
ちょっと前の話ですが、朝出勤途中でまーしーさんからメールが。
「ヘリ空母の「ひゅうが」が館山湾に寄航してる!」
なに?ヘリ空母?
まーしーさんからの情報によると、全長197mもの大きさだとか!
嫁さんに写真撮ってもらったんですけど、うーん遠すぎて残念な写真でした。


館山みたいな田舎の湾に最新鋭のヘリ空母が寄航してれば、びっくりしますよね!
やはり「ひゅうが」という名前は、戦争中の航空戦艦「日向」から付けられていると思います。
航空戦艦「伊勢」と「日向」。
この航空戦艦は、戦争末期の中、大活躍した艦隊だったんです。

訓練中に艦尾五番砲塔が爆発する事故があり、乗員54名が亡くなる大惨事を経験した「日向」。
艦尾が大破したことで、艦尾に当時最新鋭のカタパルトを設置したんだそうです。
最新鋭レーダーと対空用三連装機銃が104基、戦艦の強力な装甲。
この3つの武器をもとに大活躍をした2隻の航空戦艦。
シンガーポールから、最後の航空燃料を運んだこともあったそうです。
アメリカの潜水艦に何度も襲われたそうですが、大切な最後の航空燃料を輸送したそうです。
この燃料が特攻隊の燃料や、東京大空襲時の迎撃燃料に使われたそうです。

1945年(昭和20年)7月28日、呉軍港を950機の航空隊による攻撃が始まりました。
「呉軍港空襲」です。
燃料が無くなり、動けなくなったこの「伊勢」と「日向」。
広島の呉港で「海上砲台」として、この捨て身の闘いに挑みました。
この爆撃の水柱の高さが爆弾の威力を物語っています。


動けない艦隊の乗組員は、さぞ恐ろしかったと思います。
最後は大破して、呉の湾内に着底した「日向」。

大破した艦橋。

着底して大破した後に最後の主砲攻撃をしたそうです。
これが日本軍の最後の主砲砲撃だったと言われています。
悲劇の日本艦隊。
私も知らないエピソードがいろいろあったんだなぁ。
現代によみがえったヘリ空母「ひゅうが」。
また、日本を守って下さい!
Posted at 2015/01/28 21:59:57 | |
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