
いろんなニュースが流れてくる昨今ですが、人それぞれ関心が違うので、心に引っかかるニュースも違うと思います。自分はこの何年もテレビを全く見ない生活をしているので、情報源はもっぱらYahooニュースがほとんどです。別にゴシップネタに興味があるわけではないんですが、有名人や芸能人がいろんな問題を起こして大変なことになっているニュースはよく目に飛び込んできます。
少し前までは世間的に好印象だったと思われるような有名人でも、たった一度の過ち、過激な発言、不注意な言動などで世間の評価が一変することが当たり前の世の中になってしまいました。犯罪を犯してしまった人の評価が地に落ちるのは仕方ないとしても、そこまで責められるようなことなのかな…と感じることでも激しいバッシングに遭ってしまう時代です。
生きていれば過ちの一つや二つ…どころではなく、たくさん過ちを犯すのが人間だと思います。他人を平気で批判する人たちが聖人君子のような人生を歩んでいるとは到底思えません。叩けば埃だらけの人も、他人のことを非難している時は、自分のことを忘れてしまっているのでしょう。
「自分は何て馬鹿な選択をしてしまったのだろう」と振り返って思うことが数え切れないほどあります。40年も生きてきて、今でもそう思うことが多々あります。仕事では冷静に対処できているのに、プライベートになると我慢できなかったり、感情的になってしまうことが未だにあります。
少しでも後悔を減らすために、少し先、もう少し先、もっと先の未来を想像してみることがあります。もしも今この言葉を相手にぶつけたら、どんな未来になるだろうか…と。そこで想像される未来が自分の望む未来と違う、いや正反対になりそうなら、そんな言葉は使うべきじゃない…そう思える瞬間があります。感情をそのままぶつけることは、自分が楽になるための一つの方法ではありますが、それが負の感情であればあるほど、ぶつけられた相手の苦痛はとてつもなく大きいものになります。その相手との関係性を壊しても構わないのであれば、それで縁を切るのも一つの選択ですが、良好な関係を築きたいのなら、絶対に避けるべきです。
なぜこんな話を書こうと思ったかと言うと、週末に些細なことから家族と喧嘩になってしまい、自分自身の感情をセーブできずに苦しんでいたからです。だから、こうやって書いて吐き出すことで、半分は自分に言い聞かせています。少し前だったら、こうやって冷静に考える前に感情をそのままぶつけることをしていた未熟な自分がいました。あたかもそれが正論であって、自分が正しくて、相手が間違っているかのような言い方で、とにかく相手を追い詰めてしまう悪い癖がありました。過去の大きな過ちから、相手を強く責めることで自分を守ろうとする悪しき習慣を身に付けてしまい、そこから抜け出すために周りを巻き込みながらたくさんの苦労を重ねてきました。
ほんの少しずつだけれど、自分の成長を実感できることが増えてきて、だいぶ安定した生活が送れるようになってきたとはいえ、やっぱり今でも時々自分の心が音を立てて壊れてしまう瞬間があります。時間が経てば徐々に修復できて、また立ち直れはするものの、そのために何日か掛かることもあって、苦労が絶えません。自分の人生の課題は「いかに心を安定させるか」だと思って日々を生きています。人生に意味なんてない、自分がどういう意味を持たせるか、それしかないという言葉を聞いた時にハッとしました。若い時は欲にまみれて、あれが欲しい、これがやりたい、こうなりたい…と自分のことばかり考えてきた気がします。でも、ある程度の物欲が満たされるようになって、さほど欲しいものもなくなってきて、自分は何のために生きているのだろう…と思い悩むことがだんだん増えてきました。自分のためだけに生きようとしても、どこかで大きな壁にぶつかってしまうのだと思います。
有名人に限らずですが、何か大きな問題を起こして人生の落とし穴に落っこちてしまう人って、きっと自分優先の考え方で生きている人が多いように感じます。他者配慮ができて思いやりに溢れる人がそんな人生の転落を経験するケースって稀だと思います。仮に転落してしまっても、周りが必ず助けてくれて復活できるはずです。
一つも失敗しないように注意深く生きようとしても、息苦しくなってしまうと思うので、それなりにリスクヘッジをしながらも、時には大胆にチャレンジしてみる、自分の限界に挑戦する勇気を持つことも大切だと思います。これからの時代を上手に生き抜くためには、そういうバランス感覚を養うことも大切な資質の一つだと思います。
なんだかまとまらない話になってしまいましたが、心のバランスを崩しがちな自分へのエールも込めて。
Posted at 2024/10/07 21:14:26 | |
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