楽しいことあるのかな・・・
もう大体やりたいことやったからいいかな・・・
何のために生きてるんだっけか・・・
漠然と生きてたら、またいいことあるのかな・・・
いくら考えても答えの見つからない疑問がいつも頭の中をぐるぐると駆け巡っていました。
当たり前だと思って疑わなかった日常が失われてしまうと、こんなにも絶望感に苛まれることを初めて経験しました。今までも振り返れば、辛いこと、苦しいことをたくさん経験して、それでも挫けずにやってこられたと思っていた自信なんてものが全く役に立たないことを痛感しました。
自殺者の数が一気に増えたのも納得できます。こんなに辛い現実を耐えるくらいなら、死んだ方がマシだと思いたくなる気持ちはすごく分かります。自殺はよくないことだと正論を振りかざすだけでは、本当に追い詰められた人を救えないばかりか、逆に追い詰めてしまうことすらあると思います。
職を失った人、家を失った人、経済的に困窮している人、活動が制限されて生きがいを失った人、いろんな苦しみがあると思います。
ベンツに乗る余裕があるくせに何が苦しいんだよ!って怒る人もいるかもしれません。
自分の場合は、経済的な問題での苦しみはありませんが、全く別の問題で地獄のような苦しみをずっと味わっています。
自殺する人としない人の差ってどこにあるのでしょうか・・・。
人から見たら絶望的な状況でもそこから再起を図れる人もいれば、立ち直れずに死を選ぶ人もいます。
自分で新たな希望を見出して頑張れる人は、本当に心の強さを持っている人なんだろうと思いますが、みんながみんなそういう強い心を持っているわけではありません。
最後の一線を超えてしまうかどうかは、この世に踏み止まろうと思える何かがあるか、という違いなのかなと思いました。
絶望した時は、どうせ自分なんて生きてても何の意味もない・・・誰の役にも立っていない・・・周りにも迷惑掛けてばかり・・・と視野狭窄に陥り、悲観的な思考に支配されます。
まさに自分もそうでした。
そんな自分を救ってくれたのは、たった一人の心からの言葉でした。
その人は一般論でも、正論でもなく、自分の壊れかけた心を救おうと必死に言葉をかけてくれました。
「あなたが死んでしまったら、私は悲しい。お金も地位も名誉も全て失ったとしても、あなたに生きていて欲しい。生きてさえいてくれれば、それだけでいいから。」という心からのメッセージでした。
自分は、この言葉に救われて、自殺することを思い止まりました。
大袈裟じゃなく、この人がいなかったら、自分は今頃もうこの世にいなかったかもしれません。
この言葉を掛けてくれたのは、彼女でも奥さんでもなく、落ち込んでいる自分をずっと心配してくれていた3歳年上のいとこでした。
しばらく疎遠な関係になっていたけれど、自分が人生のどん底に落ちてから、ずっと話を聞いてくれて、傍に寄り添ってくれていました。すごく居心地の良い距離感でコミュニケーションを取り続けてくれて、いつも自分の欲しい言葉を掛けてくれる人でした。世の中にこんな人いるんだ・・・と思うくらい素敵な性格の人でした。
今も絶望的な状況を脱したわけではありませんが、それでも自分はまだ生きることを諦めるわけにはいかないと思えるくらいにはなりました。
人には言えない深い悩みや問題を抱えている人って、世の中にいっぱいいると思います。簡単には解決できない問題になるほど、話を聞く側の負担も大きくなってしまいます。
落ち込んでいる人に寄り添うことは、言葉でいうほど簡単ではありません。自分の時間や労力を削らなければいけないこともあります。聞く側の人間の精神状態が安定していないと、ネガティブな感情に引っ張られてしまうこともあると思います。
それでも、身近な大切な人が死にたいと思うほど絶望していたら・・・その人に死んでほしくないと思うのなら・・・後悔しないように、あなたからの心からのメッセージを伝えてあげて欲しいなと思います。伝えたらからと言って必ず救えるという保証はありませんが、不器用でもいいから、ありきたりでない、たった一つのメッセージを伝えられたら、大切な人の心を救える可能性が十分にあります。
言葉の選び方、伝え方次第で人の気持ちは大きく揺れ動きます。言葉の使い方によって、人を追い詰めることも救うことも出来てしまいます。
そんなことを痛感した一年でした。
Posted at 2020/12/13 22:41:25 | |
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