※ 写真は1970年 大阪万国博覧会
1970年の日本で初めての万国博覧会。
東京オリンピックが終わり、当時の新幹線の終着駅だった大阪で戦後復興のお祭りとしての意味合いが大きかった、もっとも輝いていた博覧会だった。
原子力発電で作られた電力を使って、携帯電話や、テレビ電話、リニアモーターカーなどの今実用化した近未来がそこにあり、岡本太郎の 太陽の塔 が 未来を語る そんな異空間の手が届きそうな祭りだったに違いない。
そして、この祭りが終わると、中東戦争によって、オイルショックが起こり、日本の戦後復興から続いてきた、経済成長は終わりを告げたのだった。
今この国は、1960年代と同じ道を再トレースしている。
右肩上がりの日本が近代国家として最も輝いていた時代。
そして、この輝いていた時代を再トレースしている中心世代が60代50代のこの輝いていた時代に生まれ幼い頃に、この輝きを知る輩たちだ。
内閣総理大臣の安倍晋三の爺さんはこの輝いていた時の内閣総理大臣だった。
安倍晋三は、「戦後レジームからの脱却」などと言っていたが、現実は「戦後の輝き again」になっている。
大変残念なのは、2010年代から20年にかけて、未知なる未来を切り開く形ではなく、過去の成功体験の追従だということだ。
これでは、新たな時代を突き進む事は出来ない。
過去の遺産を食い尽くすだけで、祭りが終わった跡には何も残らないし、次へ進む力にならない。
東京では、2020東京オリンピックに向かって再開発が華やかだが、その箱もの行政が大阪へ流れて2025年まで公共事業が続くということになる。
箱もの行政の財源は税金だ。
そして今回の大阪万博会場予定地は、元々 大阪オリンピックの招致の際の会場予定だったと聞く。
そして、万博開催前の2024年には、カジノも誘致するらしい。
万国博覧会はやってくる事は決まった。
すなわち、カジノというなの 複合型リゾート構想も前進する事になるのだろう。
リゾート構想はバブル弾ける前の1980年代後半から1990年代初頭にかけて現実にあった。
それが 今は亡き 宮崎シーガイア だったり、北海道 トマム、サホロ 磐梯アルツなどのリゾート地。
そして、郵貯や厚生年金の馬鹿デカい田舎の保養所。
それらの リゾートはどうなったか。
宮崎シーガイアのように、潰れてなくなったもの。
たたき売られて、整理されて細々と一部が残っているもの。
廃墟マニアの聖地になって残骸が残るもの。
とにかく、万博が終わると次はバブルの1980年代後半をもう一度に行くらしい。
私たちの2020年代の税金で・・・
そんな過去の夢をもう一度という文化に未来はあるのか?
大阪に関して一言
大阪維新は、幕末の維新をもう一度と旗を上げたが失敗し、大阪維新の存在意義が薄れていたが、新たなる旗として、大阪万博を得たことにより、何とか存在意義を得ることが出来た感じだ。
いまや大阪維新の会は 「二度目の大阪戦後復興 万博の会」になったと言えるのではないのか。
大阪維新に明るい未来は無さそうだ。
Posted at 2018/11/24 17:01:34 |
NEWS | 日記